TV番組

2008年09月26日

ハートの浄化…  B64 ジュワルクール エメラルドグリーン/クリア 

dea09c4f.jpg「 ハートの奥底にある悲しみを受け入れてごらん。
   その苦しみは、それに気づくと浄められるから。

  苦しみは、きっと涙とともに解放される。
 
  すると、ハートはきっと理解できるでしょう。
  真理は私から表現されるのを待っていたと。
  
  それを説明する必要もないのだと。」
   
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(C)Yukiko Naito

 また、ドラマネタです。話題としては鮮度が落ちますが、
2週間前に終わったドラマ「魔王」は、最初にルシファーの話から始まりました。

 ルシファーは、光の王とも言われ、全天使の長だったのに
地上のアダムとイブに奉仕することを拒んで堕天使になったという説も…

 エメラルドグリーンは、B10などのグリーンとは微妙に色合いが異なります。

 オーラソーマでは、ルシファーが天から堕ちるとき、
かぶっていた王冠の13個のエメラルドがばらばらと13の部族に落ち、
さらに、地上でそれぞれ砕け散って、人のハートに入ったとか…そんな風に説明しています。
 だから私たちは、ハートにエメラルドを持つのだと聞いています。

 ドラマは、実際、天使の弁護士とも言われる主人公 成瀬領が
一方で、復讐の鬼である二面性を持っている。
 彼は、弟を殺され、しかし刺した相手は正当防衛(つまり弟が悪い)になり、
さらにその心労で母親も死んだ復讐を巧妙に果たそうとするストーリー。

 天使と悪魔の顔を持ちながら、実際、その狭間で葛藤する心を描き、ラストは悲劇で…
ネタばれですが、主人公は、結局自分を許せず、自分を死に至らしめようとする
ラストでした。
 
 ストーリーの途中で、「人は、曲がった道でも、それがまっすぐな道だと
信じて進まざるを得ないと思ってしまうことがある…」というような台詞がありました。

 何が真理なのか、人には、なかなか見えない。だから、人は探求するのでしょうか…

 ジュワルクールは、チベットの真理の探究者。
  自分にとっての真実というより、普遍的な真理を探した人だそうです。

 ドラマをご覧になっていた方、魔王の主人公、成瀬 領にも愛の手は差し伸べられたのですが、
自らその手を振り切ってしまうのは切なかったですね。
 嵐の大野くん、なかなかの演技力でした

 愛はいたるところにあるというのも、また真理なのかもしれません。
エメラルドのハートは、本来愛を受け取る場所でもあるのですから。

 下層のクリアは、感情を凍りつかせ、流されなかった涙をあらわすのでしょうか…

 このボトル、体験者の話では、実際に体に塗ると、泣きたくなる人が多いようです。
泣くことで、感情はハートから解放されていきますから…。

 解放され浄化されたハートは、また、受け取るものを見つけられるでしょう。


タロットでは、スゥォードのエース
 生命の木では、風の世界のケテルにあります。
 風の世界のマルクトにあるキリスト(クリア/レッド)とは
天地の関係でさらに補色です
 





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2008年09月12日

この世界は愛でいっぱいだ! B67 神聖な愛・小さなものへの愛 マゼンタ/マゼンタ 

3299808d.jpg「 あなたには、もう、こんなに愛が降り注いでいるよ。

   ほら、水をあげて喜んでいる花からも。
    朝、誰かが掃き清めた道からも。
    
   そんなふうに、愛はいたるところに現れているよ。 

   だから、愛は、与えられる人を選ばない。
   ただ、愛を受け取っていいんだ。

   なぜかって?
   あなたは、愛を体験するために、ここに生まれたのだから。

   生まれてきたことが、愛されていることの証だよ。

  そしてあなたも、愛を 誰かに、
   そして小さなものへ、与えるだけでいいんだよ。 」  
    
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(C)Yukiko Naito

タロットでは、ペンタクルのの世界のナイト
 


 この時期、TVドラマの最終回が続きます。

 今日は「魔王」の最終回で、それにちなんだものを書こうと思いましたが、あいにく、終わってからでは間に合わないかも…と思いまして別ネタを。

(嵐の大野くんはよいですね。このドラマで、感情を抑えて内側の葛藤を演じる姿にすっかりファンになってしまいました。*独りごと)


 というわけで、テレ朝で水曜9時からやっていた「ゴンゾウ〜伝説の刑事」を。
  この最終回、なかなか興味深かった。

 実は、「愛って何?」という深いテーマを扱っていました。

  連続殺人犯のキーワードは「この世界に、愛はあるの…?」

 その答えが「この世界は、愛でいっぱいだ」。
   犯人に対して言った黒木刑事(内野聖陽)の言葉でした。


 愛に絶望していた犯人は、愛を否定しつつも、哀しいかな愛を捜していたのですが、求め方が誤っていたのかもしれません。

 「この世界に、愛はあるの…?」「与えたのに返ってこない。愛って何だ?」

 黒木は、「愛は裏切らない」と言い、そして上げた愛の例とは、
実際にドラマに現れた人物が表した愛をたどるのですが、
差し入れの塩むすびなど、ささやかな思いやりなども混ざっており…
 
 そして、「この世界は、愛でいっぱいだ」と。 ドラマの詳細は…
  
 そこで、私は思いました。「なんてマゼンタ的なメッセージを持つドラマなの?」


 マゼンタは、「神聖な愛」とか「小さなものへの愛」とか、はては「上からの愛」とか恵みとか… ちょっとわかりにくい。

 形のない「愛」は、具体的な行為などで返ってこないと、愛されているという確信が持てないことがあります。
 時々、マゼンタを多く選ぶ人に、「これだけしてあげているのに、あの人はそれを返してこない」という、恋愛などの相談を受けることがあります。

 よくよく聴くと、全く反応がないわけではなく、しかし女性から見れば、「そんなの私が与えた愛に比べれば…」という、すれ違いになっていることが多いようです。
 もっと言えば、愛が足りないと感じてしまうのです。足りないから、また求めて与えようとする。

 ドラマは、その極端さが事件を生んだストーリーでしたが、探さなくても本当は、いたるところに愛は満ちているのに気づかないだけなのかもしれません。

 ところで、私が、オーラソーマと並行して時々学びに言っている哲学の講義で、最近「一者」の愛がテーマになっています。
 「一者」とはギリシャの新プラトン主義の哲学者、プロティノスの唱えた概念です。
 万物の創造の源の存在のようなイメージでしょうか。

 マゼンタにも源とつながるイメージがあります。
特にこれよりも深いディープマゼンタには、まるで宇宙のビッグバン前の潜在力につながるイメージがあります。

 創造の話となれば、宗教的なイメージをしてしまいますが、あいにく私は無宗教ですし、オーラソーマもそうです。

 プロチノスの論理をさらに超えて、その先生が一者の愛を哲学的に詰めていったら、「私たちが、この世界に生きている意味」は次のようなことだそうです。

 「生きる喜びと愛し合う喜びを体験し、それをさらに広げること」

マゼンタが教えてくれるのは、
「愛はいたるところで表現されるのを待っている」ことなのでしょうね。














 


aura_soma_job at 15:32|PermalinkComments(2)TrackBack(0)