17日に西予市三瓶町に行ってきました(・∀・)つ

今回の目的地は朝立の朝立城跡にあるという「杖突様」です

杖突様には次のような伝説があります


三瓶町の西方の山手に、地元ではサクラの名所として知られる丘がある。
昔、この丘の上に朝立城という山城があった。戦国時代の終わり頃、その城
の城主は宇都宮定信という人物であった。
ある年、定信は土佐の国司一条房家に認められ、一条家の家老になった。
だがそれは、同僚であった松内景連の恨みを買う事となった。
天正3(1575)年3月、景連は600騎で朝立城に攻め寄せた。
定信達は篭城してよく戦ったが敗れてしまった。定信は家臣菊池源左衛門の
妻八千代に、幼い我が子左内を連れて、味方のいる大洲の菅田城へ落ち延
びるよう頼んで、自害してしまった。
2人は闇にまぎれて城を抜け出した。八千代は長刀を差し、左内をしっかりと抱きかかえ谷や森の道を小走りに逃げた。
夜が明ける頃、二人は疲れ切った足を引きずるようにして、峠にさしかかった。
そこへ1人の百姓女が、幼い我が子を背中に負い、竹の杖を突きながら峠を下ってきた。八千代は2人を見て驚いた。2人の顔形が自分達にあまりにもよく似ていたのだ。
八千代は百姓女に自分達の身分を明かし、着物を取り替えるように命じた。
八千代は2人の汗と埃にまみれた粗末な着物をひったくるように受け取ると、
急いで左内を着替えさせ、自分も女の着物に着替えた。女が立ち尽くしていたので、八千代は2人の着替えを手伝ってやった。
八千代は長刀と杖を持って立ち上がった。女は無事この場が収まったことを喜び、子供の手を取ると、竹の杖を突き、急いで坂道を下りようとした。
その時である、八千代は長刀を振りかざして、背後から女に切りつけた。女の手にしていた竹の杖は真っ二つになって、空高く舞い上がった。2つになった杖は、朝の光を受けてきらきらと輝きながら、息絶えた女の側に突き立った。子供は一瞬の出来事に呆然として、母親の側に立ち尽くしていた。
八千代は幼子にこう言った。
「左内様が朝立城にお戻りになられたら、必ずお前と母親の供養を丁重に供養するから左内の身代わりとなって死んでくれぬか」
幼子がうなずいたので、八千代は心を鬼にして幼子の首を打ち落とし、母親の首と一緒に草むらに並べた。そして女の手に長刀を握らせ、2人の手を固く握らせて八千代と左内に見せかけ
その場を立ち去った。2人は数日後無事菅田城に入る事が出来た。
十数年後、左内は立派な若者に成長し、綱信と名乗っていた。やがて、朝立城に帰ってきた綱信は、早速百姓親子の為に、峠近く(御神手)に小さな祠を建て
て供養した。祠には竹の杖が2本、左右に立てられた。
後に土地の人は、この祠を「杖突様」と呼ぶようになった。また杖にあやかって
足腰の神様としても敬ったといわれる。
昭和初期まではお参りする人も多く、祠の周りは、人々が奉納した数百本の杖
で足の踏み場がないほどであったといわれるが、今は朝立城跡に移されて、ほとんどお参りする人もない。


この伝説も「愛媛の伝説」という本に載ってました

原文は長いので要約しましたが、それでも長い(・∀・;)

この杖突様

特別好きな話ではないけど、近場にあるので行ってみようと思ったのです

自分が好きな伝説の舞台は東中予が多い(TДT)アウゥ


じつは、2回目の探索でして・・・

初回は原文から西方の山手、サクラの名所という情報を頼りに「三瓶公園」

「国造神社」付近を探索するも発見できずΣ(´д`;)

今度は確実な情報を得ていたので楽にたどり着けました

行程は八幡浜方面からだと、県道25号線の布喜川交差点を右折して県道

26号線へ入ります

しばらく走り、「朴」というバスの停留所付近から右の道へ入り、その先にある

「三瓶病院」を通り過ぎて少し行った所を右折して林道へ入ります

その後は道なりに走っていれば

大きな看板が見えてきます

杖突様入口

以前は完全に藪に覆われていてたどり着くことが困難になっていたそうで、

最近になって道が整備されたそうです

先へ進んでみると

杖突様参道
 
杖突様への登り口がありました

何気なく振り返ると下へ降りる道が・・・

この辺りに「宇都宮神社」があることは知っていたのでちょっと寄り道(・∀・;)

下に降りると予想通り神社の境内に出ました

宇都宮神社

今は朝立城主の苗字から「宇都宮神社」または「宇都宮様」と呼ばれている

そうです

かつては、「三瓶神社」で、三瓶町の名の由来となった3つの瓶、1振りの剣

1体の鼓(つづみ)を祀ってあったようです

本殿は荒れ果て、周囲には鬼瓦が置いてありました

境内は暖かいのか、チガヤの草原となっていてチガヤの綿毛がたくさん生えて

いましたよ(^∀^)/

チガヤ

白い綿毛の上にさらに白い雪が積もっててきれいでした!(☆゚∀゚)

この画像のみクリックで拡大できます


引き返して杖突様への参道を登ります

コンクリート製の階段を上がると、

見えました・・・?

杖突様
 

 あれれ?本に載ってた写真では木造の祠だったはずだが・・・Σ(?_?)

疑問を感じながらもお参りを済ませて、祠の裏へ回ってみると瓦が山積に

されていました

杖突様瓦

写真で見た祠に使われた瓦だと思います

やはりここで間違いないようです(´∀`)

あわてない、あわてない、一休み、一休み

座るとこなんてないので、立ったまましばし休憩

祠の中を覗き込むと厨子やお祭りに使う旗などが置かれていました


杖突様の近く、二つの岩に挟まれた場所に石仏が3体並んで建っていました

菊池様

「菊池様」と呼ばれているそうなので、宇都宮綱信の命を救った八千代の

祠だと思います

菊池様も杖突様が場所を移された時、ここに移されたのでしょう

かなり古そう・・・


杖突様は昭和初期までは別の場所にあって、お参りする人も多かったそうです

奉納された数百本の杖で足の踏み場がないほどだったとか

どこかに当時の写真とか残ってないかな?(*´Д`*)



「愛媛の伝説」に載っている伝説の地を訪ねる旅も今回でやっと3件目

でも、石手寺や孝子桜(十六日桜)のような有名な場所に行くつもりはないし、

危険な場所に行くつもりもありません

まずは南予から回りたいと思います(*・ω・)ノ

次はどこにするかな・・・