今回は、イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェームズ・メイが2007年に英「Telegraph」に寄稿した、自動車の進歩の歴史をテーマにしたコラム記事を日本語で紹介します。


Austin 7 Tourer

私の家になにより一番必要なのはニッチな本を大量に収蔵することができる本棚だ。もしこのことにもっと早く気付いていれば、私の人生はより充実したものになっていたことだろう。しかし実際は、本棚を置くべき場所にラジエーターを置いており、結果私の人生は残念なものとなっている。

ここに問題が潜んでいる。自動車、オートバイ、飛行機、第一次世界大戦に関する私の莫大な蔵書は本来ならば本棚に収めるべきなのだろう。しかし、私の所有している本は、昔LPレコードを収納するために使っていた書斎にある棚に収まっている。

そしてレコードは来客用の寝室にある戸棚に収まっており、本来そこに入っているべきライダースーツはベッドの横にある小さなテーブルの上に積まれている。おかげでポータブルテレビの置き場がなくなったため、クローゼットの上に移動されている。そのせいでスーツケースの置き場がなくなってしまっている。

なのでスーツケースは階段かベッドのそばの床に置かれているのだが、おかげで紅茶やトーストを運ぶときにいつも躓いてしまう。まだ続きはあるのだが、これらはすべて単に本棚がないということだけに起因して生じた問題だ。

誇張して書いているのではないかと思う人もいるだろうが、そんなことはない。説教臭い人は部屋を片付けろと言うのだろうが、そんな人たちは自分たちが宇宙創成以前より続く混沌に対峙しているということを理解していない。結局は本棚がなければいずれの問題も解決されることはありえない。

本棚がないことの影響が回り回って私の家中に伝播し、その結果、洗濯機が車庫の中に置かれるようになってしまった。

しかし、そんな私ですら、黎明期の自動車よりはましな車を作れていたと思う。先日、初期型のオースチン・7ツアラーに乗ったのだが、基礎的設計があまりに思慮に欠けていて驚いてしまった。

おそらく、オースチン・7オーナーズクラブはこれに反論することだろう。そして、オースチン・7はイギリスのT型フォードでありイギリス初の国民車だと主張するはずだ。しかし、それを考慮してもこの車は酷い。

そもそも、国民車ならば国民を乗せられなければ話にならない。なのにどうしてこの車はかくも狭いのだろうか。当時の貧しい人たちが石炭を食べて飢えをしのいでいたとしても、こんなに狭い車には乗れないはずだ。

それから、私だったら車に屋根を付けたはずだ。それに、ドアハンドルを車外にも付ける必要があることくらい、私にだって理解できただろう。

クランクハンドルを車のフロントに付けようなんてことを考えたのはどこの天才だろうか。そんなことをすればギアを入れた状態で車の前に立つことになり、結果オーナーが自分の車に轢かれてしまう。そもそも、車の側面にクランクハンドルを付けるのは技術的にさほど難しいことではなかったはずだ。

まだある。7の小さなラジエーターでも簡単に手を火傷してしまうのだが、どうしてハーバートはじめ開発者たちはそこを工夫しようと思わなかったのだろうか。これはちょっとした配管の問題にすぎない。にもかかわらず、ヒーターの付いた車が登場するまでには10年かかった。どうしてだろうか。

考えれば考えるほど、当時の人たちは本当に自分のやっていたことを理解していたのかという疑念が膨らんでいく。サイドミラーはドアに設置した方がいいということに気付くまでに、どうしてあれだけの年月を要したのだろうか。どうして長らくの間、室内灯や時計が高価なオプションであり続けたのだろうか。

発明されてから60年間の間、自動車は暗闇の中でかろうじて見える明かりだけを頼りにほぼ手探りで進歩してきた。当時の発電機やオルタネーターの技術の低さがこの理由だと言う人もいるのだが、発電技術など19世紀にはとうに確立していたはずだ。にもかかわらず、車は痛々しいほどにゆっくりとしか進歩してこなかった。

ホンダは企業向けに100kWの水素燃料電池を搭載する電気自動車を発売した。燃料電池は家中の家電を動かせるほどの発電量を誇る。これは素晴らしい進歩であり、誰もがそれなりに感激した。

しかし、1838年の時点ではすでに燃料電池が開発されていた。

(ちなみに、厳密に言うと、最初の燃料電池はイギリス人のウィリアム・グローブ卿が1842年に発明したのだが、その基礎となる原理は1938年にドイツ人科学者のクリスチアン・フリードリヒ・シェーンバインにより考え出された)


James May: Did apes invent cars?