イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2009年に書かれたトヨタ・iQのレビューです。


iQ

先月はずっとTop Gear Liveの興行を行っていたため、その1ヶ月で運転した車といえばランボルギーニくらいしかなく、しかも、室内で、横向きにしか走らせていない。アリーナの照明が消え、自分の名前がアナウンスされると、アクセルを踏み込み、火花を散らせつつテールを滑らせて登場し、叫んだ。「シドニーの皆さん、こんにちは!」 しかしそこはオークランドだったので、場の空気は凍りついた。

それから1時間半の間、タイヤスキールと爆発音と叫び声だけが会場に響く。A.A.ギルはこの様子を、今まで経験した全ての頭痛が一挙に襲ってきたようだと形容していた。しかし、彼は一度しかこの会場に来たことがない。一方で我々は1日に4回行っており、夜になると疲れきってしまって栓抜きよりも複雑なものをいじることができなくなってしまう。そのため、ホテルまでは運転手を付けた。

エルトン・ジョン的だと思われてしまうかもしれないが、運転手を付けることにはひとつ大きな問題がある。大半の運転手は車を運転できない。

まず、一例として香港で雇った男を挙げてみよう。以降、実名を出してアルバートと呼ぶことにしよう。彼はポルシェ・カイエンを運転していたのだが、出しうる速度すべてを確認しないと気が済まないようだった。60km/hで走っていたかと思えば169km/hになり、今度は34km/h, 26km/h, 135km/h, 14km/h, 0km/h, 262km/h, 66km/h…といった具合に、どの速度でも走れることを確認できるまで速度を変え続けた。

続いてアルバートは制動距離のテストを開始した。76-66km/h, 80-8km/h, 26-24km/hとテストしていき、恐ろしいことに274-5km/h制動まで行った。しかも、アルバートは走っている間ずっとエンジン音を自分でも口ずさんでいたためなおのこと腹立たしかった。

しかし、アルバートの得意技はコーナリングだった。暴力的に飛ばし、曲がり角に入るたびにスキール音を響かせた。それでも彼は良い人だったので、喉に鉛筆を突き刺してやりたいと考えることすら申し訳なくてできなかった。

香港以外の場所では運転手もよっぽどまともだったのだが、それでも痰が詰まるのと同じくらい不快な運転だったことに変わりはない。前を走る車にぴったりくっついて運転する人もいたし、ステアリングにぴったりくっついて運転する人もいたし、高速道路で何の理由もなくブレーキをかける人もいたし、ステアリング操作が乱暴な人もいたし、やたら遅く走る人もいた。何より最悪だったのは、道を知りもしないのに知っているような顔をしていた人だ。

大抵の運転手は平均よりも上の運転技術を有していると主張していた。その平均というのが何の統計を元にしているのかは理解できないが、おそらく平均以上なのは事実だろう。確かに、運転技術だけを見れば大抵の人よりも上手かったと思う。しかし、人にはそれぞれ自分の運転スタイルというものがあり、他人の運転スタイルとは決して相容れない。

例を挙げてみよう。中央分離帯のある片側二車線の道で信号が赤になった時、どちらの車線で信号待ちをするかという選択肢が生まれるが、私の場合、絶対にプジョーの後ろには並ばない。プジョーに乗っているような人間は車のことを何も知らない。そして車のことを知らないということは当然、運転についても何も知らない。そのため、ギアをニュートラルに入れてパーキングブレーキをかけて止まっており、信号が青になってもすぐには――あるいはずっと――発進できない。なので、私はいつも、BMWの後ろにつくようにしている。

しかし、大半のドライバーはここまで考えていない。それどころか、信号待ちでラジオをいじり、気に入らない曲が流れるたびに局を変える。意味が分からない。曲などせいぜい3分かそこらの長さしかないはずだ。選局などする必要はない。しかし局は変わっていく。ピッ。「本日の議会は」…ピッ。「nothing but a dreamer♪」…ピッ。「on the day that you were born♪」…ピッ。「ジェイド・グッディ」……結局、私が発狂して運転手の頭部にボールペンを突き刺すまで終わらない。

それに、都市部の道路の一方通行を本気で遵守する運転手もいる。ありえない。車が来ていないのに、その地区の自治会の自己満足のためだけに何kmも迂回するのは馬鹿げている。

制限速度にも同じ問題が潜んでいる。確かに制限速度は正しいものだ。間違いない。しかし、早く家に帰りたいのにもかかわらず、午前1時に制限速度をいちいち守られるのは迷惑以外の何物でもない。

結局、誰かに運転してもらうのは、たとえそれがジャッキー・スチュワートであったとしても、妻を他の男に寝取られるのと同じくらいに不愉快だ。「違う。違う。違う。そうじゃないよ馬鹿。もっと気を付けてくれ。一体何をやっているんだ。そんなところに停めたら駄目だろう…」

しかし、運転手を雇うことの最大の問題はそれに伴う罪悪感だ。心を持っている人間なら、深夜に迎えを頼んだ場合、絶対に約束の時間は破れないと思うことだろう。そんなときに限って会っている相手が時間通りに解放してくれなかったりすれば最悪だ。

要するに、どれほど疲れていようと、人に送迎してもらったほうがいかに便利だろうと、自分で運転する方がましだ。

しかし、今や自分で運転することがどんどん難しくなっている。金銭的な問題はもちろん、オービスもあるし、駐車場所の問題もあるし、スピードバンプもあるし、ネズミ取りもある。それに、各都市には環境問題を盲信し、ドライバー達を殺人者と呼んで憚らないような共産主義者もいる。

いずれ、自動車の所有に関する大きな変化が起こるのではないだろうか。いずれ自家用車を所有する世帯は激減し、残された車を保有する少数派も、今のようにフェラーリやレンジローバーを運転することはできないのではないだろうか。

そこでトヨタ・iQだ。これは一見すると良い車だ。全長は初代ミニよりも約60cm短く、それでいてディファレンシャルがエンジンの前方に搭載されているため、シートが4つ収まるだけの室内空間を確保している。

それに、3気筒 1LエンジンはCO2を99g/kmしか排出しないため、ガソリンエンジン車としては前代未聞の免税対象車となっている。それに、慎重に運転すれば30km/Lを実現することもできる。

しかし、何よりも素晴らしいのはその見た目だ。ボディカラーが白だとまるでストームトルーパーのヘルメットのようだ。とても気に入った。それに、充実の装備内容も気に入った。愛車のメルセデスに付いていて、この小さなiQに付いていないものを探すのは難しい。

欠点についても記そう。確かにリアには2つシートが付いているのだが、このシートに座れるほど小柄な人間はほとんど存在しない。同様に荷室も狭い。

それに、価格も問題だ。エントリーグレードでさえ9,495ポンドもする。ATを選択するとさらに1,000ポンド上がってしまう。それからパフォーマンスにも問題がある。というよりむしろ、パフォーマンスなど存在しない。排ガス性能を向上するためにパワーは失われ、0-100km/h加速は14秒という悲惨な数字だ。こんな車にトラクションコントロールが付いている理由が理解できない。それをオフにするボタンが付いている理由などなおのこと理解不能だ。

また、長距離移動の手段として考えると馬と同等の使い勝手しか有していないのだが、都市部だけで乗る車として考えると、特に脚のない子供のいる家庭にはぴったりの車だ。私はこれよりも安価で見た目も良いフィアット・500の方が好きだが、言うまでもなく信頼性はiQに劣る。

どちらにしても、iQは未来の車だ。小さくて、維持費が安く、見た目が良い。これと比べてしまうと、モンデオやらボルボやらが無駄だらけの車に見えてしまう。

我々はそんな素晴らしき新世界に慣れていかなければならない。1,000ccは新しいトレンドだ。未来ではコーナーでGなど生まれない。しかし、だからといって世界の終わりだとは思わない。アルバートの運転するカイエンに乗るくらいなら、iQを自分で運転した方がましだ。


Toyota iQ: a smart, thrifty choice