atusisugoiのblog

カテゴリ: 今日の出来事

 午前09時20分に、JRの公園口出口へ2か月ぶりにやって来ました。
 上野の森美術館で、「フェルメール展」が開催されていますので、時間
調整を兼ねて、鑑賞しようと思い、足を運んでみますと、なんと長蛇の列
で、午前中の切符は完売とのことでした。残念でしたが、そのいっぽうで
このように芸術を愛する人たちが多くあるということに、なんだか安心感
をいだきました。
 仕方がないため、こんどは、「国立西洋美術館」に行き、常設展を鑑賞
してきました。修学旅行の学生さんたちがたくさん来ていました。さすが
に常設といいましても、すぐれた作品ばかりで、ゆっくりとまではいきま
せんでしたが、充実した気分になりました。
 そして、11時に、三人の友達と、待ち合わせしていますので、定刻に
指定場所で会い、いつもの飲食店へ行き、乾杯をした後、今日の話題は旅
行の相談でした。
結局、熱川温泉に1泊2日で旅をすることになりました。日時は、11月
18,19日の両日で、上野公園出口の第一駐車場08:40発のバスに
乗る予定です。
 埼玉の北の住人の方にも声をかけたいのですが・・・・・。先方が迷惑
されるのではと。気が引けます。さて、どうしたものでしょうか。

 その後、カラオケを大いに唄って解散としました。

 1930年から1937年の作品群

 さまよう画家


 藤田が17年ぶりに日本に帰国するのは1929年9月のことである。
藤田自身の後の回想によれば、老齢となった父親(当時70代半ば)と再会
を果たし、親不孝を詫びるためというのが理由とされているが、当時生活
を共にしていたユキによれば、この帰国は日本での個展の開催と作品の売
却を目的にしたものだという。帰国の直前、藤田は過去の税金の滞納を告
発され、膨大な額の税金を納める必要に迫られ、その金策のための帰国だ
ったというのである。この二つの現実的な理由に加えて、もう一つの別な
理由が挙げられるかもしれない。藤田自身に対する誤解と、それを基にし
た不正確な作品評価をただすための帰国、という理由である。先に述べた
ように、藤田はその奇抜な外観や派手なパフォーマンスによって、しばし
ば宣伝屋のレッテルを貼られ、高い人気も作品そのものの実力ではなく、
宣伝上手によるものであるという、中傷ともいえる批判をしばしば同じ日
本人から受けていた。藤田の作品が日本で公開されたのは、1922年と
24年の帝展での出品の2回のみで、そもそも実作品に触れる機会がほと
んどない日本では、作品について正確な批評を下す知識も経験も持ちえな
いというのが当時の状況であった。一方でパリにおける藤田自身の言動に
ついては、在住の日本人たちを通して面白おかしく日本に伝えられ、一面
的な人物評とあいまって作品の評価にまでつながっていった。藤田にして
みれば、自らの成功をねたむような批判は無視することが出来ても、精根
を傾けた作品をおとしめられるのは、我慢できなかったに違いない。一方
的な風評をこれ以上放置することはできない。画家としてのそれまでの歩
みと作品に対する自らの思いをはっきりと日本で伝える必要がある。その
決意が17年ぶりの帰国の背後にあったのではと想像されるのである。
その強い思いを言葉にしたのが、帰国して3日目に行われた公演であり、
それをもとに14回にわたって連載された新聞記事であり、さらにはその
記事をまとめた画集の文章である。「在佛十七年―自傳風に語る―」と題
されたこのやや長めの文章は、全編が自身への批判に対する反論として読
むことができる。そこに書かれたことは、煎じ詰めれば、いかに自らの人
生を芸術に捧げ、渡仏して17年の長きにわたり苦難を乗り越えながらすべ
ての努力を絵画に傾注してきたか、ということに尽きる。「自分はただ一
介の画学生として、いつまでも変わることのない若さで勉励を続けてゆく
のだ」といった表現には、藤田らしいが外連が感じられるが、「人の羨望
とか、嫉妬とかは小さなことであって、僕には、それ等を顧みている暇は
ない」というあたりは、本音が思わず漏れている。
他にも「いわゆる世間的自己宣伝は一度もしたことがない」であるとか「
僕は物質は望まない。栄華とか、世間的の虚栄は常人の望むことだ」など
と、いささか弁解じみた言葉も散見されるものの、全編を通じて絵画に対
する真摯な藤田の思いは十分に述べられている。ただ、それが素直に当時
の日本で受け止められたのか、これも藤田流の宣伝にすぎないと皮肉な目
で眺められたのかは分からない。帰国を記念して東京で開催された二つの
展覧会は、大成功に終わり、父・嗣章とは故郷の熊本やかつての赴任地、
朝鮮にまで旅行し、念願の親孝行も果たした。最早思い残すことはないと
ばかりに、藤田とユキは3か月余りの短い滞在で日本を後にするのだが、
その少し前に開かれたパーティーで、スピーチを求められた藤田は、今後
二度と日本に戻ることはないだろうと、感傷を交えながら語ったことをユ
キが記録している。「在佛十七年ー自伝風に語る―」にも、よく読むと日
本との決別を匂わせるような表現が時折見られ、あるいは藤田は最初から
この帰国を最初で最後の機会と決めていたのかもしれない。自分は結局日
本では受け入れられない存在である。といったある種の諦観が彼の心を占
めていたのだろうが。だが、1930年代の藤田の人生は、彼のそんな思
いとは全く逆の方向に進んでいく。
 1930年1月中旬に日本を発った藤田とユキはアメリカを経由して
2月半ばにパリに戻っている。アメリカ滞在はごく短く、何らか
の活動をした形跡はないが、この年の11月に藤田は再び単身

アメリカに渡り、ニューヨークとシカゴで個展を開催しており、あ
るいはその事前調査のような意味もあったのかもしれない。パリに
戻っても藤田の腰は落ち着かない。
結局1930年代の藤田は、フランスで活動したのは1930年2月中旬
から10月末。1931年3月から10月末。そして1939年の5月か
ら翌年5月までの、3年にも満たない時間にすぎない。それ以外の7年ほ
どは日本、中南米、中国といった国々を転々とする日々になる。住む場所
が次々と変わるだけではない。藤田と生活を共にする女性も、ユキからマ
ドレーヌ、そして堀内君代と代わっていく。私生活での目まぐるしい変化
は、当然彼の作風にも少なからぬ影響を与える。モノクロームに近かった
彼の画面に鮮やかな色彩がしばしば登場し、個人の邸宅の壁を飾る小ぶり
の作品ではなく、公共空間で大勢の人々に見られることを前提とする大画
面作品を頻繁に描くようになる。
しかし、その変化は一つの方向性を持った変化のようには見えない。いか
にも藤田らしい流麗な線描と淡彩で構成された肖像画や裸婦が描かれるか
と思うと、濃厚な色彩と強い筆触の構想画のような作品が混じる
など、試行錯誤というべきか、暗中模索というべきか、向かうべ
き確固とした方向性
が見出せない藤田の戸惑いを感じさせる作品
群がこの時期生まれている。
第一次大戦後の束の間の平和と繁栄を謳歌した1920年代が終わり、ニ
ューヨークでの株価暴落から世界恐慌、そして戦争へと向かう激動の19
30年代を迎えて、藤田の生活と創作も大きく揺れ動いていた。

 横たわる裸婦

 藤田の裸婦は理想と現実の一致点に存在しているが、この作品のように
デッサンの段階ではほとんど理想化が施されず、モデルの生々しい存在
感が前面に出ている。ベッドに仰向けになるモデルの姿を、やや斜め下
から、そしてかなり接近してとらえているが、モデルの肉体の量感が半
端ではない。油彩の段階になると様式化されていることもあって。量感
よりもフォルムの表現により重点がおかれるが、デッサンの段階で
は画家の目の前の存在を写し取ることに意識が注がれていて、
モデルの存在感が圧倒的である。
斜め下から
モデルを見るこの構図は、もう一つの「横たわる裸婦」に通
じるところがあるが、同一ではなく、今のところこのデッサンを元にし
たと思われる油彩は見つかっていない。

 横たわる裸婦
 1931
 52.0×92.5㎝
 紙/油彩

         横たわる裸婦 個人蔵
CIMG0100














 パリの小学校

 藤田には子どもを描いた作品が多くあり、初期から晩年までほぼ継続し
て子どもが題材になっている。特に1950年以降は子どもの絵が多くな
る、子どもに恵まれなかった藤田は、描かれた子どもたちが自分の子ども
のようなものである、という趣旨の発言をしている。彼自身大変子どもが
好きだったようで、近所の子どもや友人の子供たちとの交流を何よりの楽
しみとし、また子供たちも藤田を大変慕っていたという。
ただ、この作品が描かれた1930年前後はそれほど子どもの絵は描かれ
ていない。また単身像はあっても、この作品のように群像として描かれた
ものはさらに少なく、珍しい作例である。
シルヴィ・ビュ一ソンのカログ・レゾネによれば。1930年のアメリカ
滞在中に描かれた学校の校庭で遊ぶ子どもたちの絵があり、それが唯一の
先行例といえる。
 体操の時間だろうか。先生の身振りをまねて、子どもたちが手を広げて
互いの距離を取り合っている。《校庭》№130でも子どもたちは同じポ
ーズを取っており、藤田にとって印象的な姿だったと思われる。面白いの
は子供たちの半数以上が坊主頭になっている点で、日本であれば可能性が
あるが、パリの小学校で実際にこのような光景があったのだろうか。かな
り高い位置から見下ろす視点を取っており、自宅のアパートからつい覗い
てしまった、というような、日常の一瞬を切り取った自然な感覚にあふれ
ている。

 パリの小学校
 1931
 21.0×25.7㎝
 布/油彩、墨

      パリの小学校 下関市立美術館
CIMG0092





















 校庭

 フランスの小学校と思しき校庭で先生と児童が体操をするさまを描いた
作品は戦前にも見受けられる。戦前作と同様、本作も戯画的な面白みが特
徴であり、時代錯誤的な教師の衣服もこれにマッチしている。
鮮やかで強い赤や黄などは、これまでの作品ではそうそう同画中には使用
されなかったものである。とはいえ、このような戯画的な調子と色彩で見
る者に面白さをアピールする絵は、ニューヨーク滞在中、日本にいるフラ
ンク・シャーマンと君代宛てて送った絵手紙をはじめ、藤田の若干私的な
制作でもよく見られる。潜在的に備わっていると思わせるこのユーモアの
感覚も、藤田がフランスで広く受け入れられた遠因であろう。

 校庭
 1956
 65.3×54.1㎝
 布/油彩

          校庭 ポーラ美術館 
CIMG0101
















































 テレビ画面の天気予報欄に、関東地方は、高温注意報が出ています。
まさに酷暑といってよいと思います。
 土曜日から、家内は、千葉の孫たちの家へ行っています。
ですから、小生は庭の木々に水を与えなくてはいけません。
庭のハイビスカスはまっ赤な花が咲く鉢と、黄色を咲かせるのと2鉢あり
ます。
この水撒きの前に、ハイビスカスを今の鉢より大きな鉢へ植え替えようと、
思い立ち、昨日、さっそく土をこしらえ、植え替えを先に行いました。
この暑い時期ですから、根は触らないで、そのままにして鉢の周りのすき
間に土を入れて、植え替えを完了しました。
 土は、赤玉土に腐葉土それに培養土、バーミュライト少々としました。
蜂の底には、軽石の代わりに、発泡スチロールを細かくして敷いてみまし
た。バーミュライトを使用したのは、保湿効果を上げるためです。
 作業中はもちろん蚊よけ対策として、ネット付きの帽子に、長袖のシャ
ツ、ビニール手袋のスタイルです。その後、水撒きをしておきました。
ということで、久しぶりにひと汗流しました。

     ハイビスカス 2鉢 2018.07.15 撮影
CIMG0287


































              ハイビスカス 2鉢 2018.09.10 撮影
CIMG0006



































 本日(15日)も猛暑日です。午前中に、コーナン(ホームセンター)へ
行き、時計草用にと、「ちょうちん」といわれている、輪の付いた支柱を
購入してきました。
 そして、時計草を取り木してみました。
 取り木といいますのは、時計草の蔓(つる)を鉢の中の土に潜らせ、そ
のまま自然に生長をさせるものです。
 写真で説明しますと、向かって右側は親から出ている蔓(つる)ですが、
これを土の中に潜らせて、向かって左側よりこのように蔓を出してきます
。この蔓が、どんどん生長して伸びてきます。
 土の中に潜った部分の蔓(つる)、陽の射さない暗い箇所になりますか
ら、一か月くらいの間に新しい根がその蔓から出てきますので、親からも
らっている養分が不要となり、新しい土に根付いて、生長するというわけ
です。

       時計草     2018.07.15 撮影
CIMG0286





































 2018年07月18日(水曜日)

 朝8時半ですでに30℃を超えている状態です。今日も酷暑です。
にもかかわらず時計草の取り木は順調に生長しています。

 そろそろ個の蔓を支柱のリングに巻き付けたほうがいいですね。

      時計草     2018.07.18撮影
CIMG0296



































 2018年7月26日(木曜日)

 時計草の親木から茎(蔓)を取り木した子供は元気に生長をつづけ花をも咲
かせる勢いです。この花は本当に暑い日差しをむしろ喜ぶように生き生きと
しています。

     取り木した時計草  2018.07.26 撮影 
CIMG0317




































              取り木した時計草  2018.08.02 撮影
CIMG0352


































                                                         親木の時計草の花の色が褪(あ)せてきましたので、鉢の中へ肥料と土を
追加してりました。それから約1か月くらい経ったと思いますが、少し色
がよみがえって来たようです。 

         時計草の親木  の花          2018.08.10 撮影
CIMG0373





































 この時計草も、親からの蔓を右から降ろし、土の中に潜らせ、左側より
蔓が立ち上げっています。これだけで、大丈夫です。

       時計草     2018.07.15 撮影  
CIMG0285




































                      時計草     2018.07.18撮影
CIMG0295



































     取り木した時計草  2018.08.02 撮影        
CIMG0353






































 時刻は、17時15分になりました。そろそろ、例の蚊よけのスタイル
になって、水撒きをしようと考えています、外はまだ32℃くらいありま
す。
 この水撒きを済ませますと、多摩川へ散歩を予定しています。

 2018年07月16日(火曜日)

 今日は、「海の日」海水浴場はさぞ賑わっていることでしょう。
このあまりの暑さでは外出は遠慮したいと思います。道路も混雑
を極めるでしょうから。
 昔、友達と車で、小田原の海の方へドライブし、海水浴を楽し
みましたが帰りに大渋滞し、夜半過ぎに帰宅した思い出がありま
す。
 今年も野菜のゴーヤと朝顔
を南側の縁側にプランタを置きそれに植
え付けし、さらにネットを軒下まで張り、そのネットにゴーヤと朝顔
の蔓(茎)を沿わしました。その緑の葉が陽除けをしてくれます。
 効果抜群で、涼しく快適です。省エネにもつながっています。
れにゴーヤは食材にも使っています。
 ソファに座り硝子越しにこのゴーヤとその葉のすき間から
庭を
見ると木々が心を和ませてくれます。昨年の10月ごろに挿し木
をした、椿と、ツツジ、シャクナゲが無事に根付いている様子が
緑の葉でうかがえます。

                   部屋から見たゴーヤの棚 緑色のゴーヤ
                 2018.07.17 撮影 
CIMG0292




































       部屋から見たゴーヤの棚 白色のゴーヤ 
                                                             2018.07.17 撮影 
CIMG0293








































 午前中にこのゴーヤと、玄関の外に置いている鉢植えの、「皇帝ダリヤ
」に主として散水ホースを使って水撒きをしました。
この二種類の植物は、午前中に水切れ症状をきたし、歯が萎れてくるから
です。
 皇帝ダリヤは、背丈もがあり、名前の通り大きな花を咲かせます。確か、
11月頃に開花したと思います。

 植え替えした後、ハイビスカスが一輪開花しました。たった一日しか咲
いていません。

      ハイビスカス 2018.07.16 撮影
CIMG0291































 
 2018年7月19日(木曜日)

 今日も酷暑が続いています。昨日より気温は1℃下がりそうだと予報し
ています。
 部屋からゴーヤの棚越しに、開花したハイビスカスが見えます。朝顔
も映っています。

      部屋から見たゴーヤの棚 
                 2018.07.19 撮朝顔
CIMG0302



































 外から撮影しますと。
         

       朝顔     2018.07.19 撮影
CIMG0300



































 一日しか、開花していませんので、困ったものです。

       ハイビスカス 2018.07.19 撮影
CIMG0299


































2018年7月18日(水曜日)

 多治見で40.5℃と7月にしては記録的な高温となりました。東京
は35℃くらいでしたが19時半ごろにやっと30℃を割るといわれ、
なかなか気温が下がらないのは、自分の記憶の中であまりないことです。
 昨日、大阪の姉から電話があり、熱中症にならないよう気をつけるよ
うにと見舞いをもらいました。『家の中でもエアコンを使って注意しま
しょう」とお返しに話したところです。

 2018年7月23日(月曜日)

 植え替え後、もう一輪開花しました。外気温度39℃にも平
気な顔をして
元気に見えます。
 隣りに白い鉢に植わっている黄色の花を咲かせるハイビスカ
スは、その後
、葉自体が少し小さくなったようで、葉の艶も少
し足りないように見えます。

植替え後にまだ花を咲かせていません。

       ハイビスカス 2018.07.23 撮影 
CIMG0312























 2018年7月26日(木曜日)

 今日は、久しぶりの曇り空です。日曜日頃には、台風が関東へ接近する
との情報がありますので、この台風通過後は暑さも少しぐらい、やわらぐ
のかもしれません。
 居間から庭を見ますと、朝顔と、まっ赤なハイビスカスが、華やかさと
涼しさを与えてくれています。
 「三友花」も、元気に真っ白な花を咲かせてくれています。

       居間から、ゴーヤの葉と朝顔、ハイビスカスが観えます

 ゴヤの棚と朝顔、ハイビスカスが咲く庭 2018.07.26 撮影
CIMG0314




















      ハイビスカス 2018.07.26 撮影
CIMG0315



































 2018年07月27日(金曜日)

 今朝は、少し涼しいくらいな気温でしたが、それでも日中は31℃近く
まで上がるようです。昨夜は外で、虫の音が聞こえたりしていましたが、
まだまだ暑さはつづくものとみられます。
 庭のハイビスカス(赤)がまた一輪咲いて、目の保養をしてくれています。
黄色のハイビスカスは、蕾も顔を出し始めていて、近日中に開花してくれ
そうです。
 明日からは台風12号の影響で、豪雨が予想され、東海から西日本へと
進路をとるそうですから、早すぎるほどの避難対応が肝要と思います。
困ったものです。自然には、かないません。
 写真の右奥の茶色の鉢には、昨年秋に挿し木した躑躅(つつじ)と、椿
それにシャクナゲが元気に生育しています。
 そのもう一つ向うの鉢は、「ギョリュウ梅」ですが、すっかり葉を落と
しています。順調にいけば、秋の終り頃から開花するのですが、毎年、枯
れていますので、今は何ともいえない状況です。


       ハイビスカス 2018.07.27 撮影
CIMG0320



































 2018年7月29日(日曜日)

 台風12号は、東京を避けて、三重県の津へ上陸、その後進路を西にと
り今ごろ広島附近をのろのろしたあと夜には九州へといいます。被害が最
小限になりますように・・・・・。
 今日も一輪赤いハイビスカスが開花しました。
 黄色のハイビスカスの開花も楽しみにしています。

      ハイビスカス 2018.07.29 撮影
CIMG0327




































           居間から眺めたハイビスカス 2018.07.29 撮影
CIMG0328






















 2018年7月30日(月曜日)

 台風一過、今日は、曇りがちですが、時々晴れ間があるという気候です。
日中の最高気温は30℃くらいです。ハイビスカスは今日も一輪だけ夏ら
しくまっ赤な花を咲かせています。

       ハイビスカス 2018.07.30 撮影
CIMG0331







































 2018年8月2日(木曜日)

 朝から強い陽ざしが照りつけ、庭の「三友花」や「ハイビスカス」は
元気に生育しています。「百日紅「(さつすべり)」も満開を迎えまし
た。

      ハイビスカス 2018.08.02 撮影
CIMG0349


































 2018年08月06日(月曜日)

 今日は少し雲も出ていますが、依然と暑さは続いています。
 まっ赤なハイビスカス、3輪は4日ぶりに同時に開花しました。植替
え後、3輪は初めてです。向う隣の黄色は植替え後まだ一輪も咲いてい
ませんが、早く開花することを期待しています。

       ハイビスカス 2018.08.06 撮影
CIMG0362
































  2018年8月10日(金曜日)

 朝から強い日差しが照り付け、府中市は日中32℃を予想しています。
 今年は8月の二十日過ぎ迄暑さが残るそうです。
 きょう午後から、家内は、千葉の孫たちの家に行きますので、小生はまた
水撒き、洗濯、簡単な料理などをこなさなければいけません。それに絵も描
かなければと思っています。14日が絵画サークルともあって・・・・。
 四日ぶりにハイビスカスが一輪咲きました。向こうを隣りの黄色のハイビ
スカスも明日には開花しそうです。
 植替えしてから初めて開花することになります。やはり大きな鉢に植え替
をしましたので、長く花を愉しむことができます。

       ハイビスカス 2018.08.10 撮影
CIMG0371








































 2018年8月17日(金曜日)

 今朝は、今夏で初めての涼しい風が吹き、気温も午前中は25℃くらい
と大変しのぎよい天候です。秋が少し見えてきたように感じますが、まだ
まだ残暑は厳しいと思われます。庭のハイビスカスは3,4日前に2輪開
花していましたが、今日のハイビスカスの花は、少し大きめで、元気があ
ります。

       ハイビスカス 2018.08.17 撮影
CIMG0383




































 2018年8月11日(土曜日)

 午前中は強い太陽の光が照り付けていましたが、午後、急にスコールの
ような雨がやってきました。おかげさまで、今日は庭の水撒(ま)きが省
けて助かりました。
 予想道理、今朝は、黄色のハイビスカスが咲いていました。

     黄色の花のハイビスカス 2018.08.10 撮影
CIMG0379





































 2018年8月19日(日曜日)

 昨夜、アジア大会が、インドネシアにて開催され、式典には、インドネ
シア大統領が、オートバイを自分で運転し、会場まで訪れるという、異例
んおパ-フォーマンスを見せてくれました。人種の多い民族をまとめる力
はどこからくるものかと、ふと考えさせられました。
 また、最近のニュースとしましては、山口県の周防大島で、2歳の子が
ちょっとした隙に遭難し、大分県の、ボロンティアの人が、捜索に参加し、
無事発見に至ったという話題が、感動を呼んでいます。
 今日も、秋を感じさせるすがすがしい気候になっています。これは空気
の乾燥した晴れだからでしょう。我が家の庭には、今、百日紅と、三友花、
時計草それに今日開花したハイビスカスから、癒しをもらっています。

     赤色の花のハイビスカス 2018.08.19撮影
CIMG0389




































 時計草は、土と肥料を追加したせいか、勢いが復活しているようです。

        時計草 2018.08.19撮影
CIMG0392



















 先日上記写真で後ろに置いてある黄色い花を咲かせる『ハイビスカス
』の写真を撮っていましたので、描いてみました。

         ハイビスカスの静物
CIMG0297


















































友達といいますのは、最後まで、長く付き合ってくれた人が、一番自分
にとって、真の友達といえるのでしょうか、月に一度くらいのペースで、
メールを交換をしている同級生がいます。今日次のような言葉を送りまし
た。
 
 こんにちは、御存じのようにこちらは、例年になく梅雨が早くに明け、
夏日が続いています。この暑さ、今年は長く続きそうで、先が心配です。
ニュースでやっていましたが、トウモロコシが水不足で成長がとまるとい
う被害が出ているそうです。また私たちの生活に必要な水瓶も減水し、早
くも取水制限が行われる模様です。困ったものですよ。

このごろ暑さが身にこたえるようになりました。夜もクーラーをかけっ
ぱなしにしています。

今日は午前中、デッサンをして過ごしていましたが、午後は歯医者へ、
歯のケアに行ってきました。

 

多摩川には、蛍が棲息するほど環境がまだ復活していないようです。上
流からは、汚水処理を施したした水が、あちこちから多摩川に流れ込み、
あまり川の水質は良くないようです。それでもひところに比べますと、汚
水の高度処理技術が向上していると思われるのですが。

家の近所の田んぼですが、4年くらい前までは、灌漑用水には小さい魚
や、ドジョウやエビなどがたくさんいましたが、それが今は一匹すら見当
たらないのは、どういうことでしょうね、まったく寂しい思いをしていま
す。これでは反面、環境が後退しているようにも思えます。

何れにしましても、この暑さを乗り切るよう体調管理に気をつけ、おた
がい頑張ってゆきましょうか、それではまた。















 今日は午前中陽ざしがいっぱいあり、快適な天候でしたが、午後から急
に雲ゆきが不安定となり、時々太陽の陽ざしがかげり、急に暗くなったり
していました。そのため予想より気温があがらず、比較的しのぎよい一日
でしたが、蒸し暑いのがかないません。
 午後、府中市役所に行き用事を済ませますと、ついでに最近の府中新庁
舎建設工事の状況について知りたく、資料を入手して見ました。
 それによりますと、基本設計が、完了しましたと、大きく見出しにあり
ますので、これから実施設計をし、それから建設工事計画書を作成後、い
よいよ着工の運びになりそうです。この期間だけでも1年間はかかると予
想できます(個人の見解)ので、着工から6.7年はかかるのではと、思っ
ています。
 出来るだけ早く着工しなければ、あらゆる面でコストアップとなります
から、もう少し速やかに推し進めていただきたいものです。

      府中街道側より見たパース
CIMG0199

















その後、市庁舎の玄関の方へ出ますとブロンズの像がありますので、撮影を
しました(府中街道側)。

     府中市役所前に設置されている二人の女性像
CIMG0177




































    府中市役所前に設置されている二人の女性像  
CIMG0178



















 なぜかといいますと、新庁舎の建設工事が、着手しますと、この場所は
大幅に変わってしまうと思ったからです。
 そのうちに絵も描いておこうとも考えています。

 ここ市庁舎前から歩いて5分くらいの所(府中本町の脇)へ、行って
みることにしました。この場所は6,7年前から、遺跡の発掘調査を行っ
ていたところです。本日、車でそばを通ってみますと、どうやら発掘調査
跡に柱が無数に立っていましたので、気になってここへきてみますと、「
国史跡武蔵国府跡(国司舘地区)史跡広場」でした。

 ここは、今から1,300年ほど前に武蔵国府の国館があったとこ
ろです。
さらに、今から430年ほど前に、徳川家康の府中御殿も置かれ
た府中市の歴史を象徴する国の史跡です。保存・整備に当たって
は、発掘調査の成果をもとに、国史跡の指定を受けている国
跡を中心に整備を行いました。
 園内は、国衙(こくが)地区連携ゾーンと古代の空間再現ゾー
ンに分かれています。古代の空間再現ゾーンには、古代の武蔵国
府に都から赴任してきた国司の宿泊兼執務室である国司舘の建物
を2,4mの柱によって復元しています。また、古代万葉集に登場
する草木を植えた「国司の庭」もあります。

 国衙(こくが)地区連携ゾーンから空芝生広場は、多目的に使
用できる広場で、現代から古代の空間を望むスペースとなってい
ます。
 なお、国司舘の復元模型と、徳川家康府中御殿を含めたCG復
元は、平成30年11月竣工予定となっておりますので、先行的
に史跡広場を開園しました。現在はまだ模型とCG復元はありま
せんが、園内は自由に散策できます。御自由にご覧ください。
 と、案内されていました。


         国史跡 国府跡
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         国史跡 国府跡
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         国史跡 国府跡
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         国史跡 国府跡
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 芝の上で、くつろぐ風景

        国史跡 国府跡
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      国史跡 国府跡の案内掲示板
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 古代武蔵国府の国司館(こくしのたち)

 ここには、都から武蔵国の国府に赴任してきた国司の執務室兼居宅が置
かれました。現代でいえば、東京都知事の公館にあたります。発掘調査の
成果により、国司舘は、7世紀後半から8世紀前半に造営されたと考えら
れています。
 下の地図で国庁と国衙の文字を青色で囲っている所は、大國魂神社の北
側(交番のある側)に史跡として既に所在し、公開されています。このブロ
グへも過去に記事として掲載いたしました。
 一方、国史跡武蔵国府跡国司舘(こくしのたち)地区と記入された位置
が、今回新しく発掘調査が終了した跡地に、史跡広場を造り、ここで、皆
さまに昔の歴史をしのんでいただき、また憩いの場所としても楽しめる広
場に生まれ変わりました。

       国府域の発掘調査成果
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 発掘された国司館

 国司館跡は、造営当初、東西棟の建物が2棟建てられました。その後の
奈良時代前半には、東西棟の四面廂(しめんひさし)建物の主屋(しゅお
く)《正殿(せいでん)、桁行(けたゆき)5間×梁行(はるゆき)4間》
と南北等棟の副屋(ふくおく)《脇殿(わきでん)、桁行8間×梁行3間》
が真南北、真東西で建てられていることから、秩序ある配置をもって造営
されていることがわかりました。
 ここは、国史跡武蔵国府跡(国衙地区)の南西側に位置し、酷が中枢地区
との密接な関連がうかがえます。ここから初期の国司館と考えられる建物
群が発掘されたことは、武蔵国府成立期の状況や日本の古代地方行政組織
の成り立ちを解明する上で、とても重要な意味があります。

         発掘された国司館 
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 発掘された徳川家康府中御殿跡

 古代国司館跡の西側からは、発掘調査によって、掘立柱建物跡、柵跡、
厩(うまや)と推定される建物跡、大型石組井戸跡などが発見されました。
さらに井戸跡から、江戸時代前期(17世紀前半)のものと考えられる三葉
葵紋鬼瓦(みつばあおいもんおにがわら)が出土したことなどから、この
場所に徳川家康が滞在した府中御殿があったことを特定できました。

       発掘された徳川家康府中御殿跡  
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 3,4年前に新しく西側の位置にも出来た大國魂神社の鳥居

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 塀越しの向こうに大國魂神社本殿の屋根の一部分が見えます。
     
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