今回は、人気自動車番組「Top Gear」でもおなじみのジェームズ・メイが2010年に英「The Telegraph」に寄稿した愛車フェラーリ・F430のレビューを日本語で紹介します。


F430

以前は取扱説明書のことばかり書いて退屈させてしまったかもしれない。しかし、ようやくF430にじっくり乗ることができた。

雪の中を運転したというトラウマもあったし、なにより狭いガレージから車を出せるか不安だったので、納車したばかりのフェラーリは2日間ずっとガレージにしまいっぱなしだった。しかし、さすがにこれ以上引き延ばすことはできないと思い、ついに車を出すことにした。

ガレージからフェラーリを出すのは非常に大変だった。少しでも操作を間違えてしまえばボディを擦ってしまいかねない。結局、汗をかきながら99回ほど切り返し、野次馬の声援を受けながら、ようやくフェラーリを道路に出すことができた。

フェラーリは少し不思議な車だ。私はずっとフェラーリが欲しかったし、それを手に入れることのできた自分は相当に幸せなはずだ。しかし、基本的にはカバーをかけられてガレージに眠り続けている。

フェラーリを買えば友人を失いかねない。けれど、ステアリングの中で跳ねる馬の姿を眺めるためなら、その程度の代償などどうということはない。

私はフェラーリを売りたいとは思わない。私は今でもこの車を愛している。もう一台の愛車のポルシェ・ボクスターと比べると車としての出来は悪いのだろうが、それでもフェラーリの面白さは魅力だ。

ボクスターはドイツ人が科学的に作った精巧な製品だ。一方、F430はイタリア人が大ざっぱに作った製品ではあるのだが、まるで伝統工芸品のようだ。

シュトゥットガルトではより厳密で安定した製品が作られている。溶接技術だって高いはずだ。しかし、モデナは他とは違うツボを突いてくる。

しかし、こんな言葉ではフェラーリの魅力など伝わるはずがない。先進的で洗練された雰囲気はあるものの、フェラーリの中身は基本的には至って普通だ。

室内にはスイッチが並んでいる。しかし、別の愛車であるフィアット・パンダのトリップコンピューターの方がもっとまともだ。けれど、フェラーリからは純粋な機械の躍動を感じ取ることができる。

パドルシフトが響かせる金属音。どこまでも伝播していきそうなエンジン音。低速では、道路の凸凹に乗り上げるたび、サスペンションがやかましく騒ぎ立てる。

フェラーリは流れるように見事な走りを見せてくれると思っている人もいるのかもしれないが、実際は違う。フェラーリに乗ると、ドライバーは機械の喧噪に巻き込まれる。

ボクスターのエンジンはそれほど主張しないのだが、F430のエンジンは常にその存在を主張し続ける。シートより後方のスペースはすべて縦置きされるエンジンのためのものだ。走り出せば車全体がエンジンとなり、どこからだろうとエンジンの存在を感じ取ることができる。

エンジン以外の部品は、ブレーキだろうと、ステアリングだろうと、サスペンションだろうと、すべてが副次的なものであり、エンジンの引き立て役でしかない。

世の中には、今のフェラーリならば日常的に使うことができると言う人もいる。しかしそれは嘘だ。あまりに崇高で、あまりに若々しく、あまりに幅が広い。

しかし、イギリスのとある田舎道のコーナーを走らせていると、突然どこかの神経とF430が融合し、私を少年のごとく熱狂させた。私はこの車をとても気に入った。


Absolutely the last mention of my Ferrari F430