2023年01月

2023年01月25日

オーディオひとりごと・・・「速度比例」と「情報量」パート2




1.25 記す

気まぐれ備忘録「オーディオひとりごと」を始めます

あくまで備忘で 自分のアンプ造りに資するよう

    。。。おっと 偉そうな言いようはやめましょう

いつ更新されるか分からないのに 辛抱強く観てくださる方

 ぽっと浮かんだことを 忘れないうちに「独り言」します

   でも 時間が惜しいので あくまで不定期ですが。。。



♪〜

さて ここんとこレコードを聴く時間が ほとんど

ギターの練習(と定期に走ること)に取られちゃって「とほほ」です

 「ちゃって」っのも変ですけど 僕の性分で

   いちど始めると「ねばならない」

    つまり「ネバネバ ネバー(ル)」になっちゃうんですよねぇ

   じつは アンプもそんな感じでしたけどね。。。(過去形?)

    まったく悲しい性分です

 でも 久しぶりにこないだちょっと気になった盤を回してみました

   すると ちょっぴり思索が捗りました

    いやー レコードってほんとにいいですよね。。。



 Ann Richards / The Many Moods of Ann Richards
ann richards

美声と美貌 そしてスタン・ケントンとの結婚(後に離婚も)。。。
と 天は二物も三物も与えたかに思えるが 後に拳銃で自ら命を絶ったそうな  それにしても最高の歌手じゃないかな 素晴らしい声量です それにどうだこのキャピトル録音の素晴らしさ 歌もバックバンドも分厚く おまけにリアル すべてがピンポイントで定位する  オーディオ的に素晴らしいだけじゃなく こくもつやもある まったく文句のつけようがない これ日本盤だけどオリジナル盤は無用 このころの東芝・キャピトル復刻盤はほんとにグレードが高い これ片面20分程度でカッティングに余裕があるってのもあるけど 原盤は「ウェストレックス」で切ったもの つまり「輸入メタル」でしょうかね 前々から言ってるけど ほんとにこのマシンは1本の溝に「情報量」をたっぷり詰め込めるらしい





でね 前回更新の「1.15 追記」の書き方だと なーんだか 「情報量」は 「速度比例型」>「振幅比例型」 って言ってるみたいだなぁ。。。って

が お察しの通り 僕は「振幅比例型」のカートリッジ(ようするに「光カートリッジ」)を見聞きしたことが無いので 言う資格はゼロ
それと 単に「形式の違い」だけでバッサリやるのは あんまり感心しない だってねぇ 音を決める要素はあまりにも多すぎて そんな簡単なもんじゃ無いでしょう

ってことをまず前提にして 僕は

「速度比例型」のカートリッジや RIAA型のカーブを持ったイコライザーが「情報量」的に不利だとはまったく感じられない

のです 意外とレコードの音が悪い理由をこのせいにする意見も少なくないけどね。。。

で 理由は至って簡単

アンプが良くなればなるほどレコードから幾らでも「情報量」が出て来た

(とは言っても 僕的には まだ「7合目」くらいの到達点で まだまだレコードから情報を引き出せると思ってます これ徹頭徹尾 定点観測による実体験からです 例の「SEコン2000pFパラ」も40年近く使っているSPの小変更という定点観測の一環です)


という揺るぎない事実があって それが「速度比例型」のカートリッジ。。端的に言えばDL-103。。で もたらされているということなのです(「光カートリッジ」ってこの辺はどうなんでしょう 興味があります そう 判断基準は「情報量」しかないっしょ!!)

で ちょっと脱線しますが ここんとこたまたま「光カートリッジ」の導入試聴記を目にすることがあったんですが 「静寂感」とか「解像度」とか「定位」や「空間・奥行」だとか ほとんど絶賛です けど いままで僕のブログを見てくださった方なら分ると思うけど それはいま現実に 我がDL-103とアンプで得られていることなんですよ そう「速度比例型」で だから「今更?」って正直思ってます 強調したいのは 既に 無音溝のところでは「れれっ!レコード 回っているのかぁ?!」って 思わずターンテーブルに目を遣るほど静かになっていることです また たまに聞こえるスクラッチノイズが 1粒1粒が指で摘まめるくらいリアルに定位します 覚えてますか 前に「壁に留まったハエみたいだ」って表現したこともありました(速度と振幅 両者の「程度の差」は分からないですけどね。。。)

ってことを書いたとしても 僕は両者の優劣を言おうとしているのでは無く あくまで「速度比例型」というカートリッジがどうなのか? ってことを言いたいのです

で これについて頭の中を整理してみました(文系のボケ爺さんですからあてになりませんし 相変わらず「耳だこ」もあります)

1,「情報量」は高域ほど密度が高い

日頃「「情報量」は全帯域だ!」って言ってる僕としては矛盾してますが 1,の考えは物理的にも無理のない考えでしょう 但し「密度」とはいっても必ずしも「エネルギー量(アナログ量)」とイコールではないと思いますが こう言ったからといって 低音は情報が少ないと言っているわけではありません ベースの低音にも倍音が付帯しており 倍音は高域成分が多いように聴こえます デジタルでもサンプリング周波数を上げれば上げるほど情報が増えるようなので間違いでは無いでしょう(とはいえ デジタルに関して敢えて言えば 情報が高密度な高域ほど(ロジックの及ぶ範囲を超すと)バッサリなので もっとも美味しい極微細な情報が大欠落しているであろうと想像できます そこにこそ「無限の情報」があるはずなのに! ので レコードのようにアンプを改良すれば「幾らでも情報が出て来る」というわけには行かないでしょう 僕はいままであの手この手でその部分こそを取り出そうと努力してきたに違いありません どうもデジタルは その部分を「どうせ人間の耳には聞こえない」とウソで塗り固めているような気がします←最後の部分は暴言)

2,カッティングレベルの高いレコードは「情報量」が多いという否定しようのない事実

上のアン・リチャーズ 前回の「ゲッツ・オウ・ゴーゴー」そして頻繁に登場するアン・バートンの「ブルー」(SX68盤)など枚挙に暇がありません が 実際のレコードでは逆のケースも結構ありますよね 特にクラシックの長尺もの。。。片面30分とか。。。はカッティングレベルを低くするとか 低音を圧縮したりモノラルにするとかせざるを得ず 厳しいです 日本のクラシックファンが皆デジタルに鞍替えしたのは解かる気がします

3、1,&2,と「速度比例」との関係性を言語化せねばなりません

 なんかこんな関係性が浮き上がりました

  イ:1,の 高域ほど⇒周波数が高いほど⇒高速化
            ⇒「速度比例」に寄与する

  ロ:2,の カッティングレベルが高い=振幅が大きくなる⇒高速化
            ⇒「速度比例」に寄与する

レコードの無限の「情報量」の根拠として より大きな「運動」はより小さな「運動」を含むことが出来る と前から言って来ました この「運動」は「振幅」と言い換えてもいいし「溝」とか「溝のカーブ」とか「カーブのひだ」とかいろいろ言えると思いますが 最近はここに「速度比例」がどう関係しているのか興味があります ようするに(限界はあるでしょうが)カッティングレベルを上げれば上げるほど「振幅」が大きくなり 同じ時間軸での「速度」も増すだろうと その結果 情報密度の高い高域ほど発電が効率化されるのでは?と考えていますが どうでしょ?しかし この「効率化」というのは「変換効率」の意味ですが もしかしたら逃げの表現かもしれません もう少し考察が必要です(ボケ老人には無理?)

4,がともかく こっからが重要 つまり1,&2,&3,によって ずばり アンプ等 それ以降の信号経路で発生する「情報量」の『減衰』に充分備えることが出来る

アナログにおける損失とは『減衰』だろうと前から言って来ました なぜ減衰なのかもある程度自分では理解しています これはアナログの宿命ですね が いやむしろデジタルのような「欠落」でなくて「減衰」は幸運でしょうよ 減衰であるからこそ情報が存続しているのだし それを引き出すよう努力すればいいのです



ということが言えそうです(←ボケ爺の説ですからね 念のため)

ぶっちゃけて言えば (RIAAカーブで)高域を強調してあるからこそ「情報量」が多い ってことになりますかね
(敢えて低音には触れません これはまた別の考察が必要でしょう)

実際ところオーディオ界隈では このこと。。。ようするにRIAAカーブ。。。は千年一日の如く高域のノイズを減らすという「ノイズの視点」(というオーディオの常識)でしか語られませんが ちょっとこれは どうなんでしょ?

というわけで 詰めが甘いにしても「「速度比例」は決して不利では無い」を言語化すれば こんなところじゃなかろうかと。。。?


 とりあえず きょうはこれでおしまい あでぃおす!




2023年01月11日

天草の旅・・・原点回帰?「ギターと走ること」& オーディオ近況



2023.1.11 記す 久し振りの更新です

    今年もよろしくお願いいたします




♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜 世界文化遺産 天草の旅 ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜


 昨年の12月に 天草地方を旅してきました

  ここ3年に亙るコロナ禍での 久しぶりの遠出でした

 2018年に「潜伏キリシタン関連遺産」として

    世界遺産登録されてこのかた

       ようやく夢が叶ったことになります



   崎津教会・・諏訪神社より望む
崎津教会
           LumixG1+CarlZeiss Vario14mm-45mm Auto


 朝日を浴びて神々しい崎津教会の尖塔

  その姿は生活の中に溶け込んでいる

   この路地の先はもう港

 が かっては殉教者を呑み込んだ海でもある


 この風景 イタリアやフランスの片田舎とそうは変わらない。。。と



  大江教会
大江教会
          LumixG1+CarlZeiss Vario14mm-45mm Auto


 少し内陸になる大江地区の 小高い丘にあるロマネスク様式の教会

 その眩いばかりの白亜の姿を

   きっと農民たちは誇らしげに仰ぎ見たのだろう

  参道は この時期らしくクリスマスの飾り付けがしてあった

    内部も 実にチャーミングな雰囲気の教会でした



  明治の洋館:旅館「浦島屋」・・・世界遺産:三角西港にて
三角西港
       LumixG1+CarlZeiss Vario14mm-45mm Auto 半絞り開放


 明治時代の近代的港湾としては日本最古の三角西港(とのこと)

  小泉八雲が長崎からの帰途滞在した際に残した紀行文

   『夏の日の夢』に登場する旅館がこの浦島屋(だとか)


 窓に写り込む 光溢れる天草の海と空  そして「時」

  旅を総括するようなショットだと言えば チト言い過ぎかなぁ。。。




   心に残る旅でした。。。ね。。。






 ♪〜♪〜♪〜♪〜 My Point of View ♪〜♪〜♪〜♪〜


 さて しばらくぶりの更新故に 近況です


じゅううん年前に定年退職して以来 ずっーとアンプ造りに精を出してきましたが 昨年の晩秋ころから またギターの練習を再開しました(ついでにジョギングも再開)

どちらの行為も「いつかはもどらなくては。。。」と思っていた事でした


 ジョアン・ジルベルトの奏法やジム・ホールのソロコピー譜など
ギター譜
「デサフィナード 」「コルコバード」「トリステ」などなどジョビンの世界は果てしなく美しい そしてジム・ホールは異様なほど美しい

yamaha f-50厚手の本はかって単身赴任中に入手したもので「ジョアン・ジルベルト・スタイル ボサノバギター奏法(高橋信博著)」と言うもの これジョアンのテクニックだけでなくコード進行全般もつぶさに学べる優れた教則本 もう今は絶版? ジム・ホールは我が最愛のギタリスト 練習あるのみ!




 ボサノヴァのリズムを刻んでいるとハートが沸々と熱くなります

   ウーム たまらーん!!

 というわけで 最近はこんなのばかり聴いて居ます


 Stan Getz 「Getz Au Go Go」&「Jazz Samba」
stan getz bossa

「Getz Au Go Go」は米オリジナル盤で「Jazz Samba」はペラジャケ日本オリジナル盤 (日本グラモフォン SMV-1020) 前者も良いが後者も驚くほど音が良い 当時の日本Verve盤 (1750円の盤)は後年にはない良さがある いっぽうで「Getz Au Go Go」の録音は玉石混交だ というのも A面1曲目の「コルコヴァド」が度肝を抜かれるほど素晴らしい。。。これだけ何故かカッティングレベル(あるいは録音レベル?)がとんでもなく高い。。。のだが 他は スタジオ録音と思しきトラックに一目措くべきものもあるが 大概は「まぁまぁ」で 殊に残念なのは タイトルにもなったカフェ「Au Go Go」でのライヴの曲目は まぁなんて言うか「普通」なのだった これRVG録音だと思うのだが残念 が 演奏はガチ素晴らしいので救われている
そんなことより強調したいのは A面1曲目の「コルコヴァド」が「何故とんでもなく良いのか?」だ これはまさに「情報量」のためには「速度比例」を促進するための「(高い)カッティングレベルが如何に重要か」を如実に示しているのではなかろうか とまぁそういうことの恰好な盤というわけ
あと余談ですが「コルコヴァド」は 紛れもなくジョビン自身がピアノで参加しているように聴こえるのだが そのことは何処にも記載されていない 両開きの内側の写真にはジョビンがギターで参加している1コマはあるのだが あとケニー・バレルが参加しているとされるが さっぱり存在感が無い アコースティックギターがポロンポロン聞こえるが それなのか?。。。と なんだかアメリカらしい大らかな盤だ




♪〜 さて ここからは定番のオーディオ絡み ♪〜


で ギター三昧と言っても オーディオを忘れた訳ではありません

ってのは「機は熟したり!」とばかり スピーカーに改良を加えました

なーんて言うと よっぽどの大改良に聞こえるかもしれませんね

たとえばスーパーツイータを追加したとか ネットワークを高次のものに変えたとか あるいは ミッドドライバーをTADにしたとか?

が お察しの通り「貧者のオーディオ」らしくチマチマした改良です(とは言え 長年の懸案だったもの)

実はツイータのハイパスコンデンサー(双信2.2μF)にSEコンデンサー2000pFをパラにしました(”なーんだ” って聞こえたような)

数年前から構想はしていたんですが まだアンプが それに見合う「情報」を送り込んでいる自信が無かったのです

そうでないうちにやっても 音が汚くなるか キツくなるだけでしょう
 (また「弦の拭い難き濁り」の再来にもなりかねません)

が 例のヒーターRegの改良が功を奏してか ここにきてようやく自分の中で「ゴー!」サインが出たというわけです



 Coral H-105・・・ポール・モチアンの”チーッ チーッ チーッ” は?
Coral H-105_3

この2000pFという容量は パラれる方の2.2μFに比べると 千百分の一にしかならないので ほんの味付け程度にと考えていたのですが 実際はそんなものではないですね かなり様相が変わりました いや 正確に言うと 音場全体で考えるとその程度かもしれませんが 人間の意識が弦の倍音やシンバルの金属質感に向いたときに かなりの比重で変化を意識させられることになります とは言えよく聴き込むと 倍音のエッジの切り立った部分が更に鋭利になったり シンバルの金属質感がより細やかになっていることが聴き取れます 試しに オリジナル盤よりずっと音が良いものと推量する アン・バートンの「ブルー・バートン」(ソニーのSX68サウンド盤でなければダメ)を聴いてみると ドラムのシンバルの銀をまぶしたような金属質感が更に細やかで輝かしくなっています これはまさに 接点の質に徹底的に拘ったことが つまりは 「圧着カラゲ半田付け」などのご利益が如実に出てきた感があります つまりのつまり アンプが「情報」をツイータに十分送り込めているらしいのです これは良い方向性と結論付けるしかありません ただソースによっては倍音にまとわりつくエッジの鋭い部分と そのやや下あたりとの繋がりに少し違和感があるものもあるので 対策としてDL-103の針圧を軽くしてみました(2.5g→2.25gへ)これでだいぶ違ってきたのですが 本物かどうかしばらくレコードを聴きながら様子をみることにします ほんとならもっと容量を減らすか(200pFとか?)あるいはもっと大きくして ずっと下の方から繋げるかしたほうが良かったのかもしれません
。。。とまぁ しょせんチマチマしたことなのだ(とほほ)




で アンプ造りもぼちぼちやってます



 NO.240 2nd Ver.のその後・・・IVC部のパーツ確保に難あり
パーツリスト

Reg部は90%ほど完成しているが IVC部のパーツ入手がなかなか進まない とくにプレート抵抗が若松さんでも歯抜けで 例えば多用する300Ωさえも在庫が無い始末 で止むを得ず ネットでぼちぼち調達しているが 最近ではニッコームもなかなか出ない だから どこかで見切りを付けて代用品でやるしかない まぁ今年中には完成させたい(ものだ。。。が)




1.15追記「速度比例」と「情報量」


「速度比例型」と「振幅比例型」は最近「MCカートリッジ」と「光カートリッジ」との対比でよく聞かれるようになったので説明は省略

さて「情報量」と「制動力」が表裏一体のものであることは口が酸っぱくなるほど言ってきた が それはほとんどアンプ とそれ以降のことを言語化したまでで そもそものレコード(の溝)やカートリッジという源流側に視点を移すと はたしてそういう言い方が適切なのかなかなか難しいものがある つまり そこでは「情報量」とは また別の解釈が必要なのではなかろうかと思うわけ で 本文で言った「情報量」のためには「速度比例」を促進するための「(高い)カッティングレベルが如何に重要か」 という表現は そこでは言い切っているが ようは「高いカッティングレベルのレコードは何故「情報量」が多いのか」という問いに対して さいきん自分の頭の中で芽生えつつあるもので 源流側での「情報量」の多寡を この考えをもとに発展させていく ようはその「とっかかり」にしたいと思っている表現です
技術力や知識のある人には何でもないことでしょうが 僕には非常に難しいのです



さて 毎日観てくださっている方に感謝しつつも 次の更新は いつになることやら。。。


 とりあえず きようはこれでおしまい あでぃおす!





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