城山公園はノコギリソウが咲くころにもう一度散策をしてみようと考えています。
この城山公園から緩やかな勾配の小道を上ると、閑静な住宅街があり、崖下(ハケ)沿
いに新養寺の方向に歩くと、まもなくして滝乃川学園の正門があります。

 滝乃川学園について、ウイキペディアに詳しく説明されていますので、引用させてもら
います。

 概要
 滝乃川学園は、日本最初の知的障害者のための福祉施設で、創立以来120年の歴
史を有する。
創立以来、日本聖公会[プロテスタント系]との関係が深く、学校法人立教学院及び学校
法人立教女学院、財団法人聖路加国際病院とは姉妹関係にある。
 東京都国立市谷保に本部を置く社会福祉法人で、知的障害児施設「滝乃川学園児童部・
成人部」を設置・運営している。

創立者石井亮一・筆子夫妻の事績のほか、渋沢栄一が理事長を務めたことでも知られ、
また、貞明皇后以来、伝統的に皇室・皇族との関係も深い。

 略史
 1891年、立教女学校(現・立教女学院)教頭の石井亮一により創設された「聖三一孤
女学院」を起源とする。
創立当初は、東京市下谷区西黒門町(現・東京都大東区上野一丁目)の荻野吟子(近代
日本最初の国家公認女医)宅に開設した、少女の孤児を対象とした女子教育施設であた。
濃尾大震災の際、多数の孤児が発生し、その中の年端のいかぬ少女たちが売春目的に
取引されている実状を耳にした石井が、この問題を憂慮し、現地に駆けつけ、16名の少女
孤児を引き取り保護したことに起源がある。

16名の少女孤児(これをこのとき、孤女と呼んだ)のうち、2名に知能の発達に遅れがあ
ることを見つけた石井は深い関心を示し、知的障害について学ぶために、二回にわたって
渡米し、知的障害研究の始祖であるエドウワール・セガン未亡人に師事し、セガンが提唱し
た生理学的教育法を習得したほか、米国各地の大学、知的障害施設を訪問。
さらに、ヘレン・ケラーとも面会を果たす。
帰国後、聖三一孤女学院を滝乃川学園と改称し、知的障害者に特化してその保護・教育・
養護・研究・職員養成施設として総合的な福祉施設を目指した。

その後、滝野川(現・東京都北区)から巣鴨(現・豊島区)に移転。
しかし1920年3月に園児の火遊びがもとで火災を起こし、園児6名が焼死する惨事に見
舞われた。

 園児を供養するこの古びた移転碑が前記惨事を思わせます。
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だが、貞明皇后からの激励や、支援者たちの尽力により、財団法人としての認可を受け、
初代理事長に中尾太一郎海軍軍医総監が就任する。
後には、第3代理事長として、渋沢栄一(1931年没)が就任し、再建を果たした。

1928年、成人した学園生のために働ける農場を提供するため、現在地の北多摩郡谷
保村(現・東京都国立市)の大隈重信が別荘予定地としていた8,000坪余りの土地を
取得し、再移転した。
1934年には学園本館において日本精神薄弱児愛護協会(現・日本知的障害者福祉協
会)が創立される。

しかし、1929年ころから始まった昭和恐慌により、学園は多額の負債を抱え、そして、秩
父宮夫妻来園の年(1937年)創立者で初代学園長石井良一が死去。
学園の存続が危ぶまれた。
しかし亮一の死から4か月後の10月16日、夫人の石井筆子が夫の遺志を継いで、第二
代学園長に就任、存続を決定。
戦時中の苦難を乗り切り、戦後、社会福祉法人に改組し、現在に至っている。

           滝乃川学園の正門
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           滝乃川学園の正門  
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  正門の前に建立されている「くにたち自然文化の散策路の案内碑」
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               学園内の施設(一部分)
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             聖三一礼拝堂
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              聖三一礼拝堂
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           聖三一礼拝堂 
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             聖三一礼拝堂
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木葦橋の下には矢川が流れてい、矢川は、立川段丘崖下(ハケ)から湧き出る豊富な水
を源として、甲州街道を横断して府中用水の支流と合流しています。
 名称については、矢川と谷川の二つの説があり、矢川は、流れが早いので弓から放た
れた矢のような川であるという説と、一方の谷川は、明治13年(1880)の谷保村誌「溝渠」
「橋」の解説に谷川、谷川橋と記されております。
 矢川の豊かな水に、螢が飛び、小魚の泳ぐ自然環境を作り守ってゆかねばなりません。
 と、近くの説明板にこのように記載されていました。

 実際に流れを見ますと早い流れであることが、草むらの間から一部分見えますので確認
されます。

              木葦橋 
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  滝野川学園石井亮一・筆子記念館(国指定有形登録文化財)
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 滝野川学園石井亮一・筆子記念館(国指定有形登録文化財)の前に秩父宮殿下同
妃殿下台臨(1937年)記念碑が建立されています。

      秩父宮殿下同妃殿下台臨(1937年)記念碑
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 日本で最初の知的障害者教育・福祉研究団体である「日本知的障害者福祉
協会」は昭和9(1034)年10月、滝乃川学園の本館講堂で第一回総会を開催
した。
翌年には、亮一が初代会長に就任している。
この開拓的栄誉を記念し、同協会は石井亮一のブロンズ像を贈呈する「愛護施
設賞」を制定した。
その後、毎年1から2名の、その年顕著な功績を収めた知的障害者福祉実践家
に、本胸像を業績審査の上贈呈している。
この胸像は、賞の制定と同時に、亮一ゆかりの滝乃川学園に同協会から贈られ
たものである。

         石井 亮一胸像(三坂秋一郎・作)
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