高橋直之のホームページへようこそ

経営コンサルタント(中小企業の経理・会計の支援,パソコン会計ソフトの導入お手伝いします。御社のホームページをTOPに表示します。:電話080ー3244ー3795)〜研究開発〜環境〜中小企業診断士〜)  2014年6月に軽井沢に移住してきました。since2005.02.03

膀胱がん闘病記12(2018年6月15日)

その後、経過を再録する。
2017年9月27日入院3rd TURBT,
10月25日病理検査報告:進行遅いガン
12月18日内視鏡きれい。(3ヶ月目)
佐久医療センター2018年3月12日CT検査
3月19日膀胱鏡検査(6ヶ月目)
両方とも異常なし

2018年6月15日h医師による膀胱鏡検査異常なし。(9ヶ月目)
次回、3ヶ月後の9月7日膀胱鏡検査です。

とりあえず、再発・転移なく、体調良好です。2年間は要注意との事。
2018年12月で早いもので発病から2年になる。

膀胱がん闘病記11

2017/12/18佐久医療センターにて
経過観察(膀胱にカメラを入れて目視する膀胱鏡検査です。)
結果、問題なしで無事クリアでした。カメラの目視で癌や腫瘍などありませんでした。
4月から5月に実施したBCG治療が奏効したようです。ただしBCGの効果は半年ぐらいといわれ半年から1年で再発もありえます。

今回経過観察は、9月の手術3rdTURBTから3ヶ月目です。

次回は2018年3月12日膀胱鏡検査、19日CT検査です。

そのときの状況で、経過観察、4回目手術か、BCG維持療法(これは2年かかる)など考えられます。

まずは、一安心、感謝です。

ポーランド旅行記2


ポーランド1周を旅する。2017年11月23日〜11月30日。
行程:ワルシャワ(バスにて)→ポズナン→ヴロツワフ→クラクフ(2泊)(列車にて)→ワルシャワ


10年パスポートの有効期限があと3ヶ月なのでこれが最後の海外旅行となるであろう。

(製作中)

ポーランド旅行記(アウシュヴィッツ強制収容所)

アウシュヴィッツを訪ねて
アウシュヴィッツ収容所博物館:80年前ここで百万人近くの人が殺されたと言う。展示品部屋いっぱいの女の髪、義足の山、トランクと靴の山、旅行鞄の山が目に焼きつく、チクロン(毒ガス青酸)のカーキ色の空き缶・・・むごたらしく凄絶な・・・どう表現したらよいか言葉がない。
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ビルケナウ収容所跡:常時10万人収容所、高圧電流の赤錆びた鉄条網 果てもなく続く。11月27日雪が舞う寒さ。バラックの建物のベット、トイレ跡など。死者たちの歴史のアリバイ、墓場。
イスラエルの高校生が、自分らののおじいちゃん・おばあちゃんの苦難をここで追体験していた。



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生のあいまいさ、わたしたちの世界に欠けているもの・・という思いを・・・。
アウシュヴィッツの旅の経験をとうして、普通の人間が狂気に走る、今も世界のあちこちで起こっている、平和のために歴史に学ぶこと忘れないなど、考え祈る。第2次世界大戦歴史を知ることが第1歩。軍備増強で戦争をふせげない。歴史教育こそ平和維持活動である。
わたしは、技術者であった頃1984年に、日韓技術交流セミナーで、講師として韓国に行った経験がある。友好的交流ができた。中国ともそういう経験がある。歴史教育、教科書問題などに 日韓の交流から始めることが日韓問題解決の根源でないかと・・・老人の繰り言である。



膀胱がん闘病記10

膀胱がん闘病記10(平成28年10月27日)
佐久医療センター外来診療(10月25日)の結果、4から5月に実施したBCG療法が奏効したようだ。膀胱の右壁がんがあり(単発)ほかは無かった。抑えられた。
生検の結果は単発のガンで原発巣は進行の遅いlow グレードとの事。 今のところBCG Rejistantの範囲。故に、3ヶ月後の経過観察となる。
抗がん剤治療にならずよかった。6ヶ月後はわからない。ひとまず安心、喜んだ。
次回12月18日膀胱鏡検査で進行を検査する。2から5年の卒業まで先は長い。

医師の許可を得,11月23日からポーランド旅行(8日間)を楽しむ。ワルシャワからクラクフを観光、アウシュヴィッツ博物館を訪れる。パスポートも来年3月有効期限切れなのでこれが最後の海外旅行となろう。旅ワクワクする。

生きていること、生かされていることを、見えざる神に唯感謝する。

81歳を迎えて

81歳を迎えて

何がめでたい…の言葉が浮かぶ。
孫の晴は昨日5歳の誕生日である。元気いっぱいでディズニーランドを楽しんだそうだ。
一方、私は健康を損ない首・肩・膝の痛みで気が滅入っている日々なり。老化と病気の副作用のどちらが真の原因か不明なるも。レントゲンでは首の骨頚椎が曲がり神経圧迫が原因のようだ。とりあえず痛み止め薬ロキソプロフェンで抑えている。真の原因を治すべく物理療法でコリをほぐし痛みを和らげることをしている。
人間年取れば誰でも「肉の体」ゆえなんらかの病をもつのは仕方ない ものである。
孫が次はおじいちゃんとディズニーランド に行きたいといってるそうだ。元気になるよう
がんばる気を起こしてくれた。
最近病院通いをしてるので人の生老病死を意識し考えるようになる。病は医学技術が進み
かなりのものが治るあるいは軽くなる。勿論悪くなる場合もある。難治の病もある。
病は治し健康に生きるのは人間の幸せである。健康が一番だとなる。では、病になり特に難治の病になる人は絶望に陥る、精神的にまいる。心の病にもなる。病は天災とおなじ状況で人に訪れる。病や災害に合い苦しむ人に支援が必要。病以外の困窮もある。病より大事なものがあるはず。あなたの生きるのはなんのためと問うことで気ずくことができる。
病の次に死が訪れる。死と生はコインの表裏である。死を忘れるあるいは避ける、忌み嫌うことはできない。年取れば、死と生はセットで考えておくことが必要で重要だ。

イラク北部のモスル近くででイスラム國掃討作戦がつずいている。ここでは生死、負傷、病が日常化してる。4万人避難民が戦争で苦しんでいる。いつも戦争は無辜の民を苦しめる。
悪を根絶すること生きることが繋がる。戦争を起こさないよう憲法、安保問題が重要。

膀胱がん闘病記9(平成28年7月2日)

膀胱がん闘病記(平成28年7月2日)
膀胱がんの治療中です。BCGワクチンの注入の7回目終了後(5月29日)副作用が強くでた。6月5日の外来で8回目BCG中止した。6月8日外来でライター症候群の疑い診断で即入院(6月8日から12日まで)。整形外科の診察あり。レントゲンの異常なし。CRP15で中程度の炎症とのこと。症状は肩甲骨周りの痛み結膜炎など。ロキソプロフェンの痛み止めと眼科治療中。
外来6月19日、26日、28日(CRP値5.4と下がる。快癒方向)。ライター症候群は快癒に向かっている。関節や筋肉痛あり。膝痛みと右足のむくみあり。
膀胱がん治療で副作用が強くそのため入院する伏兵が現れた。これから本来の膀胱がんの治療になる。無理せず慎重に治療することになろう。
いろいろの出来事に遭遇した。

キリスト者の自由

「キリスト者の自由」を読む
ルター研究所
私なりのキリストによる自由とは
❶罪、死、自己愛(中心)からの解放。自由・救い・キリスト(隣人)への愛
「功績主義、よい人になる」桎梏からの解放。
❷隣人の僕となること。僕である限り、奉仕をしなければならない。
熱心・努力することでない。
❸自由と奉仕:相反することが言われている。
「信仰:イエス・キリストに委ねる。報いを求めない。」
神の救いの「恵み」をしっかり受け止め感謝すること。これが信仰。

義人であり同時に罪人。
律法・契約 〜 信仰:約束の成就〜福音・キリストに生かされる。(キリストと魂が一体)
神の愛への信頼に生きる魂の自由、喜びと感謝。
愛は支えて、服すること。
この世に神のみこころを実現するよう関わりみ業に仕える。

神の言葉のみ。聖書にある。
信仰を鍛え強める。その他何もいらない。

キリスト者は自由であるかぎり何をも行なう必要はないが、僕であるかぎり、あらゆる種類のことをしなければならない。

自分自身のためには信仰だけ、他の人々に必要なことのみを考える。自発的。信仰(自分に)と愛(隣人)に生きる。

パウロ

パウロ 十字架の使徒 青野太潮
イエスの最期(十字架の死、復活)
パウロの心に、神が御子を啓示した。私たちの心のうちで輝いて・・・。イエスの殺害をこのからだに負って歩きまわっている。(ガラテヤ1:15,コリント二4:6)
十字架につけられたままのキリストを宣教する(コリント一 1:23,2:2,ガラテヤ3:1)
殺されておりながら今もなお生き続けている。復活。脆くて弱い「土の器」である私達キリスト者の身体にも息づいている。

呪いこそ解放、そして祝福
「律法によって」呪われた存在、律法の下で奴隷となっているわれわれ人間は解放され、祝福されたのだ」(ガラテヤ3:13)「十字架の逆説」贖罪は伝承、儀式である。行為でなく信仰。救い、ゆるしの意味。

「神の義」
「神の恵みにより」「無償で」「信仰をおして」という信仰義認論。(ローマ3:21)
イエスの福音、神の「ゆるし」の福音。「悔い改め」を条件とせず無条件。

アウグスティヌス キリストの受肉
1 神の創造したキリストの位置
2 神の恩恵が人間キリストに
3 人間の傲慢が、神のあれほどの謙遜によって反ぱくされ、癒されうる。従順の範型 子なる神が父なる神に十字架の死に至るまで服従。



ローマ書講解バルト
見えないのだが(死)信じる(生、復活)ことが信仰と認識する。(ローマ3:22)
罪人、神の栄光を持たない、神の恵みで、キリストイエスにある救いにより、贈り物として義と宣告される。


使徒的人間(カール・バルト)富岡幸一郎著、、講談社を読んで
パウロは言う。
「人間の自由意志 とは罪を 犯す 他 は何も なしえないものである」「わたしの肉には 、善 が住んでいない ことを 知っています 。…」「私は何と惨めな人間であろう。」

「バルトは人間存在のうちに自由は存在しない」「人間キリストが死に引き渡される。ゴルゴダは宗教の終わりである。十字架上の死とともに宗教活動がそこで終わった。人間も死んだ。」

「この時、神の「自由」が地上の出来事としてあきらかにされる。それがすなわちキリストの死の中からの復活である。」
この復活のイエス・キリストは、人間の死と罪の「古い世界」に接線のように接する。

「イエス・キリストは「死」から生きかえった人間である。」
キリストの復活の力により、われわれは限界を撤去され、解放され、監禁を解かれてその他者に帰属するのである。
この帰属を「自由」と名付けた。

膀胱がん闘病記8

膀胱がん闘病記8(平成29年6月15日)
BCG膀胱内注入療法についてまとめて記す。
2回目4月2日
3回目5月1日2回目、3回目共副作用は軽かった。副作用と治療の有効性 不明。
4回目5月8日微熱36,血尿初日
5回目5月15日血尿初日排尿時痛木曜日まで
6回目5月22日血尿初日、微熱36,クラビット薬のむ
7回目5月29日血尿初日火曜日まで排尿時痛、6月1日北澤結膜炎、微熱36.6月2日関節炎
8回目6月5日中止、関節痛カロナール薬のむ。
6月9日外来診療ライター症候群の疑い。入院 (6月8日から12日)関節炎痛い。筋肉痛あり。
整形外科診察。レントゲンで骨の異常なし。
次回6月19日泌尿、整形
6月28日泌尿

BCG療法の副作用で7回目で終了です。
ライター症候を治療中。筋肉痛で寝返り起き上がりがキツイ。痛みどめのロキソプロフェンと湿布で対応中。

当分副作用の治療に専念する。

肝心の膀胱がんの方はとりあえず最低限のbcg 注入は終了しているので1月後の検査でその治療が奏功したか判定される。副作用の痛みは想定外であった。とんだ伏兵があらわれるものだ。湿布と風呂、痛み止め睡眠剤が欠かせない。





私の素人判断では炎症があるということはなんらかの免疫反応で効いたのでないかと考えている。

膀胱がん闘病記7(平成29年4月17日BCG注入1回目)

膀胱がん闘病記7(平成29年4月17日) BCG膀胱内注入1回目
BCG膀胱内注入療法は結核菌を尿道から注入する膀胱上皮内癌に対する治療法です。
週一回、8回投与します。
副作用は排尿時痛、頻尿、血尿発熱などである。
4月17日12時15分にカテーテルを入れて膀胱に注入して2時間安静にする。
私の場合、1回目副作用は表れなかった。
この治療はよく効く治療法で、その有効率は4ないし5割といわれている。
膀胱内で免疫応答が起こり癌細胞を攻撃し破壊死滅させるといわれています。
順調にいくと6月末までかかる。その後3〜6ヶ月毎に検査が必要になる。9月である。

膀胱がん闘病記6 2017.3.13

2017.3.7に入院。3月8日手術(2回目経尿道的膀胱腫瘍切除)を受ける。今回は全身麻酔をしたのちの内視鏡手術です。麻酔の注射をすると瞬く間に意識なくなる。15:50から始まり起こされて終わり気づくと16:30でした。簡単というか瞬く間にあっけなく終わった感じだ。1回目に比べ削った量は三分の1位だった。その後の経過も前回と同様かそれよりも楽な経過をたどる。1日目は動けない、寝返りできなが2日からは酸素マスク、心電図、血圧計もとれる。点滴の管と尿管が繋がれている。午後から食事が出る。食欲ある。手術の後遺症の痛み、血尿も僅かで時間とともに元に戻る。尿管も外れ明日の回診で退院になりそう。前回の経験があり治療もらくである。
他の患者さんは膀胱の全摘出の手術で12時間の手術と2か月の入院治療で苦労されたそうである。
そのような経過にならないよう願うもこればかりはなんともいえない。神のみこころに従うのみ。試みが軽からんことを祈る。
周りを見るといろんな人がいろんな病で入退院されている。佐久医療センターは長野県でも大きな新しい高度医療をする施設である。信頼するしかない。静養なのでヒマで退屈、時間ありで病院内にある図書室で登山の本を読んだりテレビの映画を見たりのんびり過ごしている。このブログもそこで書いている。昨日は晴一家がみまってくれた。4歳の孫が病気入院を認識し自分の感情を表現するまで成長しているのを見て元気になる。

膀胱がん闘病記5 2017年1月30日診断

膀胱がん闘病記5 2017年(平成29年)1月30日診断
粘膜下層までの浸潤に止まる 筋層非浸潤癌
これにはTis,Ta,T1の3種類あり、その中のT1と診断された。
T1は膀胱ガンの軽い方であるが、再発や進展し易い特徴がある。
そのため、さらに膀胱壁を深く、広く切除する2ndTURBTを
実施するのが推奨される治療法であるとのこと。
2回目の内視鏡切除は1回目と同様な手術であるが全身麻酔である。
取りきれない残存腫瘍や痕跡を削り取り1から2年の間に、膀胱内で
他の場所あるいは膀胱壁下層に再発・進展を抑止するのが目的である。
早期発見 にも繋がるようである。
その説明が2月20日、入院が3月7日 手術が3月8日の予定です。
この癌の問題課題である「この再発.進展」であり、これに向き合うことにする。
2ヶ月後の状況でその後の治療も変わってくる。
身内の癌の状況に応じて次の段階にどう進むか見極めることになりそうです。
先のことはわからないものである。


膀胱がん闘病記 4 初めての手術

膀胱がん闘病記 4 平成28年1月11日記、佐久医療センターにて。
1月9日14時、佐久平駅からタクシー。個室に 入院、もと子風邪で来られず娘牧子 が付き添い。 体調良好。
夕食 松風かぼちゃ 煮物 美味 。下剤薬 。9時就寝
1月10日9時主治医回診。手術に細胞診即時検査はない。それは二週間後外来で判明する。。
12時手術室へ。半身麻酔30分ぐらい。麻酔がきいてくる 。途中気分悪くなる、血圧100から60に下がる。眠らせてと訴える。麻酔の効きのチェック進む。看護師と話し合いができ気を紛らす。結局最後まで意識あるままで切除手術が進むトータルで三時間で終了。下腹部引っ張る感じを体験する。主治医が、けづり取った腫瘍小片を見せてくれた。3cmぐらいのプラスチックケースにはいったもの。穿孔ないとのこと。看護師と、主治医にありがとうという。
病室に戻る。麻酔も薄れ感覚がもどっくる。膀胱から管で尿はながれでるようになっている。しかし尿意をもよおし気分悪い。シッコを出しすっきりしたい気分が続く、看護師に訴えると坐薬をいれてくれた。あまり効かず解消にならない。11時ごろまで眠れない。
睡眠剤をもらい眠る。翌朝4時ごろ目覚める。尿意は感じるが慣れると違和感はすくなるなる。看護師がきて朝食okとのこと。愉しくなる。
手術の体験済んで見ると頑張れた自分自身を褒めたくなる。
苦しみは一過性と思えば耐えることができるものです。
今後もいろいろ体調崩しもあるだろうが、がんと共生共存していくという思いを新たにした。

膀胱がん闘病記 3 「経尿道的膀胱腫瘍切除」の説明

2016年12月19日佐久医療センターm先生の診察。今のところ病名は膀胱腫瘍。経尿道的膀胱腫瘍手術の説明を受けた。術前検査で手術を受けられる状態なので予定どうり2017年1月10日実施となる。標準治療とのこと。尿道から内視鏡を挿入して膀胱腫瘍を切除する。半身麻酔と股関節に部分麻酔する。2時間の手術。合併症が数ヶ月続くことがあります。経過で4日後から退院となる。必要性と内容に同意する。簡単な手術ではないそうだ。
手術に対し少し心配はあるものの、後ろ向きに考えていいことはない。医者に任せ、頑張る。

膀胱がん闘病記 2

膀胱がん闘病記2
2016年12月15日 s総合病院でMRI検査/診察 。2センチ位2個の腫瘍ある。次は、内視鏡検査(経尿道的切除、組織を採取)をするのが標準治療といわれる。そこでどの程度の「がん」か確定診断される。系列のs綜合病院のsセンターに転院したいので紹介状を先生に依頼する。 紹介状を貰う。
初めてのMRI検査は30分ぐらいだが手足を動かせなく疲れた。
費用2,040円

2016年12月16日sセンターで受診。m医師が10分位の膀胱鏡(内視鏡)検査をする。s病院の検査データは電送されている。同じ診断で腫瘍あり。経尿道的膀胱切除・経尿道的前立腺切除術(TURBT)を受けるため1月9日から約1週間入院する予定。その手術のため事前検査(血液、採尿、心電図、胸部レントゲン)する。費用3,870円。
細胞組織の検査結果は3週間後判明する。
膀胱内視鏡検査初めてだ。胃カメラより楽である。排尿痛の症状あり。
上記の手術で筋層浸潤の有無で予後、治療法が著しく異なるそうだ。
次回診察12月19日。
年初めの大事な手術TURBTに、心配はありますが乗り越えるべく尽くすと自分に言い聞かす。

膀胱がん闘病記 1

膀胱がん闘病記 1  2016年12月5日
2016年28年10月25日の前立腺がん検診でPSA (前立腺特異抗原)値が5.28ng/ml(正常値4,00ng/ml以下)なので精密検査受診の書信を11月28日受け取る。
男性老人病である前立腺がんがとうとう私にもきたなという感じである。
11月30日佐久総合病院泌尿器科、担当K医師 さんを受診。問診に夏に血尿が2回ありと書く。超音波検査と触診で即座に前立腺がんでなく膀胱がんの疑いを告げられる。CT検査を受けますかといわれる。CTのほかMRI精密検査から治療(手術)「径尿道的切除」、病理検査、進行した膀胱がんはさらに次の治療になる。ただし、これは本人の選択である。
つまり何もしない選択もあると言われた。吃驚する。いわゆるがん治療を受けないというリスクについてあまり考えたことがない・・・。1ないし2分後CT検査の意味を聞きさらに治療流れの説明を受ける。取り敢えずCT検査受けますと答えすぐ実施した。始めての造影CT検査を経験する。看護師の説明どうり身体が熱くなるが問題なく終わる。エコーとCTの画像写真を元に再度医師の説明あり。治療の流れ、副作用など一応のガイドラインの説明を 聞く。こちらは何も知識なく何を聞いてよいかもわからない。
説明(ガン告知)は30分ぐらいである。頭が真っ 白になっていたようだ。治療を受けるかは本人の意向であること。次回は奥さんと2人できてください。
12月15日予約・MRI検査、診察に決まる。
その後、膀胱がんの治療に関する情報をインターネット、本を調べる。
がんの不安を抱き受容できない日々である。膀胱がんとともに生きるという受容の心境になる?? 今後5年間はがんと生きることになる。日々の気持ちなどを含め闘病記を書くことにした。

2006年古希70歳からの10年

2007年に71歳で百名山を完登した。その感想は別に記載した。
2009年6月杉並から国立に転居した。母操が8月に高幡の老人ホームに入居が決まったので介護のしやすい国立に移動した。
2008年1月には牧子が卵巣がんで国立がんセンターにて手術と抗がん剤 治療を受けた。苦しい闘病を経験した。牧子は国立の隣町の内藤に居を構えていたので私たちが近くで生活することになった。5年経過観察の時を経て2016年5月現在で8年を無事過ぎた。
2010年2月に母操の歌集[霜月の風」を発刊した。これには直彦、牧子も協力した。
2010年5月に直彦が石黒保子さんと婚約し10月に挙式をした。
2012年4月操が死亡96歳だった。2012年7月孫娘「晴」誕生した。私が命名の栄誉に与る。
2013年旧軽井沢三笠ハウス大規模修繕を13年目で実施した。2018年12月に5年目なので塗装の無償保証期間になる。
2014年5月軽井沢に転居。国立には5年住んだ。同年8月に西穂独標と焼岳に登る。
2015年5月に日本棋院軽井沢支部の同好会に入会する。英会話教室参加する。8月旧軽井沢三笠ハウスの理事長を退任する。
2016年囲碁と英会話を継続する。
2016年7月で80歳傘寿となる。これを記念してブログ日記と自分史のを含む小冊子の発刊計画している。
20016年2月にアンコールワットとベトナムに旅行する。3月から水泳教室風越公園に参加する。



還暦からの10年

自分史 還暦からの10年
平成20年5月10日
高橋直之
1996年(平成8年)、60の還暦を迎えた。9月三菱重工業蠅鯆蠻退職した。これを期に第2の就職の話があったがそれを選ばず、中小企業診断士の資格も取得していたので独立することにした。まず、修行のつもりで蠑霾コンサルタントの取締役になりパソコンの講師など勤めた。その頃ウインドウズ95が世にでたときである。中小企業診断協会の「パソコン活用研究会」に入り、Word,Excell,データベースなどの学習をした。
3年間勤めたがその会社の儲けはあまり芳しくなく解散するこになった。経営の難しさ経験した。私自身はパソコンの技術を習得でき、得る所があった。
2000年に友人の会社クレスの技術顧問、蠕亢兇亮萃役になり中小企業診断士の資格を生かし経営コンサルを勤めた。螢レスは機械のメンテナンスの代行する会社である。ここでは営業のツールとしてホームページを造りそれがうまく機能しており会社に貢献したので社長から感謝された。この会社は最初は赤字が出たがその後黒字になった。蠕亢兇魯僖愁灰鷁餬弖侏の指導をした。雇用補助金を貰う書類を作成し手伝い貢献した。この会社は設立から黒字で経済的成績が良い。ただ経営的には旧態である。
2001年螢▲Ε鵝Ε廛┘鵐討鮴瀘し、息子が社長、私が取締役となる。私は会計・経理、税務を担当している。会計王という市販のソフト使って管理している。この会社はデジタルコンテンツの企画編集制作と劇団「大人の麦茶」の興行をしている。
いまのところ経済的基盤が脆弱であるが仕事は忙しいほどである。今後改革が必要である。
2002年の経営支援塾(有)を設立し取締役となる。この会社は成績が良くなく今年2000年3月で手を引いた。
中小企業経営に携わりいろいろ経験した10年であった。営業が強いところは成長し存続する。
この10年は趣味に百名山めざし目標を達成した。また毎年海外旅行1回を実施した。これらはブログに記載した。2005年にブログを始めた。
これからの10年をどう生きるか。模索中。

1960年会社員時代

自分史 1960年〜会社員時代
高橋直之 2007.3.11記
1960年(昭和35年)は日本経済の高度成長真っ盛りである。池田勇人内閣の所得倍増、全学連、安保阻止で岸首相辞任、三池争議などのキーワードでまとめられる時代であった。政治、経済、法律、文学など文科系の学生は全学連などで活動していた。私は理科系であり、もともと興味も薄く、実験など授業があり参加しにくい状況であった。
石炭から石油へのエネルギー需要の変化と労働争議の勃発である。
冷蔵庫が普及し、テレビ、洗濯機、冷蔵庫が家電の3種の神器と言った。
西田佐知子の「アカシアの雨が止むとき」、坂本九の「上を向いて歩こう」、マヒナスターズの「誰よりも君を愛す」が流行した。浩宮誕生。1年前に美智子さん結婚。

三菱造船蝓文什澆了杏重工業蝓砲望赦贈械鞠4月私は入社した。本社の東京をスタートに広島造船所、長崎造船所と研修が始まった。1年間は技師見習いである。最初の3ヶ月は工場実習を受ける。その後長崎研究所に配属される。配属先の長崎研究所で9ヶ月間1つのテーマで研究する。船に使用するプラスチック材料(FRP、ナイロン、ウレタンフォーム)などの実用化研究に3年間従事した。船の軽量化、スピード化のためプラスチック材料が多く利用された。FRPが出始めた頃である。潜水艦の船首にレーダードームというソナーに探知されないようFRPで試作が行われた。船の中で強度メンバーにはまだ使う段階でなく艤装品に適用することから始まった。船に装備されるボートの格納箱のFRP化、断熱材としてLNG船の発泡ポリウレタンなどの現場発泡の研究開発実験を始めた。
化学技術者が造船所に少なく数人しかいないのでいろいろな化学関係の仕事をやる。仕事は始めてのことばかり。自分も初心者でベテランでない。この様な状態は自分が旨く技能が磨けるか不安になるものである。振り返って考えるとこの経験は捨てたものでない。全て自分が開発しその軌跡が残ることになる。しかし最初の3年ぐらいはやはり素人の域を出ない。
造船に化学技術がかなり使われている。原動機部門ではボイラーの水処理は厳密な化学処理がなされており熱交換チューブの腐食防止のための技術研究がなされている。
造船が化学機械、エンジニヤリング、製鉄機械、発電装置など総合機械メーカーに変身をしつつあった。
入社から3年たつ。広島造船所に研究部門を設置することになり長崎研究所から分離し技術者が転勤した。私はその中に入っていなかった。私は個人的には材料の研究より化学機械のエンジニヤリングの技術分野の仕事の志望が強かった。広島行きを志願した。同期の人が行く予定をチェンジして私が転勤することになる。昭和37年10月である。昭和38年4月姫野もと子と結婚する。
この転勤は私の今後の仕事に転換をもたらした。1つの転機になる。チャンスを生かすことが大事だと思う。
広島では公害防止の研究が始まる。四日市ぜんそくが問題になる。大気汚染防止法ができた。発電所の排気ガスから亜硫酸ガスを除去する技術研究が始まった。(つづく)
広島研究所時代1963年(昭和38年)から1979年(昭和54年)
2007.04.08
この頃の数年前の昭和34年本格的なテレビの時代に突入する。現天皇、皇后のご結婚が
この年で、この世紀の祝典を見たいがために、一気にテレビ受像機が普及する。
僕らは頑張った。戦争に敗れ、価値観が変わり、民主主義が広まる。自分を捨てて、豊かな生活のために、働きづめに働く。高度経済成長から経済大国になる。時代は変わりもはや戦後でないとなる。働き過ぎは社会の害毒などといわれる。
私の仕事について語る。

脱硫技術の開発
高度成長期は公害問題で四日市ぜんそく、水俣病が発生する。
私は発電所の排ガスによる大気汚染防止の研究開発に没頭する。その頃大気汚染防止技術はどれがよいか研究開発が進行していた。石灰で洗浄する方法、アンモニアで洗浄して硫安にする方法などがあった。東亜燃料の和歌山の技師が広島に泊まりこみできて我々の技術のデモンストレーションを1週間見ていった。また和歌山の堺工場の煙突の下にパイロットプラント(実験装置)を設置し新しい装置のテストを実施した。洗浄して大気から除去するとともに回収物を有効に又無害にすることが求められていた。脱硫技術といわれ、様々な方法、装置について試行された。
イギリスのロンドンのテームズ川上のスモグは石炭発電所の排ガスを石灰乳で洗浄した排ガスが棚引いたものである。この方法を換骨奪胎して現代にマッチする技術に仕上げるのが役目であった。
その頃住宅建設が進み建材に石膏が用いられ需要が伸びていた。またセメント材料にも石膏が使われた。そのため回収物を利用しようとそれの品質まで高めることを目指した。一方アンモニア法では回収物が肥料の硫安になるのでその品質が厳しくチェックされた。一時回収硫安の品質か悪く肥料としてのテストに不合格が出たりして問題となった。発芽テストで生育不良である。アンモニア法回収硫安はその後余り需要が伸びないことも分かり脱硫技術は石灰石膏法に集約することになる。以上の2つはアンモニア水や石灰水を使うので湿式法といわれた。
他に水を使わない乾式法がありそれについても研究開発が進められた。活性炭法とマンガン法があった。これら4つの方法について研究開発が数年競争してなされた。金もたくさん使い、失敗もたくさんあった。経済性、回収物の有効性などで最終的に石灰石膏法に凱歌が上がる。石灰石膏法が主流になってからも数年間この方法の改良研究が続けられた。たかが亜硫酸ガスをアルカリ液洗う方法に血のにじむ研究をと思われる人もいるだろう。どの方法製品でも技術がいり沢山の技術を集めたその塊であることを実体験、経験した。「プロジェクトX」番組で新幹線、ビデオの開発物語をみて我々もこれと同じような開発をして日本の技術開発に寄与してこれた誇りを感じている。

脱硝技術の開発
脱硫研究が一段落した頃窒素酸化物による公害の研究の時代となる。これも排ガスに含まれ光化学スモグの原因である。はじめは湿式で始まる。そのご乾式法が勝ちを制した。窒素酸化物を除去する方法を脱硝技術という。これも我々が作った造語である。
これの開発物語もある。かいつまむと触媒を使いアンモニア注入し300度cで窒素酸化物を窒素に還元する方法である。
この研究を数年続ける。川崎製鉄所水島に出張しパイロットプラントによる研究開発をする。煤塵の影響、温度による性能変化を調べる。つまり防止のための板状触媒の開発をする。この研究は触媒の探索研究であり触媒化学の要素技術が基礎に必要である。排ガスには触媒を劣化する物質も含まれ触媒の寿命が研究課題になった。寿命の予測研究には長時間のテストが必要であり開発も大変であった。

発電所の煙突を見るたびにこの発電所に脱硝装置、脱硫装置が付いていることを感慨深く想い眺めている。

1980年
時代は流れ公害が一段落してエネルギー問題がでてきた。石油の高騰・枯渇不足でトイレットペーパー不足買占めという社会現象がおきた。石油は後50年ぐらいで亡くなり天然ガスは100年といわれた。新燃料開発にすすむ。余談だがその後20年たった現在も石油埋蔵量はあと50年といわれている。20年の間に新たに油田が見つかっているのであろう。
石油精製プロセス・触媒の研究に従事する。
新燃料油研究組合に参画する。石油会社と共同研究して国の補助金を貰い5年近く研究する。天然ガスからガソリンを合成する研究である。石油の埋蔵に比べ天然ガスの埋蔵が多いこともあり進められた。モービルのゼオライト触媒がメタノールをガソリンに効率よく変換できることが発表された。またカナダのオイルサンド、米国コロラドのオイルシェール、ベネゼラもオリノコ原油(重質油)からの軽い油の回収のための研究組合ができこれにも参画した。
これらの研究のお陰で触媒研究の技術者も育ち研究者も増加することができた。私は主任研究者になり管理的な仕事に就く。またカナダ、米国、ベネゼラなどに出張し技術交流を深めたりした。
その後30年たつがエネルギー問題と環境問題は切り離せない我が国の重要な課題である。我が国は石油依存を脱却しているがいまなお重要性は変わらない。天然ガス、原子力などのエネルギー政策とともに省エネルギーにも向かわないと何時又エネルギー問題が起こるかしれない。環境、食料と安心安全な世界を築くには政治と技術の知恵が必要。無駄な投資はできないはず。中国が成長しエネルギー消費が増えるとまたエネルギー戦争が起こる。
原子力の問題は発電コストが安いといわれているが後始末(廃棄物)の問題が解決されていないので本当に安いか問題である。原子力は、環境問題で温暖化問題でCO2の排出が少ないといわれている。しかし原子力は安全性の問題がいつも付き纏う。バランスと安全を考えると私は原子力に反対の立場である。自動車と比較され事故による死者が少ないといわれるが不可欠であろうか。これからは安全安心を望む機運にある。貧困の克服、経済の成長と環境と安全安心は食物でも当てはまる。
私が会社員の頃は経済至上であった。国は豊かになったが歪みも出た。これの反省が必要である。
ギリシャ、ローマの歴史を視ると人間の幸福は戦争から人を守る、食料の不安をなくすことが政治、為政者の務めであった。安心安全は人類にとって古来から大事なものである。経済と政治と技術をコントロールし、いかに幸せに暮らすか。タミフルの問題、教育の問題医療問題など優先順位を考える。ギリシャが滅び、ローマも衰退する。日本も沈没?しないように。

エネルギー開発のほかに、技術開発による省エネルギーおよびムダの排除(省資源)が求められる。
生き方も大事。スローライフ。日曜日に薬局以外商店は休む。自家用車を規制し、バス、自転車を使う。健康にもよい。作り過ぎない廃棄物が出ない。使い捨て禁止。レジ袋の有料化。再利用。太陽熱利用。もったいない思想。小さな家(簡素なもの)、小さな自動車などなど。

エジプトの文明は5000年である。
ギリシャでは2500年前の劇場が今も使われている。
ローマの下水道しかり。
たかが60年の自分史に比べ桁が違う。

変わるもの
 生き物 物
変わらないもの
 哲学 真善美 
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aun1/愛犬リク
略歴
1936年7月4日生
1960年3月九州大学工学部応用化学卒
1996年9月大手M重工業蠶蠻退職
1994年4月中小企業診断士取得、96年〜自営
2001年9月7日株式会社アウン・プエンテ取締役
東京都杉並区在住
得意な分野:研究開発、化学工業、環境、経営、パソコン会計・経理、など
主な著書
●生産管理実務便覧(共著)/通産資料調査会
●廃棄物の処理技術(共著)/工業調査会
●石油化学原料対策(共著)/石油学会
趣味:百名山(2007.9完登)海外旅行、ジョギング
団体:自分史永和会
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