Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、BMW 530d M Sport のレビューです。


530d

技術革新が起こらないまま100年以上が過ぎれば、その技術は洗練され尽くしてこれ以上なく完璧になるだろう。そのようにして生まれた車がBMW 530dだ。

1888年にカール・ベンツがドイツで自動車を生み出して以降のありとあらゆる教訓が、この車には活かされている。その結果、「車の頂点」と表現して差し支えないようなものがこの世界に舞い降りてしまった。

経済性、快適性、パフォーマンス、そのすべてを高い次元で融合している。乗り心地はしなやかで、ハンドリングは美しく、作りもしっかりしており、使いやすさにも配慮されており、見慣れて飽きない限り、見た目も最高だ。

もしこの車が登場した当時に私がBMWのトップだったなら、研究開発部門の社員全員に永久の休暇を与えていただろう。もはや、研究開発部門がする仕事はなにもない。この車は完璧だった。これ以上のものを作ることなど不可能だろう。

けれど、世界はそれを認めなかった。世界は変化を求めた。そのため、BMWは新型モデルを作らざるをえなくなったのだが、新型を作るということは何かしらの改良をしなければならない。けれど、空気を吸い込み、圧縮し、燃焼し、そのエネルギーを駆動力に変換する、という原理は変えようがない。なのでBMWはオタク部門の力を借り、最新の電子制御技術を開発するように命じた。

最近の車は、私のゴルフすらもそうなのだが、前方の状況を検知して、数秒後に自動的にステアリングを操作してくれる。素晴らしい技術だ。ただし、高速道路で車線変更をしたいときは例外だ。事前にウインカーを出せばシステムが切れてくれるのだが、ウインカーを出さなければ(はっきり言って、後続車が存在しない状況でわざわざウインカーを出す意味などない)ドライバーのステアリング操作に車が反発する。

この機能をオフにするためには車のコンピューターに介入しなければいけない。要するに、ロンドンからスウィンドンまでの間、ずっとまともに前を見ることができない。深いサブメニューを辿ってなんとか機能をオフにしてようやく、自分のしたいことを事前に車に伝えることなく運転できるようになる。

しかし、それでも車の機嫌は良くならない。白線を踏み越えるとステアリングが強く振動して怒りを露わにする。これに対処するためには老眼鏡を取り出してまたメニューを探らなければならないのだが、先程設定を変えてしまったせいで車が自動的に操舵してくれなくなってしまっているので、非常に危険な状態となる。

rear

しかし、それでも事故は起こらない。車にはセンサーが搭載されており、前方400m以内に障害物があれば警告を発するし、制限速度を破った場合はスピードメーターとヘッドアップディスプレイの両方に法律違反だと警告が表示される。

おかしな話だ。私は普通に運転しているし、エンジンの回転数も1,500rpmくらいだ。私はまともに車を運転することができるし、私の身体には何の不自由もない。にもかかわらず、車の運転補助システムは、ドライバーのことをまともな人間ではないと思っているかのように振る舞っている。

なんとかシステムをオフにすると、結局その走りは従来の530dとまったく変わっていないことが分かる。搭載しているエンジンが軽油を燃料としていることを知るすべなどほとんどない。地球を半周してもなお家に帰るまでの燃料が残っていることに気付いて、ようやくこれがディーゼルだと分かる。

室内のあらゆる装備が有用だし、荷室も居住空間も十分にあり、相当な巨漢でもない限り、7シリーズへのランクアップは必要ないだろう。正直に言って、車として考えると、タイヤ4本と椅子が付いた乗り物として考えると、欠点などまったく見つからない。急いでいるときは見事な走りを見せてくれるし、そうでないときには静かで穏やかだ。それに、この車には余興まで用意されている。目的地に到着して車から降り、(巨大な)キーのボタンを押すと、車が自分で駐車してくれる。

言うまでもなく、こんな機能を日常的に使う人などいないはずだ。パイロットの存在しない自動操縦の飛行機に乗りたがる人がいないのと同じだ。もちろん、今の技術でもきっとパイロットなしで飛行機が飛ぶことはできるだろう。けれど、万が一誤作動を起こしたときのために、近くで人間が見守っている必要がある。

ここから、興味深い疑問が浮かんでくる。あらゆる運転補助システムを切ったほうが、ずっと運転しやすいし、ずっと楽だ。しかし、もしラジオでジェレミー・コービンが言っていることについ気を取られてしまったとしたらどうだろうか。もしくは、シートの横にライターを落としてしまったとしたらどうだろうか。ひょっとしたら事故が起きて、誰かを殺してしまうかもしれない。

道徳と利便性のどちらを取るべきだろうか。万が一に備えて、鬱陶しい干渉に我慢するべきだろうか。それとも、楽観視して介入をオフにし、気楽に運転するべきだろうか。そもそも、こんな選択肢を用意した新型モデルは、果たして旧型よりも良い車になっていると言えるのだろうか。

interior

子供の命を救うかもしれないようなシステムを切ってしまうのは、道徳的に間違っているのだろうか。そう考えると、運転補助システムのスイッチは常にオンにしておくべきなのかもしれない。けれど、それならどうして、運転を楽しむことができるような、250km/hを出せるような車に乗る必要があるのだろうか。そんなことを考えはじめると、頭が痛くなってくる。

ならば、考え方を変えることにしよう。新型の見た目は旧型ほど筋肉質ではない。ソリッドさや迫力は薄まり、より女性的になっている。それはきっと悪いことではないのだろう。

デザインが単純になったので、製造コストは削減できているはずだ。製造コストが削減されれば、それだけBMWの利益も増えるだろうし、結果的にドイツの経済状態も良くなるだろう。ドイツの経済状態が良くなれば、ギリシャの経済状態も良くなるだろうし、ギリシャの経済状態が良くなれば、イタリアの経済状態も、ポルトガルの経済状態も良くなるだろう。要するに、5シリーズにより生み出される利益が増えたことで、アテネでの暴動が減るだろう。

それに、より多くの人々がこういう車(車線変更をする前に方向指示器を出すこと、速度制限を守ること、車間を詰めないことをドライバーに強制する車)を買うようになれば、きっと死者数は減るのだろう。

結局のところ、これは自動運転車などではなかった。けれど、この車に支払った高いお金が、自分ではなく見知らぬ誰かの役に立つのかもしれない。これまでにはなかった物の考え方だ。


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