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2015年08月

私の戦後70年(回想)

1945年昭和20年8月小学3年生9歳であった。疎開先の佐賀県武雄市にて敗戦を迎えた。物心つく頃。戦争が終わったという皆んな回りの明るい雰囲気を感じた記憶が残っている。田舎で物の無い貧しい時代遊び回る。
1949年(昭和24年)銀行マンの父の任地である長崎市に移住する。片淵中学校に入学する。
いま思えば原爆の惨状などかけらもなく復興していた。原爆の話を聞く事もなかった。
これが米国占領下の日本であった。
1950年(昭和25年)朝鮮戦争勃発する。学校で韓国に中国軍が押し寄せ、特需があり造船所の華やかな進水式見学など大きな変動を感じた。
1951年サンフランシスコ条約で日本は世界秩序へ編入された。
好むと好まざる関係なく、疑問を挟む事もなく日本は復興していく。
1952年(昭和27年)16歳。父の転勤で門司に移る。高等学校に入学する。
中学3年間、高校3年間は体育が苦手で勉強ばかりしていた。高校には首席で入学した。東大受験を目指していた。最終的に1年浪人して九大と早稲田理工に合格した。近くて国立の九大に入学する。
1956年(昭和31年)20歳のときである。4年間の大学生活を楽しむ。周りの同期生は九州一円から集った優秀な人々であった。理系のため実験などあり勉強はサボる事できなかった。授業は難しくテストも厳しく難儀した。普段あまり勉強しなかった。卒業後同期生の話では皆そういう話をした。
就職は売り手市場であった。担当の先生の采配と成績で就職先が割り当てられた。
私には三菱造船と荏原製作所が割り当てられた。三菱造船には九大理学部の先輩が入社しているという話で大手であり三菱造船長崎に入社した。
1960年(昭和35年)24歳の時である。
3年後三菱造船広島造船に転勤した。若かったせいか、長崎の仕事より広島の仕事が私にとって魅力的で将来性がありと判断して会社に申し入れ、これが認められた。
広島での仕事は公害防止関係のプラントの開発であった。化学工学を一から勉強し直した。
自分なりの研究開発で力を発揮した。排煙脱硫と窒素酸化物の除去など、日本で初めて世界でも初めての技術であった。
プロジェクトXというTVのドキュメントの世界に類似している。
高度成長の良き時代であった。
その後のサラリーマンの会社生活、第2の人生について別に記した。
簡単な戦後70年である。
今迄私の歴史観はアメリカ流歴史観を受け入れてきた。これが妥当なのか考えるこの頃である。
歴史(教育)で歴史観、価値観、生き方が変わる。
3歳の孫がいるがこの子の世代には原爆、戦争、原発(エネルギー)、隣国との関係、国の形ついて正しい選択を歴史から学んで欲しい。

長崎原爆の日

長崎の人口24万人のうち原爆死者7.4万人、負傷者7.5万人である。長崎は原爆研究の実験室であった。
非人道性の惨状をテレビで見た。核廃絶と不戦そして平和の誓いの日である。この事実を忘れずに後世と世界に伝えねばならない。原爆は必要だったと言う意見がなくなるまで。
私の妻(当時4歳)とその母親(当時29歳、3年前没)長崎で爆心地から3kmのところで被爆した。放射線を浴びたが幸い今は健康である。
最後の被爆者が亡くなる日がこの20年のうちに必ず来る。
第一世界大戦の兵士が亡くなる日から20数年後、第2次世界大戦が起きている。
幸い70年間第三の原爆は起きていない。起こさない抑止力は原爆の惨状をである。
私の義父は三菱長崎で戦艦武蔵を建造した。4年間汗水垂らして建造した武蔵は2000名以上の兵士を乗せてフィリピン沖で数日間の航空機爆撃で沈んだ。失敗で無駄なことと思うこともなきにしもあらずである。敗戦前義父は船の建造から特攻機の生産にたずさわり長崎から福岡に勤務して原爆の被害を免れた。9日の後長崎に入り放射能を浴びた模様。その後健康で86歳で亡くなる。特攻機の失敗に心が痛む。
原子力発電所の事故による福島の放射線被爆を見守る必要ある。
カナダは、ソ連からのミサイル攻撃に対する米国の基地を自国(カナダ)から撤去させた。
世論が反対すれば国の政策を変えることができる。戦争を無くす安保法制に修正も必要では。

日本は韓国中国との外交で平和を築くことに力を入れていない。


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aun1/愛犬リク
略歴
1936年7月4日生
1960年3月九州大学工学部応用化学卒
1996年9月大手M重工業蠶蠻退職
1994年4月中小企業診断士取得、96年〜自営
2001年9月7日株式会社アウン・プエンテ取締役
東京都杉並区在住
得意な分野:研究開発、化学工業、環境、経営、パソコン会計・経理、など
主な著書
●生産管理実務便覧(共著)/通産資料調査会
●廃棄物の処理技術(共著)/工業調査会
●石油化学原料対策(共著)/石油学会
趣味:百名山(2007.9完登)海外旅行、ジョギング
団体:自分史永和会
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