「人間への途上にある福音 キリスト教信仰論」フロマートカ(新教出版社,2014年)
373頁のキリスト教信仰論である。

著者は次のように言う。(p130)
世界の起源 について・・・あらゆる試みがいくら機知に富み、深遠で有用なもので世界の前と世界の上に位置する神の言葉について聖書の使信が宣言するもの、神は世界が生じる前にも、世界の始まりと終わりににもいるという喜ばしい使信として信仰が受けいれるものには及ばない、ということを知っているのである。「わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない」(詩編73章25節など)

悪、罪、サタン、悪魔、暗い闇の力、これらを人として認識。

神は常に人間に語りかけている。人間になる、肉体になる。
信じられない。人間と共にある神。人間を解放。

ナザレのイエスの受肉と十字架と復活に関する告知が、人間性全体の戦い、決断、震撼、そして喜びの中でのみ認識できる事実であると把握しないような人は福音を理解していない、と信じている。
人間の限界(死すべき運命と困窮)と完全に連帯した人の子の臨在を、私達が自分の人間性の中心と奥底で把握するときだけ、ナザレのイエスを認識できる。
世界大戦で何千万人もの死者、これは私たちキリスト教徒の責任である。
前進する新しい道を探さなければならないということである。

これは、正しいキリスト教国の歴史観と私は思う。

真理と愛と自由は生活の印である。
聖書が伝えている使信の本質を理解する。
イエスを識別できない。宿命である。絶えざる祈りの道である。主への祈りは私達の人生全体の枠組みである。信仰、その思考は絶えず動き、未完である。