2004年06月21日

【合州国による大屠殺によって、イラク人の墓が増大している】Gang Eun Ji(2004/5/3)

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原文:OhmyNews
(翻訳:203号系統)

 
 ブッシュ大統領のイラク戦争での戦闘終結宣言から1年が経ったものの、状況は依然として予断を許さず、悪化の恐れがあります。民族21のOhmyNews市民レポーターであるGang Eun Jiが日々の報告を送って呉れています。5月1日、Gangは韓国人記者として初めてファルージャに入りました。(OhmyNews編集部)


イラクのファルージャでは、いったい何が進行しているのだろう?
 
ファルージャに居る合州国軍による大規模な作戦が終了して道路が開放されるのを、世界中からの記者が待ち望んでいた。
 
ファルージャはバグダッドから40分ほどのところにあるのだが、その短い距離にも拘わらず私たちはその地で取材することが出来ないでいる。
 
町一帯に向けた野砲の一斉射撃が響き渡るなか、合州国の設置した検問所の場所で町への道が開けるのを日がな一日待たされることは、しょっちゅうだ。

4月29日から、私は何度となくファルージャに入ろうとしてきたが、駄目だった。


ファルージャに入る

5月1日は、ブッシュ大統領によるイラク戦終結宣言から1周年にあたる。ついに、この日ファルージャに入ることが叶った。私は、韓国人として初めて足を踏み入れたのだ。合州国軍とイラク人レジスタンス或いはテロリストとの戦闘を目撃する事はなかったが、合州国軍によって大屠殺が行われたことだけは明白だった。

朝9時30分、合州国軍に護られて第一の検問所を通過。韓語を話す米兵に同伴されて、タクシーで町に辿り着いた。

まるで骨格だけが残ったような町。殆ど全ての建物が、軍によって破壊し尽されている。

燃え上がった車の数々と瓦礫の間を縫って、幽霊のような有様のファルージャ市民たちが2人、何か話しながら残骸の山の真ん中を歩いている。「外国人たちは、みんな凶悪なテロリストだ」。その場に居た唯一のアジア人記者である私に、彼らが話しかけてきた。

「民主主義ってやつは、いったいどこにあるんだ?合州国軍の助けで私たちが手にするはずの自由ってやつは、いったいどこにあると言うんだ?ここで何が起こっているのか、必ずみんなに伝えろ!」

私は、想いを胸に秘めたままジュラン(Julan)地区に向かう。 そこでは、まだ小規模な戦斗が続いている。


ひと気の無い道路、散らばった動物の死骸、ゴースト・タウン

ジュランは、まるでゴースト・タウンだ。ひと気の無い道路、崩れ落ちた建物、瓦礫の山、捨てられた銃と薬莢がいたるところに散乱している。 道路は、骨と皮だけになった動物の死骸で一杯だ。

合州国軍がジュランを襲った初日、電力と水道が遮断された。この辺りにはムジャヒディーンたちが住んで居る。私はそこで、彼らに会うことができた。

顔に巻いたスカーフから目だけを覗かせて、ムジャヒディーンたちはカラシニコフ銃とロケット推進式榴弾(RPGs)を肩から提げていた。彼ら、レジスタンス「テロリスト」たちは、10代半ばから60歳以上に至るまで年齢層もバラバラだ。彼らの様子から、ファルージャに平和が訪れていないことが、直ぐに判る。
 
彼ら無名ムジャヒディーンの一人が、屋根が完全に崩れ落ちた家を指差して「これが私の家です」と言う。

「私の家と隣近所が、アメリカの爆弾のお陰で破壊されました。弟と甥は、二人とも重態です。バグダッドとヤムクの病院に送られはしましたが、アメリカ人たちが彼らをアブ・グライブ刑務所に送っていないとは、誰もなんとも言えませんよ・・・。」

ジュランを歩きまわりながら、彼はAbu Ayyub Al-Ansariモスクのことを話してくれた。

入り口は跡形もなく、窓と円柱は全て銃弾によって粉砕された。モスクの床の上で裸足のイスラム教徒たちが祈りを捧げていたのであろう、「イスラムの殉教者たち」の血痕が目に入った。

アメリカ軍の兵隊による”the House of Allar”襲撃に、イスラム教徒たちは激怒している。モスクの内部には、粉々に千切れたコーランの写しが散らばっている。彼らは、何が起こったのかを怒りを込めて口々にまくし立ててきた。

「奴等は金曜日に、私たちが祈りを捧げている最中にやって来て、そして"the House of Allar"を襲った。祈りを捧げている兄弟たちを殺したんだ。何故、彼らを殺した!?民主主義っていったい何なのだ!?お前には、俺たちがテロリストのように見えるか?俺たちは自分
の町とモスクを護ろうとしているだけなのに」

最後の一人になるまで、最後の血の一滴まで、彼らムジャヒディーンは自分達の町とモスクを防衛しようとするだろう。「家族や友人たちの死に顔を見たとき、休戦とか合州国の軍隊と妥協することなどを望んだりしないものですか?」と尋ねてみた。

彼らは、きっぱりと答えた。

「我々は、Saddam Husseinにも屈服してはいなかったのだよ。合州国は平和を好まない。彼らは休戦を全て破ってきた。金曜日に我々の神聖な地に押しかけて来て、祈りを捧げている我々を殺すような合州国の軍隊を、許すことなど出来る訳がない。合州国の兵隊が好きだなどと云う輩は、このファルージャには一人とて居ないだろう。我々はSaddamと斗っていたのではなく我々の町と信仰を護るために斗っている、という事を強調してお
きたい。」


サッカー場は共同墓地と成り果てた

彼らが話していた時、小火器の銃声と野砲の砲声が聞こえて来た。私がジュラン地区に居た40分の間で、合州国狙撃兵からの銃撃は6回か7回にもなっている。

去る4月30日、合州国軍がファルージャからの撤収をほのめかした。だけれども、彼らが中央病院の中に陣取っているのを私は見ていたから、彼らは相変わらず居座り続けているらしい。合州国狙撃兵は、ジュラン地区のあらゆる場所に配置されているままだ。

その日あるムジャヒディーンが狙撃兵の銃弾によって重傷を負った、と云う話を聞いた。狙撃銃の着弾音が聞こえるたびにムジャヒディーンの表情がこわばって古ぼけたカラシニコフ銃を掴む手に力が入るのは、そのためだった。

着弾音がだんだん近づいて来る。彼らが、危険が差し迫っていると云う合図を示す。長居は無用で速やかに撤収するべし、と手振りを使って会話しているのだ。

この25日間、合州国の狙撃兵が余りに沢山の人たちを殺し続けてきたので、今や死者の数を勘定することは困難になっている。ファルージャに二つある共同墓地は共に満杯なので、市民たちは死者をサッカー場の辺りに埋葬し始めている。

今やサッカー場は巨大な共同墓地となってしまった。サッカー場に向かっていた時、一台のトラックが家の前に停まっているのが見えた。手術用マスクをつけた人物が車から降りて、その家の中に入って行った。

一台の救急車が止まり、何人かの男性が前庭に入って行った。埋められた屍骸をそこから共同墓地に移送するのだそうだ。或る男性が、私の腕を掴んできた。

「いいか。この有様を良く見ろ。そして写真に撮って呉れ。ビデオに撮ってブッシュ大統領にと世界中の人々に伝えて呉れ。ここでいったい何が起こっているのかを!」

家の中に入ると、辺り一帯に漂う死臭にフラフラになる。もう、目を開けることも息をすることも出来ない。 庭の片隅に、毛布を掛けられた婦人の遺体があった。遺体は既に膨れ上がっており、彼女の近親者でも判断が難しい状態のようだ。


至るところから死臭が漂ってくる

余りに恐ろしい光景だったので、見ないでいたかった。だけれども、ボランティアのような方が、私にはファルージャで何が起こっているかを見据えてそれを世界の人たちに伝える義務がある、と言う。

「3週間前のことだった。この女性は、彼女の旦那と連れ立ってファルージャを脱出しようとしたんだ。そしたら、アメリカのジェット戦斗機が彼らの車を爆撃しやがった。二人とも殺された。」

「俺たちは、彼女たちの死体をどうすれば良いのか判らなかった。そこで、彼女をここに、旦那の方を隣の家の庭に埋めた訳だ。ちゃんとしたお墓にしてやれなかった。ジェットがまた飛んでくるかどうか、今度は俺たちも殺されるのかどうかも判らなかったから。」

名前も顔も判らないこの婦人は、庭の前に3週間も放置されたままだった。この夫婦の焼け落ちた車は、今でも道路に在る。

ボランティアチームのリーダーの名前を教えて貰うことは、叶わなかった。その理由を尋ねてみたら、「封鎖が始まって以来、私たちの救急車は合州国軍に二度も銃撃されまして・・・。そのボランティアは、既に殺されました。」と、彼らから返事がかえってきた。

「合州国の兵隊は犬畜生だ。奴等は人道支援者を撃つ。奴等には見えているんだ、人道支援チームであることも医者であることも。それにもかかわらず撃ってくる。 まるで私たちを駆除しようとしているかのようだ。奴等は、いったいどうしてこのようなことをするのかね?」

ハドラー病院にて、同じことを非難している医師に出会った。彼は合州国軍に射撃停止を訴えている、なにせ彼の病院には許容限度を超える約170名の死者が搬送されて来ているのだから。

「正確な人数を把握するには、一週間は掛かるでしょう。銃撃を受け続けているので、死者を埋葬することすら不可能な状態です。そんな状態ですから、色んな所に臨時のお墓がある訳です。」この医師の説明だ。

サッカー場は今や共同墓地と成り果てて、そこには既に300名以上が葬られている。

球技場の壁は崩壊し、死者を埋葬して出来た小山が至る所に在る。死者の名前が地面に突き刺したコンクリート片に赤く書き込まれているのが、見える。

お墓の脇で、石片と併せてお墓を区切るための長い溝をボランティアたちが掘っている。全ての遺体を埋葬するには場所が不足しているので、彼らは出来るだけ遺体の間隔をつめて印をつけねばならない有様だ。


「自分たちの子供を殺されて、それでも合州国軍の兵隊を赦してやらねばならないのか?」

Fadel Abbas Khlaff(30歳)は、5日前の合州国軍の攻撃開始以来、墓堀人夫としてボランティアに従事してきた。アメリカの兵器のせいであることは間違い無い、と言っている。

共同墓地に全く余裕が無いので、攻撃を受けて亡くなった多数の犠牲者たちの残された体の断片の数々を、一つの墓穴に埋めなおしているのだそうだ。

共同墓地に成り果てたサッカー場で、多くのファルージャ市民を見た。親類や友人たちを探して、コンクリート片に書き込まれた名前を必死に調べ続けている。

そして愛する者の墓を見出して、彼らは泣き始めるのだ。
 
Ahmed Saud Muhasin Al-Isawi(50歳)も、その一人。「3週間ファルージャを離れていて、今日戻って来たばかりです。10歳と18歳だった二人の甥の墓を探しているのです。」と話して呉れた。

「二人とも、絶対外になんか出ずに、ちゃんと家の中に居たのに。それなのに、冷たい死体になってしまった。」と、嘆く。

しかし、彼の苦しみはこれで終わらなかった。親戚の婦人が殺されて彼女の遺体すら見つからないことを、伝えられた。さらに悪いことに、彼女の8歳になる娘も行方が判らず。彼女たちが何処にいるのか、彼にも他の誰にも判らない。

彼に出来ることは、子供たちの死を想っては苦しみ泣くことだけ。

「いったいどうして、どうしてこんなことになったのでしょうか?何が悪くて、こんなに若い子供なのにそして家族みんなが死んでしまわなければならないのですか?どうやったら合州国軍を赦せると言うのですか?彼らの占領に対して抵抗せずに居られると、思い
ますか?」


ファルージャに平和は来ない

アメリカのジェット戦斗機が、また別のモスクを攻撃している。モスクの右手に二発の大型爆弾を投下し、巨大なクレーターが出来た。そこは、早くも汚染された水で満たされている。

「この25日間、アメリカ人たちは、戦車・戦斗機そして攻撃ヘリコプターを投入してきた。それでも、この英雄的な町をモノにすることは出来なかった。」Ayyad Tapid Abbasは語る。「神様は我々と共にある。合州国の兵隊が我々の通りに姿を現したら、追い出して
やる。」

Abdul Kadr ai-Isawieが付け足して言う。「Saddam Hussein体制のときですら、囚人たちがこんなに酷い扱いを受けてはいなかったです。」

「我々はどんな仕打ちにも耐えて行ける。奴等には我々の尊厳を汚すことはできない。これがファルージャ全市民の声だ」

ムジャヒディーンが車を連ねて通りをパレードしている。空に向けて銃を撃ち放ち、声を限りにこの感情を叫びながら。

私がファルージャに居たのはほんの数時間だったが、イラクに滞在しているこの3ヶ月と10日のなかで、この地ほど自分自身の体全体で痛みを感じた所はなかった。私が見たものは、戦争なんかでは無い。あれは大屠殺だ。

バグダッドに帰ったときには、私は抜け殻のようになってしまっていた。検問所での合州国軍には、品位のかけらもなかった。ちっぽけで無力なファルージャ市民のことを考えていると、イラクの友達の言葉が浮かんできた。

「だって、ここには家族が居るんだから・・・。若しそうでなけりゃ、こんなところには一分も居られないよ。でも、家族のために、頑張っているんだよ。 それが僕等の定めなんだ。」

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「お前はファルージャの人間じゃ無いな?だったら、このバスから降りろ!」ファルージャに入り込もうと奮闘するGang Eun Jiの3日間。
 
私がファルージャに入ろうと試みたのは、4月29日だった。 合州国軍が、少人数の避難民が町に帰還することを許可し始めて3〜4日経ってのことだ。市内に入りたかったのだが、見通しはたっていなかった。

ファルージャはバグダッドから車で約40分のところにある。市郊外に辿り着いたとき、アメリカの検問所は固く閉ざされていた。出入りする人は全て、その二重になった検問所を通らなければならない。不安と焦燥感で一杯になった避難民たちが、入れるようになる
時を待っている。私も、爪を噛みながらその辺りで立ちん棒をくらわされている一人。

4月29日午前10時20分ころ、数発の砲弾が空を切り裂いた。辺りのみんなが地面に這いつくばる。何が起こったのかを見るため急いで立ち上がってみると、二つある検問所の私に近い方から火柱と爆煙が立ち上っているのが見えた。

検問所の位置を確認しないままファルージャに向かっていたイラク人の車が一台、アメリカ人の停止命令に気付かず進んでしまい、アメリカの戦車によって撃たれたのだった。この事件のお陰で、その日は誰も検問所を通ることを許可されなくなってしまった。

私はヨルダン人の病院の近所に行って、避難民たちの取材をすることにした。そしてこの状況下で私に何が出来るのかを確かめようと思ったのだ。

次の日、4月30日。かつてはフセイン政権に仕えていたイラク人将軍と彼に率いられた軍隊を「ファルージャ防衛軍(Fallujah protection forces)」として町を委任して撤退することを、合州国軍は決定した。私は、事態の展開に乗じて別の方法で町に入ろうと試みる
ことにした。

恐らくイラク人の軍隊に同じ仕事を引き継ぐのだろう、アメリカ人たちが検問所一帯をせっせと片付けている。メディアの報道に反して、合州国軍は町を取り囲む形で全ての地区に戦車を配置している。

「合州国軍はファルージャから撤退しては、いない。」とアメリカの広報官が発言している。「我々は、町に入られない。ファルージャ内の統治はイラク軍に引き継いだし、合州国軍は町外部の封鎖を継続する。」

翌朝早く、「ファルージャ防衛軍」将軍が町の視察に現れた。彼が検問所を通ったとき、大歓声と歓喜を以って迎えられた。そして私たちが通過を許されたのは、本当にそれ以後だけだった。まだ激しい戦斗が続いているときに何故帰ろうとしているのか、私は避難民
たちに問うてみた。彼らがファルージャに向かい続けるのはそこが「故郷(hometown)」であり「町(city)」であり「家(home)」であるから、と彼らは答えるのだった。 待ち続けてきた避難民たちと一緒に、私は町へ向かって歩き始めた。

およそ1kmほど行ったところ、町の工業地帯の近くで私は停止せざるを得なかった。アメリカの兵隊たちが、ファルージャ市民でなければ入れないと言うのだ。私がファルージャで生まれて現在もそこで暮らしていることを証明する文書を見せろ、と彼らは要求して
きた。ファルージャ市民では無い私は、通過を許されなかった。

これからどうすべきか頭を整理しようと考えながら、誰も居ない道路の真ん中に立ちすくんでいた。そうしたら遂に、町に向かうバスにアメリカ人たちの目を盗んで潜り込むのを何人かの地元イラク人たちが手伝ってくれた。私が彼らの連れであるかのように、装ってくれたのだ。

ファルージャ出身の人たちにがっちり囲んでもらって、上手くバスに乗り込むことに成功した。けれども、発車する前になってアメリカ人に見つかってしまい無理やり降ろされてしまった。かつての検問所に入り込もうとする人たちと出口に居る人たちの間にあって、私は暫らくの間、乗り込もうとする無駄なあがきをしてみたが、結局引き返さなければならなかった。

しかし、三日目つまり5月1日に、ファルージャへの道を上手く切り開くことができた。合州国大統領ジョージ・W・ブッシュがイラクでの戦斗終結を宣言してから、ちょうど1年後だったはずだ。

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(訳者より:1)
 このたびの英文和訳にあたっては、ムスリム特有の表現を理解する上で、「アラブ現地紙情報『外電の目』」編集部様のご教示に助けられるところ極めて大なるものがありました。誠に有難う御座居ました。

(訳者より:2)
 原文の掲載元、英語版とまた韓語版にもGang Eun Jiさんの撮影された写真が多数掲載されておりますので、記事内容と併せてご覧下さい。

(訳者より:3)
 5月「5日、攻撃開始後、日本メディアとして始めて現地に入」った朝日新聞記者の記事をご紹介しておきます。4月29日からファルージャに入ろうと試み続けて、5月1日にやっとこさで入り、数時間の取材が出来た、この韓国人市民記者( OhmyNews のcitizen
reporter )の記事の内容と比較してみて下さい。二人が試みたことの違いを比べてみて下さい。得たものの違いを比べてみて下さい。そして出来上がった記事を読んで、貴方の受け止め方にどういう違いが出てくるでしょうか?朝日新聞社の記者は、「イラク・イスラム党」
なる政党に「ファルージャ取材への協力を依頼。5日、バグダッドから同党の車に同行し、市内で約7時間取材した。」そうです。

【破壊、そして住民の怒り イラク・ファルージャ現地ルポ】アサヒコム(2004/5/7 09:10)
http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200405060274.html


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「ファルージャ」を伝える/伝えない。【today's_news_from_uk+】at 2004年06月22日 02:06
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イラク戦争開始後、民間人死亡リスク平均で1.5倍【バグプログラマーの不具合な日常】at 2004年11月01日 18:35