イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェームズ・メイが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、フェラーリ・ラ フェラーリのレビューです。


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昔、フェラーリの聖地、マラネロを訪れた際、イル・グランデ・アルベルゴ・ブルーノという場所に宿泊したのだが、その名前の響きが大層格好良いと思った。ただ、その意味が"巨大な茶色のホテル"だと気付き、その印象は台無しになってしまった。

フェラーリの新型ハイブリッドスーパーカーであるラ・フェラーリにも似たような問題があるのではないだろうか。これもロマンティックな響きなのだが、これを英語に訳せば"ザ・フェラーリ"であり、これだとまるで、失われた1980年代のビートミュージックのユニット名のようだ。

しかしこの車は、ジェンセン・インターセプターとは真逆で、変な名前の素晴らしい車だ。ただ側に立ち、この車のことを考えるだけで、情欲を掻き立てる。

私がフェラーリのデザインで気に入っているのは、臆病にならず、決してこれまでのデザインにとらわれないという点だ。新型モデルは圧倒的にモダンであり、旧型モデルであってもそのデザインが色褪せることはない。それぞれのフェラーリがその時代を反映している。

しかし、フェラーリは高い走行性能を持ってこそだ。さもなければフェラーリの尊厳は失われてしまう。走りが優秀でなければ、まるでオフロードを走れないレンジローバーのごとく、見掛け倒しになってしまう。

スーパーカーに乗っても、オーナーに何らかの誉れが生まれるわけでも、女性に好かれるようになるわけでもない。スーパーカーは少し異常な車だ。しかしそれでも、私はスーパーカーが大好きだ。

そんな中でもフェラーリが一番好きだ。事実、私もフェラーリのオーナーだ。見るたびに痺れるような感覚をもたらしてくれるフェラーリの美しさが大好きだ。

なので、ラ・フェラーリも至高の車のはずだ。そうでなければならない。この曲線や鋭角の相互作用に比べれば、多角形基調の強烈なアヴェンタドールがむしろありふれたデザインに見えてしまう。インテリアは、軽量化のため余分なものは上手く削ぎ落とされており、味わい深くなっている。確かにパフォーマンスを求めたことで無骨な印象になってはいるのだが、それが悪い方向には作用していない。上面はうまく装飾されている。

新世代のスーパーカーなら普通に使っているものは、ラ・フェラーリもたくさん使っている。当然、炭素繊維も使われている。4種類の原材料が混合され、オートクレーブ処理され、150℃でおよそ3時間熱せられることで、非常に強固かつ高価な素材が出来上がる。

動的な空気力学も応用されている。前後にスプリッターが装着されており、リアの可動式スプリッターはポルシェ・911のそれのように単に上下に動くわけではなく、状況に応じてあらゆる方向に動くことができる。

ホイールベースは458イタリアと同一で、全長はエンツォと同じなのだが、エンツォと比べると全幅が40mm狭く、重心は35mm低い。フェラーリいわく、これだけの違いでニュルブルクリンクでは2.2秒変わるそうだ。

運転席は固定されており、乗員の体格に合わせるためにはペダルやステアリングの位置を調節する。座席位置を固定することでシートのスライド長分だけ全長を抑えることができ、シートを動かすための構造物も不要になり、また屋根も低くできるため、重心も低くなる。

ここまでは素晴らしいながらもスーパーカーとしては当然とも言える工夫だ。ラ・フェラーリの面白いところは、これがフェラーリ初のハイブリッドカーであるという点だ。ハイブリッドカーには様々な種類がある。フィスカー・カルマのようなシリーズハイブリッドもある。これはエンジンが電気を生み出すための単なる発電機となるシステムだ。それに、トヨタ・プリウスのようなパラレルハイブリッドもある。これはエンジンと電気モーターの両方がタイヤを駆動するシステムだ。

しかし、ラ・フェラーリはKERS(運動エネルギー回生システム)というF1の技術を市販車用に応用した。電気モーターはあくまでもパワーの補助役に徹する。まるで、バスの後ろで広告されている男性向け錠剤のように。

ラ・フェラーリはモーター単独で走行することはできない。フェラーリは「電気自動車には興味がない」という声明を出している。ラ・フェラーリはあくまでも、ハイオクで走るガソリンエンジンのスーパーカーだ。

電気モーターやバッテリーはあくまで、技術が未発達な昔ならば熱として無駄にしていたエネルギーを回収して再利用する手段として用いられている。ブレーキをかけると、燃料を燃やして得られたエネルギーが熱として失われてしまう。KERSは熱の代わりに電気を生み出すことでこのエネルギーを回収し、必要なとき、すなわち加速時に利用できるよう準備する。

この車は、800PSのV12ガソリンエンジンと163PSの電気モーターが別個に搭載された車ではない。電気モーターはオルタネーターやオイルポンプ同様あくまでパワートレインの一要素として働き、システム合計出力963PSを発揮する。モーターは常時なんらかの働き(駆動もしくは充電)をしており、燃焼により生じたエネルギーを駆動力に変えるトランスミッションの一部であると考えることもできる。

もう少し簡単に考えてみよう。内燃機関には魅力も多いが、そのエネルギー供給には山と谷が存在し、その欠点を補うためにはトランスミッションが有用だ。

高回転型でピーキーなスーパーカーのエンジンは、欠点が多いからこそ楽しいのかもしれない。一筋縄ではその真価を発揮することはできない。トルクカーブが均一なディーゼルエンジンの方がまともなのかもしれないが、こちらには心に響くものがない。

ラ・フェラーリのハイブリッドシステムは必要なとき(コーナーからの脱出時や高速ギアでの走行時)に低域トルクをかさ増ししてくれる。必要なときにだけ、ディーゼルのような均一性を与えてくれる。そして、そうでない時にはまるでガウディのサグラダ・ファミリアのごとく刺々しくきらめく。なんと素晴らしいことではないか。

上述した説明はかなりかいつまんだものだ。大量の図やグラフが並んだフェラーリのプレゼンテーションをここまで簡略化したことを感謝して欲しいくらいだ。実際、プレゼンの時間を計ってみたのだが、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』よりわずか15分短いだけだった。KERSは物理学的には非常に単純な概念なのだが、現実の自動車工学においては非常に複雑な提案だ。

とはいえ、ラ・フェラーリを買おうと思っている幸運な人は、技術的なことを心配する必要はない。見た目15歳くらいのフェラーリのテストドライバー、ラファエル・デ・シモン氏はこの車を「普通のフェラーリ」だと言っていた。実際、458を運転したことのある人ならば操作系は親しみのあるものだろうし(大半は同じだ)、普通の車と同じように運転することができる。

この車は非常に速く、素晴らしくバランスのとれたスーパーカーだ。ステアリングは至高で、エンジンは人を陶酔させ、それでいてエンツォよりもCO2排出量は200g/km以上削減されている。これはフェラーリが地球のことを考えた結果ではなく、いかに効率的にガソリンを使うかを考えた結果だ。

望むのであれば、メーター内のディスプレイにエネルギーの使用状況を映し出すこともできる。ただ、これは気が散ってしまうのであまりお勧めできない。

Driving

その代わり、身体で感じて欲しい。モデナの丘のワインディングを走り、タイトコーナーに入り、出口でアクセルを踏み込みながら私は考えた。「しまった、もう一段落とせばよかった。」

しかし、すぐに自分の運転が間違っていなかったことに気付いた。ラ・フェラーリのハイブリッドシステムは現実世界において信頼の置ける担保となり、飛ばせば飛ばすほどにうまく働いてくれる。

フィオラーノのテストトラックでもそれは変わらず、多少荒い運転をしても寛容なシステムがカバーしてくれた。自分でもその走りに驚いたのだが、ラファエル氏に言わせれば、悪名高き第7コーナーにおける私のハンドリングはかなり上手かったそうだが、速度は理想よりも40km/hは遅かったそうだ。とはいえ、この車は、ブガッティ・ヴェイロン スーパースポーツも含め、私が今までサーキットで運転した中で最も速く走れた車であることは間違いない。

しかし、マクラーレン・P1やポルシェ・918スパイダーよりも速いのだろうか。これは世界が待ち望んでいる対決であり、いずれはやらなければならないだろう。この3台のうち、最も速い車こそ、地球最速のロードカーと言えるのではないだろうか。

それは面白い対決になるだろうが、ある意味で私はそんなことは気にしていない。ハイブリッドが長続きする技術なのか、代替燃料に世代交代するまでの中間過程に過ぎないのかは未来にならなければ分からない。

ともかく、私はラ・フェラーリが欲しい。時代は変遷し、パフォーマンスを示すただの数字は意味を持たなくなり、いずれは芸術性だけが残ることだろう。私がフェラーリを欲しがるのは、何より、誰もがフェラーリを欲しがっているからだ。最も美しい車だからだ。


James May's first drive review: Ferrari LaFerrari (2014)