atusisugoiのblog

カテゴリ: 想い出に残る旅

 4月8日、母、17回忌の法事がありますので、大阪入りをいたしました。
 代変わりし、母がお世話になっていました住職さんから御子息さんの時代
になっていましが、翌日ごく内輪で執り行いました。
 法要中はかなり長い経文をひとりひとりに渡され、みなで唱和する形式
でしたが、以前と変わりなく踏襲されていました。
 無事法事もすみ、昼食をとりながら、ゆったりと談笑の後、弟夫婦と、姉
も一緒に、車で、新大阪まで見送っていただきました。
 そして、18時ごろの新幹線に乗り込み、小生は、姫路駅で途中下車をし、
家内はそのまま、娘夫婦と、孫たちが待っている広島へ、ひと足先に向か
いました。
 小生は明日から、鳥取と島根方面へ、旧友と旅をし、広島で家内と合流
することになっています。

 姫路駅、1階中央改札出口で、大西君と久しぶりに再開しました。
 簡単な、挨拶を済ませると、まず、夜桜見物を予定通りにしましょうという
ことで、友に一つ自分の荷物を持っていただき、北の方角に位置する右姫路
城(白鷺城)へと向かう広い通りを歩きました。
 夜の風は少し冷たく、遠くに見える城郭の桜の花は弱い明かりに照らされ、
私たちを満開の笑顔で迎えて暮れているかのようでした。
大手門をくぐったあたりの広場では、夜桜を愛(め)でるため、シートを敷き、
酒など酌み交わし、楽しむ何組かの影が窺えました。
 お堀の周辺も夜桜見物をさせていただきました。姫路城を見ながら、あの本
能寺で、織田信長が、明智光秀に討たれた後、岡山城を攻め立てていた豊
臣秀吉が、城主に和睦案を示し、隠密裏に夜を日に継いで素早く引っ返して、
大阪の天王山で、明智軍を倒すという歴史なのですが、岡山から引っ返す途
中で、この姫路城へも立ち寄ったそうです。
そんなことを、束の間ですが、思いだしていました。
 相手の心を読む力と、知略、素早い行動力が、この人の特徴だったようです。

         以前、小生が描いた姫路城
CIMG0272


















寒さも手伝い、早めに桜見物から引きあげ、姫路駅に戻りました。
 そして、JR」姫新線」の始発ディーゼル機関車に乗り、二駅で彼の家の
最寄り駅に到着し、ここから夢前川寄りに数分歩いた道路沿いの中華料理
店に入りました。
ここで乾杯をし、食事を済ませました。
 この辺りは、自然が、十分残されてい、住まいには、絶好の環境のように
感じました。
 店では、特別な話は出ませんでしたが、かれも、帯状疱疹にかかったこと
があり、その発症部位は首のあたりで、いまでも冷えるとその部分が痛むと
いう後遺症があるといいます。従がって、いまの季節には少々不似合いのよ
うなマフラーを首に巻いていました。
小生も自分の症例を話しましやが、余り夢のない会話だったように思います。
 そうそう、彼は、今は亡き大変かわいがっていた愛犬の話を、思いを込め
て話してくれました。
 勤務先から最寄り駅で降車すると、奥様と愛犬が、いつものように迎えに
来てくれていたこと、それに雷を大変恐れていたことなど・・・・・・・・。
 店を出て、夢前川沿いの桜並木を案内して頂きながら(とはいうものの、ほ
とんど外灯もない堤防の道ですが)20分くらい花見をしながら散策しますと、
今晩の宿泊先であるビジネスホテル「チサンホテル夢前川」に到着しました。
 中学生時代、かれが、夢前川で、水泳をしているところに、一度だけ遊び
行った記憶がありましたので、「当時夢前川のどのあたりで泳いでいたの?」
と、訊ねますと、旧友は詳しい位置関係を教えてくれました。この桜も当時は
苗木程度だったといいます。歳月の流れの速さ感じました。
 明朝、午前9時に、旧友が車で、このホテルへ迎えに来てくれ、鳥取県の「
三(みささ)温泉」へ、ドライブ旅行を予定しています。

 2017年4月10日の朝に撮影しました。宿泊したホテルの土手側に、2
階建の、ガラス張りした黒い建物が、レストランになっていて、朝食を摂りな
がら満開の桜が真(ま)じかに見えました。
 桜の花のすき間から夢前川の水の流れが見てとれます。

        ビジネスホテル「チサン夢前橋」
CIMG0002




















             夢前川
CIMG0001



















 昨夜は、向こうの桜並木の土手を歩いて、こちらのホテルへ向かって歩い
たのです

          夢前川と、桜並木
CIMG0003




















  ソメイヨシノの花が、生き生きと近くで観える見事な風景でした
CIMG0004



















 

 友達には、1ヵ月くらい前から、4月9日(日曜)に、大阪で法事を済ませ
た後で、広島へ、遊びに行く予定ですから、姫路で途中下車をし、貴殿と
会って、お堀の観光舟で花見をしたい旨伝えていました。
 そうしましたら2、3日前に友達から連絡が入り、花見だけで終わらすの
ではなくこの際、その足で小さな旅をしようという案が浮上してきました。
話し合い調整の結果、初日の4月9日(日曜)は、姫路城周辺の夜桜見物
をし、この日は友達の家に近い、ホテルにチェックインすることになりまし
た。
 中学時代の友ですが
、東京と姫路では、なかなか会う機会も難しいため、
それに人生一期一会という言葉もありますので、ドライブと、観光を楽しみ
ながら、温泉では、「積もる話でもしようではないか」という計画を友にし
ていただきました。ある意味では、小さな小さな同窓会みたいなものです。
 4月10日(月曜)には、ホテルまで友が迎えに来てくださり、一路、鳥取
県を目指します。鳥取観光をした後は、三朝温泉
で1泊することになりまし
た。
 そして、4月11日(火曜)
は、石見銀山とか、友のおすすめの文化財を
ねたりして、この日は温泉津(ゆのつ)温泉で2泊
目を予定しています。

        温泉津(ゆのつ)温泉での宿泊先  輝CIMG0121雲荘



















    温泉津(ゆのつ)温泉での宿泊先   輝雲荘
CIMG0123

















    温泉津(ゆのつ)温泉での宿泊先   輝雲荘
CIMG0124

















   温泉津(ゆのつ)温泉での宿泊先  輝雲荘
CIMG0125

















 最終日の4月12日(水曜)は、少し名所などを訪ねながら、可部線の可部
まで小生は送っいただき、ここで、友達と別れ、小生は、広島の娘夫婦の
家へ電車を利用し、お邪魔しようと思っています。
 
友には、娘夫婦が、開業している「伊藤愛犬病院」をぜひ見てほしいと願
っていま
したが、可部から車で4時間もかかるといいますので、無理はいえ
ないと諦(あきら)めました。

 母の故郷は、この温泉津(ゆのつ)温泉からそう遠くないところにあります。
今は母も亡くなり、代も変わり残念ながら私たちとの交流はありませんが、幼
いころ、浦の浜から小舟で、遊覧を愉しんだことを思い出し、以前、こんな絵を
描いてみました。この浜から、銀を船で搬出したという歴史があります。このた
び、この温泉へ、旅することになり、感無量です。

               浦の浜港
141007_100949




















              浦の浜港  
012 (5)



 広島から北海道旅行の写真が手紙を添えて送られてきました。

 全員が楽しそうに笑顔を見せて写っているのがなかなか良か
ったです。

 やはり北海道は大地が広く、人々や土地の雰囲気がおおらか
なのでしょう。
 初めて行った人も子供たちもこんなにいい喜びの笑顔になる
理由は、その懐の深さを肌で感じるせいだと思います。
 広島の孫が飛びあがって興奮している様子がユーモラスに写
真に収まっているのが、微笑ましくて、小生は笑いをこらえるのが
一苦労です。
 北海道はそれだけ開放感をいただける土地のような気がします。

 今度は小生も皆と一緒に出かけようと思っています。

 小樽と聞きますと,昔歌謡曲で「小樽の人よ」が鶴岡正義と東京
ロマンチカが唄って大ヒットしたのを思い出しました。
   ♪
   逢いたい~気持ちが~まま~ならぬ~

 その小樽運河の写真がありました。
 もう一枚の写真は皆が揃って、運河の橋の上で撮影したのが
ありました。
 大正時代に、沖合の海を埋め立てて陸続きにした時に運河を作
り沖合に停泊している貨物船から、ハシケ(台船)に物資を乗せ、こ
の運河を使って運んだという歴史があります。

 時代とともに海の護岸が進み大きな船が入港できるような港が
でき、貨物の輸送手段も、人力から機械や車にとって代わりました。
 そのため、運河は衰退をしましたが、昭和61年に一部を埋め立
て、幅の半分が道路となり、散策路や街風に整備され、現在の姿
になったそうです。

 こうして都市景観100選を受賞するまでになったのは並々ならぬ
市政と市民の努力などによって実を結んだのでしょう。

 運河に、観光客を乗せた船が航行する姿が優雅に写っていました。

 また、散策路には、63基のガス灯が設置され、運河沿いの煉瓦や
石造りの倉庫は当時のまま残されているそうです。

 ガス灯が異国情緒を醸し出し雰囲気を盛り上げているようです。

 倉庫群にツタでしょうか、壁を這って生い茂っているのが見えます、
これがアクセントと落ち着きを与えています。

 この倉庫群は今はレストランなどに再利用されているそうです。

 手紙には、今度はぜひ一緒に行きましょうねと結んでありました。

 ありがとうぜひ今度は・・・・・・・・・・・・・・。

 002




 

このページのトップヘ