アトリエで、お嬢様の敦子さんからお聞きした話によりますと、「小島は青梅のほうにたくさんの知人がいて、たびたび青梅のほうに行っていた」とおっしゃっていました。

 元青梅美術協会会長の「小島善太郎先生により私の人生は変わった」というタイトル名の記事を紹介したいと思います。
 小生も、もっと小島善太郎画伯のことを、書くことによって、知りたいと思います。

 私は、人生は出逢いと運だと思います。
 半世紀前より、「青梅美術協会は純粋だから、何を差し置いても指導に行くよ」といわれ、運よく小島先生にお逢いすることが出来たことが、私の人生を変えた転機といえるでしょう。
 
 美術協会の批評会の時、私の獣医学校の同級生の大野誠君が埼玉県庁をやめ、苦労して苦労して大宮の駅近くに国際学院埼玉短期大学を建てました。
その彼が「僕の部屋に君の絵を頼むよ」といわれたので、波止場の絵を描きました。

 良く見せようと思い、カモメを飛ばしたりした絵を批評会に出したところ、小島先生に「清水、このような綺麗ごとの絵を描くなら絵をやめなさい」と諭され、目が覚めました。
先生は、よく『絵にはその人の全てが出るから怖いよ』とおっしゃられていました。
私は絵を描くときはいつも先生を思い出しています。
現場で感動したものを謙虚な姿勢で描く、この教えは私の頭の中から消えたことはありません。

 物質文明の時代の今こそ、小島先生の精神教育が大切なことだと思います。
時の青梅市長山崎さんに小島先生のお話を申し上げたところ、「そんな偉い先生を君は知っているのか。ぜひお逢いしたい」と言われたことから、市長さんとの出逢いになったのです。

 山崎市長さんも小島先生とのお話から、その人柄に意気投合し、青梅市立小島善太郎美術館が誕生したのです。
美術館の開館に当たり、「青梅の風景の大作がほしいですね」と小島先生にお願いしたところ、私の二俣尾の家の庭より描かれた作品が、「奥多摩秋景」です。

              青梅市立美術館の玄関
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        青梅市立美術館内の小島善太郎記念館
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 その絵を描かれるとき、目の前の木が邪魔なので何とかならないかと申され、私は早速樹木の枝を切り、整形しましたところ、百万ドルの景色が現れたと喜ばれました。
この絵を元にして立川の教育センターの大ホールの緞帳が作られました。
とても、見事な作品です。

 この地は昔から絶景の地でもあるので、私は後世に伝えるべく「小島先生描く地」と看板を建てました。

 小島先生の絵が青梅市立美術館に、また八王子市夢見術館に、そして日野市の百草画壮にと、三大都市に収蔵され、全国の皆さんに本物の世界を見ていただくことができ、誠に有難い次第です。

 本物の絵とは、小島先生の生き様であろうかと思います。私の親友の荒井治雄氏は「もう一度見たい、もう一度行きたいと思わせる絵が本物だよ」と言っておられました。

 今回、日野市百草に開館した百草画壮は、小島家の名誉であり、特に敦子さんのご努力の結晶といってよいでしょう。

 善太郎先生の喜んでおられるお顔が目に浮かびます。

 私も小島先生が、最後のお別れに「君、後をよろしく」といわれたことを思い出し、先生が伝えたかったことを思い出し、先生が伝えたかった「本物の世界」「謙虚な姿勢」をこれからも会う人、会う人に言い続けることでしょう。

 小島先生に出逢えた、出逢いと運に感謝いたします。

           小島善太郎画伯の油彩画です。233