イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英国「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを紹介します。

今回紹介するのは、日産・ジューク 1.6 DIG-Tのレビューです。


Juke

これまで、私が一番首を傾げた車はフォード・スコーピオだった。きっと重役会議で誰かがこう言ったのだろう。「皆さん。これがスコーピオのデザインです。」

どうして、そこに出席していた誰もこう言わなかったのだろうか。「冗談なのか?」 「おかしくなったのか?」 「少し休んだほうがいい」と。そこにいた人間たちはきっとこう思ったのだろう。これまで、サメのように見える車や、あるいは大きな猫のように見える車はあった。では、どうして大口を開けたカエルのような車があってはいけないのだろうか。

ford-scorpio-08
フォード・スコーピオ

しかし、奇妙な話がある。私は最近の車なら大抵、誰がデザインしたかを知っている。ランボルギーニ・カウンタックのデザイナーも、フォルクスワーゲン・ゴルフのデザイナーも、ボルボ・850のデザイナーも知っている。アストンマーティン・DB9をデザインしたと自称している人間が複数いることも知っている。しかし、自ら手を上げ、私がスコーピオをデザインしたと言う人間に会ったことはない。

トヨタ・ヤリスヴァーソ(日本名: ファンカーゴ)もそうだ。この車は、全長の5倍背が高い唯一の車だ。先日、この車の横に止まったので、少しの間ドライバーを観察してみた。果たして、このドライバーは自分がいかに間抜けに見られているのか自覚しているのだろうか。

Aztek
ポンティアック・アズテック

ポンティアック・アズテックもある。この車は、どの角度から見ても不格好という点で斬新な車だ。どんなに無能なデザイナーでも、普通は偶然のいたずらによってまともな部分を作り出す。それは、テールランプであったり、Cピラーであったりする。トライアンフ・TR7でさえ、ステアリングのデザインは素晴らしい。ところが、アズテックはまるでメキシコの地下通路にあるホームレス街のようだ。

サンヨン・ロディウスも忘れてはいけない。この車は、どう考えても、最初はクーペを作ろうとして開発が続けられ、土壇場になって引っ越し用のトラックに変更されたとしか思えない。この2つのコンセプトは最も間違った方法により融合され、その上サンヨンはスマーティーズ(※日本のマーブルチョコレートに相当する菓子)の大きさのタイヤしか用意できなかった。

SsangYong_Rodius
サンヨン・ロディウス

サンヨンの車を見れば、デザイナーが自分が何をしているのかすら分かっていなかったということは想像に難くない。ただ、必ずしもこれが正しい訳ではない。サンヨン・ムッソーを知っているだろうか。この車は凍傷になったペニスよりも見ていて気分が悪いのだが、驚くべきことに、この車をデザインしたのはかつてのアストンマーティン・ヴァンテージやベントレー・コンチネンタルRをデザインしたのと同じ人間だ。

ssangyong_musso
サンヨン・ムッソー

問題なのは、車のデザインには言語があるという点だ。理想的に、タイヤのサイズは車の高さの半分である、などがそうだ。結局、車はスピードが出そうに見えなければならず、そうでなければ格好悪く見える。

BMWの車の最後部のピラー下部のデザインを見て欲しい。リアウインドウとリアドアの間の部分だ。わずかに前方に曲がっており、これによって車が前に引っ張られ、前に進んでいくような印象を与えている。それに、BMWの車のボディは引っ張り伸ばされてタイヤの上に被さっているかのようにデザインされている。筋肉を皮膚がかろうじて覆っているかのようだ。

これは別にスポーツカーに限った話ではない。新型ヴォクスホール・アストラを見て欲しい。この車は、直線と鋭角で構成されており、故にハンサムだ。この車からは高速巡視船の香りすら漂う。この車からは、ターボチャージャーの唸り声と海の荒波が感じられる。たとえ、ボンネットの下にはつまらないディーゼルエンジンが乗っていようと。

ここで日産の話になる。数年前、日産は速そうには見えない車を作り上げた。運転という名の暴力、渋滞という名の暴力に満ちた世界において、日産は親しみやすく怖くない車が受け入れられるのではないかと考えた。そしてマイクラ(日本名: マーチ)を作り出した。

私はマイクラが嫌いだ。この車の顔は見ていて殴りたくなる類のものだ。それに、この車は幸せそうな顔つきであり、故に急ぐことの決してない人が購入した。日産がマイクラという実験を行ったことで、果たして私の人生のうちどれほどの時間が盗まれたことだろうか。いずれ日産に請求書を送るかもしれない。

ところが、日産は方針を改め、ジュークを生み出した。この車は決して醜いというわけではないのだが、史上稀に見る頭のおかしな車だ。

日産は何を考えていたのだろうか。タイヤはポロミント(※ラムネ)と同じくらいの大きさなのに、どうしてホイールアーチの大きさは現代のトラクターのそれよりも大きいのだろうか。それに、ヘッドランプはどうしてボンネットの上に付いているのだろうか。全くもって意味不明だ。

私は月曜の朝、ヒースロー空港で最初にこの車と対面した。試乗車を用意してくれた担当者は、ジュークを空港の一等駐車場に停めてくれており、おかげでジュークはマセラティやらメルセデスやらに囲まれ、あたかも葬式の参列者に面白帽子をかぶった人間が紛れているかのようだった。

私は最初、この車を電気自動車か何かだと勘違いしており、充電をするために16時間待つほど私は暇ではないなどと思って待ち受ける運命を呪っていた。そもそも、その電気はロシアの火力発電所から来ているのだろうし。

しかし、幸いな事に、キーを捻ると内燃機関の音に歓迎された。しかし、ならばなぜ、こんなにおかしなデザインなのだろうか。私は、ひょっとしたらこれが4WDのクロスオーバー車なのではと思った。確かに、この車には4WDモデルもあるが、ベースとなっているのは前輪駆動のマイクラだ。

だとしたら、あるいはこの車はバスのように人を乗せることができるのだろうか。いや。座席は5つしかないし、荷室は驚くほどに狭い。

そして、私はおかしなことに気がついた。ダッシュボードの中央にあったオンボードコンピューターは私が今まで見た中でも最も不可解なものだった。これは知る必要のないありとあらゆる情報を教えてくれる。例えば、瞬間的に受けているGの強さなどだ。この、着座位置が高く、タイヤが小さく、街を照らすライトを持ち、マッセイ・ファーガソンのホイールアーチを持つこの車は、自分のことをジェット戦闘機だと思っているようだ。

しかしそんなことはない。確かに、エンジンは1.6Lターボで190PSを発揮するが、全く速く感じられない。それに、興奮するような走りでもない。別に操作性が悪いとかひとりでに木にぶつかりに行ってしまうと言っているわけではないのだが、良い車というわけでもない。ごく普通の車なのだ。

そうなると、考えが行き詰まってしまう。普通、私は特定の車について、どんな人が興味を持つのか思い至ることができる。にもかかわらず、私の記憶のどこを探っても、こんな馬鹿げた見た目の車に興味を持つ人間は思い浮かばない。

散々考えてこんな結論に至った。もし普通の5人乗りハッチバックが欲しいなら、ゴルフかフォード・フォーカスを買えばいい。ただ、もし普通の5人乗りハッチバックが欲しいのだが、同時に人に指をさされて笑われたいなら、ジュークが理想的だ。


Nissan Juke: Titter ye not, it’s built for the clown about town