2024年04月13日

エヴァンスの来る春・・・ジャズ喫茶「もず」の思い出



♪〜♪〜♪〜 鏡の中のエヴァンス(パート2)♪〜♪〜♪〜



 下宿を出て 駄菓子屋の脇を通り 八百屋の角を曲がって

   数分のところに そのジャズ喫茶「もず」はあった

    たしか階下は「谷書房」という古本屋だったが

   隣は雀荘だったか はたまた ラーメン屋だったか

  50年以上も昔のことで もはや 記憶は 定かでは無い

 ジャズ喫茶「もず」はめずらしく 女性が営っていた店だった

  眼鏡をかけたひっつめ髪のママさんが一人でやっていたのだが

   未だ世間知らずの吾輩にとって

    得体のしれぬオッサンが営ってるその手の店に比べれば

   ずいぶんと居心地が良かったことは間違いない

  そのママさん ちょっと寡黙で素っ気ない感じもあったが

    吾輩も 寡黙さでは人語に落ちないほうだったが故に

     ことさら親近感を懐いたというわけだ



   Trio '65
trio65
            LumixG1+CarlZeiss Biogon28mm(G) f5.6 1/800
 Bill Evans(p) Chuck Israels(b) Larry Bunker(ds)
 Verve Records,1965 Engineer: Rudy Van Gelder

  israel
  elsa
  ’round midnight
  our love is here to stay
  how my heart sings
  who can i turn to?
  come rain or come shine
  if you could see me now



 ジャズ喫茶「もず」は さほど広くもなかったが

  店のど真ん中にデンと でかい達磨ストーブが鎮座し

   冬ともなると 薬缶がチンチンと湯気を上げていたものだ

  ときどき表をダンプカーが通り過ぎると 針飛びがして

 そのたんびにママさんが「ごめんなさいねぇ」って謝っていたものさ

  その言いぐさが吾が胸中に さざ波らしきものを立てていた

   それに気付いたのは もう若いとは言えなくなってからであった


   「トリオ’65」を初めて聴いたのはその店でのことだ

  スピーカーは確かブックシェルフ型でグッドマンの銘があったかと

 ユニットはおそらくアキショム201か301辺りではなかったろうか

  その英国製らしい ちょっとくぐもった音は

   「トリオ’65」にぴったりだったはずだ

     いまこうしてこのアルバムを深く愛して止まないのだから



   Conversations With Myself
conversation
            LumixG1+CarlZeiss Biogon28mm(G) f5.6 1/600
 Bill Evans(p) Verve Records,1963
 Recorded in January&February,1963 Engineer: Ray Hall

  'round about midnight
  haw about you
  theme from "spartacus"
  blue monk
  stella by starlight
  hey there
  n.y.c.'s no lark
  just you,just me




 その後 社会人になって何年かして訪れたが 店は閉まっていた

  その時はふと寂しくは思ったが

   若いころの記憶がそのまま疵付くことなく残る

  それはある意味「救い」だと言えないことも無い


 いまこうして「トリオ’65」に針を落とすと

  冬の日の夕暮れ時 ジャズ喫茶「もず」への階段を

    トントンと 音を立てて上がる吾輩と

     薬缶の湯気の温もりに満ちた店内の情景が

       瞼に 浮かぶのである





 ♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


<撮影後記>

今年の桜もほとんど散ってしまった 今は花びらの絨毯である

とはいえ 例年よりだいぶ遅く いつもの年ならソメイヨシノが退場する頃に お待たせしましたとばかりに開花し始めるオオシマザクラが ほぼ同時に舞台に登場するという珍事であった

さて ことしも「鏡の中の」である 芸の無い事 甚だしい

だが「記憶の中の」というコンセプトには 空間と時間を閉じ込める「鏡」は ぴったりな小道具だと自画自賛する吾輩である

この手の写真は早朝に撮るに限る
今年も吾が家の裏手の 滑りやすい土手で 鏡を手に小一時間ばかり悪戦苦闘したわけである 自分で言うのも何だが 鏡に映る「枝の造形」が写真としての生死を決するわけである
ツアイスのBiogon28mmは素晴らしいレンズである
朝の冷たく澄み切った空気をして 画面に否応なく透明感を醸し出さしめるのである  その事をもし画面から感じ取っていただけるなら望外の幸せである

ジャズ喫茶「もず」ではママさんと時間を共有したい想いもあって たまにはリクエストもしたのだが 記憶に残っている盤はエヴァンスの「トリオ’65」とピーターソンの「ナイト・トレイン」くらいであるのが不思議だ
学生街に在りがちなとんがった傾向の盤に偏ることもなく。。。そう言えば前衛はかかっていなかったなぁ。。。モダンやハードバップあたりを満遍なく回して 決して店の好みを押し付けるようなこともなかったことに起因したのであろうか

「trio'65」の1曲目 エヴァンスの演る「israel」という曲は スコット・ラファロのいたトリオのアルバム「explorations」での演奏が有名だ
いや そもそも「trio'65」というアルバム自体が エヴァンスの数多のアルバムのなかではあまり日が当たっているとは言い難いのである しかし 両者 甲乙つけがたい名演であると言ってよいのではないか

吾輩の盤 米盤とは言えカット盤で 内も外もそうとうくたびれてはいるが もはやノイズも演奏の一部と化している訳である けだし「レコードを愛する」とは そう言うことではなかろうか


そうそう 今回のストーリー展開では上から2番目(と下)の写真のアルバム「conversations with myself」の出番は無かったのである

 conversations with myself
conversation with myself
            LumixG1+CarlZeiss Biogon28mm(G) f4.0 1/200

このアルバム「複合録音(ダビング)」とやらであまり世評は芳しくないのであるが 吾輩はまずジャケットの「シルエットのエヴァンス」が大好きである 故に 以前からこのアルバムを風景のなかに溶け込ませるチャンスを狙っていたのである ようやくそのチャンスが巡って来た。。。特に空の色だ。。。わけだが さて 結果はどうだったろうか
それはともかく 演奏だって悪くはない エヴァンスが目を輝かせて新企画に取り組んでいる そこにどこまでも音楽に純なエヴァンスが垣間見えるのである エヴァンスに最も的確な伴奏を付けられる奏者が居るとするなら「それは自分自信である」と 考えたとしても宜なるかなである 結果がどうであろうと関係ない エヴァンスが無二のピアノ奏者であることは揺るぎないのである 「スパルタカスのテーマ」など実にチャーミングではないか


さてさて 上で「得体の知れぬオッサンの営るその手の店」などと どこぞの知事のような「職業の貴賤の別的発言」をしたが そうではない
当時の まだ未熟な吾輩の「心情」を そのまんま吐露したにすぎない事をお断りしなければならない
後に 一介の会社員となってみると いかにも真っ当なその世界が 余程の理不尽さに満ち満ちており 人間の欺瞞を痛いほど思い知るのである 上に昇るほどその傾向が強まるのは「帝国陸軍」と同様であろう まさに「(精神的)びんた」の連鎖のヒエラルキーといっても不足はないのである


さて ではここいらで

 今年も例年と変わらずエヴァンスがやって来た

  という幸福感に満たされたまま 筆をおくと致そう



    とりあえず きょうはこれでおしまい あでぃおす!




4.15追記
最近 またジャズ喫茶が 復活の兆し とのことだ
復活と言うよりも「盛況」ってことなのかもね
だが 吾輩のように中途半端な田舎に住んでいると なかなかそんな感じは伝わってこないものだ
とはいえ もしそれが本当なら とても嬉しい事じゃないか
だってねぇ 昔っから 日本のジャズ・ファンは 随分とジャズ喫茶で鍛えられ 育てられたっていうのは間違いないだろうからね 日本のジャズファンが耳が肥えているのはそういう事だろうよ

(とは言うものの あのオリジナル&モノラル盤偏重はいったい何処から来たものか 経験から言ってジャズ喫茶にルーツがあるとは言えないような気がするがなぁ 辛辣な事を言うようだが 吾輩に言わせるとこの傾向は「古典的真空管アンプ偏重」と軌を一にしていた(過去形)ような気がするが もうバレていると思うが 吾輩はあまりこの傾向には賛同しかねるのである 「応答速度」には疑問があるし これでチャンデバをはさんでマルチなど組んではなかなか位相処理が難しいと思う そもそも「モノラルは位相に馴染まない」だからね てことで押し出しの強いオリジナル盤に走らざるを得なくなる そう言うことではないか)

そうそう もしそういうことなら ジャズ喫茶「もず」のように 女の人が営っている店が増えるとありがたい その上 美人さんならなおさら歓迎だ
そういえば 吾輩 もう一軒女性が営っていたジャズ喫茶を知っている 確か川崎だったかにあった「ガロ」だったかな JBLのD130と075を4530あたりに入れた本格的なシステムだったが 床が土間だったのが面白かったよね
遠いので 1度か2度くらいしか行かなかったけど コルトレーンがよくかかっていたよ そうそう ある日 浅川マキがかかったこともあったっけね。。。ママさんが好きだったんだろうなぁ。。。



♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜



audio_romantic80 at 10:14|PermalinkComments(0)clip!★ エヴァンスの季節 

2024年04月04日

小さな旅・・鎌倉(明月院)



 久しぶりの鎌倉の小旅行である

  桜はいささか早かったが

   それだけに 静かな旅であった



 明月院(あじさい寺)
明月院
   LumixG1+Vario14-45mm Auto



  あじさい寺として知られる明月院であるが

   やまぶきが見ごろであった

    紫陽花は6月を待たねばならない



明月院_2
   LumixG1+Vario14-45mm Auto



   「美(真理)は細部に宿る」である



明月院_4
   LumixG1+Vario14-45mm Auto



明月院_1
  LumixG1+Vario14-45mm Auto



明月院_3
  LumixG1+Vario14-45mm Auto



 枯山水枯山水_
  LumixG1+Vario14-45mm Auto


 参道の閑寂さは初春ならではで 何とも言えぬ趣である


 山門より参道を望む
山門
  LumixG1+Vario14-45mm Auto



 いつかまた来ようと思う


  故に 旅に終わり無しである




♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


鎌倉へ行ったのは先月末のことで 今年は早いと言われていた開花予報は大きく外れたが いつ行っても「新しい鎌倉」を発見できる の感を強くしたのである
このページでは「明月院」だけにスポットをあてたが どの場所も遜色ないと言わねばならない

上では何の工夫も無い写真を並べ立てたが ただ心に留まった対象を虚心に記録画像として定着させただけである

鎌倉は吾が地元から距離はあるも 電車1本で行けるとあって幾度となく訪れてきた
が やはり 北鎌倉駅を降り ぶらりぶらりと古刹を拝観しながら鶴岡八幡宮へと向かう このコースが見どころも多いうえに最も静かで鎌倉らしいのである 明月院もそのコースにある

加えるに 江ノ電の沿線も混んではいるがレトロな趣で 訪れないではおれぬ場所である


 江ノ電 極楽寺駅改札口より
極楽寺駅
  LumixG1+Vario14-45mm Auto
観光地での写真は ネットで公開することを意図すると できるだけ人(の顔)が写り込まないように配慮しなければならない(海外はともかくも) ので シャッターチャンスは大概数秒しかない 誰しも苦労するところであろうか


コロナ禍をはさんで数年ぶりに訪れたが いやはや 外国からの旅行者の多さに驚くほかない

  10人中7~8人までがそうだろうか

  桜の開花に合わせた旅程と思うが 些か気の毒であった

 花にとっては人間どもが「開花予想日」など 「あに図らんや」である



余談
こんな考えが浮かぶのはまさに凡庸なる俗人の証だが 「枯山水」を見て思うのである この世界観。。。幽玄美?空白美?抽象性?自然観?宇宙?。。。をオーディオに取り入れることは出来ないものかと

(そう考えてみるとオーディオは「オーディオ的世界観。。。ようするに音響と電子。。。から一歩も出ていない」のである 月並みかもしれぬが「哲学不在」の不毛な原野と言うしかない)

それはいったいどんな「音響的構造」なのか?と
どんな「空間」なのか? 静か動か? 動のなかの静か? 静のなかの動なのか?

自作派なら部品をどう配置するのかも大きな要素になろう 究極の完成形を目指すのか 未完の部分を残すを是とするのか? 空白をどう配置するか? 機能性と無駄の塩梅は如何に? などなど
スピーカーなら簡素なシングルコーンにとどめを刺すのか いや それは表面上のことに過ぎないやもしれぬ

そもそも禅寺とは「遁世」の場なのではないのか ならばそのような「世俗的思考」とは相いれないであろう。。。とはいうものの。。。日本人なら考えないではおれぬのである

さてさて どうだろうか?



  とりあえずきょうはこれでおしまい あでぃおす!


♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜


2024年03月19日

オーディオひとりごと(備忘)・・・新譜レコード これどうかな?(最終章)・・「電圧伝送」回帰と光カートリッジ 3.22_23「接点のみ」コンセプト



3.19 記す


このテーマの最終回である


 A Lovesome Thing by Kurt Rosenwinkel and Geri Allen
zeMI0006110380



さて このレコード 

 吾輩なりの「空間論」に絡め あれこれ妄想を膨らましてきたが

  結論は「聴いてみなきゃ分かんねぇよ」に尽きるわけである

  黙して入荷を待つと致そう


ところで 今年の5月にMJ100周年の

   オーディオフェスティバルが開かれるわけであるが

 思い出すのは 昨年の7月のフェスでの

  金田先生との懇談会において 先生がポツリと仰られた言葉である

   「DL103が無かったらDCアンプも生まれなかった」 と

 このところの吾が文脈においては

  この言葉の重みがじーんと心に沁みるのであった


ところがである このところ先生は「光カートリッジ」一押しである

 吾輩はこの状況をいまだ受け入れられないのである

  勿論「速度比例」と「振幅比例」の未解決問題もあるのであるが

   それにしてもである

   おそらく 多くの金田式ファンも吾輩と同じなのではあるまいか

  ちなみにネットでも 金田式ファンにして光カートリッジを導入した

 という話は寡聞にして知らないのである


しかし 先生が選ばれたのであるから

 おそらく50年前にDL103を選ばれた如く

  今後 吾輩のような凡人の 想像を絶する

 展開がまっていることは間違いないのである

吾輩も(吾がアンプも)

  首を洗って待って居ようと思う今日この頃である(笑)




♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


このコーナーだから言えるが(?)

 「先生!! ちゃぶ台返しは堪忍してちょうだーい!」である(爆発)

だが 少し前のことになるが 先生が「電流伝送」を止め 再び「電圧伝送(電圧受け)」に回帰された(と認識しているのだが)際に。。。これも「ちゃぶ台返し」?。。。このことに気付くべきだったのかもしれぬが まさかの光カートリッジだったわけである

私見だが「電流伝送」はプリとパワー間はまだしも カートリッジとプリ間のVICは素晴らしく効果的だと思う これが無きゃ吾輩の今の音にはカスリもしないと思うのであるが 光カートリッジでは「無用の長物」であることは間違いない(ですよね?間違っているかな?)

で むしろ「DL103-VIC」は光カートリッジの高出力を。。。つまり高出力の音質的メリットを。。。先取りしていたようなかっこうではないかと思うのであ〜る

実に斬新かつ革新的だった(である)と考えるわけである(強調!)




 「moodsville」シリーズ OJC盤
moodsville



昨夜は プレステッジの「moodsville」シリーズを取り出してみた 聴いたのはこのうち下の方のレッド・ガーランド・トリオの方であるが こっちの方はせんだって聞いたRVGよりも 「分厚い空間」はなかなかのものであった が もちろん100%ではない たぶん80%くらいだろうか とは言え スタジオ録音では上出来の方である

しかし プレステッジのRVGは演奏はいわずもがなだが 素晴らしい「音響的構造」である ゆったりした空間の中で 鋭利な金属質感を伴ったシンバルのハーモニーが 空気と混じり合う様には ほれぼれする ”カシーン ショワショワ フワー ” である RVGのシンバルは意外と良い 認識を改めるわけである



3.22 追記

このところ吾輩はレコードプレーヤー周りや接続コード等にはあまり変化が無い 「接点のみプラグ&ジャック」を考案したのはもう何年も前で もはや吾輩にとって「当たり前の音」になってしまった そこで 何かないものか と思うのである

実は「接点のみプラグ&ジャック」については ブログでは「さわりの部分」だけ紹介して 仕組みの核心部分は公開していないのである というのはまだ改善の余地があると思っているからで 完全なものが出来たら。。。特にコールド側。。。と思っているわけである
ただ 現状でも「接点のみ」というコンセプトが間違いでない。。。どころか現状の音のかなりの部分を占めている。。。ことは充分に証明されているのである

さて 少し核心に触れるが ようするに「接点のみ」であるためには 例えばプリの入力側では アームの出力コードの信号線端と プリアンプのイコライザー基板の入力ポイントから延びた配線端とが「直に接触していなければいけない」のである それが「接点のみ」の核心である ようするに入力側が送信側を直にお迎えするかたちである しかもその接触部分が一定のテンションが掛かった状態が「より強力な接点」としてベターなのである ただ ある局面では信号線端をとりまく半田層を介することになるやもしれぬが そこでの信号伝送における仲介物(とうぜん金属である)は極小になるわけである

従って このためには 通常販売されているようなしっかりしたプラグ&ジャックではダメで 意外とチャチイものが良いわけである ようするに プラグ&ジャックの構造物というのは いかにしっかり且つどっしりと作られていようが それは単に接点を支えるためのものにしか過ぎず 信号伝送という観点からすると「信号伝送を阻む厄介もの」にしか過ぎないからである(高価なものほどこれが顕著である このへんはもう耳だこでしょう)

で 現状は ホット側はこの理論通りになっているのであるが コールド側は 僅かにその仲介物(金属)を介して伝送しているのである といっても 市販のものにくらべるとごくわずかだが そこをなんとかしたい と 考えを巡らせているわけである だが 使いにくくなっては駄目で これは非常に難しいのである



3.23 追記

久しぶりに右側の「待ち受け画面」に手を加えてみた ジュニア・マンスである 日本盤だが70年代初めごろの盤で素晴らしく音がよい たぶんSX68のカッティングだろう ジャケ写真の雰囲気と相俟って大好きな盤である

ところで「接点のみコンセプト」であるが。。。「接点のみプラグ&ジャック」もそうであるが「圧着カラゲ半田付け」もこれに含まれるわけである。。。これについてはまた機会を改めて述懐してみようと思うのである




   とりあえず きようはこれでおしまい あでぃおす!




 ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜





2024年03月14日

オーディオひとりごと(備忘)・・・新譜レコード これどうかな?(part2):「 場のアナログ量」と相関 3.15 空間の進化の過程 3.17 DL-103の真実 3.18 RVGの空間



3.14 記す


 このところ まだ聞いてもおらぬアルバムを巡り

  あれこれ妄想を膨らましている 

    実に安上がりなことである

  が 演奏はこの二人であるから 飛び切り上等だろう事は

    聴かずとも想像はできる

   問題は音である

 バカバカしい話だが このアルバムを入手するのは

  吾輩にとって清水の舞台から飛び降りるような一大事である

   大枚をなげうってデジ録のレコードなどと

    聞きもしないガラクタを

   また1枚増やすかどうかの「一か八か」なのである

 要するに この「盤」から「レコードとしての音」が出ない

   のであれば CDでお茶を濁せば十分なわけである



 A Lovesome Thing by Kurt Rosenwinkel and Geri Allen
zeMI0006110380

Kurt Rosenwinkel (g)Geri Allen(p)
2012年パリのThe Philharmonie de Parisでのライヴ録音
1. A Flower is a Lovesome Thing
2. Embraceable You
3. Introductions (Geri Allen)
4. Simple #2
5. Ruby My Dear
6. Introductions (Kurt Rosenwinkel)
7. Open-Handed Reach



ご記憶だろうか 前回の更新で「空間」について吾輩は

1,リスニングポイントに位置する吾が身をも取り込んでしまう
  空間の拡張現象を「空間の分厚さ」として認知してきた

2,いっぽうで「奥行き」とは 両SPの背後にパースペティヴに
  展開していくのである


と 述べたのである

一見すると 1,は「手前」に 2,は「奥」へと拡張する空間

  と 受け取られるやもしれぬが それは違う

 あくまでも 良い空間とは

  1,が必須であり 2,をもその中に含んでおり

   ある意味 2,は 1,の点景に過ぎないのである


 ところが 一般的な意味では「奥行き」は

   高度な空間再現を意味する言葉だが

  ご覧の通り吾輩は それは初歩的な空間再現だと思っているのである

 だが もし諸兄が金田式なら 言語化するしないはともかく

  ほぼ同じ感覚をお持ちではないかと想像するがいかがだろうか


そして 吾輩はしばしば「場のアナログ量」という表現を使うが

   その際は まさに1,の空間が生成されているのである

  吾が身をも取り込んだ音場が「場のアナログ量」で充満している

「分厚い空間」というのは 

  まさにそのような「臨場」な感覚を言うのである


   さて このアルバムは如何に?




♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


オルガン録音



このところ少し遠ざかっていたオルガンものを ブログで採り上げたこともあって 久しぶりに取り出してみた

吾が座右の名盤 クレール・アラン「フーガの技法」(日エラート Westrex3Dカッティング盤) や ワルヒャのバッハ全集(アルヒーフ) フランスのオルガンもの(カリオペ)等々である

いずれも録音は甲乙つけがたい あまり音質では話題にならないワルヒャだが この中の69年から70年初頭にかけての録音は素晴らしいものがある が飛び切り抜きん出ているのはアランのエラート盤である Westrex3Dによるカッティングが素晴らしいのである

このアランの盤 オルガンの重層的な中高域のハーモニーの背後で 超高域のリアリティを維持したまま 雷鳴の轟の如く空中でうごめく最低域をかくも明瞭に刻めるのはまさにWestrex3Dの面目躍如と言ったところである(この音 ノイマン系のカッティングマシンでは刻めないそうである)

まさに吾が身をも取り込んだ「分厚い空間」が現出する そういう素晴らしい盤である

(余談)よく聞く話だが オルガンものの音質が良いレーベルとしてカリオペなど幾つかのユニークなレーベルが話題になるのだが 吾輩は その通りだとは思ったことがないのである 御覧の通りエラートやアルヒーフ テレフンケンといったごく普通のレーベルの中に結構な優秀録音が埋まっていることのほうが多い そう思うのである 何故かこれはオルガンものに関して強く思うのだけど どうしてかね?



3.15追記

吾輩はGOAという空間の拡張現象が分かり易い。。。ようするにアンプの電源を入れた直後はダメであると言う。。。アンプを使った(ている)のでこの現象(感覚)を知覚できたが 他の方はどうなのか知らない

GOAは吾輩にとって「空間の進化の過程」を数十分という短い時間の中で表現し知らしめてくれた そういっても過言ではないのである

ともかく 空間が 吾が身の前方に SPの周辺に 見えているだけではダメである 対象物であってはダメなのである その様な空間はまだまだ進化の初期の段階と言わざるを得ないのである

まぁ敢えて言えば「奥行き」というのは「分厚い空間」の中で奥まった方向へとパースペクティヴに拡がっていくのであるから 前方という意識はある それは間違いないのである

そして 「左右の拡がり」というのは この状態ではもうほとんど意識することすらない 完全にSPから遊離した音場の中では 「左」「右」という感覚さえも もはや「点景」に過ぎない とまぁこんな感じといってよいのである

で いま興味があるのは

1,上のデジ録のデユオ盤の空間はどうだろうか

2,高域の「情報量」が いまだ確信が持てない光カートリッジ。。。これ吾輩が であるからこそ 情報量が多いのであるとする「速度比例」では無いのである。。。の空間再現力は果してどうなのか(5月のMJオーディオフェアで再チャレンジするつもりである)

3,オーソドックスな「DL103」というカートリッジが何故ここまで空間再現能力が高いのか(もう50年前に判っていた先生は天才である!!)


ということである




3.16 追記

DL103がこれほど十分な空間再現力がある。。。と吾輩が思っている。。。のだから 針の形状やカンチレバーの材質 発電機構 またコイルの取り付け位置等々の 巷で喧々諤々な論争は吾輩にとってまったく無価値なのはお察しいただけるだろうか

いや まてよ これ以上の空間再現があるのだろうか? 

恐らくあるに違いない

と思ったとして その際に何かが必要になるわけである
ようするに 現状よりはるかに空間再現力の高い。。。つまり「情報量」の多い とりわけ超高周波領域の「情報量」の多い。。。アンプが必要になるわけである
現状 そのようなアンプは吾輩にとっては想像すらできないのである

さて 吾輩がいうような「分厚い空間」とは特殊な事なのか?と しばし自問するのであるが まったくそうでは無いと思うのである
おそらくこれは「2chステレオ再生」の開発者が目指したことを少しも超えておらず 特殊でもなんでもなく あたりまえの世界であると認識すべきなんじゃないか と思うこの頃である



3.17 追記

話は戻るのであるが 素材競争など無縁な(と素人目には映る)DL103が なぜこれほどまでに十分な空間再現力があるのか?

という問いは面白いと思うのである

世には素材を始めいろんな意味で最先端を目指したカートリッジがある それぞれが如何に「溝」から容赦なく情報をほじくり出せ得るかと 騒がしく喧伝しているわけである これこれこういう仕組みだから と

しかし

1,それらは「過剰」なのではないか?と つまりDL103の仕様で実はじゅうぶんに溝の情報を拾いきれているのではないか?と リスナーをその音場に取り込んで あたかもコンサートホールにいるかのような錯覚を生じせしめるにDL103は十分な性能を有しているのではないか という まずその疑問が湧くわけである(私見だが あらゆるものが過不足なく絶妙なバランスである 素材&構造の個々は そこそこでも それらが最上の1点に集約された感じである さすがに時代を越えて生き残ってきただけはある ただし「DL103の針の形状では ほれこのように溝のカーブを拾い切れてませんよ」といったような反論が出る余地はあるものとは思う が 吾輩にはそう簡単には信じられない理由が有るわけである)

2,いっぽうで いやいや カートリッジはやはり針の形状やカンチレバーの素材やコイルの取り付け位置とうが大きくいうものを言うのは間違いない 問題はアンプである いかにカートリッジが情報を克明に拾っても ほとんどのアンプがそれを完璧に通すのを阻んでいるのである カートリッジを最先端の構造&素材のものに変えると音質が変わるのは その片鱗をみせているからである いや 片鱗をみせるだけに終わっているケースがほとんどである


ということなのだろうが 吾輩の現状は1、で これ以上の空間再現は想像できないのである 仮にDC(ダイレクトカップル)方式のカートリッジを持ってきたらどうなるのか?と 考えることはある その際は「金属質感」などがかなり変わるのかも知れぬが バランスが崩れ何かが「過剰」。。。或いは「不足」。。。になっては困るわけである
しかし 真実は2,なのかもなぁ。。。さーて?

と言っても そもそも吾輩には高価なカートリッジを買う軍資金はないのである。。。とほほ(←久し振り)



3.18 追記

このところ「空間」の話で持ちっきりだが 割合読者の関心を呼んでいるようである とくにDL103には いまだ関心が高いようである

吾輩ももっとカートリッジことを勉強しておれば。。。例えば針の形状と溝の関係における再生限界等々。。。「感覚」だけでなく もっと有益な情報を提供できように と反省しきりである

それにしても最近のカートリッジの価格は「宝石級」である おいそれとは手が出ない DL103のような性能とコストが釣り合っているものは実に希少である なかには吾輩の「空間再現」を知って心強く思ってくださった方もいるのだろうか  ともかく 可能性は高いカートリッジということに共感していただけるだけで肩の荷が下りるわけである と同時に 吾輩のような庶民(ボンビー爺さん)にもハイファイオーディオ(=原音再生)の可能性を拓いてくださった先生に大感謝である

さて 話は戻って 吾輩が言うところの「良い空間」についてだが たとえ部屋全体が「音場」となって音に満ち溢れていても そこに「分厚い空間」が現出するかは別問題である それは言っておかねばならない

例えば 音場型スピーカーを使用する あるいは 壁面の反射を積極的に活用する等々 そういうかたちで部屋を音で満たしたとしても 「分厚い空間」が生成されるかはまったく別問題であると思うのである
もしかするとこれは「2chステレオ」の原理であるところの正三角形の頂点で聴かねば生成されないのかもしれない 吾輩もたとえば レコードを裏返すためにリスニングポイントから離れるとまたたくまに空間が「対象物」となってしまうわけである 数センチや数十センチ頭を動かしてもどうという事はないが やはり聴取位置はそこそこシヴィアであることは間違いないのである(とはいえ こういうことに吾輩はあまり神経質ではない)

あと これは当然と言えば当然であるが レコードによって「分厚い空間」が 素晴らしいものと もうひといきなもの 全然ダメなもの と段階分けができることである
昨夜 ジャズで プレステッジのレッド・ガーランド・トリオもののステレオ盤をチョイスして聴いたのであるが。。。RVG録音のOJC盤である。。。「分厚い空間」は吾を取り込もうと膨らんでくるのであるが いまひとつのところで停止してしまうのである まぁヒドくは無いわけであるが もう少しである だが この時代の 彼のスタジオ録音でここまで膨らべば御の字である
それにしても実にゆったりとした音場のなかに シンバルの細やかな質感が空間に漂い ベースがどっしりとその音場を支える 実に豊かなサウンドである

この「空間には階級がある」という話題はまたページを改めるのも面白そうである

その点で読者と共感。。。乃至は意見の相違。。。を得られる部分が有るやもしれない
吾輩がダメと決めつけたレコードが読者の所で見事な空間が生成されているなら敬服に値するわけである



   とりあえず きようはこれでおしまい あでぃおす!




 ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜





2024年03月06日

オーディオひとりごと(備忘)・・・新譜レコード これどうかな?(再)  3.8 追記:「分厚い空間」はGOAから始まった



3.6 記す


今朝は 雨交じりの嵐が窓を叩くので早く目が覚めてしまった

 予報ではこれから雪がチラつくらしい

  平地での三度目の雪である

ってことで いつも午前にやってるルーチンワークが出来ない

 それで パソコンに向かってあてどなく書き始めたのである


さて 前々回と前回アップしたページは 三回忌を迎えての

 「チック・コリア追悼(パート1&2)」だったわけだが

  それらのページの下の方で 

 吾輩はいつものように「追記」と称して 雑文を書き殴っていた

たとえばこんな感じである


*******


3.4 追記(新譜レコード これどうかな?)

チックの盤ではないが あれこれ思案した結果 このレコード どうかな?
ピアノはジェリ・アレン ギターはカート・ローゼンウィンケルで 2012年にパリの「フィルハーモニー・ド・パリ」でライヴ録音されたもの
もちろんLPの新譜である ってもまだ予約販売だけどね(CDは既発売)
なんか入荷は5月になる模様(うへー!)


 A Lovesome Thing by Kurt Rosenwinkel and Geri Allen
zeMI0006110380

Kurt Rosenwinkel (g)Geri Allen(p)
2012年パリのThe Philharmonie de Parisでのライヴ録音

1. A Flower is a Lovesome Thing
2. Embraceable You
3. Introductions (Geri Allen)
4. Simple #2
5. Ruby My Dear
6. Introductions (Kurt Rosenwinkel)
7. Open-Handed Reach


録音はデジタルだが「デュオ」ってことと 定評ある欧州録音ということで そこそこ期待はできる
12年前とはいえ まぁまぁ新しいデジタル録音ってどの程度のレベルなんだろうか っていう興味かな(上から目線)
楽器そのものの音はそこそこ誤魔化しはきくが 難しいのは「空間再現」である しかも 割と再現が簡単な「左右の拡がり」や「奥行き」ではなく。。。良いアナログ録音にままある。。。「分厚い空間」が再現されるかどうか それが問題なのだ!(ゴタクは買ってからにしろって?とほほ



*******



なにも末尾の「とほほ」までコピペしなくても良さそうなもんだが

実はこの「追記」 毎日新聞の3月3日の記事が呼び水になったのである


 3月3日付毎日新聞第1面の「余禄」
20240303毎日新聞「余禄」


内容をかいつまんで言うと「(昨今)アナログレコードが気を吐いている」に要約される

だが レコードの誕生から衰退と復活を経て 現在の盛況振りまでを簡潔に述べたもので まさに「簡にして要を得る」記事である
というか まるで生成AIが記したかのような模範的文章である(若干の皮肉 でも吾輩は毎日新聞の大ファンですから悪しからず)

だが 兎にも角にも この記事に吾輩は触発され 昨今の「新譜レコード」とは如何ほどの物だろうか? という いささか猜疑心も手伝って「追記」にあるジェリとカートのデュオ盤に食指を伸ばそうとしているわけである(既に予約したという噂もある(フッフッフ))

実は「デジタル録音のレコード」は何枚も持っているのではあるが ほとんどが80年代初期のデジタル黎明期のもので 昨今のハイレゾレベルのデジタル録音よりだいぶ落ちるものと推量しているわけである いや その実 話にならないくらいアナログ録音には劣るのが実態である

ようするにデジタルが成熟する前に早々と「音」に絶望して「新しい演奏」を諦めるしかなかったのである
しかし 音がいかにもデジタル的な埃っぽいのは願い下げとは言え  音楽の新しい「解釈」や「感性」に触れてみたいとずっと思い続けていた であるからこそ デジタルが成熟した(様に見える)今こそ「新譜」を聴いてみたいと思ったのである

だが 単にそれだけで あとは「レコードが配達されたら試聴記で音質がどうだったか報告します」では 話にならん訳である

ようするに何が言いたいかと言うと 生まれてこの方ずーっとアナログ一本やりで追求し続けてきて しかもその難しさに辛酸を存分に舐めてきたが ようやくここにきてその努力が実を結びつつある そういう吾輩(たち)レコード再生屋からすれば 昨今の降って湧いたようなチョイ・アナログブームなんぞ歯牙にもかけたくないのである

のだが そうもイカンので 少し冷静になってこの問題を取り巻く疑問を列挙したいと思うのである まず

1,上のジェリ&カートのデュオ盤紹介のなかで吾輩が言った「奥行き」と「分厚い空間」の違いとは何ぞや?である
このふたつ同じ意味じゃないの? と誰か囁くのが聞こえるのであるが 吾輩はこの違いこそ アナログとデジタル(ハイレゾ)の決定的な違いではないかと睨んでいるわけで 物を入手し実証したいのである

2,そして「余禄」のなかで赤線を引いた「他のソフトに比べた音のぬくもり感」と「効率優先の暮らしを見詰め直す風潮」というくだり 特に「ぬくもり」という表現にカチンと来たわけである ようするに「アナログ再生のなんたるかを知りもしない輩がまたその常套句かい!」という事である

3,さらに デジタル録音の「新譜」を再生する様式として

 イ:デジタルメディアに収めたものを デジタル再生機器で聞く
 ロ:レコードに収めたものを(再生側ではDA変換せぬ)
   アナログ再生機器で聴く(勿論 金田式でなければアカン!)


という二つの方法ではどちらが音質的に良い。。。つまり「情報量」が多い。。。のか?という本質的問題である(「専らデジタル」の連中はこういう発想すらないであろうから敢えて問題提起するわけである(爆発))

4,上で「楽器」の音は誤魔化しがきくと言ったがピアノは例外である というのは 良質なアナログ録音では ピアノの「溜め」がしっかりと聴こえるのであるが さて デジタルの「新譜」は如何に?(これも実際に入手して聴いてみなければ分からん)



という 少なくとも4つの看過できぬ疑問が湧き上がったわけである

いまチラッとこの4つは通底する何かがあるように思ったのである

また1,と4,は実際に聴かねば判らぬが「預言」は可能だろうか

が ひとまず筆をおいて この余白にて じっくり時間をかけ ひとつづつ

    考えていきたいと思うのであ〜る


追記:とは言ったものの ぜんぜん湧いてこないなぁ。。。



♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


3.8 記す・・疑問1,

全く言葉が湧いてこないが ともかく疑問1,を書き始めたのである

吾輩だけなのか分からないが 今にして思えばこの「分厚い空間」という現象(感覚)に気付き始めたのは かれこれGOAの時代であろうか

余談だが GOA(8W)のアンプは 今はロフトの(自称)工房でサブシステムとして常用中で 音はなかなかのもので吾がブログにも時々登場しているのである

 GOA・8W
GOA
元は原典通り電池で動かしていたが コストがバカにならないので 既存のネジ穴等を流用しシャーシに無理やり小規模なAC電源整流平滑部を押し込んだのである 若干 基板の配置に無理があるが いずれRegを入れ電源部を強化するついでに作り直す予定である(予定は未定)


金田式な諸兄なら吾輩より詳しい事と思うが ご存じの通りGOAはB級アンプで出力段のアイドリング電流は15mA前後だったと記憶する。。。もしかすると吾輩は電池を長持ちさせるためもうすこし少なめにしたかもしれない。。。まともかく それが故か 電源を入れた直後と温まってきた後の音にはだいぶ隔たりがある 最初は割とザラ付いた硬い音だが 温まってくるにつれ滑らかになり 空間も左右に拡がってくるのであるが その後その空間が次第に厚みを増し吾がリスニングポイントを包み込もうとするかのような地点まで膨らんでくるのである

もちろんその過程で「奥行き」も透けて見えるようになるのであるが それは空間の厚みが増す現象の前の段階のことである そういう意味で「空間の厚み」の方が上位に位置すると考えるわけである

この現象は 金田式をやる諸兄なら「現象としては」先刻承知のことと思うが これを言語化するかどうかはそれぞれの感覚次第で 単に「空間の拡がり」の一環として捉えたとしても不思議はないのである

 サブシステムで稼働中のGOA・8W
sub audio



ようするに 吾輩は 吾輩自身をも取り込もうとする空間の拡張現象を「空間の分厚さ」として認知してきたわけである
それにひきかえ「奥行き」と言うのは両SPの背後にパースペティヴに展開していくものであり 全く違う感覚(現象)であると言わねばならないのである

今はどうかというと NO.240はアイドリング電流は300mA近く流れており おそらく高電圧 且つハイブリッドということも関係してか GOAのアンプほどには立ち上がりに時間は要さないが それでもこの現象はあることはあるのである(ようするに電源を入れた直後から空間表現はかなりのものであるが更に充実していくその時間的サイクルが短くなっていると言う意味である)

それとこれは絶対言っておかねばならないのだが 今の吾がNO.240にしてもNO.248にしても「圧着カラゲ半田付け」や「接点のみプラグ&ジャック」等の徹底的接点対策や配線の短縮化により おそらく(可聴帯域外の)高周波領域の再現性が GOAアンプ。。。半田付けは圧着まではやっていないがカラゲはやっていた。。。より格段に上がっているハズで「空間の分厚さ」も格段に向上しているのである

つまり「空間の分厚さ」は。。。まあ単に「拡がり」「奥行き」もそうだが。。。アンプがいかに(可聴帯域外の)高周波領域の「情報量」をきっちりと通過させ得るかにかかっている と かねてから預言しているのはご記憶であろう(まだ確信までには至っていないが)

この「空間の分厚さ」があることにより 演奏者を取り巻くステージが拡大し あたかも吾が身をもそのステージのなかに取り込まんとするかの様である

この効果が分かりやすいかたちで顕著なのは 教会のオルガンものである
まえにもいったが 現状 わが「ウサギ部屋」における SPの間隔が2m程度のただの2chステレオにもかかわらず 欧州各地で耳にした 広大な空間を容する教会のオルガン演奏を ほぼ90%のリアリティーで再現できていると言うのはそういう意味である

とは言っても やはりこの「感覚」を得るには ソースそのものに空間情報が乏しいものはなかなか難しいものがある スタジオ録音でこの感覚を感じるのはそうとう良質な録音であり数は限られる。。。ちなみにアン・バートンの「ブルー」(SX68サウンド盤) や わが心酔するファンタジーのエヴァンスの「ソロ集」は感じることが出来る。。。のである やはり教会やコンサートホールで収録したものが分かりやすいと言わねばならないのである

さて この「感覚」はCDグレードでは全くと言っていいほど感じないが 上で挙げたデジタルの新譜はハイレゾグレードだろうしコンサートホールで収録したものでもあり さてさて どうだろうか?。。。期待と猜疑心が半々である(乱筆容赦)



3.9 記す・・疑問2,も3,も難しいので小休止

昨日は「湧いてこない」と言いながら結構な量を書いてしまった

が どんな事であれ 自分なりの「言説」というのは 自らがそこにハマっていくという危うさもあるわけで 気を付けないといけないのである ようはプラジーボに自ら堕ちていく心地よさである それが報酬系を刺激することもあるわけである

がまぁこの「分厚い空間」と言うやつは GOA時代から長い時間をかけ内省しつつ醸成してきた「感覚」であるという事は言っておかねばならない
故に 今の問題は 如何にしたら更に空間の厚みを増すことができるであろうか?なのである

昨日は 吾輩の配線の仕方等自慢話に終始したのであるが この「分厚い空間」というやつ 金田先生が「SAOC」によってカップリングCを回路から追い出されたことも1つの要素としてあるのではないかと思うのである GOA時代に使用していたプリNO.77はまだそこまで行っていなかった 当時のアンプは今ほど高周波帯域を損なわず通過させていなかった GOA時代の空間が今ほどではなかったのはその辺も1つの要因ではないかと思うのである 1つのである

no.77


当時 並行して真空管式GE 6072A-CRイコライザーを使用していたのであるが 今にして思えば 段間のカップリングCがそうとう空間を委縮させていたことと推察するわけである


GE6072A


あと整流平滑しっぱなしの制動力を生じない電源の脆弱性だろうか 当時は良い音だと信じて疑わなかったのであるが このアンプからは「空間の厚み」という感覚はまったく聞こえず 音はSPにへばりついていた(今にして思えば)のである もちろん このアンプは吾輩の方向性には合わないということだけであって 存在を否定される理由は無いということは認識しておかねばならない

金田先生は 良い音にはなにが必要かにおいてまったくぶれることなく確実に進歩されているのである

吾輩如きが 敢えて言うまでも無いのである


3.10 記す・・疑問2

これはもう述懐するまでもない

(アナログ)レコードが「まろやか」だとか「やわらかい」音だとか言うのは このふたつの理由しかない

1,昔は良かったね式の懐古趣味からきた単なるイメージではないのかな レコードの音について厳密に観察(追求とまでは言わないが)しているわけでもなさそうである 若い方は「かっこいい」とか「昭和してる」とか感じるのかもしれないね 我々の年代で回帰しているのなら「幸運を祈る」としかいいようがない 「効率優先の生活を見直す風潮」と書かれれば「あっそういうこともあるかもね」とそこで気付く人もいるかもしれないが どうだろか そこまで深化した風潮なのか。。。
いずれにしても 今のストリーミングオーディオは「我々はなにものでもない」と宣言したようなものだから いずれまた「物」に回帰するとおもってました 続けばいいけどね つづくなら「本物のアナログ」だといいけどね

2,レコードからきっちり「情報量」を引き出すことが出来ていないからである つまり いつも言ってることだが 「まろやか」も「やわらかい」も好意的にとらえれば「音色」とも言えるが けっきょく「情報量」が偏っているにしか過ぎないのである 「情報量」は全帯域なのである

このどちらかだろうとしか言いようがないけど どうかね



   とりあえず きようはこれでおしまい あでぃおす!




 ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜





2024年03月02日

オーディオひとりごと(備忘)・・・チック・コリア追悼 (パート2)3.3_4 追記 新譜レコード これどうかな?



 3.2 記す


 音楽を言葉にしない と公言したが

  ブログの余白を埋めるに窮すること甚だしいのである

 だがどうだろう チック・コリアに関して言えば

  「音」を語りさえすれば

    概ねチックの音楽を語ったに等しい と

     言えるのではなかろうか

   人によって感じ方は違うが

  吾輩は チックのピアノからは「物語性」というよりも

   フィーリングとか気分とか あるいは心象風景というか

    そういったことを強く感じるのである



 chick corea / piano improvisations vol.2(ECM 日ポリドール盤)
corea vol.2

recorded on april 21 and 22,1971 at the bendiksen studio,oslo

afternoon song
song for lee lee
song for thad
trinkle tinkle
masquellero
preparation 1
preparation 2
departure from planet earth
a new place(arrival, scenery, imps, walk, rest)

vol.1が「noon song」で始まったが このvol.2は「afternoon song」である 昼から午後にかけて移ろいゆく時間を 眩い煌めくようなサウンドで表現している ある情景が浮かんだ 彼自身が窓を解き放つと光溢れる外界が暖かい風と共にサッと飛び込んでくるのである
そんな開放的な一瞬を音に表しているのであるから ここでは ただただ存分に美しい音を浴びればそれで良いのである




 チック(のピアノ)は

   常に外に向かって開かれていた

 彼に先行していたエヴァンスが

  常に内に向かっていた(ように聴こえた)のとはずいぶん違う

 それ故か チックが「ブルース」を弾くのは聞いたことがない

 そして 吾輩は いつもチックのピアノを

  「暖かい風がサッと通り過ぎてゆく瞬間」

    として感じ続けてきた

   それは きっとそういう意味だったのだろう
 
  と この「 piano improvisations vol.1&2 」を聴く度に

    思うのである



 piano improvisations vol.1 & vol.2(ECM 日ポリドール盤)
corea vol.1.2

vol.1
side1(21:29)
noon song(4:00)
song for sally(3:41)
ballad for anna(2:24)
song of the wind(3:08)
sometime ago(8:16)
side2(19:58)
where are you now?- a suite of eight pictures
(picture 1(4:50)2(2:01)3(2:30)4(2:42)5(0:33)6(3:52)7(1:57)8(1:33))

vol.2
side1(15:02)
afternoon song(2:48)
song for lee lee(2:40)
song for thad(1:58)
trinkle tinkle(2:02)
masquellero(5:34)
side2(23:56)
preparation 1(2:35)
preparation 2(0:52)
departure from planet earth(7:32)
a new place(arrival(0:35) scenery(5:45) imps walk(1:35) rest(5:02))

曲のタイトルの並びを見ると ストーリー性を持たせているかに見えるのだが マイクセッティングがちがうトラックが並んでいたりと録音自体はランダムなのではないか ようするに 先に感興の趣くままに即興で録音した曲を 後付けでストーリー性を持たせて並べていった そんな感じである が それが音楽の本質においてどうだと言えるものでは無い
それはともかく vol.1 も vol.2も 日ポリドール盤である vol.1は72年のカッティング vol.2は73年のカッティングのようである ほぼ同時期のカッティングではあるが音は微妙に違う そもそもこの2枚は同日の録音ではあるが 録音が2日間にわたったため アルバムとして編集した際にトラックにより微妙に音がちがう要因となったのであろう しかしこの2枚は 吾輩が賞賛して止まぬ日ポリ72年プレスの「カモメ盤」と同じカッティングマシーンによるものと思われ 音質はすこぶる良い ピアノの打鍵の倍音はキラキラと美しく 低域はふっくら且つゆったりとして申し分ないのである では 下で独盤との違いを少し述べてみたい





 ♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


また「ソロ」である 読者が食傷気味なのは分かっている

それだけではない

かって「音圧が高い」と称されていた良音盤は 実は「情報量」も多いのであって その原因は「カッティングレベルが高い」からである

という吾が切り口も もはや読者の関心を引くものでは無いと判ってはいる

が 今回もそれである いや 正確に言うとちょっと違うのである

下の盤面写真2枚は「piano improvisations vol.1」のA面である


 ECM独盤(70年代中頃には所有していたと記憶する盤)
ecm1014

 日本ポリドール盤(72年プレス)
mp2223

ランナウト部分を見ると独盤の方がカッティングレベルが高そうである まさにそうである 針を落とした瞬間に音圧の高さに圧倒されるのである ピアノの高域の倍音もきらびやかで ひとかけらの濁りも無く透明感に溢れているのである いっぽう 日本ポリドール盤の方は確かに音圧は低い 高域の倍音も独盤ほどの輝きは抑え気味である ところがである 日本ポリドール盤の方をヴォリューム上げて同じ音圧にすると ピアノの低域は独盤よりゆったりとして 尚且つ空間における低音の動きが明瞭なのである あくまで比較するとだが 独盤はむしろ高域が上ずっていると感じるほどで 中低域にかけては腰が入っておらず 低域はやや曇りがちである ので やはりこの盤においても日ポリ盤の方のカッティングアンプが優れているように感ずるのである それにしても この盤だけのことにしても 何故 日ポリ盤の方がカッティングレベルが低いのか 吾輩には理解不能である
とはいえ これらは極めて微妙な差である はたしてこの差を感知できる人は何人いるのだろうか




これも最近口が酸っぱくなるほど言ってることであるが 「ソロ」という構成は「情報量」的には非常に面白いのである

つまり ソロやデユオといえども「聞こえてくる情報量は大編成のオーケストラとなんら変わるものでは無い」と言いたいのであるが 個々の楽器にあてがわれるアナログ的リソースはやはりソロやデユオの方が多くなるのが道理である というのが吾が理解である

つまりこの文はこう書くべきなのである

ソロやデユオといえども「トータルとしては聞こえてくる情報量は大編成のオーケストラとなんら変わるものでは無い」

なのであ〜る




3.3 追記

一番上の写真は 久し振りにNO.248の内部を掃除した際についでに撮ったのである で そのついでにVOもテスターで測ったが 流石に金田先生の設計だけあってまったく問題なしである

話は変わるが 吾輩の様にレコードしか聴かない人間は 最近の録音に疎く何を入手してよいか全くわからない 新譜のレコードがたくさん出ている昨今 まさに「浦島太郎」状態である 出来ればギターものが良いのだが ピアノとのデュオあたりで何か良いものがないかと物色中である 編成が少ないものを探しているのは もちろん最近の新譜は「デジタル録音」だろうからで そうであっても「情報量」てきに劣るものは願い下げだからである 何か良い演奏はないものだろうか? 

あっそうそう 上の二番目の写真の曲目リストには曲ごとの再生時間が書いてある こんなものを書くのは初めてであるが 意図するところはこの時間を俯瞰することで何か新しい切り口が見つからないものかという魂胆があったのである あと 日ポリ盤の方が独盤よりカッティイングレベルが低いという不可解な現象の理由がなにか解明できるのではないかとも思ったのであるが 無駄であった ただひとつ気になるのはvol.2 のA面の収録時間の短さである じつにアンバランスである だが これはアルバムの構成上のことで この視点からも得るものは何もなさそうである

言うまでも無くレコードにおいては収録時間は音質を決める大きな要素である 片面あたりの収録時間が長くなるとカッティングに制約が大きくなるのである 吾輩がいつも言うカッティングレベルの高低に直結するのはいまさら言うまでも無い 長時間録音が多いクラシック音楽では片面30分も珍しくないのである 多くのファンがデジタルに鞍替えしたのはそれが原因で 確かに無理もないのである

ようするにレコード再生屋は いかにそのリスクと向き合い 格闘して乗り越えていくかにかかっているわけである それに敗れたものはアナログから去るしかない そして永遠にアナログの神髄を垣間見る事すら無い そういう厳しい世界である



3.4 追記

チックではないけど あれこれ思案した結果 このレコード どうかな?
ピアノはジェリ・アレン ギターはカート・ローゼンウィンケルで 2012年にパリの「フィルハーモニー・ド・パリ」でライヴ録音されたもの
もちろんLPの新譜である ってもまだ予約販売だけどね(CDは既発売)
なんか入荷は5月になる模様(うへー!)


 A Lovesome Thing by Kurt Rosenwinkel and Geri Allen
zeMI0006110380


録音はデジタルだが「デュオ」ってことと 定評ある欧州録音ということで そこそこ期待はできる
12年前とはいえ まぁまぁ新しいデジタル録音ってどの程度のレベルなんだろうか っていう興味かな(上から目線)
楽器そのものの音はそこそこ誤魔化しはきくが 難しいのは「空間再現」である しかも 割と再現が簡単な「左右の拡がり」や「奥行き」ではなく (良いアナログ録音にままある)分厚い空間が再現されるかどうか それが問題なのだ!(ゴタクは買ってからにしろって?とほほ)



   とりあえず きようはこれでおしまい あでぃおす!




 ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜





2024年02月23日

オーディオ(ではない)ひとりごと・・・今シーズン初スキー行 2.25追記: NO.248 お掃除


 いまは朝の7時半だが

  先刻から ちらほら雪模様である

   平地での今冬2度目の雪

 実は2月初旬に 今シーズンの初滑りに行ったのであるが

   今冬は吾が家から遠望できる山々も雪が少なく

   滑れるコースが限られるかと危惧したのであるが

    直前に今冬1度目の大雪があって

   事なきを得たわけである



2024年スキー行_2



 スキー行は 30数年続く吾が子との恒例行事である

   吾が子がまだ3歳くらいのときからで

  最初は背負ったり股の間に挟んだりして滑っていたのであるが

 今は子供も上達して すぐに追い越されそうである


 前方に屏風のように連なる山々は もはや見慣れた景色だが 

  素晴らしさに子供と感嘆の声を上げる これも恒例である

   毎年なにも変わらないこと

    これが一番である



2024年スキー行_1



 直前に雪が降ってコンディションは最高だったと言っても

   ご覧の様にやはり雪は少なく樹氷も無い

 上の林間コースは樹氷があると目も眩む美しさなのだがなぁ


 にしてもあいかわらずゲレンデは貸し切り状態だ

 年々スキーヤーは減っており経営が大変だろう

 ここに近いもう一つのスキー場は雪不足で今年限りで廃業だそうな


 最近のゲレンデはボーダーのためか まっ平らに均してある

  ので この程度の傾斜なら子供と二人で

   3km以上はあるコースもノンストップ&ハイスピードで行ける

  のだが いくら吾輩の外観が

「もはや失うものも無い老人(じじい)」に見えたとしても

  まだまだ娑婆には未練が有るのである
(やれオーディオだ レコードだ ギターだ カメラだ。。。物欲無限)

   ゆえに 子供との合言葉は「セーブして滑ろうや!」である



 さて 温暖化は急激に進行しているが

  はたして来年も変わらずスキー行が出来るのだろうか 

   それが大問題だ




♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜



 使い古した吾がスキーの教本である


ski journal



この話も何回かしているし 興味の無い方は無視してくだされ

吾が若かりし頃のWCスキーヤー海和俊宏さんの滑りがお手本である
いまもそうなのか分からないが 日本のスキー学校では2枚の板をぴっちり揃えて見た目にも綺麗なスキーを教えていた が スラローマーである海和さんの滑りは「如何にスピードを殺さないか」に尽きるわけである

雑誌表紙の写真は 彼の2枚の板が揃った一瞬を捕えている 美しい!

だが 彼のスキー板が揃うのはほんの一瞬である なぜなら板を揃えたままターンすると テールがズズズッとずれて 著しく減速するのである


 右上(1)から左下(7)まで連続写真である(4)は割愛海和


むかしから スキーは板をぴっちり揃えて細かくターンするのがかっこいいイメージなのであるが ほんらいスキー板は回り易く出来ているのだから 回転させることをあまり意識する必要はないのである

海和さんの滑りを上の連続写真で説明するが この写真ではそんなに高速には見えないかもしれないが もしコブがあったら空中を飛んでしまうほどの高速である
で 最右上(1)と最左下(7)の写真はターンの終盤で 彼は「谷側の板」(ようするに重心を掛ける側の板のことを言う)にギリギリまで乗って(重心を掛け続け)ほとんど片足で滑っている感じに見えるが 実際もそうである そして 最左下の(7)では重心を掛け続けながら既に本人の左側(山側)の板は雪面を離れて次のターンへの方向性を準備をしている この際に彼は決して谷側の板のテールをズズッとズラしてはいないのである(うっかりテールをズラしてしまったら著しく減速する 滑った後の雪面に残ったカーブをみれば一目瞭然)
ようするに 高速の状態で「谷側の板」に身体が倒れそうになるギリギリまで重心を掛け続ける すると板は自らの反発力で戻ってくる その反発運動のベクトルを反対側のターンのへのきっかけにするわけである
そして その一連の動作は「重心移動」という運動の中で いかに無駄なく滑らかな連続性と能動性をもって しかも攻撃的に行うか なのであ〜る

この滑りを忠実に行うと 初心者の「よちよち滑りコース」の緩斜面でも 雪煙を巻き上げフルスロットルで滑ることができるのであ〜る(初心者が滑っている近くでは決してやってはいけない!

スピードにのって飛ぶように滑走する爽快感は何物にも換えがたいのである

が スキーに興味のない人には「何のこっちゃ」で実につまらないことだろう

だが 無理くりかもしれぬが「無駄のない」「滑らかな」そして「能動性」というのはオーディオにも当てはまるのではないかと思うわけである

「音」の素である電源エネルギーをいかに「ロスなく」信号系に供給するか また 信号系の楽音エネルギーの高速かつ微細な振動に電源エネルギーの供給が如何に「滑らか」に追従できるかである ようするに 倍音1粒をきっちり描写するには「信号系」と「電源」(Reg)はまったく同じ性能が求められるわけである

そして「能動性」とは自律性とともに「制動力」の源泉なのであ〜る


しかーし スキーというスポーツとアンプの動作というまったく畑違いが
なぜ共通の文脈で語ることができるのであろうか

 その二つの根底には普遍的な何かが在るのか

  そっちのほうが大問題であろう




2.25追記

何の気なしに気付いて

久しぶりにNO.248の内部を掃除した

 基板の上にもそうだが 

  ファンのプロペラにずいぶん埃が溜まっていた


RCA_E


空気取り入れ口の右上のネジは ここにヒーターRegのLM338が取り付けられているのだが この場所は放熱効果を狙ったものだったが ホコリ的にはこの場所はあまりよくないことがわかった ようするにLM338の三端子の脚近辺にホコリがぎょうさん絡むわけである 電圧が低いから問題は起きないかもしれないが 精神衛生上よくない ちょっと考えなければならない


mono pat moran



掃除したら パット・モランが 

  えらく音が良くなったような(そんなわきゃねぇよ。。。)



 とりあえずきょうはこれでおしまい あでぃおす!


♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜


2024年02月16日

オーディオひとりごと(備忘)・・・懐かしい場所(チック・コリアを悼む) 2.18 追記



 2.16 記す


 チック・コリアが亡くなったのは

   たしか今頃の季節だったと思ったが もう3年も経っていた

    それで なんだか 懐かしくなって

  棚から思いつくまま何枚か取り出した のだが

 結局 代わり映えしない手垢の付いた盤ばかりだったのである


 とは言え これらの盤

  吾輩にとって チック・コリアその人と言っても過言ではない

   レコードと彼が同化しているのである

     物と人が一体化するとは面妖なことだが

    盤に チック・コリア自身が宿している 

      そう言うしかないのである



 Chick Corea & Gary Burton in Concert(ECMトリオ盤)
corea & burton

Chick Corea & Gary Burton in concert
Recorded at Limmathaus,Zurich,october 28,1979
Engineer:Martin Wieland(tonstudio Bauer)

side 1
 senor mouse
 bud powell
side 2
 crystal silence
 tweak
side 3
 i'm your pal/hullo,bolinas
 love castle
side 4
 falling grace
 mirror,mirror
 song to gayle
 endless trouble,endless pleasure

これはライヴにもかかわらず超の付く優秀録音である だが 迫力だけを求める輩には「さにあらず」である ディテイルをこよなく愛する者にしか感知できない そういうおとである 強いて欠点を挙げればピアノがエコーを帯びすぎていることか 驚くべきはバートンのヴァイブの美しさである 音そのものが胸が熱くなるのほどの哀愁と神秘性を帯びて まるで滝の落ち込みに生まれては消える泡沫のように変幻自在に千変万化するのである 甘くまろやかな音 弱音と強打音の無限の諧調 マレットが当たった瞬間の衝撃音 共鳴管の低音を帯びた分厚いハーモニー 左右のスピーカーさえも共鳴管になったかのように互いに呼応しあう あらゆる響きが美を競い合っているわけである まさに人間技とは思えぬイマジネーションである 物理特性も触れないではおれない すなわちヴァイブの「音板」が実物大でズラリとSPの間に並び マレットが其のうえで舞う そしてそれらを分厚い空間が覆い尽す まさにアナログならではの「場のアナログ量」を感じる録音である
何年振りかに聴いてこんな素晴らしい録音だったかと驚きを隠せない だが 聞くところによるとCDには「side 3」の吾が溺愛するソロ2曲は含まれていないらしい なんと非情なこと!
すなわち レコードを愛する者にしか許されぬ桃源郷なのである




 だが ヴァンガードのライヴ盤に

  エヴァンスが宿していても何の不思議もないのと同じである

 それはそれとして 今更にして感慨深いのは

  この二枚組「イン・コンサート」は

   チックとゲイリー・バートンの。。。耳を疑うほどの。。。

  素晴らしいコラボレイションが記録されていたことである

 チックにとってバートンという存在の重さは如何程か

  「1+1」が無限のインスピレーションを生じせしめる

 感動的なのはside 3のバートンとチックの1曲ずつのソロ演奏である

 「ソロ」と言っても

  デュオという相互作用的磁場においてであることは言を俟たないが

 とりわけ吾輩が愛してやまないのは

  バートンのソロ「I'm your pal/Hullo,Bolinas」である



 チック・コリアの吾が永遠の愛聴盤
コリア三部作

Crystal Silence(ECM 1972)
Piano Improvisations Vol.1(ECM 1971)
Return to Forever(ECM 1972)

これら3枚はもはや駄盤化して 日本盤ならネットで数百円以下である 吾輩も新譜として若い頃に購入した盤は別として このうち2枚の予備盤は百円で入手したわけである なぜだろうか これほどの盤は存在しないのに 特にカモメ盤は空前絶後の名盤であるはず だが これらのそんな境遇に吾輩はむしろ悦びを隠せないのである
さて いまだ現在進行形の溺愛盤であるカモメ盤2枚はいずれも72年プレスの日本ポリドール盤でSX68のカッティングだろうと思われる 吾輩はこの盤以外は聞く気がしないのである たとえ独盤であろうと他の盤ではモレイラの呪術的シンバルの「金属質感」が極端に落ちる(と思われる)からである おそらく日本の某カッティングラボのアンプがすこぶる優秀で しかもカッティングレベルが高いという相乗効果である 他の2枚は日本盤と独盤の混交である 「情報量」的にはトリオ盤は非常に優秀である それはカッティングレベルが高いからである このことに誰も気づけない だからこそ駄盤化するというわけである(追記)



 このソロにおいて バートンのヴァイブは

  音楽という枠組を易々と越えて

   音そのものが哀愁を帯び 神秘性を綾なしているのである

   吾輩が 胸が熱くなるのは

  「音」が 「音楽」という物語を語る時である




 ♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


ご覧の通り吾輩の溺愛するチックの盤は70年代初期のものに偏っているわけである

決して吾輩はチックの良きファンでは無かった それはほぼ間違いない

だが どうだろ 70年代と言えばやはりチックがもっとも「とんがって」いて才能がブラックホールのジェットのように輝きを放っていた そういう時代だったことは間違いないのである

吾輩もこの後 エヴァンスにぞっこんで チックの音楽や存在を安心しきっていたわけである

エヴァンスの音楽にはいつか消えてしまいそうな儚さがあった だから まずエヴァンスを聴くしかなかった

という弁解がいまなら許されるであろうか。。。


 Circling In
circlin in

吾がブログでは何度も何度も登場している2枚組盤 ブラクストンとの共演も収まっているトニー・メイの超ド級の録音である 溺愛せずにおれないのだ ジャケット写真も大好きである まさに「とんがった」チックである





2.17追記

「チック・コリア哀悼」のページでゲイリー・バートンを褒めちぎるのもなんですが ここでのバートンのヴァイヴはとんでもなく神がかっているので そういうことになってしまったのである ご容赦くだされ
しかし 上でもいったように チックとバートンの「デュオ」という相互作用的磁場におけるバートンであるわけで チックの方向性にバートンが共鳴してこその神がかり演奏であることは言を俟たないのである
いや そもそもチックのピアノは「評価」など要らないわけです ここでもいつものように素晴らしいのだから

いや ほんと ミッドドライバーが飛びそうなほどダイナミックレンジの幅が凄いのです よーくまぁピアノが壊れないもんだと思いますなぁ これ再生はほんとに難しいのです 吾輩も最初に回した時にピークで少しビビリが出たのでヤバイなぁと思ったのですが DL103のスタイラスをクリーニングしたらバッチリ再生出来るようになり申した またプチノイズもずいぶん減るもんです

いっちゃぁなんですが レコードを再生するときは片面再生するごとに盤はむろんのこと スタイラスのクリーニングをするくらいでないとダメであります それがレコード再生屋としての最低限の矜持ってもんでしょう レコード初心者の方は心得てくだされ それさえやらなくて「やっぱしレコードはノイジー」とか「レコードはしょぼい」などと言っているようでは まだまだでっせー(上から目線)


追記 2.18

実はこのページをアップしてから「カモメ盤」は独盤ももっていることを思い出して。。。ようはお蔵入りになっていたわけだが 吾がアンプもだいぶ成長したので。。。念のため回してみたのであるが 吾輩の2枚の72年プレス日本ポリドール盤の方が遥かに優れていることを再確認した シンバルの金属質感はもとよりクラークのベースも月とすっぽんである 空間も遥かに大きい 独盤はやや委縮した空間でモヤーっとしてベースやシンバルに切れがないのである だがあくまで相対的な意味であり独盤だけを聴いている限りそうは悪くない また独盤は日ポリ盤よりも更に内周まで切ってあり見た目はカッティングレベルが高そうなのにそうではない
これはあくまで推測であるが72年の日ポリ盤はSX68+優秀な真空管アンプ(残留ノイズが真空管アンプっぽいので だがノイズさえもリアルである)で切ったもので 独盤のご本家はSX68+半導体アンプ(ぽい音である)ではないかと勝手に推測している
これは前から何度も何度も言っていることであるが 70年前後のこの頃は日本のカッティング事情のまさに「特異点」であり この盤をはじめとして。。。アン・バートンの「ブルー・バートン」(SX68サウンド盤)などなど。。。素晴らしいカッティングが散見されるのであります 吾輩はこれらの優れ盤は ある特定のカッティングラボで切ったものでは無いかと睨んでいるわけであるが なかなか証拠はつかめないのである というか執着心が足りないわけである(盤面にラボの刻印とかあるのか。。。さてね?)
まぁこの話は何度もしたのでそろそろ顰蹙ものだろう

 blue burton / CBSSONY SX68 Sound
blue burton

ご本家オリジナル盤より遥かに音が良い(はず) ご本家よりソニーのカッティングラボのカッティングアンプ(真空管式)のほうがずっと優れているからと睨んでいるのである 吾輩はオリジナル盤を買って証明する気はないが どなたか勇士がおられたら結果をお報せくださると有難い(←ムシのいいことを!)




   とりあえず きょうはこれでおしまい あでぃおす!




 ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜





2024年02月05日

オーディオひとりごと・・・番外編(冬の日の回想 パート2)


 今日はこれから雪になるらしい

  が 北陸の寒村生まれの吾輩にとっては

   雪は いつでも旧交を温められる友人である


  屋根の落雪で出来るちょっとした小山が

   ゲレンデだったわけである

  真冬の月明かりの夜は

    雪が青く光って恐ろしいほど透明である

  決して拭う事のできない記憶である


song for myself



 吾輩なりにでも「良い音」の解明に少しづつ進歩はしてきた(かな)

    が 最後は「哲学」に頼るしかないと思うこのごろである

   はたして将来 エネルギーの法則の呪縛から

     解放されることなどあるのだろうか



records



  「うた」の赤い情念の数々である


vocals



 「ビバップ」とは



joe albany



 内省的なエヴァンスって

   レコード会社が創った虚構なのか



evans




bird



 バード!

   この時の大運河を飛翔するカモメ 

    いまどうしているのだろう




 ♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


「哲学」なんて言うと大げさだが 音響学や物理学 量子力学 生理学 脳神経学 あとなんだろ 美学的な要素も必要か まぁそれらを統合して俯瞰的に考えるって意味合いなんだがね ボキャ貧でうまく言えない

どっちにしても今みたいに電子工学一本やりじゃ袋小路だ
よい例がLTspiceの解析だね いくら性能が良く出ても「音質」となるとまったくわからない

先生も回路だけでなく TrやCなどパーツに拘りを持たれているのも 「音質」という掴みどころのない世界に道を通そうとする そういうことじゃないのか


Coral H-105_1


「チッ チッ チーッ!」っていう金属質感の素晴らしい切れ味とハーモニー

  これを電子工学的「解析」で予測できるのか?



 NO.248
urbie green_


 と言ってはみたものの 

  まぁドンマイ ドンマイ。。。




   とりあえず きょうはこれでおしまい あでぃおす!



 ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜







2024年02月01日

オーディオひとりごと・・・番外編(冬の日の回想) 2.3〜 延命措置続く


 いやなに ただの 冬の日の回想である

    失ったものしか愛せなくなった老人のたわごとである


 なぜか記憶は 近いものからぼやけていく

  だが 遠い記憶は鮮明になっていくのである

     真空管式ラジオから流れていた音の

   遠い記憶は 脳にこびりついているのである



swans


 今年は 池の白鳥はもう居ない どこかに旅たったのか

   白鳥は静かに警鐘を鳴らす


  桜の蕾はまだ硬いが 春は近い



2A3 amp





Coral H-105_3


 自作という行為は アンプにうたを歌わせることである

  と 詩的な言葉をつぶやいてみたが

 すべてを制しているのは

  エネルギーの法則であると知るのである



french ballads


 ブラッサイはモノクロームな印画紙に

  これほどの美を定着させることが出来たとは



hal mcksick



 70年前の恐るべき音である


monica



  その「うた」である


palladium





bill evans



 冬の日の雨上がりのパリ

   雲間からこぼれる光線に映える 街並みの美しさは

    今も 記憶の印画紙に焼き付いている

  幸福感に満たされる回想である


paris



 静かな冬のセーヌ河沿い

 今年のパリ・オリンンピックでは

  この辺り 人でごった返すのであろう





 ♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜



ここんとこふだんあまり聴いてない2A3ロフチンとaxiom80の 慣らし運転(延命措置)中だが このパット・メセニーとジム・ホールのデュオCDをaxiom80でかけると ヴォイスコイルがマグネットに擦れてビビリが入ることを思いだした

やばい? いや 慣らし運転が捗るというものだろう


pat&jim


このCDの録音 ギーターはライン入力なのかピークが凄い

あとデュオという事で 少ない楽器ほどそれぞれにあてがわれるデジタル的リソースが多いってこともあるだろう

で ところどころビビるってわけだ



axiom80

以前は既存のネットワークを使用してASWウーハーとaxiom80を周波数分割していたが 今はAxiom80だけはNWはスルーでフルレンジ仕様である そしてASWウーハーとツイーターは6dB/octでクロスさせているわけである NWを通さないaxiom80はやはり一皮むけた瞬発力をみせるが やはり高域はアバレている感じで ツイータH54HDの高域に比べると少し濁っているのである オリジナルのaxiom80はもっと高域がリニアなのではないかと思うが 決定的に違うというほどでもないのではないか
このエンクロージャーは気に入っているがASWウーハー帯域とaxiom80の低域との繋がりに問題が無きにしも非ずだ axiom80の低域のほうが速く減衰してしまい そこにASWウーハー帯域のゆったりした低音が加わるわけである つまりもう少しAxiom80単体の低域を下まで伸ばしてやりたい のだが 方法が難しいのである バックキャビティが小さすぎるわけである また バッフル板から浮かしたことも低域のタイトさを増長させているわけである
さて 将来 このシステムを改善する気力は芽生えるのであろうか。。。




Axiom80! やっぱり能率の高い(振動板が軽い)SPらしく”パーン”と軽々と出る が 前ほどビビらなくなった なんでやろ?

ビビリ対策で ユニット を上下ひっくり返したんだっけかな。。。忘れたなぁ




   とりあえず きょうはこれでおしまい あでぃおす!



 ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜







2024年01月26日

オーディオひとりごと(備忘)・・・解析ことはじめ(またヒーター?)1.28 日々加筆


 遅ればせながら 新しい年の

  「解析事始め」はやはりヒーターである

  「初めに電子生まれる処」 それがヒーター(カソード)である

 吾輩が「情報量」。。すなわち「制動力」。。で前進があるとすれば

  最早 ここしか残っていないのである

    まさに未知の宇宙  

  「音と音楽」の謎を包含する広大なエネルギー空間である



 NO.248 DC6.3VヒーターReg(左右独立Reg化構想)
DC6.3VReg左右独立方式2024.1.22

先生の原回路では三端子RegはLM338だがスパイス・モデルが入手出来ないため解析はLM317で代用している
金田先生がここで三端子Regを使われることに疑問を懐く人もいるやも知れぬが吾が経験ではそれが楽音に付加した音を鑑みると決して侮れないのである やはり先生は天才である
さて 自ら言うまでも無いが 吾輩は掛け値なしの「電気のど素人」である 解析結果にはご疑念もあることと推察する 決して信ずることなかれ
それはそれとして この部分の核心は如何に傍熱管ヒーターを熱的に安定させるか そして カソードから放出される電子を乱さず安定的に放出させるかであり その為にはリプルを如何にして低減させるか に尽きるわけである
さて ログに記録された「.measコマンド」の結果を観るとリプルの平均値は約1mVである この仕様ではほぼこれが限界である 対策はあるも大幅には改善は見込めないのである
それでも 敢えて挙げれば 最も簡便な打開策として平滑Cの容量をさらに増やすことだが 電源部筐体内に余剰スペースが無い また LM338の入力電圧(Vin)を更に高めれば熱交換の代償としてリプルはかなり下げられるはずだが電源トランスTS-201のヒーター用巻き線ではここまでである また adj端子とG間のCを20μFまで増量するとここでも改善はあるが僅かである 他に高度な打開策はあるかもしれないが 制約が多くReg自体としてはこの辺で妥協するしかないと思う
先生の原回路を大幅にアレンジすることも出来るだろうが 先生の音に対する膨大な経験値を蔑ろに出来る理由はゼロである
そういう意味でch間の干渉を低減しようとする「Regの左右独立化」と「更なる配線の短縮化」というコンストラクションの改革に期待するのである



だが。。 吾輩も含めてだが。。「オーディオの常識」では ここは矮小で鈍感な空間と思われているのかもしれない

ようするに ここは 鍋や釜のようにそれなりの熱的容量が在り。。。すぐには冷め難く且つ温まり難くもあるという理由で。。。小刻みな熱的振動にも安定しており熱的な揺らぎを生じにくい というようなまさに日常感覚的な見方である

だが そんな考えは1年前に打ち砕かれたのである 何故なら 如何にリプルによる熱的振動が微弱であっても 影響を及ぼす相手は量子レベルな事象なのだと思い知らされたからである

ということで 青天の霹靂だった1年前の「NO.240 初段NEC 6R-R8 ヒーターReg改良」を振り返って見るとしよう(耳だこではあるが)

 NO.240 DC12.6VヒーターReg 整流平滑部
ヒーター整流基板_1
平滑Cは改良前は10000μFだったが47000μFに増強
併せてDをSic化したわけである
ラッシュ防止用に抵抗も入れた


 NO.240 DC12.6VヒーターReg
12.6VヒーターReg _for1stVer.
5〜6秒の遅延回路を設けた
在り合わせのパーツとはいえグレードは良い



大きくはこの三つの改良だった
(ただ 言っておかねばならないのは 改良と言ってもAC点火だったものをDC点火にしたと言うような大巾なものではなく もともとLM317Tによる12.6VDC点火だったものを改良したに過ぎないということだ つまり 既存のものを強化・改良したに過ぎない なのにあれ程ちがうものなのか ということに尽きる ただしこれは自画自賛になるが 吾がアンプがこの程度の改良による音質変化をきっちりと表現出来るほど鋭敏である可能性があると言うことである)

 さてその三つだが

1,ヒーター用AC電源整流平滑部の強化・・整流DのSic化と平滑Cの増強
2,ヒーターReg出力側の10μFをルビコン製通常品からOS-Conに変更
3,改良前は別筐体電源部にあったヒーターRegを本体側に移設(Reg以降の配線の短縮化)


これによる効果を推量すると

1,は低音の量的覚醒と制動感 リプル減少による空間の透明感
2,は倍音の繊細感 空間の拡張
3,は応答速度(立ち上がりの速さ)の改善
4,1,2,3,による「音響的構造」の拡張


であるが 特に1,と3,が顕著だったわけである

また 4,の「音響的構造」の枠組の拡張は とりもなおさずモノラル再生に大きく影響したと言わねばならない

そして これらすべてが「情報量」すなわち「制動力」に連環したわけである



 NO.248 2ndVer. (ヒーターReg以外は左右独立化済み)
6.3VReg_2

右奥にある小さい基板がヒーター用DC6.3VRegである
ようするにこの狭いスペースに同じ基板をもう1つ埋め込んで「左右独立化」を計り 別筐体電源部に在るAC整流平滑部を更に強化しようとしているわけである




 さて 構想ばかりで実行が伴わないと言う批判は在ろう

 だが 思索を巡らすこの時間が珠玉なのである

   結論を急ぐこともあるまい




 ♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


本文の内容は一年前とほとんど進歩が無いように見えるが 吾輩のなかでは曖昧さが確信に変わった部分もあるのである

それはこの事を考え続けたから確信に変わったのではなく
今日まで生きてきたからである

要は平凡に生活してきたなかで そのことを心の片隅で意識し続けていたからである


 マーク・コープランド(p)とジョン・エィバクロンビー(g)
speak to me


久しぶりにCDを聞いた

2A3ロフチンとAxiom80のならし運転(延命措置?)をかねてである

「speak to me」というこのアルバム

ルフトハンザの欧州便の機内で初めて聞いて 帰国してすぐ求めたことを思い出したのである

要するにドイツ録音のドイツ盤である

それにしても 二人のデュオは素晴らしい!! 音も悪くない! 実にセンスがいい

このこじんまりしたシステムにはドンピシャな音楽かもしれぬ

Axiom80

Axiom80の復刻版である このユニットは30年以上は聞いている 若いころ東京に出て来てオーディオに興味を持ったころから「高嶺の花」だったユニットである 後年漸くにして入手したが Axiom80でとかく言われるような気難しいところはあまり感じたことが無かったように思う まぁオリジナルはどうだか知らない いちど日野無線で聴いたかもしれない たしかエアータイトの6CA7アンプで鳴らしていた記憶があって えらく繊細な音がしていてビックリした記憶はある このユニットはあてがうアンプさえ間違わなければ たいがいそれなりの良い音で鳴るわけである 誰もが難しい難しいと言いながら自分の既存のアンプをあてがってやって満足しているケースが多いのである ヴォーカル帯域がギューンと持ち上がった特性でハスキーさが強調されるのである ゆえに3極管シングルで丸めてしまう方がよい と吾輩は思うのであるが其れが通説でもありなんの独自の視点も持ち合わせていないとの謗りは免れぬ それを補うためのH54HDである 難しいのは低音だけである 吾輩はASW方式で低音を調整しているが 様々な方法があることと思う しかしゆったりとした低音を引き出してやれるかが生死を決するのではないか

それはともかく 吾輩のは見ての通り前面バッフルからユニットを浮かせているのである あまりバッフル板にきつく固定していない そういった工夫が腕の見せ所であり また失敗の要因でもある

このユニットは上のデュオのような小編成の音楽にピッタリである ジャズやクラシックを問わない デジタルとも非常に親和性が高い
以上 もう少し新しい視点でこのユニットを見てもよかろうに 相も変わらず古ぼけた思考でなんのヒネリも無い結論である



SIMENS E83CC






   とりあえず きょうはこれでおしまい あでぃおす!



 ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜







2024年01月12日

オーディオひとりごと(備忘)・・・エヴァンスことはじめ 1.14 日々加筆



 1.12 記す


 さて そのエヴァンスだが

  彼のソロやデュオ盤は

    意外や意外 音質的に不評である

 それどころか 吾が愛聴するソロ盤については

    録音時のエヴァンスが

  スコット ラファロを失った喪失感の渦中にあって

 あてどなく彷徨うような演奏と揶揄されることもある

  だが 吾輩にはそうは聴こえない

 エヴァンスとは 悲哀であろうと 喪失感であろうと

  究極的美に変換してしまう

    そういう錬金術師ではないかと思うからである



 Bill Evans Trio ” you must bileave in spring ”
you must blieve in spring_2

Rec. at Capitol Studios,Hollywood,Aug.23,24,25,1977
Bill Evans(p)Eddie Gomez(b)Eliot Zigmund(ds)
Recording and Remix Engineer,Al Schmitt

B Minor Waltz
You Must Believe in Spring
Gary's Theme
We Will Meet Again
The Peacocks
Sometime Ago
Theme From M-A-S-H




 それはともかく ソロやデュオ盤の音が不評なのは

  じつに不可解である

 ついこないだも述懐したが

   やはり音数の少ない方が音的には優るのである 

  ようするに吾輩とは音の捕らえ方が違うとしか言いようがない


  というわけで ここしばらく針を落としたのは

    ソロとデュオばかりだった

  ので 今夜はこの2枚にしようと思うのである



 Bill Evans Trio " The Paris Concert " Edition.1
パリコンサート

Bill Evans(p)Marc Johnson(b)Joe LaBarbera(ds)
Rec. by Radio France at I'Espace Cardin in Paris,on November 26,1979
Cover Photograph- " Ile de la Cite,Paris 1952 " by Henri Cartier Bresson

I Do It Your Love
Quiet Now
Noelle's Theme
My Romance
I Love You Porgy
Up With The Lark
All Mine
Beautiful Love




 この2枚の中では

  特に「you must bileave in spring」は素晴らしい音質である

  「音響的構造」には「美的世界観」も包含するが

    まさにこの盤はその栄誉をほしいままにする盤である

   この盤に「録音とカッティングの美学盤」の栄誉を与えるに

    何の躊躇も無いと言わねばならない




 ♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜



 夏の色彩はこってりしているが

  冬の色彩は淡いこと限りなしである

   まるで 音の様に 刹那の輝きに満ちているのである


 散歩道にある白鳥の来る池
冬の散歩道



 お気付きだと思うが

 今回の更新はかなり手抜きである

 ので この余白にぼちぼち埋めていくことにしよう


という事でエヴァンスのアルバム「you must bileave in spring」の音である

貴兄がガチなクラシック・ファンであればまったく埒外のことと思うのであるが しかし この盤のサウンドの美しさはジャンルを問わないはずである
以前 吾輩がピアノを習っていた時 吾が先生にジャズの音源を幾ばくかカセットテープ収め差し上げたことがあった そして後日どうでしたと尋ねたが あまり芳しくない反応の中で 唯一先生が関心をしめしたのがこのアルバムの中の曲「B Minor Waltz」と「You Must Believe in Spring」であったと言うわけである

まぁだからなんだと言うことでもないが 言いたいのは ガチガチなクラシック・ファンでも この美しいサウンドには心動かされるものがあるはず ということである

このアルバム 録音はアル・シュミットである 彼には吾輩はもっぱらフュージョン時代に。。。マイケル・フランクスやジョージ・ベンソン スタッフ などなどで。。。お世話になったわけである が 彼のキャリアは50年代からで主にポピュラー畑の録音がおおかったのであろうか だが 極めつけは90年代末のダイアナ・クラールである あの珠玉の三部作のアルバムがアル・シュミットの録音である


 珠玉の三部作の1枚:diana krall / all for you
Here's That Rainy Day_7


アルバム「you must bileave in spring」もそうだが三部作についても 彼の録音は個々の楽器やヴォーカルが実に美しい音で捕らえられている だがそれだけでは珍しくもないのであるが それらの「音」が絶妙なバランスでブレンドされている そうである コーヒーと同じである じつに芳しい馥郁としたサウンドである そして そのサウンドを構成する音のパーツがそれぞれ実にリアルで透明度が高いのである ダイアナ・クラールが唇を開く瞬間の二枚の唇がパチッと弾かれる微かな音が聴こえるのである じつに艶めかしいことこの上ない

しかし こんな陳腐な言葉の羅列より 一聴すればすべてが理解できること間違いないのであ〜る


さて 蛇足ではあるが アル・シュミットの音のマジックを吾が土俵である「音響的構造」の枠組みで考察したいと思っているのだが なかなか難しい 上で述べた「絶妙なバランスやブレンド感」「リアルな透明感」という表現もそこそこ的を射ているとは思うがじつに陳腐である

だが 敢えて述べるなら それ単体では陳腐であっても それらひとつひとつが「音響的構造」を構成する要素として これ以上ないくらい高いレベルを保持しており 其のうえ極めて整理された スッキリしたかたちで融合されている そして何より「美しい」のである そうとしか言いようがない

そうなのだ 実にすっきりとした音場である フュージョン時代の彼の音源でさえも。。。たとえばジョージ・ベンソンの「give me the night」なんか。。。並のエンジニアであれば散漫な騒がしい音場になるところだが 極めてすっきりしていたのである
個人的にこの音場に近いと思うのはスティーリーダンの「ガウチョ」かなと思うのだが どうだろうか そういえばスティーリーダンの「エイジャ」はアル・シュミットの録音だったかもしれない(間違っていたら御免なさい)さて いくらか説得力があったろうか?
だが まさに「百聞は一聴に如かず」である



   とりあえず きょうはこれでおしまい あでぃおす!




 ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜





2024年01月02日

新年あけましておめでとうございます 1.3 加筆&追記 1.6_7 追記



 令和6年 元旦 記す


 新年あけましておめでとうございます

   今年もよろしくお願い致します




 Live At The Village Vanguard
  (Sunday At The Village Vanguard)
village vanguard_320
        LumixG1+CarlZeiss Biogon28mm(G) f4.0 1/320

 Bill Evans(p)Scott LaFaro(b)Paul Motian(d) Rec.NYC ,June 25,1961
  Gloria'sSteps
  My Man’s Gone Now
  Solar
  Alice In Wonderland
  All of You
  Jade Visions




 さて 吾輩は 今年も

   「エヴァンスに明け エヴァンスに暮れる」の予感

 とは言え エヴァンスのピアノのタッチの美しさを

  「音の立ち上がりの瞬間」という 究極の刹那に追い求める

 そんなオーディオが

  ひとつくらいあっても罪にはなるまい と思うのである





 ♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


 さて 今年はどんな年になることか
 もちろん 呑気な吾がオーディオもそうだが 問題は世の行方である
 あちこちで作戦だの紛争だのという「戦争」が起きているわけである
 そして早晩 それらも丸ごと呑み込んでしまう「気候変動の危機」である
 もうとっくに人類終末へのカウントダウンは始まっている
 考えてみれば
  この地球上でかってどれだけの文明が環境変動で滅亡したことか
 自分たちの文明に限ってそうはならない
  などと言う根拠は何処にもないのである
 まったく戦争などしている場合では無い(侵略者こそ責められるべき)
 地球一丸となってこれに対処しなければいけないのである

 と 年初早々 身の程知らずにも大上段に構えてみたが
 吾輩はといえば 
 平々凡々たる日常を 細々と支えつつ
  なんとか糊口を凌がねばならないのである
 そんな生活の「よすが」として「音と音楽」がある

 というわけで 最近はこんな盤がよく回るのである


 最近の座右盤:モーツアルトのオペラ盤たち
モーツアルトオペラ

左から(西暦は録音年)
1,サバリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場管「摩笛」東芝EMI1972
2,ベーム指揮 ベルリンドイツオペラ管「フィガロの結婚 」日G1968
3,クリップス指揮 ウイーンフィル 「ドン・ジョバンニ」 英DECCA1955
4,ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管「ドン・ジョバンニ」独EMI1966

1,の東芝EMIサバリッシュ盤は何年振りであろうか が 驚愕したのである これほど素晴らしい録音だったとは! なんという定位か なんという臨場感だろうか(これもきっと「ヒーター改」の恩恵だろう)

実はここ数年 「魔笛」に関してはアンサンブルの典雅さと録音(とカッティング)の素晴らしさで日本コロンビアのスイトナー盤を愛聴してきた この3枚組である

魔笛スウイトナー指揮
ドレスデン国立歌劇場管

オイロディスク・オペラ
名盤1300シリーズ
日本コロンビア70年プレス
3枚組廉価盤



だが この東芝のサバリッシュ盤は一歩も引けを取らないのである オーディオ的な意味ではもしかすると上回る可能性が大である

吾輩はここ数年 ディーリアスの「音の詩人」シリーズを敵例として 東芝EMI・エンジェル盤の 録音とカッティングの素晴らしさを事あるごとに喧伝してきたのである (もちろん輸入メタル原盤によるプレスも有るかもしれないが)

しかし クラシックファンのなかでは かねてより東芝EMI・エンジェル盤に関しての音質的な不評を耳にすることが多かったのである ようするに マスターテープが米エンジェル経由での孫曾孫テープだの また EMIはステレオ化が遅れたのがずっと足を引っ張っているだのという理由がまことしやかに流布されていたのである だが それは本当であろうか 甚だ失礼だが 単に批評者のアンプがEMIの広帯域に追い付いていないだけじゃないのか

思うに EMI録音は上も下もレンジがじゅうぶんに伸びており 実に高忠実度である 何処と言って奇をてらったところの無い極めて自然な音場感である これにに比べれば「デッカ」でさえも加工臭があって決してナチュラルとは言い難いものもあるのである

レコードの音質について何某か述べる前に まずは「自省」が在るべきと思うのである(失敗経験者弁)




1.3 追記

その「失敗」について少し補足する
実は 吾輩も6〜7年前までは。。。プリはNO.218 パワーはNO.228あたりまで。。。EMI録音について「どうしてこんなに低域が薄いのだろうか?」と思っていたのである 「よほどスタジオのモニターSPの低域がダブダブなんだろう」などとこのブログに書いていたのである
ところが現在に至っては「なんと深々とした制動のきいた低域なんだろうか」に変わってしまったのである 同じレコードである

ようするに アンプに対する「エネルギーの与え方」でまったく様相が違ってしまうわけである

思い返すに 当時はまだ最低域における「低音のエネルギーへの渇望」などこれっぽちも認識しておらず 自分のアンプの何がウイークポイントなのかぜんぜん気付いていなかったのである 何処の何をどうすれば隠れた最低域が覚醒し姿を現すかなど ぜんぜん認識していなかったのである
そんな状況で 公然とレコードの音質評をしていた まさに笑止千万である

と言うような 経験から 吾輩は最近はレコードの音を貶す事はいっさいやっていない 良いものを誉めるだけである 「録音とカッティングの美学盤」しかりである




1.6_7 追記

今もなおその「エネルギーの与え方」と「傍熱管ヒーターReg」の関連が頭から離れない そこで起きたことは 吾輩にとって未だ「トラウマ」である
ここでもっと低音を覚醒させることが出来るはずである 全帯域にわたって「情報量」でさえも拡張させることが出来るはずである 其処だけをとっても吾輩はまだ半分くらいしか成していないはずである
「ヒーターReg左右独立化」も1つの手段であって それでパーフェクトなどとは在り得ない事であろう さーて どうしたらよいのか?

ここをLtSpiceで解析をやっていたのは1年以上前になる 頭の中をもういちど整理してみよう まず

1,「傍熱管ヒーターReg」による音の変化は「信号系Reg」が及ぼす変化と同じである(まずこの認識が大事である)
2,1,だとすると「傍熱管ヒーターReg」もその対策としては(一般論としてだが)「物量」と「質」があり得る
3,2,は ようするに「物量」はヒーター用電源トランスや平滑コンデンサーを大容量化(インピーダンスを下げる リプルを低減する 低音のエネルギーへの渇望を満たすなどのため)するなどであろうか 「質」は三端子Regの高性能なものを選定する また整流ダイオードの高速化 及び 出力側のCの高速化などもそうである
4,その「質」のなかに「左右独立Reg化」も入るだろうし なんなら個々の傍熱管それぞれにRegをあてがうことだって有効な方法であろう それと Regをいかに真空管の近傍に置くかということもあるはずである
5,しかし これらは究極の方向性に観え有効であることは間違いないが あくまで常識の範囲内の対策である(経験済みの過去の延長線上である)
6、ようするに「常識」が見落としている対策がきっと在るはずなのである





   とりあえず きょうはこれでおしまい あでぃおす!




 ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜





2023年12月08日

オーディオひとりごと(備忘)・・・懐かしい場所  12.9,10,11 追記:情報の抽象化などなど 12.31 年末のご挨拶



 12.8 記す


 このときのエヴァンスの心のうちは

   虚ろだったか ひとつの思いに沈潜していたか知るよしもないが

 紡ぎ出された音は

   湖底の湧水のように澄み切っていたのである


 そうなのである

  吾輩は またエヴァンスに戻ったのである

   なんと懐かしい場所であるか

    なんと心の休まる場所であることか



 Bill Evans / easy to love
easy to love

 Recorded,New York 1956,1958,1962
 No Cover, No Minimum
 Some Other Time
 Easy To Love
 Danny Boy
 Like Someone In Love
 In Your Own Sweet Way




 この場所は 桜の季節以来であるから

   ほぼ8か月ぶりの回帰と言っていい

  とはいっても エヴァンスはいつも心のなかにあった

   が 彼のレコードに針を落とすかどうかは 別なのである

    むしろ この日の為に 避けていたのかもしれない



 Bill Evans / solo sessions vol.1
solo session vol.1

Recorded at Sound Makers Studio 1963
What Kind of Fool am I?
Medley:My Favorite Things, Easy to Love,Baubles Bangles and Beads
When I Fall in Love
Medley:Spartacus Love Theme,Nardis
Everything Happens to Me
April in Paris




 久しぶりにこれらの盤に針を落とすと

  音がいっそう澄み切って聞こえる

   立ち上がりも更に俊敏に聞こえるのである

 そんなこと あろうはずも無いが

   アンプが 最適解を求めて

  あたかも「ディープ・ラーニング」しているかのようである

   いまも日々 成長しているのである




 ♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


 またエヴァンスである

読者諸兄は いささか食傷気味なことは分かっている ので ほんとうは今回の更新で サバリッシュ&バイエルンのモーツァルト「魔笛」を採り上げる予定だった だが その盤を回した後に 何気なくエヴァンスのソロ集を取り出したのである

そして 改めてその美しい音に感服したわけである

これほど美しい録音はクラシックの世界でもなかなか見つからない
オーディオ的にいっても これほど立ち上がりの速いピアノは思いつかないのである 低域もゆったりとして実にリアルである

「Easy to Love」はソロの部分はRay Fowlerの録音 「solo sessions 」はBill Schwartauの録音である 美的世界観も音響的構造も違うが どちらもまさに「録音とカッティングの美学盤」である

やはり 吾輩にとってはエヴァンスとこれらの盤は別格である

個人的には これに比肩し得る音楽は ディーリアスとフォーレしかない いや あとモーツァルトも付け加えなければいけないのである


さて 話は変わるが 一歩前進である


 「NO.240 2nd Ver. 」IVC用プレート抵抗入手!
ススム抵抗

背後はクリップスのモーツァルト「ドン・ジョバンニ」(英盤)である
さて 若松さんにも在庫が無く 入手難だったプレート抵抗(ススム)を若干確保することが出来た ようやく一歩前進である
やはりこの抵抗でないと 基板の景色がピリッとしないのである
パーツが全部揃うまであとひと踏ん張りである




12.9、10 追記

何度も言及していることだが 上で紹介した「Easy to Love」は日本ビクターが81年にプレスした日本盤である だが ジャケ裏の記載と音から推し量るに米ファンタジー社が提供したプレス用メタル原盤によるものらしい(この判断は吾輩の場合は盤面の記号数字より音が優先である) が もともとこの盤は米ファンタジー社の「Conceptions」という2枚組アルバムから主にソロ演奏を中心にした部分をビクターが独立させ発売したものではないかと推量する が 言いたいのはそこでは無い この日本盤の「Easy to Love」と米盤の「Conceptions」では ソロ部分に限った話だが 音質が違うのである 米盤の方が更に素晴らしいのである 立ち上がりも更に俊敏なように聴こえるのである プレス用メタル原盤はおそらく同じであるにも拘わらずである
何故なのか? よく言われるようなビニールの素材 硬度といったことなのか それとも。。。で 実に不思議である

これも何回も述懐していることだが 

1,モーターの回転エネルギーが根源であるレコードの楽音エネルギーは楽音情報として 盤面の「溝」に運動(振幅)というかたちで抽象化され記録されている わけである

2,1,であるがゆえにレコードの製造工程で何回も転写が行われても 情報の減衰欠落が発生しないわけである(正確には最小限に抑えられると言ったほうがよい)

3,つまりレコードのワックス盤からスタンパーへ そしてレコード盤そのものに至るまでの工程は エネルギー変換が行われる「エネルギー空間」では無いという事である これが「抽象化」の本質である

4,もし3,の工程がエネルギーそのものの転写が行われる「エネルギー空間」であったら「情報量」の減衰欠落は免れないのである

5,そういう意味で レコードの製造工程やレコードそのものが 甚だしく原始的に観えるのであるが そうではない 1本の溝に刻まれた情報を工程の最後まで温存できる極めて合理的な方法であると言わねばならない

6,1,〜5、までから類推するに 上の例で言った 同じプレス用メタル原盤であるにもかかわらず音質差が生じるのは やはりビニールの素材が大きな要因だとする考えは一理あると言わねばならない

7,6,はもちろん100%とは言えない なぜなら DMM方式のようにレコードの製造工程を簡略化すると 確かに「情報量」が改善されるのである ということはレコードの製造工程(転写)においても やはり情報の減衰欠落は免れない だが それが情報の抽象化によって最小限に抑えられている そこが重要なのである(推察するに「テープ同士の転写」より情報の減衰欠落は遥かに少ないのではなかろうか つまり 「テープ同士の転写」とはエネルギーの転写であり すなわち「エネルギー空間」そのものなのである と 最後の部分はわかる人にはわかる蛇足であった)


以上である





12.11 追記

上で言った

推察するに テープ同士の転写より レコードの製造工程の転写のほうが 情報の減衰欠落は遥かに少ないのではなかろうか
つまり「 テープ同士の転写」とは「エネルギーの転写」である すなわち そこは「エネルギー空間」そのものなのである


ちょっとクドいが これを更に嚙み砕いていうと ようするに レコード(の製造工程)という「運動」に抽象化された情報の転写より テープからテープといったエネルギーそのものの転写のほうが情報の減衰欠落が多いのである

端的な例が これは我々がふだん痛切に感じていることだが 海外からマスターテープを取り寄せ日本でカッティングした盤より 輸入メタル原盤を日本でプレスした盤の方が 音が良い 情報量が多い ものが多いように思われる これはやはり 日本に送られてくるマスターテープは何回も転写されたものである場合が多い事によるものではないかと推察する 孫、曾孫テープだかなんだか知らないが3回、4回と転写されたテープだと悲惨なことになるのは想像できよう
それに反し 輸入メタル原盤がオリジナルに近い上流のテープで製作されたものなら(この確率は高い) 音質は 情報量は 高いレベルで維持されているはずである

吾輩はテープ再生はやっていないが そういう意味で かって日本で市販されていた音楽テープより 輸入メタル原盤でプレスされたレコードのほうが音が良いということも起きうると思う もちろんこれはレコード再生用のイコライザーの性能次第であるにしても。。。である

そうそう蛇足だが 上でレコードにおける「情報の抽象化」と言っているが これはデジタルで言うところの「情報の符号化」とよく似たやりかただと思う デジタルは符号化しているから何回転写しても情報が落ちないわけである そういう意味で優れた方式なのであるが 惜しむらくは アナログ録音をデジタル化した際に 極端に情報が喪失するわけである 諸兄はどれくらい喪失するとお考えなのだろうか 吾輩は数%〜10%程度になってしまうのではないかと思っている ようするに 耳には聞こえない高周波領域がバッサリと無くなるわけである これは「空間の厚み」に大いに影響するのである(個人的見解)




12.16 追記

あいかわらずアクセス数は低調である それどころか 恐らく過去最悪である
やはりエヴァンスのソロ集はレコードの世界でもマイナーな存在なのであろう(こんないい録音ないのにねぇ。。。とほほ)

いや 世の中にはエヴァンス好きは数多居るはず およそジャズ好きを自認するならエヴァンスへの共感は必須じゃなかろうか

だとすると ようするにだね そもそもが このページのキーワードであるところの 「金田式アンプ レコード エヴァンス ピアノ・ソロ 音質」というこの組み合わせ よりによってマイナーなものを選りすぐってズラリと直列に並べているわけである
しかもだよ この「音質」とて 一般論的な其ではない 極めて刹那的な「透明感」とか「応答速度」とか言った 究極の立ち上がりの表現がどうだ とか言っているのである マイナーと言えば聞こえは良いが 悪く言えば「偏執的」ないしは「偏執狂」といった言の葉こそ相応しいのではないのか
(いや そもそもよ わざわざ金田式アンプみたいな敷居の高い世界に没入する その意図とは何ぞや?と まさに吾輩みたいな 音に対する聴覚ないしは脳の刹那的な反応が織り成す 究極の「音の曼荼羅」を求めるためではないのか?)

誰か「オレもこの盤にはズバリそう思っていたよ おおいに共感するよ!」と言う御仁は居らぬか

と 負のスパイラルに入って いささか自虐的な今日この頃である
(ようするに くそー 次こそは究極の「アクセス数ゼロ」を目指してやろうぞえ という気分。。。とほほである)




12.31 年末のご挨拶

本年もご愛読いただきありがとうございました

しばらく更新しておりませんでしたが このところ一週間以上になりますか 年末恒例の大掃除で忙しくしておりました

さて 皆様方におかれましては如何お過ごしでしょうか?
きっと 今年はこうだったから来年はこうしよう などと夢を膨らませておられることと推察致します

吾輩はと申しますと 今年はご覧の様に 製作の方ではエポックメイキングなことはひとつもありませんでしたが 一昨年の暮れに行った「傍熱管ヒーターRegの改良」がいまだに影響力を及ぼしている状態です なんと言いますか「音響的構造」がじつに強靭になった と言いますか。。。

という事は やはりここにもまだやり残したことがあるはずです

たとえば 現状まだ手付かずの「ヒーターReg左右独立化」ですな 未だにここだけが左右のchが交錯しているわけです これがどんな悪影響を及ぼしているかは想像するまでもないでしょう

これは来年には是非とも是正しなければならないでしょう

さて では続きはまた来年に ということで

皆様 どうか良い年をお迎えください




   とりあえず ことしはこれでおしまい あでぃおす!




 ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜





2023年11月24日

オーディオひとりごと(備忘)・・・Duo と Duo2



 11.24 記す


 再生オーディオにおいては 低音はことのほか難しい

  と 言うことに 異を唱える者は そうは居るまい

 他の帯域は やるべきことをやれば 何とかなるが

  低音はそうはいかない

   それは 誰しも身をもって痛感している事である  

  それは何故か

 それ自体のエネルギーが大きい事による

  大のエネルギー喰いであることが関係しているのか

 吾輩の「糸でんわ」モデルにおける考察でも

    「低音」がいちばん難しく 実りも多いのである

   制動の効いた低音と そうではない低音

  いったい 何処にその違いの要因を発見するかである


 もちろん この盤にもヒントは隠されているハズである



 Duo2  / kenny Drew & Niels-Henning Orsted Pedersen
   steeple chase 1974
duo2


「今月の獲物・まだ聴いてません」で入手したことを紹介した「Duo2」であるが ようやくここにきて針を落とす事ができたのである
さて 第1作目の名盤「Duo」はだいぶ売れたのだろう ほぼ1年後の「Duo2」の再録音である 柳の下に2匹目のドジョウは居たのであろうか だが結論から言うと この2作目「Duo2」は完成度では1作目「Duo」に及ばないのである 美意識が結果的に「音」に向いたのか 陰翳が及ばないのである ただ 2作目「Duo2」の方がピアノ自体の音は1作目「Duo」より上である 実は ピアノの音に関しては1作目「Duo」はあまり品位は高くなかったのである ベースを引き立てるためにやや後景に配したのみならず なんとなくピラピラした音が付帯するキーがあった ようするにスタジオのピアノのチューニングがあまり上質ではないわけである だが ペデルセンのベースは両作とも 圧倒的に素晴らしい音で捕らえられており 大いに救われるのである ベースを前面に配した録音は数限りなくあるが「制動力」が美的世界観を醸し出す低音は少ないのである
2作目「Duo2」について敢えて言えば 同じコペンハーゲンでも収録スタジオは1作目「Duo」と違う様である とうぜん音のイメージに戸惑いは生じる それにこれは個人的な印象だが 1作目の収録に漏れたテイクをカップリングしたと思しき曲もある 更には 2作目の収録は日を跨いで行ったことも起因してか 全体的に録音がバラついた印象である デュオというスポンテイナスな演奏形態が売りなのであるから 音に一貫性が保たれているほうが好ましい ちょっと残念である
ところがである「Duo2」B面2曲目「a child is born」は それらのモヤモヤが吹っ飛ぶくらいの素晴らしい録音である 「音響的構造」が素晴らしい ベースもピアノもどしっとして 骨太の骨格でグイグイと迫るのである アナログだけが持つ上質な空気感とリアルな透明感が横溢しているのである なぜこの1曲だけが突然変異を起こしたのか? これもどこかから引っこ抜いてきたテイクなのか? しかし この1曲があることで大いに救われるのである この曲だけでこの盤を買うのはちと考えものだが 要求水準からして低調な吾輩は満足である 願わくば 凡ての曲がこうであったら「大名盤」だったろうにと せんない夢を懐くのである
アルバム全体の美意識としては1作目には及ばぬが ペデルセンのベースの「制動力」は素晴らしい それだけで聴く価値は十分にある もしこの盤からそれが感じ取れなかったら「低音」については壱からやり直しである




 「Duo」と「Duo2」 

 ペデルセンのこの素晴らしい低音を聴いて

  アナログ伝送における「制動」とは如何なるものか

   と 想いを馳せぬ者は居らぬであろう




 ♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


 さて これは備忘の為 ときどき登場させる話題である

 現状 塩漬け状態の「NO.240 2nd Ver.」

  左右独立Reg部はおおよそ完成しているが

   IVC部のパーツ入手が難航しているわけである

  吾が書斎の机上には(つまり いま手を置いているキーボードの傍)

  未発注のIVC部パーツリストが長らく放置されたままである

 と パーツ入手のせいにしているが

  例の NO.240「傍熱管ヒーターReg改良」のショックから

    まだ立ち直れぬのである

  なにしろ NO.248-EQ「左右独立Reg化」を

    上回る効果があったのである

  もちろん 今の音は両者の効果が加算されたものである

    それにしても である



 NO.240 2nd Ver. 左右独立Reg部(ヒーターRegも左右独立)
LM317放熱_3

奥にはIVC部初段に使う予定のNEC 6R-R8C が3本小箱に出番を待っている
実はその後 WE404Aも入手したのである
実際は NEC 6R-R8でもなんら不満の無い良い音だと思うが 製作の推進力を手に入れるためWEを入手したのである
NEC 6R-R8系は 数年前はその音質的立ち上がりの速さからジャズ系に合うと述べたことがあったが あれから吾がアンプも随分様変わりしたのである 今ならどういう評価になるか WEとの違いを含め ある意味楽しみである




  ようするに アンプの途方もない深淵を垣間見て

    脱力状態なのである

   ヒーターなどは こんなど素人でも発見できた要因である

  ならば まだ気づいていない大変革の要素がきっと在る

  そして 現状の膠着状態を打開するには

   なにか新しい発想が必要なのであ〜る

    まぁ急ぐこともあるまい




11.26 追記

吾輩はバカみたいに「制動の効いた低音」という表現をよく使うが 自然界にいろんな力はあれど「制動力」と言う力が存在するかは甚だ疑問だ 物理現象と聴感上のことは区別しなければいけないと思う
で 吾輩が「制動の効いた低音」という表現を使う場合は つまりは 低音が「生の音そっくり」だと言っているにすぎないのである
ただ オーディオ的な思考では「どうやったら低音の制動力を上げることができるか」と考えることは無駄ではないような気がするが これとて「どうやったら生の音に近づけるか」と考えるのと同じ事である

「糸でんわ」モデルでは 低音をできるだけ生に近い音で伝送するには この単純なモデルのなかで 何処をどうすればよいかと考えるのは非常に有効だった(自賛)ようするに 単純であるがゆえに有効なのである
考えてもみなされ 現物のオーディオシステム(アンプ)は 低音に影響する要素を抽出しようにも とてもじゃないが要素が入り組んで邪魔をするのである

吾が「糸でんわ」モデルでは 引っ張る力(張力=電圧)を高める事(高エネルギー状態) 加えるに 低音の大振幅にビビらない張力を維持・制御するための「自律的能動性」 またその高速化(低インピーダンス化) 低音のエネルギーへの渇望 などなど気付きはあったのだが それを現物のシステムに投影する思考・実践が大事だったのである(正しいかどうかは別)
吾が場合は  ほとんど仮説による実践が先で 出てきた音を検証するための後追いの思考だったかもしれないが 次の方向性を見失わないためにそれはそれで良かったのではないかと思うわけである

ところで「傍熱管ヒーターRegの改良」は「糸でんわ」モデルでは何に該当するのであろうか? と最近頭の中に在る
「そんなもん関係ないじゃろ アホクサ」という方がいたら「お主 まだまだ甘いのぉ」と言いたいのである
傍熱管ヒーターの熱的空間も立派な「エネルギー空間」で リプルも伝送すれば 低音のエネルギーへの渇望も存すると推量できるのである(ならば「糸でんわ」において何処であるか言うに及ばず)
ともかく 出てきた音を自画自賛するだけは思考停止と同じで 次に続かないのである 思考と実践と検証が大事である(と自戒あるのみ)




11.30 追記

IVC部のパーツ入手に若干進捗あり

ニッコーム ススム等の プレート型抵抗器で入手困難だったやつを少し確保することができた

 やや前進である

もう製作を卒業された方がお出しになっているのでしょうかね

金田式御用達パーツで

 部品箱の中で長い眠りから覚めないものが相当あると推察します

  そう思うと ご提供いただいたことに感謝です




   とりあえず きようはこれでおしまい あでぃおす!


    ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜



2023年11月10日

オーディオひとりごと(備忘)・・・記憶のトリガー ヘレン・メリル「with strings」



 11.10 記す


  僕は 澄み切った渓流に足を踏み入れ

  ひと呼吸おいて ゆっくりと とっておきの

   エルクヘア・ガディス(フライ)をポイントに投げ入れた

  上気した頬を 冷たい風がそっと触れていった

   すると 僕の内部に絶妙な均衡が訪れたのである

   まるで 吾が身が この静寂の一部になったかのような瞬間

  と同時に いずこからか ヘレン・メリルの歌声が聞こえてきた

  そのメロディは「end of a Love affair」

    僕は その歌を聞くと金縛りになってしまう

   この世のものとは思えないほど美しい歌

  その後の幾投かは

    ただ静寂と黙想のなかで過ぎていったのである



 Helen Merrill With Strings/Mercury(Emarcy) Records1955
h merrill with strings
 LumixG1+CarlZeiss Planar45mm(G) f2.8 1/3

何故かこのアルバムを聴くと吾がフライフィシング行の情景が浮かぶのである もはや夢とも現実ともつかぬ記憶であるが これらの歌が想起のトリガーになっていることは確かである
さて 様々な愛のカタチの歌である  とりわけ「lilac wine」「end of a love affair」「beautiful love」「when i fall in love 」など 彼女の喉から滔滔と流れ出る哀愁 その美しさは筆舌に尽くし難し まさに この世のものとは思えぬのである 若さ故なのか 胸が苦しくなるほどの透明感を帯びた哀愁である 吾輩にとって 彼女が この浮き世の住人だとは信じ難いことである 

orchestra conducted by Richard Hayman ,Recorded NYC,Oct 1955

lilac wine
anything goes
mountain goes
beautiful love
comes love
end of a love affair
when i fall in love
the masquerade is over
just you, just me
spring will be a little late this year
you won't forget me
wait till you see him




 さて 冒頭は 吾輩にとっての理想のフライ・フィッシングである

 現実は フライを枝に引っ掛けたり

  清流にハマりそうになったりの珍道中である

 また下は 吾輩にとっての理想の釣り場である

   だが こういう景観になるころには禁漁期間に入るのである


 とは言え 理想と現実の狭間は埋めることができる

     それが「夢」というものである

    人は 夢の中に生きることが出来るのである




wiyh strings ooashi

merrill with strings momiji

helen merrill with strings



さてさて 本題である

 この夢のような盤の「音」を語らぬわけにはいかない

この盤を回したのは 実に5年ぶりくらいだった

その間 アンプは大いに様変わりした

 NO.248-EQは「左右独立Reg」となった

  また NO.240は「ヒーターRegの改良」があったわけである

その結果は言うに及ばず

  読者諸氏がうんざりする美辞麗句の羅列である

しかし だれもその音を想像できないし

 それ以前に「信ずるに値しない」と考えるやもしれぬ

そうなのだ 音とは

 記憶のトリガーとなりうるほどの極めて個人的なものである

 その様な世界に果たして真理など存在するのであろうか


とは言え その音は 吾輩のなかで どう変わったのか語ってみよう

以前は モノラルとは

  両SPの間に如何に点音源として存在し得るか

 だったのである

ようするに この「点」が如何に極小に近づくかが焦点だったのである

実際は両SPの中間に15cmから20cmくらいの大きさの音像として存在しているように見える それは恐らく左右の耳の間隔からくる位相差が結像させるものであろう

ところがである 現在は 実に不可解なことが起きているのである

すなわち その音像は 「点」を超えて拡がり

 まるでステレオのような音場を構成せんとするかの如くである

 だが 意識をSPの中間に集中すると

  明らかに いまなお「点」を維持しているのである

   いったい 何が起きているのであろうか? 

      実に難題である




♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


もう10年近く前になるか

この盤 今回と同じコンセプトで紹介しているのである

当時は まだプリもメインもモノラル再生は古典的球アンプだったが

 同じように音を賞賛していたのである

ことほどさように 所詮「音」とは夢幻である

 空中に発したと思いきや 捕まえる前に雲散霧消するのである

  理想の音に届いたと思いきや たちどころに遠のくのである

 そんなものに何らかの規則性を見出そうなどと

   笑止千万なのである


 はじめに断っておかねばならない

 そもそも この盤 歌が良いから 音が良く聴こえるのか

  音が良いから 歌が素晴らしく聴こえるのか

   自分の中で判然としないのである

    美と音が 渾然一体である



 「録音とカッティングの美学盤」
  Helen Merrill With Strings/DMJ-5006 盤面
with strings 盤面

この盤 日本フォノグラムが91年に「究極のアナログLP」として復刻したシリーズの1枚である 吾輩もこのシリーズは何枚か所蔵している 思い出せるものでは「モニカ・ゼタールンドとビル・エヴァンス」であり「ピム・ヤコブス・トリオ」であり 同じくヘレン・メリルの「ニアネス・オヴ・ユー」である あとフランキー・レインの「ザッツ・マイ・ディザイアー」もこのシリーズを所蔵していたと記憶する
このシリーズは(所蔵しているものに関しては)素晴らしい音質だと断言できる それは「モニカ・ゼタールンドとビル・エヴァンス」の1曲目に針を落とした瞬間に判ったのである 従って これらの盤すべてが「美学盤」の資格があると言っても過言ではない

盤面のタスキにある通り ポリグラムが開発した「最後のカッティング・システム」とSX-74カッターヘッドによる「極微細・高密度カッティング」および「メタル原盤のポリシング仕上げ」という能書きに偽りは無いのである 「情報量」は極めて多い それはカッティングレベルが高い事も大きな理由である また 音の行間の静寂さ 内周では破綻し勝ちなトレーサビリティの安定感 これらはやはり微細・高密度カッティングと原盤のポリシング仕上げが効いていると看做すが妥当だろう
またよくオリジナルテープの劣化が云々されるのであるが この盤は録音から36年後のカッティングによる再発である にもかかわらず吾輩には 他の要因を考慮しても まだオリジナルの90%程度の純度を保っているように聴こえるのである(勿論オリジナルは聴いたことはないが 音の品位から想像するに) つまり 劣化は条件次第であると言っておかねばならない(蛇足:昨今の再発レコードはおそらくアナログオリジナルマスターから作成したデジタルマスターによるカッティングが多いと思われるが このAD変換によって瞬時に音の「劣化」が起きるのである むしろそちらの方を問題とすべきである しかし この違いは わかる人にしかわからないのかもしれない)

さて 5年ぶりのこの盤の音 吾がアンプは えも言えぬ美しさに加え強靭な「音響的構造」を表出してくれたのである 5年前のこの「音響的構造」の枠組みは今の60%程度ではなかったろうか 実に箱庭的だったと今にして慚愧に堪えないのである その差40%の内訳は おそらく「左右独立Reg」の効果が 15%で 「ヒーターReg改良」は 25%程度の感覚である
本文で言った不可解な現象は この「音響的構造」の拡張 の効果と思われるが 結論には時期尚早である
ところで 1955年録音と言えば どこか古色を帯びた響きを隠せないのであるが この美しさはなんとした事か バックのリチャード・ハイマンが指揮するストリングスのなんと儚く美しい事か 弦の絹ごしの倍音が哀愁を いやがうえにも掻き立てるのである ヘレン・メリルは自らの声が(恐らく別録りである)バックのストリングスと被さった時のハーモニーを強く意識してヴォイスコントロールしているようである リアルと言うには余りにも夢のような美しさである いや5年前も美しかったが 其の比ではない ストリングスとヴォイスが耳の有毛細胞に吐息を吹きかけるようである 吾を失うほど美しい「end of a love affair」と「when i fall in love 」を聞き給え 実にこの世のものとは思えぬ感情の表出ではないか なんと凄い歌手であることか

この盤 SX74のカッティングである 吾輩はこのカッターヘッドにあまり良い印象は持っていないのであるが システム全体のグレードを吟味し 適正なる高カッティングレベルと 入念な製盤工程を加えれば 十分欠点を補うことができるという証左ではないか

1991年というと かっての(1回目の)レコードの終末期であったわけだが レコードという滅びゆくメディアが最後に成熟度の頂点を示したと言うにふさわしい素晴らしい盤である




11.13追記

この季節になるとこれもかな。。。

この盤と「with strings」は 編成の違いはあれど

低域を土台にした「音響的構造」は共通したものがある

レコード会社が同じだし 録音年も近いからね


 Helen Merrill With Clifford Brown
what'sNew



この盤「You'd Be So Nice to Come to 」の熱唱で一世を風靡したが

 今もそうなのか 若い人たちもそうか

 我々世代はこの歌

  いい歌とはおもっても 聴き過ぎて いささか耳タコなのである

  吾輩にとっての必殺ヴァージョンは「What's New」でござる



11.17 追記

モノラル盤が「点」を超えて ステレオのような音場を生成しだした
という本文でも述べた 昨今の摩訶不思議な現象
それは アンプの改良によって「音響的構造」が拡張したからではないか
という仮説を立ててみたが とすると 構造の要素の何が拡張したのであろうか

1,音場を構成する個々の楽器の 音像の大きさと音圧
2,音場内におけるそれらの配置
3,それらの帯域的バランス
4,低域 低音と言う 音楽のファンダメンタルな部分のリアルさ 美しさ 存在感
5,演奏者とエンジニアなどの製作者側の美意識がすぐれて表出しており無二のものかどうか
6,それらが統合された状態での美しさの程度 リアルさ 訴求力 臨場感


さて 1,から4,までは「「音響的構造」」の要素になるものである ようするに 何をもって「音響的構造」と判断するかである そして 5,と6,は その「音響的構造」を何をもって「良い」と判断するかである
という事は「音響的構造」が拡張するとすればその要因は1,から4,の中に在るはずである 1,から4,全部だと言っても良いが。。。
にしても これでも完全には説明し切れていないのである



11.19 追記

ここんとこアクセスが極めて低調である(トホホ)
ウイズ・ストリングスものはやはりダメである
正統派ジャズファンからはソッポをむかれ
クラシックファンは端から振り向かないのである
真正オーディオファンは うら寂しい音楽には興味なく ドドーン パキーン が良いのである
だが 吾輩は大好きである
オーディオ的にも難しく面白いのである。。。がなぁ。。。




   とりあえず きようはこれでおしまい あでぃおす!



    ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜



2023年10月27日

オーディオひとりごと(備忘)・・・3枚のフレッシュサウンド盤:「座右の名盤」ここに在り 追記「音響的構造」とは



 10.27 記す


 もう この季節になったのか

  吾が 少年時代の幻影

   「吹雪の沈下橋を渡る少年」が現れる  その季節

  なんだろう 冬装束と言うが 心の中もだ


    吾が 平々凡々とした日常

  午前は いつものように

    家周りの掃除と庭の手入れ

     それがおわったら ちょっと走りに行く

   そこで 少年は現れた

    池に差し掛かると 水面を流れる雲間に スッと

         雪の気配を帯びたような 黒い雲だった



 ロジャー・ケラウエイ
 「a jazz portrait of / featuring jim hall」Regina Records 1963
ロジャーケラウエイ

Roger Kellaway(p)Jim Hall(g)b、ds(不詳)録音:1963年

ロリンズの「アルフィー」でのケラウエイの印象よりずっとスケールの大きいピアニストである ここでも 胸を熱くさせるような抒情性で魅せる
さて 早々に音に移ろう 「音響的構造」はどうか ピアノは中央付近にドシッとある 強靭で大きい これは良い ドラムは右だが ことさら主張するわけではない シンバルの金属質感も右トゥイータから繊細でリアルではあるが 決して空気を切り裂くことはない ベースはと言えば やや空気のグリップ力が足りない ジム・ホールは2曲に参加するもバッキングに徹し要所要所テンションコードを差し挟むのみである そうなのだ これは「ソロピアノ+3」である (b)と(ds)が記載無い理由がこれである
この盤 ヴィーナス・レコードからも再発されていたらしい さもありなん 「ハイパー・マグナム・サウンド」だったか あの押し出しの強い硬質な音が目をつけた音源である しかし 吾輩の心が何か囁くのである 何かが欠けている いや 演奏の骨太さに比して何かが余計であると そう言えば ピアノが「夢みがち」なのである 遠くを見ており 眩しいのである 何かしら夢幻的である 調子っぱずれでは無いが 精神的尺度ではオフキーである もちろんあくまで音的な意味である だが これが意図されたものなら まさに「(アーティスティックな意味での)録音とカッティングの美学盤」である この音造りは ケラウエイのオリジナル曲で埋められたアルバムのコンセプトに どんぴしゃりなのではあるまいか この音 この盤 好きである 墓場まで持っていくに値するのである 改めてフレッシュサウンド盤は「わるくない !」と 言っておかねばならない




 走り終わったら 公園で

   ルーチンのストレッチ体操をこなす

     だが 幻影は 目蓋の裏にふたたび現れる




  Herb Geller「stax of saxs」/ Chales Mingus 「jazzical moods」
ゲラーFS盤

Herb Geller「stax of saxs」(jubilee 1958)
Chales Mingus 「jazzical moods」(period 1954)

このミンガス盤は「直立猿人」のような攻撃性はゼロである 普通の尺度では はっきり言って「かったるい盤」である 粟村先生の「ミンガス8枚の傑作」には掠りもしない盤である 正統派ジャズファンが忌み嫌うちょっぴり室内楽的でさえある だが しかしである 吾輩はそこにぞっこん感じ入ったのである こんなにしっくりくる盤は久し振りである この気だるいムードがわが琴線を掻き乱すのである ミンガスと アルトサックスのジョン・ラ・ポルタの共作 「four hands」では まるでゲッツの「ザ・サウンド」に聴ける 退廃の響きを帯びていることに驚きを隠せないのである ちと言い過ぎかもしれぬが この盤 文明が衰退しつつあるこの時代でこそ共感を得られるのではないか 音は 54年の録音にしては素晴らしくリアルだ スタジオの漆黒の空間が見えるが如きノイズフロアの低さは素晴らしい フレッシュサウンドのエンジニアは腕利きであると言っておかねばならない まさに「座右の名盤ここに在り」である

そういう意味ではハーブ・ゲラー盤もである 素晴らしく音がつやつやしている この盤もモノラルだから曖昧さは一切ないのである ゲラーのアルトサックスは良い なかでも9分を超す長尺の「it might as well be spring」でのゲラーはストレートで ことのほか素晴らしい このトラック 演奏が良いだけに 音も飛び切り立っているのである やはりかって ゲラーの主だったものを全て集めようとしたことは間違っていなかった 他者の言に惑わされることなく 吾がナラティヴに従っておれば いずれこういう盤に巡り合うのである  改めてゲラーに惚れ直したと言わねばならない ここでもフレッシュサウンドのカッティングは文句なしである




 ストレッチ といっても 

  1979年版「オーストリア・スキー教程」に則ったメニューを幾ばくか

  もう 40年以上も 馬鹿の一つ覚えでやっている

     つまるところ 山に 雪はもうすぐ来る ってわけである


 昼飯を食ってからの午後は

  新聞と読書

    そののち 健康のため 暫しの午睡

  だが 夕飯までのあいだに 

    ギターの練習を挟まなくてはならない

     趣味であろうとこれは「ならない」なのだ

       1時間半から できれば2時間

  すると レコードを聴く時間は 畢竟 夜となる

   夜はややもすると 魂が「常ならず」と言うが如くで

    針を落とす盤も 情緒に左右されかねない

     偶にだが 晩飯に 聞し召すことだってある

   だからかね 吾輩に「交響曲」を聴く習慣が

       いっこうに根付かないのは

      エヴァンスの「ソロ集」に執着するのは


    ま ともあれ

  昨晩は  さきごろ「「今月の獲物」まだ聴いてません・ジャズ編」

   で紹介した 「FreshSound盤 」の 3枚に落ち着いた次第

    何れも 「座右の盤」と称すに相応しいものである


  ケラウエイの盤が回り ケラウエイ自身の曲

   「and elsewhere (そして 何処へでも)」に差し掛かると

       また 少年の影法師が現れたのである




 ♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


まったく 己れのとるに足らない日常など 臆面も無く開陳できるのは ブログという匿名の空間だからである

そして その 平穏な日常も ひんぴんと「予期せぬ浮世の雑事」に阻まれること 言うまでもないのである

さて 上で紹介したレコードの盤面を載せておこう
3枚ともフレッシュサウンド盤である
比較的忠実に造られていると思うが オリジナル盤を見たわけではない

吾輩の 与太話的レコード評。。。と言っても 音質評が主であるが。。。を見てレコード屋に駆け込むような粗忽者は居ないと確信する

言うまでも無く その必要はまったくない

自分自身のナラティヴの声に従って聴いておれば いずれ 出会うべき盤に巡り合うわけである

ケラウエイの盤がそれを端的に示しているのである

新宿の「びざ〜る」で 彼というピアニストに魅せられて 半世紀以上も空白があったが 今は 座右に彼は居るのである



Roger Kellaway「a jazz portrait of / featuring jim hall」(Regina 1963)
roger kellaway Regina

この音源 オリジナルはモノラル盤も並行して発売されていたらしい が フレッシュサウンドはステレオ盤だけだと思われる ヴィーナスレコードは知らない だが この音源に関しては 上で言ったような音作りである 個人的にはステレオ盤が良いと思う

余計なお世話だが これからジャズのレコードをやろうとするなら「なんでもかんでもモノラルというのは如何なものか」「(モノラルの鏡である)ステレオがしっかり鳴らせていない証左ではないのか」「「良い音への近道はオリジナル盤を入手すること」とは ある意味真理やも知れぬが 普通の盤がしっかり鳴らせていないという可能性はあるのではないか」と疑問を持つことも必要である アンプ他のレベルを地道に底上げし「従前の自分自身の音の基準を超えることを常に志向する」それこそがオリジナル盤に匹敵する音への近道である 半世紀にわたり探究してきた吾輩が言うのであるから 傾聴に値するのである



 Chales Mingus 「jazzical moods」(period 1954)
charles mingus period

この盤 音の厚みは素晴らしい ずしりと制動の効いた低域を土台に構築された「音響的構造」はモノラル盤であることを忘れさせるほどである 上で言ったように音と音の行間は モノラルにはあるまじき静寂さである こういうモノラル盤にはなかなか巡り合わないのである 「真の静寂とは「空間」が不可欠である」が持論であったが見直しが必要なのであろうか(人の「生存のための聴覚」は空間からあらゆる情報を得るのである モノラルのような位相に馴染まない音場は自然界に存在しないのである)
この盤 そもそもは録音が良いのであるが それを余すところなく引き出すカッティングも素晴らしいのである 「録音とカッティングの美学盤」に十分値する盤である



  Herb Geller「stax of saxs」(jubilee 1958)
herb geller jubilee


この盤も 音は上のミンガス盤に肉薄しているが「音響的構造」は吾輩の基準にあと一歩である あくまで吾輩の である おそらくそれは カッティングのせいではなく 録音の性質である 「it might as well be spring」での「音響的構造」が全曲に及んでおれば「選定」であったろうに惜しい




 さーて この余白で何を綴ろうか。。。

   なにも浮かばないのであるが

    思いつくままに述懐してみよう

吾輩が 中学1年生の時だったか 親戚から トスカニーニの「新世界」(RCA盤)を頂いたのである
今で言うところのレコードプレーヤーである「電蓄」も置いておくからねと言ってくださったのである
青天の霹靂 当時の吾が身「田舎の洟垂れ小僧」には 何が起きたか理解し難かったと思われる

ともかく これが吾輩の「音楽事始め」となったわけだ

だが その後の幾星霜 外部から そして内部で醸成した「言葉」によって 音楽をグロテスクなほどに ごてごてしたものに仕立て上げてしまったのである

だが 中学生当時は トスカニーニも知らなければ ドヴォルザークも 「新世界」も識らなかったのである そもそもクラシック音楽とはなんぞや だったはずである

だから 音楽は 「新世界」は 文脈から解体され 純粋な「音」として あたかも言語中枢をいっさい経ることなく 聴覚からストレートに脳内の神経回路に絡みついたであろうと思われる

 ようするに そういう時代に戻りたいのである

   全身で音楽を受け留めた少年時代にである




10.28追記
ここんとこミンガスの「jazzical moods」を毎晩回している 一晩に何回も回すのである ちょっとクセになりそうな盤である
で この盤の予備知識を得ようと思って検索してみたが 情報は実に少ない
間違ってなきゃ もとは十吋盤2枚だったらしい
で なかには「低域が薄い」というような情報もある だが 僕は全く違う印象だ 低域が素晴らしいのである チェロも入っているからその部分を言っているのかもしれないが それもベースに劣らず素晴らしいのである
「対位法的アレンジだ」という印象を述べた情報もある 確かにその通りなのだが そこは 音楽のキモの部分であるから 触れたくないのである

いや 吾輩がもっとも知りたいのは録音エンジニアが誰だったかである 「ピリオド」は誰だったのか? RVGでないことは確かだ
ある情報では ミンガス自身がテープレコーダーを回したとある だが マイクアレンジもそうなのか 信じがたい事である
ともかく 実にいい録音である カッティングもである




10.29追記
ここんとこ盛んに使っている「音響的構造」という言葉 どういう意味なんだろうとお思いの方もおられることと推察
いや「そのまんまでしょう」とか「また変な造語しやがったなぁ」とか ご批判も多々あることと推察 まぁ「造語」と言ってもなんのヒネリも有りませんが

正直に言いますと 自分でもきちっと解かって(判かって?)いるわけでは御座んせん 昔から なんでしょ 低音を土台にした「ピラミッド型のバランス」とか 単に「バランスが良い」とか 「構造」を暗示させる言葉はありましたね でもこれら 周波数的な帯域バランスに偏った表現だったような気がしないでもありません 他に何があったでしょうか 左とか右とか? 上方とか? 奥行きとか?
ことほどさように 実際のところ 眼前の音場ないしは空間に展開する音の「構造」のようなことを 幾らかでも定量的に。。。というのは難しいですが すこしでもイメージできるようなかたちで。。。表現するような言葉というか方法論というかが少なかったのではないでしょうか
僕もいろんな評論家さんたちが音質評で多彩なヴォキャブラリーを駆使されているのを見てきましたが この「構造」的なことを分かり易く叙述されているのは見たことがありません それこそ「ピラミッド型」くらいでした ので ほとんど音をイメージできませんでした

ところが こんど紹介した盤もそうですが この「構造」的なことは まさに盤の良し悪しを決するような重要なことであると再認識したわけです これによって聞こえてくる音楽そのものが変わってくるほどです

自分の中では もともとはこの「音響的構造」という言葉は 空間は無いが音場はある「モノラル」において ステレオの「空間」に対応する「音の構造的イメージ」として使おうと意図したわけです
それが今や 僕の中ではステレオにも拡張され始めたというわけです 考えても見なさい ステレオにおいても 空間は単に「空間」であって決して「構造」のすべてを表わすものではありません(という気付きがあったわけです)

ただ現状は 自分の中でもこの言葉は未成熟で 聴いて「良いものは良い」と言った程度ですが 今後 少しずつ 人様がイメージできるような言語化が必要かと考えています 課題は2つあります まず

1,「音響的構造」を定義する つまり 音のどんな要素を見るか

2,1,の「評価基準」を定義する ようは何をもって「良い」とするか


まぁ 上で使っているのですから 自分の中にぼんやりしたイメージはあるのですから それを言語化してみよう という感じですかね。。。

えーっと 音場を構成する個々の楽器の 音像の大きさと音圧 音場内におけるそれらの配置 帯域的なバランス そして それらが統合された状態での美しさの程度 リアルさ 訴求力 臨場感 あとなんだろ?。。。そうそう やはり「構造」の土台となる低音 低域 は重要だから これは何か特別な視点が必要かもね。。。ここまで述べたこと全てを低音には個別に適用したいくらいだが。。。一言で表せないかな。。。難しいわ。。。時間掛かりそう。。。たらーり;


10.31追記
良い録音と良くない録音を隔てるものは何か?
それは たぶん 感覚的なものにせよ 吾が長い経験によって醸成された美意識が判断。。。いや判断というと頭でやってるみたいだから。。。無意識的な意識が 自分の美的世界観に合致しているかどうか 吾が王国に受け容れるに足るかどうか認証しているのだと思われる

「音響的構造」をどう捉えるか 

1,音場を構成する個々の楽器の 音像の大きさと音圧
2,音場内におけるそれらの配置
3,それらの帯域的バランス
4,低域 低音と言う 音楽のファンダメンタルな部分の美しさ 存在感
5,それらが統合された状態での美しさの程度 リアルさ 訴求力 臨場感


これらを判断しても結論は「良い」のひとことで終わっちゃいそうだなぁ ならばこれらにポイントを配分して点数で評価なんてどうだろ でもね こいうのは粋じゃないんだよね そーんな点数なんて付けられますかってはなしでしょ

まてよなんか足りないな まだまだ未熟だしね 難しいわ。。。

(蛇足 いや 核心かも)写真や絵画の世界では「構図」という構造的な見方があるのに何故 音楽 というか オーディオの世界では生じなかったか
いや音楽の世界ではあるのかもしれない 例えば 交響曲 というか交響楽団の楽器の配置  弦楽四重奏のそれ まあこういうのは聴衆に対して 音の構造的なきこえかたを多分に意識しているように思う では再生オーディオでもあって良いと思うのだが まさか生の演奏をそのまんま届ければ良いと思っているわけではあるまい エンジニアは録音テープを編集するときは 僕が上で挙げたような五つの要素的なことを相当 意識しているはず  なら そういうエンジニアの意図するところを酌みながら聴くこと それこそが「音響的構造」を認識することじゃないのか(此はズバリ正論だよね)
また オーディオメーカーがアンプを開発するときも 低音がどうのこうの 高音がどうの もうちょっと低音を強めよう とかやると思うが それもまた「構造」を意識したものだろう ようするに 提供する側の意識が高いのに なぜ聞く側だけが「構造」に知らん振りしてきたかということだ  全く不可解なことじゃないか

そうだ 上の五つの要素に足りないものが分かった 「エンジニアなどの製作者側の美意識がすぐれて表出しており無二のものかどうか」というのも加えるべきだろうなぁ
 スマホから殴り書き 乱筆御免



11.5 追記
今年の紅葉はだいぶ遅れている
ときどき行ってる名所も いつ行ってよいか分からない
温暖化もいよいよ臨界状態だ

昔の写真でも貼って しばしの慰みにでもするとしよう。。。とほほ

P1040089

P10400944

P1040118

P1040131

P1040148

そう言えば 最近 このアルバム 聴いてないね
ヘレンメリルの「with strings」
大好きなのに なんでやろ? 胸にジーンと来るから?
ともかく 今晩は これ!



   とりあえず きようはこれでおしまい あでぃおす!


    ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜



2023年10月16日

オーディオひとりごと(備忘)・・・ヘブラー モーツアルト「ピアノ四重奏曲」 =「録音&カッティング美学盤」:「小編成」の方が音の彫りが深い?



 10.16 記す


 いやはや 驚きである

 この盤 初めて針を落とすにあたって

  いつものように まずは洗浄し

  その後 仕上げにと レコードクリーナーで拭ったのである

  ところが 盤面の摩擦が強く モーターの回転が

    あやうく 停止してしまいそうに なるのである

 これは 何を意味するのか

  ようするにだ 盤の溝に「情報量」が途轍もなく

    埋め込まれていることを予見させるのである



「録音&カッティング美学盤」 日本フォノグラム SFX-7893
イングリッド・ヘブラー モーツアルト「ピアノ四重奏曲 第1&2番」
ヘブラー四重奏団

イングリッド・ヘブラー(ピアノ)ミヒエル・シュヴァルベ(ヴァイオリン)
ジュスト・カッポーネ(ヴィオラ)オトマール・ボルヴィツキー(チェロ)
録音:1970年4月Berlin , Johannesstift

ヘブラーであるから演奏が素晴らしい事は言うまでも無いが いまは「音」である 「音」と「表現されるもの」は 同列なのである

ピアノはやや奥まった位置にあるが 立ち上がりは極めて速い 中域は ふっくらとした質感 高音域は紫水晶のような なまめかしい光沢を帯びている そして 良いピアノ録音に欠くこと能わざる 音の「溜め」である
弦の合奏はやや手前に位置し しっかりと定位しつつ ホールの残響の中にたゆたい ピアノと溶け合うように消えゆくのである まさに理想的な室内楽の録音である

そして フィリップスの好録音に当然の如く備わっている美質
 弦の倍音が基音と同じ位置に つまり 基音にピタリとくっついて定位
するのである
これは デジタルの倍音が あやふやな位置から聴こえがちなことに反し 「情報量」の多いアナログならではの特質で いかなる高品位を謳うデジタルにも備わっていないアナログの美質であると断言できる(そういう聴き方もアナログの優位性の検証方法としてあるのである)

さて 最後に この盤を選定することになった主たる理由「音響的構造」に触れないわけにはいかない
実は ピアノも弦楽も音像は スピーカーの中央寄りに重心がある ピアノの低音弦の重力も中央付近が密である だが それらは 両スピーカーに泣き別れて拡がる音像に比べ すこぶる落ち着きのある安定した構造をもたらしているのである そして 両スピーカーからは空間の位相成分がたっぷり供給されており 全体としてすばらしく気品に満ちた「音響的構造」を成していると言わなければならない


 盤面・・夜露が降りたかのようないぶし銀の盤面
ヘブラー四重奏盤面

市場価値が数百円しかない ありふれた日本盤を喜色満面で開陳する吾輩である ある意味 嘲笑の対象であろうか いや 高価な盤から それに見合った音を取り出せない方が嘲笑に値するのではなかろうか(←嫌〜なヤツ)

日本フォノグラムのフィリップスレーベルは長年にわたり再発が繰り返され いろんなレコード番号があるように思うが やはり「SFL 」や「SFX」という60年代や 70年代も初期の盤がもっとも音が良いように思われる 後年の盤とどう違うのか それは ピアノでは中域のふくよかさである それによって演奏の佇まいが全然違うのである 敢えて比較すると モーツアルトのピアノものでは 「モーツアルトがモーツアルトであるが為に」は この差は決定的(絶望的?)と言ってもよいくらいである




さて 常識的には オーケストラのような大編成を収録した盤に このような「強い摩擦」が予想されるのであるが そうではないのである それは

 大編成も ソロを含めた小編成も「聞こえてくる「情報量」は同じ」

だからである 

ではその「強い摩擦」の理由は何か?

それは すべての音が鋭角に立っているからである それでいて 生の音のようにこれっぽちも刺々しくないのである

倍音のエッジはカミソリのように切り立っているにもかかわらず 僅かな濁りさえもなく 極めて柔らかいのである

ピアノの1粒1粒は ピーンと立っていながらも ころもの様に空間を纏い たゆたいながらホールの空間に消えゆくのである

ようは「溝」の形状からくる「情報量」の質なのである

溝の振幅が大きく 極めて微細であり 微細が更なる微細を含んでおり その個々の微細が極限まで切り立っているのである

意外だが むしろこれは 大編成よりも 編成の小さい演奏を収録した盤に垣間見られた特質であると 経験的に言っていいのである

同じフィリップスでは 下の「My Point of View」で紹介する盤も良い例である

ではそこで この「小編成」

  「情報量」「強い摩擦」の関係を考察するとしよう




 ♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜



 シェリング&ヴァルヒャ
 バッハ「ヴァイオリン・ソナタ」(15PC-186,187)
シェリングソナタ

吾輩の盤は日本フォノグラム81年プレスの廉価盤で おそらく輸入メタルである この盤 不動の名盤で クラシックファンなら必携アイテムだろう この盤も「摩擦」は可成りのものであるが ヘブラーの「四重奏曲」ほどではない だが 倍音が基音とピタリとくっついて定位することは言うまでも無い この盤も実に「高域に容赦ない」盤である ハープシコードは恐ろしく切り立って定位し 倍音がピタリと寄り添っているのである またヴァイオリンも極限まで高域が捉えられているが 少しも濁りを感じさせないのである だが この盤から「拭い難き濁り」を払拭するのは至難の業なのである 吾輩も今のアンプになって漸くにしてなのである 払拭できないなら いっそ古典的技法で高域を丸めてしまったほうがマシであろう とにかく再生するのは非常に難しい盤である
実は この盤も音場は中央寄りで上記のヘブラーの「ピアノ四重奏曲」と「音響的構造」は似ている 高域の描写も含め もしかすると同じエンジニアなのかもしれない(確率50%か これはパリでの録音で ヘブラーはドイツである)
この録音 69年であるから 70年代初期の盤を入手すれば 如何ほど素晴らしいものかと推察する(「強い摩擦」もヘブラー盤に匹敵するものと推察)これはハープシコードだからまだしも もしピアノだったら80年代の盤は音が痩せている可能性が高いであろう だが それは巷でよく言われるような「テープの劣化」などではなく カッティングが違うのである マシンも違えばアンプも違う カッティングレベルも違うのである 絶無ではないと思うが なんでも「テープの劣化」というのは 違うと言わなければならない



さて 何故「小編成」と「情報量」と「強い摩擦」が関連するのであろうか

1,基本「小編成」も「大編成」も聞こえてくる「情報量」は同じである
  レコードには無限の情報が入っているという意味で同じなのである
2,1,を前提にすると「情報量」は「小編成」という少ない楽器に
  より多く割り当てられることになる
   デジタル的表現では 1つの楽器に より多くのビット数が割り当て
  られると言うが如きである
3、2、であるがゆえに 「小編成」の盤の溝は 鋭角に振幅が大きく
  極めて微細であり 微細が更なる微細を含んでおり その個々の
  微細が極限まで切り立っている のであるからこそ「強い摩擦」で
  あり 音も彫琢が深いのである まさに「溝」が音に現れるのである



この反面を端的に表しているのは 「情報量」の少ないモノラル盤はレコードクリーナーを当てると大概ツルッとしていることである

また これは言わずもがなだが  デジタルの「情報量」は有限で「大編成」と「小編成」ではそのまんまの開きがある それは デジタルのロジックで情報の数が決まるからである  従って「小編成」の ことに独奏や二重奏ではアナログに比して情報はスカスカである と言わなければならない
ようするに ソロであってもオーケストラとなんら「聞こえてくる「情報量」」に違いが無い どころか より彫琢が深いのがアナログで まったく違うのであ〜る

  これも大いに強調したいものである



「強い摩擦」の もうひとつの要因
DENONクリーナー半世紀は大袈裟だが数十年愛用のデノンのレコードクリーナーで中古の二代目である これまで何種か使用したなかでこのタイプが溝によく食い込んで最も埃を除去できるのである 盤面からの「強い摩擦」もこのタイプだからかと思う まぁ湿度により我が家でも違うが それぞれの環境により感じ方は様々であろう 隣にある歯ブラシクリーナーと併用し溝のホコリやカビを針を落とす度に根気よく取り除けば片面で”プチッ”という音は数回以内に抑えられる いやそこまで根気よくやるしかない 最近の中古盤はヒドイのである

だが レコード再生家なら ”プチッ” が 「プチ可愛い」と思えるようにならねば 早晩 レコードから「おさらば」するしかないのであ〜る



10.17追記
室内楽はあまり人気がないのかアクセスは低調である 吾輩は「交響曲」を聴く習慣がないという クラシックファンにはあるまじきトウヘンボクである ようはクラシック音痴なのである

たしかに 交響曲は迫力満点で低音も盛大 弦も管も賑やかである オーディオ的に見せ場は多いのである が しかしである 上で言ったように むしろ室内楽の方がオーディオ的に面白い(且つ難しい)と言える場合もあるのである 時として「深い」のである

では ここで 上とは逆の「強い摩擦」と「情報量」と「大編成」の関連を小考察してみたい
「交響曲」では オケを構成する数多の個々の楽器には レコードの持っている情報能力から割り当てられるリソースは 独奏や二重奏などに比べると 当然ながら少なくなると言わざるを得ないのである
いや レコードの情報量が無限なら幾らでも(無限に)割り当てられるはずと考えがちだが そうではないのである レコードの本来的能力は無限であっても カッティングによって制約を受けてしまうのである ダイナミックレンジの大きい交響曲は ピークから逆算してカッティングレベルを制限せざるを得ないのである そうなると当然 個々の楽器のダイナミックマージンは落ちてしまうことになる それゆえ 「強い摩擦」が 独奏や二重奏のような小編成ほどは際立ったものが少ないということである ようするに 個々の楽器に 鋭角に切り立った大きな振幅をあてがうことが出来なくなるからである これはもちろん すべてがそうであると断言はできないが 多くはそうであると経験的に言えるのである

しかしながら「大編成も小編成も聞こえてくる「情報量」は (トータルでは) 同じ」という感覚はすこぶる重要で すこしも揺るぐことがないのである
自分で言うのもなんだが「レコード再生の奥義」と言えるようなものである(免許皆伝←オイ!)

と ここまで述べて いまは この即席の論理が正しいかどうか頭の中で検証中である 少し無理があるかぁ?。。。どうだろ


10.21追記
盤面の「強い摩擦」と言えば 我がブログで頻繁に登場する エラートの70年代の日本盤で「Westrex3D兇砲茲襯ッティング」もそうである

吾輩はエラートは大半「小編成」の盤しか持ってないので尚更である 畢竟 非常に「情報量」も多いのである ハズレはまったく無い 完璧である

下の写真では右の2枚がそうである

フランスのヴィアノヴァ四重奏団のモーツァルトである

この盤はちょっと前に「今月の「獲物」聴いてません」で紹介したが 100%狙いは的中で 演奏は超ド級に素晴らしい 音も素晴らしい それも 「アンビリーヴァボー!」である

モーツァルトが今時の爽やかな風に乗りちょっぴり愁いを帯びて疾走する だが 決して追い付けなくはないのである(おっと「言葉にするなかれ」 である 音楽が台無しである)

いままではモーツアルトの弦楽四重奏曲と言えば アルバン・ベルク四重奏団のテレフンケン盤で聴くことが多かったが 完全にお株を奪われそうである


今月の獲物20230826



この2枚も「録音とカッティングの美学盤」に充分相当するが

エラートの「Westrex3D盤」はどれもこれもである 悩ましい事限りなし なのであ〜る


10.22追記

 NO.240 右下がヒーターReg
NO240_1srver_ヒーター改


話は突然飛躍するが トイレで瞑想していて浮かんだので容赦あれ

1,吾輩のアンプはプリにしてもパワーにしても 信号系とRegを近接して置き それをできるだけ最短距離でつなぐ しかもその配線の距離を数センチ単位で切り詰めるように工夫してきたという事がある(もちろん先生オロジナルな基板内における部品配置は変えてないので限界はある)
2,ちょっと前になるが NO.240で例の「傍熱管6R-R8ヒーターRegの改良」をやりLM317の12.6VRegを電源部筐体からアンプ本体側に移設し信号系に近接させつつ AC整流平滑部を強化し Regのパーツもグレードアップした
3,1,2,から見えて来るのは Regを信号系に近接させることが如何に重要かという事


である
だがこれ 今頃気付いたわけでは無く 1,2,個別には意識して実践していたが 1,2,を関連付けて そこからサムシングを予感させるのは初めてなのである
さて 何が出るやら。。。



とりあえず きようはこれでおしまい あでぃおす!


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