今日で20日間連続更新達成!( ̄∇ ̄)v

明日は休むよ・・・多分

昨日の記事の続き

石垣の上が仮寓跡になっていた

仮寓全景

看板や石碑などがあって、右のほうは墓地になっていた

これからひとつづつ説明していく事にする

まずは看板から( -д-)ノ

一条兼定看板

(クリックして拡大できます)

一条兼定は土佐の国司で土佐一条氏第4代当主。素行が悪く、それを諫めた
重臣の土居宗珊(そうさん)を殺害した為、家臣達から人望を失い天正元年に
隠居を強制され、翌天正2年(1574)豊後臼杵に追放された。
翌天正3年、その地でキリスト教に入信し洗礼を受ける。
洗礼名をドン・パウロという。
同年7月、再興を図って土佐に進入するが、渡川(四万十川)の戦に敗れ南予
各地に潜伏した後、宇和島市戸島に隠棲する事となる。
だが天正10年(1585)旧臣の1人に就寝中襲撃され重傷を負い、その傷が
元で死去した。享年43歳。

看板の記述に不足、間違いが多いので補足Σ(´д`;)

兼定は四万十川の戦いに敗れた後ここ(梶ヤ谷城?)に仮寓していたようだ


お次は正面にある石碑

日蓮宗石碑

明治時代初期に建立された石碑らしい

文字は読めなかったが兼定の慰霊碑か?Σ(?_?)

おじいさんは

「文字は読めんが、文字に特徴があるけん日蓮宗のもんじゃろ」

と言っていた

また、周囲に散乱している瓦については

「以前はここにお堂か家があっての 戦争前までは日蓮宗の信者さんが大勢

来よったんよ」と説明してくれた

建物は古くなって崩壊したそうだ

祠のようなものがあったがぼろぼろだった

石碑は明治に建てられているからお堂があったのは石垣の下かな?


ヤマモモの大木

梶ヤ谷ヤマモモ

上の画像にも写っていたけど

「大洲市 指定天然記念物 梶ヤ谷のヤマモモ」

普通はここまで大きくならないそうだ

水を差すようで悪いが・・・宇和高校正門の側に生えているヤマモモのほうが

大きいよ(・∀・;)

宇和高校ヤマモモ

こっちは何の指定も受けていない( ̄∇ ̄;)

何か植物学的に違いがあるのだろうか?


ヤマモモの木の後ろに小さなお堂があるので行ってみる

キリシタンお堂


ややっ!Σ(゚д゚;)


扉の上に十字の印が!Σ(・ω・ノ)ノ


このお堂には見覚えがあった

おじいさんにお堂の扉を開けていいか尋ねてみる

「かむかい 開けちみないや」

と言われるので・・・( ̄人 ̄)シツレイシマス

妙見菩薩

扉を開けると台座に赤い十字の印がある石像が現れた

おじいさんは日蓮宗のお寺に多い「妙見菩薩像」だと言っていた

仏像の前に置いてある木の板にもそう書かれていたけど

これは「紅十字紋キリシタン不動像」に違いない

「伊予路のかくれキリシタン」という本に写真が載っていたし

そういえば看板には梶ヤ谷に「紅十字紋キリシタン不動像」があると書い

てあったね

でも、同じ場所にあるとは書かれてなかった・・・(・з・;)

木の板には昭和30年(1955)にお堂を建て替えたと書いてあったけど

このお堂は最近建てられたようだった

お堂の裏に屋根の部分が置いてあったのでそれだろうと思う


仏像をズームで撮影

妙見菩薩2

(この画像もクリックで拡大できます)

江戸時代、キリスト教は幕府から信仰を禁止されていたから信者達は

この様に仏像に偽装したマリア像などを造りお祈りしていたのだ( -д-)ノ

現在、平地は大洲市だけど江戸時代は宇和島藩領で近くに「平地番所」

あった

すぐ近くに監視の目が光っていたというのに・・・(((( ;゚д゚)))コワクナイノ?

彼らの信仰心には頭が下がる(´Д⊂)

*八幡浜市本町にある「大法禅寺」にも妙見菩薩像に似た「マリア観音像」

があるらしい(市指定文化財)


お堂の右隣には「荒神様」の石碑があったが

明治6年(1873)建立と彫ってあったのでかくれキリシタンとは関係ないと

思い調査や撮影はせず

*なぜか気になったので、家に帰ってから調べると、明治6年はキリスト教

の禁制が解かれた年だった(TДT)シマッタ!


最初、石垣の上に見えていた祠のところへ行ってみると・・・

十字架祠

後ろに十字架っぽい突起物のある祠を発見!(゚∇゚ ;)


兼定を祀ってあるのかな?

十字架の右端部分が欠けていたが、破片は側に落ちていた

瞬間接着剤でくっつかないかな?

今度来た時に試してみよう


大洲や内子には隠れキリシタンの遺跡や遺物が多いらしいので

行ってみたいと思う

お遍路関係のほうを先に回りたいのでいつになるやら・・・Σ(´д`;)