2006年05月04日

【アルゼンチンとウルグアイがSOAと決別!】SOA Watch(2006/3/28)

原文:Argentina & Uruguay abandon SOA !
翻訳:203号系統

今回は、【El pueblo unido jamás será vencido】を聴きながらお読み下さい。

la_republica
 米州全体の人権団体にとって最高の勝利。

 我々は歓喜を以て全てのみなさんに報告致します。この数週間にてアルゼンチン政府はSchool of the Americas( SOA )での自国兵士訓練を止めることを決定しました。また、ウルグアイ政府は、SOA/WHINSEC( Western Hemisphere Institute for Security Cooperation )に自国兵士を送らない現状政策を堅持する、と確約しました。

 これらの決定は、米州に於いて人権・公正また軍の自己責任追及のために斗っている全ての人々にとって、最高の勝利であります。アルゼンチンとウルグアイは、ベネズエラに続く第二・第三番目の国々となりました。ベネズエラは2004年1月に、最早SOAには自国兵士を送らないと宣言しておりました。

 SOAとその恐怖・抑圧の遺産との繋がりを断ち切ることをベネズエラ・ウルグアイそしてアルゼンチンが決定したのは、両国で草の根組織の力が拡大していることの現れであります。大衆運動によって政府指導者たちを民衆の意思に従わせたのです。

 次には、チリとボリビアがSOAを拒絶する可能性大です。中南米の市民社会は以前から確信してきたことなのですが、愛する人たちを殺した拷問と抑圧的な軍事政権としてSOAを認識しているMicelle Bachelet大統領(チリ)やEvo Morales大統領(ボリビア)のような新しい中南米大統領が今や続々と誕生しているのです。1973年9月11日クーデターで、SOAで訓練を受けた将軍たちに助けられてAugusto Pinochetが権力に就いた時、Michelle Bacheletの父親は反逆罪で拘束されました。彼は、サンチャゴの刑務所で毎日のように拷問された結果、心機能停止となって死んだのです。ボリビアでEvo Moralesが参加していた社会運動を潰そうとする策動では、その全ての段階でSOA卒業生が主要な役割を果たしていました。

 3週間前、Carlos MauricioとLisa SullivanそしてRoy Bourgeois神父が3週間の旅程でボリビア・アルゼンチン更にウルグアイに向かいました。南米の社会運動の繋がりを構築し、School of the Americasでの訓練に自国兵士を送り込むことを避けることについて民主的政権と対話をすることが、彼らの目的でありました。また、Marin Interfaith Task Force( MITF ) Nonviolence Internationalによって組織された人権使節団がアルゼンチンとウルグアイ行きに同行しました。そしてアルゼンチン国防大臣と会合し、またウルグアイとアルゼンチンで開かれる会合に向けた根回しを行ないました。使節団の構成員は、MITFのDale Soresen代表・Nonviolence InternationalのAndrés Conteris の氏・SOA Watch NortheastのLinda Panetta代表、拷問被害者に関する幅広い見識と豊富な経験をお持ちの心理学者Adrienne Aron医師他です。

 先週の金曜日に、RoyさんとCarlosさんそしてLisaさんは、ウルグアイのAzucena Berrutti国防大臣に面会しました。Berrutti大臣は元々人権弁護士で、独裁政権下ウルグアイでは、多くの政治囚が彼女に護られました。

Lisa Sullivanさんによれば。

 「対談の冒頭からBerrutti大臣は、SOAによる虐殺についてはご説明には及びませんよ、と私たちに述べられました。そりゃそうです。彼女にしてもウルグアイの人々にしても現実に起こっていることを完全に解っており、またSOA卒業生による拷問・拘束・投獄そして「失踪」の恐怖を実際に経験してきた訳ですから。ここ中南米で私たちは、幾度も自分たちの無力感を味わって来ました。しかし、私たちから民衆にそんな事々を説明する必要は無くそれどころか逆に彼らに教えて貰うことの方が多いのだ、と私たちは気付いたのです。そうして私たちは、記録してきた統計資料を非常に実の有るものにすることが出来ました・・・。」Berrutti大臣は、Carlosさん・LisaさんそしてRoyさんと嬉しい知らせを分かち合ってくれました。即ち、Tabaré Vázquez大統領の任期中では今までウルグアイからSOAに兵隊を送ることもしてこなかったし、現政権下では今後もその積りが無い、と云うのです。

昨日、SOA Watch(訳注1)の活動家3人と「5月広場の母たち( the Mothers of Plaza de Mayo 訳注2)」の代表は、Nilda Garré国防大臣(彼女の夫はアルゼンチンの軍政時代に失踪している)と会談しました。Garré国防大臣は、現在SOA/WHINSECに居る1名のアルゼンチン兵が課程を修了した後は、最早アルゼンチンの兵士をSchool of the Americasに派遣しないことに同意したのです。

 中南米の潮流は変わりつつあります!中央アメリカそして南アメリカの全土に於いて、各国政府と市民たちは、社会問題に対してのSOA型軍事的「解決」を拒絶しているのです。米州全体でSOAへの支援は、日に日にしぼみつつあります。正義のためのこの運動に貴方の声を加えて下さい!4月23〜25日のワシントンDCで行なわれるSOA閉鎖要求デモ・集会へ!

**********

訳注1:SOA Watchについては、以下もご参照。

アブ・グライブから中南米へ:合州国による虐待模様の地図が拡がってゆく】School of the Americas Watch (2004/05)
2004年11月19〜21日:ジョージア州フォート・ベニングに結集しよう!】School of the Americas Watch
「アメリカン・スクール(ママ)」反対者が刑を終える】(2006/04/12)



訳注2:原文では”the Mothers of the Disappeared”となっています。U2のアルバム”THE JOSHUA TREE”に収録されているその曲を聴きながら、お読み下さい。

U2のボノ「五月広場の母たち」と面会−アルゼンチン】AFP BB News(2006/3/4)
本来は音楽の話題で取り上げたかった、かも】猫から学ぶ オトナのための環境術(2006/3/6)


 そういえば、日本の拉致被害者家族の人々は、去る4月28日午前11時(日本時間29日午前0時)から、こんな人に面会しておられた。

米大統領、拉致を批判「働き掛け強めたい」】Sankei Web(2006/4/30)
 私は、彼らは面会する相手をお間違えだと、思う。何故なら、この人物こそ「拉致を奨励している指導者」でありこの国家こそ「拉致を許し」続けてきたそのものであるから。例えば、こんな拉致あんな拉致なら、彼らも知らないはずは無いと思うのだが。
 今寄稿記事に登場するチリのMichelle Bachelet大統領の父親は拉致・拷問されて殺され、アルゼンチンのNilda Garré国防大臣の夫は拉致されてそのまま行方不明と云うことである。拉致被害者の家族である彼らに会うことは、SOA/WHISECやグアンタナモ強制収用所やアル・グライブ刑務所の頂点にいる拉致司令官Bush大統領との面会よりも、まだ筋が通っている。また彼らは、「五月広場の母たち」そしてSOA Watchの活動家たちにも会えるはずである。むしろ同じような拉致被害者の親族や支援者たちと会う方が、家族の運動としてより純化されて真に国境を越えた運動になり得る。国家や民族や人種で格差をつけ無いから、「人」の道であり「人」の権利なのである。

以下、抜粋引用。

【外務省黙殺! もう一つの拉致事件】Yomiuri Weekly(2002/11/17)

 横田さんらに在南米日本人被害家族から届いた連帯の手紙

 「私たちの家族も拉致されたままなのです」
 地球の裏側、南米アルゼンチンから衝撃的な手紙が届いた。
 1970年代後半、当時の軍事政権によって、日本人・日系人14人が拉致された事件の被害者の家族が、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会に宛てたものである。今回、北朝鮮による拉致事件は、生存者5人が帰国し、曲がりなりにも8人の死亡経過が発表された。しかし、遠くアルゼンチンの事件は、二十数年間、家族の日本政府への必死の訴えにもかかわらず、その存在自体、知られることはなかった――。 本誌 北朝鮮問題取材班

 編集部にスペイン語の手紙がメールで届いたのは、10月28日。拉致事件や核開発疑惑をめぐる日朝国交正常化交渉が行なわれる前日のことである。そこには、「これを日本語に翻訳して、横田めぐみさんの父、滋さんら北朝鮮拉致事件の被害者家族連絡会に渡してほしい」とあった。
 手紙は、こんなふうに書き出されていた。
「私たちはアルゼンチン共和国(アメリカ大陸の南端に位置しています)に長い間住んでいる日系人家族のグループです。皆さまが苦痛と定まらぬ状況に直面しておられることについて、私たちの連帯感と理解をお伝えするために手紙をしたためました」
 差出人は、アルゼンチンの「日系人行方不明者家族の会」。
 いったい、アルゼンチンで起きた日系人拉致とはどんな事件だったのか。同国の家族会の資料を見ると、拉致事件の発生は76年3月から78年5月まで。ちょうど、北朝鮮による日本人拉致事件が起きた時期と重なる。北朝鮮による事件は、日本から連れ去ったケースが77年9月から80年6月、欧州からの拉致が80年から83年である。手紙には、事件の経過がつづられていた。
 「アルゼンチンでは同じ時期、軍部が政権を奪い取り、人々を拉致して秘密の施設や近隣諸国で拘束するというやり方を反対派弾圧に用いました。83年には民政に復帰しましたが、多くの拉致被害者は家庭に戻っていません。全部で3万人の“行方不明者”がいると推計されています。そのうち14人が日系人社会に属していました。現在では、強制収用所に入れられた人々が、拷問を受けて殺害されたということが知られています。でも、どうして彼らが連衡されていたのかの理由について正確な情報はないのです。」(中略)
 他方、アルゼンチンの場合は軍事独裁政権への反対派狩りだったから、私服を着て機関銃などで武装した軍人や秘密警察メンバーが拉致に携わったケースがほとんど。近隣の国々の軍事政権と協力して、拉致被害者を交換したりして隠したり、殺害したこともあった。拉致の場所は被害者の自宅が多く、家族の面前である場合も少なくなかった。
76年11月、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス近郊のビジャバジェステル市の民家から深夜、日系2世の高校生のホルヘ・エドゥアルド・オオシロ( Jorge Eduarudo Oshiro )さんが連れ去られた。姉のエルサ( Elsa )さんが回想する。
「深夜、5人ほどの武装した男たちが踏み込んできました。そして、寝入っていた弟をたたき起こし、有無を言わせず連行したんです。その後、弟の消息はまったくありません」(引用者注1)
 手紙はさらに訴える。
「釈放された人々の証言によって、彼らの一部がどこに拘束されていたか、どのような状況で死んでいったかは知られていますが、家族が埋葬するべき遺骨は、ごく少数しか見つかっていないのです」
 アルゼンチンの行方不明者14人の消息について、民政移管後の歴代政権から情報はほとんど提供されておらず、遺骨も見つかっていない。最近になって、やっと1人分の遺骨が見つかる可能性が出ているぐらいで、遺された家族の無念の思いは募るばかりだ。(中略)
 小誌は30日、このもう一つの拉致被害者からの手紙を翻訳し、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会に届けた。同会事務局次長の増元照明さんは、「初耳で驚きましたが、人道、人権という意味では同じ問題だと思います。会で相談し、先方に返事を出したいと思います」と話している。(後略)


 以上、抜粋引用終わり。

引用者注1:以下、Jorge Eduardo Oshiroさんに関して別資料より抜粋引用。

【30000人のなかの15人の物語 アルゼンチンの日系人社会の失踪者】家坂平人訳

 JORGE EDUARDO OSHIRO(ホルヘ・エドゥアルド・オオシロ)
沖縄県与那城の野辺出身で、1938年(16歳の時)にアルゼンチンに移民したシンスケ・オオシロ( Shinsuke Oshiro )とマリア・タカラ( Maria Takara )の次男として生まれました。母マリア・タカラは、1920年代に沖縄、野辺から移民してきたセイジュ・タカラ( Seiju Takara )とヌタ・イレイ( Nta Irei )の娘としてブエノスアイレス県のCiudadelaで生まれました。6歳の時にマリアは母に連れられて兄弟たちと日本へ行った。第2次大戦後の1951年にアルゼンチンに戻ってきました。
ホルヘは1958年1月2日に生まれ、両親、父方の祖父母、5人の兄弟とずっとVilla Ballesterで暮らしました。そこでEmilio Lamarca校の初等部を終え、"Alemania"工科学校の高等部を卒業しようとしていた、1976年11月10日の早朝、何の説明もせず、身元も明かさなかった武装集団によって自宅から拉致されました。
彼は感性の豊かな青年でした。音楽と文学が好きでした。ギターを弾いて、唄ったり、バンドもやっていました。ビオレタ・パーラ( Violeta Parra )を敬愛しており、Artaudを読んでいました。暴力を信じていませんでしたがその犠牲となりました。社会的問題に無関心ではありませんでした。ですからJuventud Socialista de Avanzada(社会主義青年同盟)に参加し、公正な社会を建設しようという希望をもっていました。
彼はこう書いています。「何千といういつも同じ仮面には多くのことが隠されている。人生では常に新たな気持ちで、勇気をもって、その仮面をこわさなければなりません。愛は決して滅びない。それどころか大きくなり、広がっていくのです。」
私たちから彼の存在を奪ってしまったこの国家のテロが起きたのはかれが18歳の時でした。私たち彼を知るものは彼を決して忘れないし、私たちは、真実と正義がアルゼンチンにもたらされるために闘っている人たちと一緒に努力していきます。
SilviaとElsa Oshiro(姉妹)

以上、抜粋引用終わり。

 家族連絡会がアルゼンチンの「日系人行方不明者家族の会」にどのような返事を出したのか、私は何も知らない。そもそもアルゼンチン他での拉致・監禁・拷問・殺害に関しては、School of the Americas/ Western Hemisphere Institute for Security Cooperationを知らねば返事の出しようもないのであるが、合州国によるSOA/WHISECを使った中南米傀儡政権支配を知ってしまえば、合州国と云う国家・指導部に人権擁護を語る資格があるのかは自ずと明らかである。「国家テロ」の総本山でこう云う講演を行なうとは、皮肉が少々きつい。

 以下、ご参考。

コロンビアについて】益岡賢のページ
「死の部隊】式虐殺(1)】ファルージャ2004年4月(2005/6/25)
「死の部隊】式虐殺(2)】益岡訳、ファルージャ2004年4月(2005/6/25)
「死の部隊】式虐殺(3)】益岡訳、ファルージャ2004年4月(2005/6/25)


 また、Yomiuri Weekly記事は2002年11月17日号掲載であったが、左翼政権が次々と誕生している昨今では状況も大きく変化して来た。ブログ【ラテンアメリカから見ると】掲載記事をご参照。

過去を「解任」、アルゼンチン】BBC Mundo(2005/09/27)
「五月広場の祖母会」名誉会長死去、アルゼンチン】La Jornada (2005/09/23)
ヘルマン事件の資料をウルグアイに要求、アルゼンチン】La Jornada(2005/10/26)
「制服」16人に逮捕命令アルゼンチン軍政時の犯罪、アルゼンチン】La Jornada(2005/10/27)
軍政時代の拷問センター関係者に逮捕命令、アルゼンチン】BBC Mundo(2005/10/28)
「五月広場の母」創立者の遺灰を捧げる、アルゼンチン】La Jornada(2005/12/09)
アルゼンチン元警察官を収監、ワルシュ事件:スペイン】La Jornada(2005/12/13)
アスティスの裁判開始、アルゼンチン】La Jornada(2005/12/15)
アルゼンチン海軍軍人に1万7千年の求刑、スペイン】La Jornada(2006/01/12)
五月広場の母、最期の行進:アルゼンチン】BBC Mundo(2006/01/26)
元アルゼンチン警官タディを投獄、スペイン】La Jornada(2006/02/11)
ビデラ元大統領を拘禁、アルゼンチン】La Jornada(2006/02/14)
過去の人権侵害を認める、アルゼンチン空軍】La Jornada(2006/03/09)
五月広場の祖母を殴打、アルゼンチン】La Jornada(2006/03/15)
反ビデラのデモ、アルゼンチン】La Jornada(2006/03/19)
軍の文書を公開、アルゼンチン】BBC Mundo(2006/3/23)
デモが行方不明者の情報を要求、ウルグアイ】La Jornada(2005/10/01)
【軍政時代の行方不明者発掘は成果なし、ウルグアイ(その1) 】La Jornada(2005/10/05)
軍政時代の行方不明者発掘は成果なし、ウルグアイ(その2/終) 】La Jornada(2005/10/05)
ヘルマン事件の情報収集を始める、ウルグアイ司法】La Jornada(2005/10/20)
軍政時の行方不明者裁判を開始、ウルグアイ】La Jornada(2005/11/01)
ウルグアイで遺体を発見、軍政時行方不明者(その1)】BBC Mundo(2005/11/30)
ウルグアイで遺体を発見、軍政時行方不明者(その2/終)】BBC Mundo(2005/11/30)
さらに遺体を発見、ウルグアイ】BBC Mundo(2005/12/03)
発見の遺体をアルゼンチンで検査、ウルグアイ】BBC Mundo(2005/12/06)
「時効法」廃止を要求、ウルグアイ人権団体】La Joranada(2005/12/13)
さらに35遺体を発見、ウルグアイ】BBC Mundo(2005/12/14)
「過去の対立を繰り返すかも知れない」、ウルグアイ軍隊(その1)】La Joranada(2005/12/31)
軍政時代犠牲者遺体の身元を確認、ウルグアイ】La Joranada(2006/03/01)
退役中佐を尋問、ウルグアイ】La Joranada(2006/03/18)
ウルグアイ独裁者の裁判再開】(2006/03/31)

【おまけ】
 前掲リンク先の【米大統領、拉致を批判「働き掛け強めたい」】Sankei Web(2006/4/29)には、「ブッシュ大統領は、『ブルーリボンバッジ』を胸に付けて、横田早紀江さんとめぐみさんの弟、拓也さんに面会した=現地時間28日午前、米・ワシントン(AP)」と云うキャプション付きで、ブッシュ大統領と拉致被害者家族たちの面会写真が、掲載されている。家族たちが「直接手渡し」た「拉致被害者救出の象徴である『ブルーリボンバッジ』」が、ブッシュ大統領の胸にしっかりつけてられている様を見ることができるのであるが・・・。

 拉致被害者家族が送ったBlue Ribbon Campaignバッジの主張に、ブッシュ大盗聴は気がついて呉れたかな?


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ご参考。
ジョージ・ブッシュのスパイ大作戦(1)「令状なしで盗聴できる社会を!」 】暗いニュースリンク(2005/12/26)
実は、共謀罪だけではない・・・サイバー法案の危険性】情報流通促進計画byヤメ記者弁護士(2006/4/29)


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顔写真・指紋データ収集法,GW明けに本格審議〜無防備な国民でいいのか!【情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士】at 2006年05月05日 01:49