2005年07月25日

居住福祉のGOAL VOL.2

アリアンツ・アレナプラダ













(来年は居住福祉元年になる)
先日の地震を他人事で語ることはできない
木更津も震度5弱を記録
震源地は茂原の方であるが、実際一番震度が大きかったのが
足立区であることを考えると
土地が持っている地質を見極める事が
住空間を提供していく我々の第1の仕事なのかと痛感する

自分が居る場所は安全だと考えるのが
世の中の常であろう
住宅建築において、各社が提示する標準プランの価格があるが
表層(土地の上の家屋)の価格は標準化できても
地質の標準化は困難である
安全・安心の前提はやはり基礎工事になる
「基礎工事の費用が全国どこも同じです」と云うことは
まずありえない
建売等、価格重視の物件の落とし穴は、実はそんな基本的なところに
あるのではないか?

さて、話題をピッチに戻そう
来年6月に開催されるW杯の初戦が開催される
ミュンヘンの「アリアンツ・アレナ」(写真:左)
バイエルンミュンヘンのホームグランドである
このスタジアムを設計したのがスイス人のヘルツォーク&デ・ムーロ
東京の青山のPRADAビル(写真:右)も彼等の手による

何故、来年が居住福祉元年なのか?
これは強引な結論だが、それは来年のW杯がドイツで開催されるからだ
ドイツは日本同様、第2次大戦の敗戦国である
西ドイツでは戦後日本もそうであったようにごたごたが続く
そんなしわ寄せは当然、弱い者にのしかかってくる
しわ寄せの一つが医療費の増大である
医療最先端のドイツの医療費が増大するという皮肉

話は違うが、アメリカが目指す小政府
日本も小さな政府を目指そうとしている

当時のドイツ政府が目指した事は何か
「国民が病気にならない身体づくりをしよう」である
そのため、地域自治体での差はあるが
スポーツ環境整備に乗り出した
つまり、予防医学である
よって、今回のコンフェデでも多少感じとった方がいるかも
しれませんが、ドイツの都市とスポーツ環境は日本の何倍も豊かである
都市と森、森の中に芝生のグランドが点在する
日本のJリーグが100年構想で目指しているのは
まさにドイツである

Jリーグの100年構想はまだまだ市民権を得ていない
今回日本代表がドイツW杯に出場することで
ドイツの予防医学の理念がクローズアップされる
(そうなって欲しいと感じている)
そうなると、今、日本政府が目指している小さな政府体制では
このドイツが実施している予防医学はできないな
本当に我々日本人は小さな政府を望んでいるのだろうか
スリムな政府は必要だが
何でもかんでも民間頼りにすることが果たしてよいのか
グランドデザインは、やはり、リーダーが示す必要があるのでは

そうなって初めて国づくり、まちづくり、
それにかかる費用(税金)という次元の話が
サッカーをきっかけに、人々の間で真剣に問われることになる

(ハーフタイム)
前半戦はいつも概念的になる
0:0

実を云うと、私も政治屋ではないが、政治家の端くれであった
話がつい大志的な物の云いになるのも、そんな点にあると
自己分析したりする

そんな政治家の端くれである私が政治的なショックを52歳で味わう
その後、数年間は「我ここに在らず」的な日々を過ごす
そんな生活の中、妻と行った「五木ひろし」のバースデイ・コンサートが
人生の転機となった
実を云うと、私と五木さんは生年月日が同じである(昭和23年3月14日)
特別彼のファンではなかったが、ある意味同世代の、世間で云う
「団塊の世代」の代表者としての彼を、自分を見つめる意味でも
見たかったのである
正直「感動した」

ゴジラ松井ではないが、五木さん自身「5」に大変思い入れがあり
55才で初めてバースデイコンサートを開いた
「これまでの55年間に感謝するとともに、55才を区切りとして
次の5年間、60歳までもう一度頑張りたい・・・。」と真摯に語った

まさに、戦後日本を牽引してきたと自負する我々世代
その世代が一番苦手とすること
そう「立ち止まる」
何かにいつも立ち向かう、現在進行形が常となっている我々(私)が
初めて感じた虚無感・挫折感を五木さんが短い言葉で払拭してくれた

世間は団塊の世代の功労者を、日本のお荷物のように報じている
世間で云うところ2007年問題(大量定年退職)2015年(大量の高齢者排出)

世間の「問題」と云われる「団塊の世代」に対して、「解」を出せるのは
これからの若者や子ども達ではない
今その問題に直面している、我々、そう私なんだ!

「居住福祉」
具体的に云えば、高齢者が本当に必要とする「施設づくり」をしよう
テーマは「自立からターミナルまで」

自立できる人も、介護が必要な人も、ターミナルケアの必要な人も
それぞれが、安心して過ごせる、最後の最後まで
「人間としての尊厳が全うできる」そんな施設を作ろう
そう思うと、そこは団塊の世代
身体が頭よりも先に動いていく

五木さんのコンサートから2年
社会福祉法人の許可がもらえるところまでこぎつけました
そして、理想の施設作りをするための土地(東京湾を眺望できる15,000坪の土地)
を確保しました

コンサートから3年目にあたる2006年6月
ドイツのピッチにいます(絶対います)
全世界が注目するミュンヘンの会場(上の写真)で
ドイツの居住福祉サポーターの声援を味方につけ
相手サイド(日本政府)に攻め入ります

続く










  
Posted by aubykddi7 at 12:28Comments(0)TrackBack(0)clip!

2005年07月22日

居住福祉のGOAL Vol.1

夕日








(年金のW杯、ヨーロッパVSアメリカ)

年金危機が叫ばれて久しい、正直なところ
これからの日本の年金制度は漸く世界レベルになる。
それは、まさにワールドカップに日本が出場し
サッカー界で国際的に名が知れるようになったのと
軌を同じくしている。

世界の常識から見ると、これまでの日本の年金は
低負担・高額支給であまりにも恵まれていた
今後は支給額も負担額も少額で、老後の暮らしは

自己責任に任せる=アメリカ型(自分で強くなれよ)
支給額も負担額もどちらも高額な=ヨーロッパ(北欧型)

*余談、人口に対する要介護者と寝たきり人口の割合が
 最も高いのがアメリカと日本

現在の流れからすると、日本はアメリカ型の傾向にある
(これは一概に政治家の責任ではない)
よって、一人の年金支給額は間違いなく減る
その減った分は自分で補うしかない

しかしながら、これまで(今もそうだが)会社にいれば
会社が年金負担してくれ、退職金も終身雇用のまるで
ご褒美のようにくれた
要するに、定年まで我慢していれば
遊んで暮らせると云わないまでも
隠居生活ができた

昨今言われる「ライフプラン」「資産運用」なんかは
自分には関係の無い、金持ちの戯言であった。

戦後60年、日本の理念は富国強制??であった
「公平な社会」を目指して、皆が豊かになる
形式的ではあれ、(魂が入っているかは別として)何とか実現した
しかし、働き過ぎて、子どもをつくるのを忘れたわけではないが
国力維持の絶対条件(人は親になるために生まれてきた)を
忘れてしまった。
もう「公平な社会」と云ってる場合じゃない
これからは、「公正な社会」じゃないと生き残れない
「公正な社会」とは、やる人とやらない人を公正に区別する社会

そう「皆同じ」じゃないんです
差が開くんです。

これまでは、どんな形であれ仕事に就いていれば
何とかなった
しかし、これからの社会で求められるのは
「その仕事でお金がいくら入るの?」
「その仕事いつまで続けられるの」ってことになる

そんな事を漸く考え始めているのが今の世の中ではないだろうか
昨今、「資格」「個人投資」ってのがキーワードになっているのは
肉体でお金を稼ぐにはピークがあり、そうでなければ
「頭で稼ぐ」か「不動産や株などを働かせるか」しかないと
誰もが考え出したから

(ハーフタイム)

前半は無得点

稼ぐ話になったけど
GOALはどこだ?
何のために、誰のために稼ぐの

今、夫婦と子ども2人いる
4人でゴールに行けるのか?
子どもはいずれメンバーから抜ける
そうなると夫婦2人なる

将来の事なんか話したこともないし
話し合ったとしてゴールが違ったら
彼女はここで一生暮らしたいのかな?
東京に行きたいのかな、それとも沖縄
まさかハワイってことは?
稼ぐって云ったって、ゴールのイメージによっては
稼ぐ額も違ってくるし作戦も違ってくる

夫婦2人と思っているけど
俺、一人だけになるかもしれない
このかた、一度も近所付き合いもしたこともないし
毎日会うのは仕事の仲間とその関係者だけ
通勤電車で会う人の顔は知っているけど
話したこともないし
友達とも随分会ってないし
妻が居なくなったら、俺「孤独ジャン」

将来のゴールにつてい
誰に相談すればいいのかな
信託銀行か?証券屋さんか?
結局それも商売だし
本当に俺の事を親身になって考えてくれるか分からないしな?
近所の不動産屋さんか
土地買うお金もない人の話を聴いてくれるかな?

最近、介護福祉とか訪問介護とかデイサービスとか
云っているけど一体なんのことか知らないしな

分からない、知らないことばっかりジャン
おーい誰か助けてくれ
こんな40代50代の男性又は女性が大半なのではないだろうか?

将来のゴールがどこにあるのか見えていない
サッカーで云うなら
中盤でボールを奪うのが必死で
はたまた自陣の相手ボールをクリアするのがやっとで
ピッチ全体を見渡せていない
アイコンタクト等のレベルではない

自分で言うのも何だが
私は福祉エステーター(不動産屋)だ

今、木更津にある福祉サッカー場のピッチの上にいる
背番号は10である

今までは
「俺にボールをよこせ」と叫んでいる
しかし、叫んでいてもボールは来なかった
ボールが来れば福祉のゴールに入れてやるのになって
頭ではイメージしていたけど

今は違う
ゴールは見えている(見えてきたと云ったほうがいかも)
チーム(お客さんのため)に献身的にボールをとりに行っている
スペースをつくりに行っている

続く・・・

*写真上(富津:グループホーム建設予定地の夕日)
 写真下(自宅:サッカー観戦をする横浜FC 奥寺GMの後ろ姿)














サッカー  
Posted by aubykddi7 at 14:36Comments(0)TrackBack(0)clip!