特攻隊機にも幾つか種類があって、先だって小説「知覧からの手紙」
のドキュメントでは、ごく普通の性能のよいプロペラ機の特攻隊機でした
が、これは独力で離陸できない、まるでグライダー程度の性能しか有さ
ない特攻機(桜花)の話です。

 しかもこの攻撃機は脱出装置すら装備をしていなかったのです。
 ただ目標の敵艦に体当たりをするのみに造られた、余計な装備など
一切なしの極限を追求した特攻機でした。

 この特攻機の搭乗員は何を考え何を思ってこの狭いコックピットの中
で攻撃準備をしていたのか、その心情は想像を絶するものがあったと
思われます。
 小生はなんだか胸がかきむしられるような切なさを感じています。

 母機に抱かれるように下部に取り付けられた特攻機のイメージ図を水
彩で描いてみました。

 桜花(おうか)は日本海軍が太平洋戦争中の昭和19年(1944)に開発
した特攻機です。
 
              
        母機に抱かれ攻撃目標位置まで運ばれる小型特攻機(桜花)

                 「イメージ図」
                 
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 ウイキぺディアによりますと、
 桜花(おうか)は機種部に大型の徹甲爆弾を搭載した小型の航空特攻
兵器で、母機に吊るされて目標付近で分離し発射される。
 その後は搭乗員が誘導して目標に体当たりさせる。

 11型機では母機からの切り離し後に固体燃料ロケットを作動させて加
速、ロケットの停止後は加速の勢いで滑空して敵の防空網を突破、敵艦に
体当たりを行うように設計されていたが、航続距離が短く母機を目標に接
近させなくてはならないため犠牲が大きく、22型以降ではモータージェット
での巡行に設計変更されている。

 桜花(おうか)は独力で離陸できなかったため、一式陸攻24型を改造し
た一式陸攻24型丁と呼ばれる改造機を造り、アメリカ軍艦隊の近くまで、
その下部に搭載して運び、そこから発信する方法をとった。

 爆弾搭載量は800㎏で設計された一式陸攻にとって、全備重量2.3トン
弱の桜花は非常に重く、桜花を搭載した一式陸攻限界ぎりぎりの陸可能
重量となる。

 桜花はロケットエンジンによる数秒程度の加速と、滑空によって飛行す
るため、その航続距離は、母機の一式陸攻からの切り離し時の高度に大
きく左右され、航続距離を伸ばすためには、母機の一式陸攻は高高度飛
行をせざるを得ない(一式陸攻は大型機かつ桜花の搭載によって機動力
の低下もあり急上昇できない。)しかし、敵艦のレーダーから探知される距
離が延びることになる。

  桜花を搭載した一式陸攻は速度が低速であり零戦による援護が困難で
あった。

 又敵のレーダーで事前に捕えられ次々と撃墜された。
 母機となる一式陸攻の搭乗員は7名程度であり、特攻はしないがこの機
体もほぼ帰還はなかった。

 確実に戦果を挙げるための体当たり攻撃とはいえ、十分な護衛機なし
で投下地点となる目標の近距離まで到達するために、多数の高性能迎撃
戦闘機を鈍重な爆撃機で突破しなければならない桜花を使用したところで
攻撃が成功する確率は万に一つもなかった。

 桜花を防御弾幕の手薄な比較的遠距離で切り離し、敵機動部隊外縁の
ピケット艦等の軽艦艇に攻撃をかけるのが精いっぱいだったことが戦果
でも証明されている。

 合計10度にわたる出撃の結果、桜花パイロット55名、その母機の搭乗
員358名の戦死者に対し、桜花が与えた確実な戦果は、ウルシー環礁と
沖縄戦においてアメリカ海軍の駆逐艦マナード・L・エベール撃沈1隻、そ
の他連合国の駆逐艦以下の数隻に損傷を与えるにとどまった。

 前者のマナード・L・エベールのときは、艦隊中央部に命中した瞬間、爆
発して真っ二つに折れ、一瞬で沈没させることができたが、後者の中には
駆逐艦に命中したものの、幅の薄い艦首部だったために機体が炸裂せず
貫通、そのまま海に突っ込んでから爆発したという例もある。

 1945年4月12日に駆逐艦マナード・L・エベールを撃沈したのは、土肥
三郎中尉が操縦する桜花であった(土肥中尉操縦の桜花の母機=一式
陸上攻撃機(桜花を発進させた後、被弾しながらも無事に鹿屋基地に帰
投)の機長は、三浦北太郎少尉(6月22日の神雷部隊の最後の出撃の際
に戦死)であった。