今回は、イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェームズ・メイが2009年に英「Telegraph」に寄稿した自転車をテーマとしたコラム記事を日本語で紹介します。


Cyclist

自転車と自動車が事故を起こした場合、必ず自動車に責があるという考え方について検討してみたい。この考え方はドライバーにとって不利だと考える人も多いだろうが、実のところ、むしろ自転車に不利なのではないだろうか。

私は自転車が好きだ。3歳の頃からずっと自転車に乗ってきた(当然、同じ自転車に乗り続けたわけではない)。しかし、これから先、自転車を取り巻く状況は大きく変わっていくかもしれない。

実のところ、悪質な自転車乗りというのはそれほど多くはない。そういった人たちは特殊な服を着て体臭を撒き散らしながら常に憤慨した表情を浮かべている。しかし、大半の人間は普通の靴を履いてただ店や会社に行くために自転車に乗っている。ところが、その少数の悪質な自転車乗りがとても厄介だ。

もちろん、車を運転しているときに自転車に気を付けるべきだという点については異論はない。大トルクを有する巨大なベンツに乗って左折しようとするとき、直進しようとしている膝をむき出しにした自転車乗りに先を譲るのは当然のことだ。

自分より弱い人間、自分より不幸な人間を気にかけるのは人として当然の責務だ。当然、常識のある人間なら何を言われずともそんなことはできる。しかし、ときにそれが実行できなくなってしまうことがある。悪質な自転車乗りがいることを理由に、そういった気配りをするのをやめてしまう。

ここで、私の友人であるボブ(仮名、本名ジョン)の話をしよう。先日、彼は市街地で複数回スピード違反をしたことを理由に3ヶ月の免許停止処分となった。そんな彼は、スピードハンプなどの速度超過対策があれば法を犯すこともなかったと語っていた。

しかし、こういった速度抑制のための対策は十分な知能のある一般人にとっては鬱陶しいものでしかない。そんな対策がなければいけないような大人は車を運転するべきではないし、もはや私の友人とも言えない。

再び自動車と自転車の関係性の話に戻ることにしよう。残念ながら、この議論は最終的に自転車に対する規制の強化に落ち着くと思う。自転車に乗ることが法律で認められるのであれば、自転車が法律で縛られるのは必然だ。自転車が一方的に保護されるだけの状態が続けば、必ず自動車側が猛抗議することだろう。

これは自転車の終焉だ。自転車を使う理由はその自由度の高さにあった。タイヤが摩耗しようと、バナナを食べながら乗ろうと許されているし、保険をかける必要もなく、ランニングコストは自分の体力以外にはなかった。

それに、自転車は最初の個人の移動手段であり、自動車やオートバイへの架け橋となってきた。もし自転車に乗るためにさまざまな障壁が生まれれば、自転車の本質である自由はなくなってしまう。自転車で気軽に買い物に行くことはできなくなってしまう。

要するに、ごく一部の厄介な連中のせいで、人類の素晴らしい発明が台無しになり、気軽に使えていたはずの便利な移動手段がまともに使えなくなってしまうかもしれないということだ。事実、これは現実に起きようとしていることだ。


Regulation will spell the end for bicycles