多摩川沿いの土手を上流の方向へ20分くらい歩くと、真っ直ぐに
伸びる土手伝いの歩道と右折する車道の2差路に出ます。

 右折しますと水道管の取り換え工事の看板表示があって、管を埋
設し終えた後にアスファルト舗装を施工しているところでした。

 この道を5分くらい歩きますと初めての交差点に出ますのでこれを
左折し少し上りこう配の道を行くと右手に青柳稲荷神社があります。

 神社の境内の地面に黒く墨をおとしたような円形の跡が残っていました。

 これは過日、「どんと焼き」の行事が執り行われ、できたものです。

 以前(1月19日)、見に行った府中市四谷文化センター脇の田圃で行わ
れた「どんと焼き」を思い出しています。
 点火が始まる前に主催者側責任者の挨拶の中で、どんと焼きの由来を
説明され、平安時代にさかのぼる・・・とか話されたように覚えています。

                      府中市の「どんと焼き」での主催者のあいさつ
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            府中市の「どんと焼き」風景

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 そこで、気になりましたので「どんと焼きの」項をウイキペディアより抜粋
しますと、「弁内待日記」建長3年1月16日(1251年2月8日)、「徒然草」に
みえるから、鎌倉時代には行われていたらしい。

 起源は諸説ありますが、有力なものは平安時代の宮中行事にさかのぼ
ります。
 当時の貴族の正月遊びに「毬杖(ぎっちょう)」という杖で毬をホッケーの
ように打ち合う遊びがあり、小正月(1月15日)に宮中で、清涼殿の東庭で
青竹を束ね立て毬杖(ぎっちょう)3本を結び、その上に扇子や短冊などを
添え、陰陽師が詠い囃しながらこれを焼いたという行事があり、その年の
吉凶などを占ったとされます。

 すなわち、山科家などから進献された葉竹を束ねたものを清涼殿東側に
立て、その上に扇子、短冊、天皇の吉書等を結び付け、陰陽師に謡い囃し
て焼かせ、天覧に供された。

 「故実拾要」によれば、先ず、烏帽子、素襖を着た陰陽師大黒が庭の中
央に立って囃し、ついで上下を着た大黒二人が笹の枝に白紙を切り下げた
のを持ち、立ち向かって囃しをし、ついで鬼の面をかぶった童子一人が金
銀で左巻きに画いた短い棒を持って舞い、ついで面をかぶり赤い頭をかぶ
った童子二人が太鼓を持って舞い、ついで金の立烏帽子に大口を着て小さ
い太鼓を前に懸け、打ち鳴らしながら舞い、また半上下を着たものが笛、小
鼓で打ち囃します。

 毬杖(ぎっちょう)3本を結ぶことから「三毬杖(さぎっちょう)」と呼ばれまし
た。

 前記知識を頭に入れて、国立市にある青柳稲荷神社の「どんと焼き」の風
景を写真をみながら思い出してみます。

 府中市の「どんと焼き」の大きさに比べると、国立市のそれはかなり小さく
感じます。
          
                        境内にどんと焼きの準備が完了しています。

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 今年馬年の子供たちが太いしめ縄をもらい、このしめ縄に火を付けても
らって,どんと焼きの点火に参加をしようとしているところです。

        子供たちによる「どんと焼き」の点火前風景

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                                「どんと焼き」に点火しました。

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            「どんと焼き」の風景

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              「どんと焼き」の風景

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               「どんと焼き」の風景

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 おでんとうどんの販売には長い行列ができていました。
 小生も並んで食してみようと思いましたが、あきらめてしまいました。
 ちなみにおでんに甘酒がついて百円でした。


       主婦たちはおでんを販売しています。

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         子供たちがうどんを提供しています。

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           だいぶん火の勢いがおさまってきました。

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     竹に刺した団子を残り火で大勢の人が焼いています。

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 年に一度の祭りですが、このよき日本の伝統がいつまでも続いて、地域
の絆が一層強くなり、若い人にも継承されることを希望します。