2004年05月21日

【ブッシュ家とサウジ王家:世界に君臨する二大王朝の知られざる関係】クレイグ・アンガー他(2004/3/18)

最近出版されてアメリカでは話題を呼んでいる「House of Bush, House of Saud: The Secret Relationship Between the World's Two Most Powerful Dynasties」(ここだけの仮題:「ブッシュ家とサウジ王家:世界に君臨する二大王朝の知られざる関係」)の著者であるクレイグ・アンガー(Craig Unger)へのエイミー・グッドマンとホアン・ゴンザレスによるインタビュー(3月18日放送、5月11日一部再放送)。

アンガーは数々の賞を取り、マイケル・ムーアの新作「華氏911度」の製作にも深く関わっています。「華氏911度」のアメリカでの配給がディズニーによって停められたのは有名ですが、彼の本もまたイギリスでサウジ王家からの訴訟を恐れた出版社が発売直前に自粛したために出版できなかったという問題の書です。一言つけくわえると、この本でアンガーはアメリカの中東政策と対テロ政策がいかにこの王朝的な癒着によってゆがめられていたかをアメリカ市民に暴き現実的な変革を呼び掛けています。これが戦術的なものなのか、本当にそう思っているのかは分かりませんが、反戦の立場に立つ日本人の視点・作戦と比較するのも面白いかもしれません。
3月18日の放送はこちら:
http://www.democracynow.org/article.pl?sid=04/03/18/157206

書き写しの原文はこちら:http://www.democracynow.org/static/unger.shtml

彼らの出版・配給停止に関する5月11日の放送は:
http://www.democracynow.org/index.pl?issue=20040511

日本では出版されるのでしょうか?参考のため日本のアマゾンから:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/074325337X/qid=1084937018/sr=1-1/ref=sr_1_8_1/249-1567389-9864305

(翻訳:himagin alley)


(ホアン・ゴンザレスによる冒頭紹介/以下本文):

9月11日の攻撃後の何日間の間、アル・ゴア前副大統領を乗せた飛行機は離陸出来なかった。ビル・クリントン前大統領を乗せた飛行機も離陸出来なかった。危篤状態にある心臓病患者に移植する心臓を運んでいたものも含め、飛行中の航空機は強制着陸させられた。

アメリカの空はからっぽだった、しかしその時、140名の有力なサウジ人はアメリカ政府に丁重に付き添われるようにして出国していたと言われている。彼等の中には数十名のビン・ラディン家の人々が含まれていた。そして、彼等はFBIによって一度も尋問されなかった。

19名のハイジャック犯の内の15名がサウジアラビアから来ていたにも関わらず、ホワイトハウスの高官たちは、他の全ての航空機が離陸出来ない中、サウジ市民の避難を許可したのである。

こんなことがどうしてあり得たのだろうか?

答えは20年以上の長期に渡るブッシュ家とサウジ王家の関係にあるという。それが、クレイグ・アンガーによる「House of Bush, House of Saud: The Secret Relationship Between the World's Two Most Powerful Dynasties」というタイトルの新刊が追求している問題である。

(以下、インタビュー)

エイミー・グッドマン(以下AG):ブッシュ家とサウジ王家の長期的な関係は20年に及びます。それは、クレイグ・アンガーによる新しい本の主題であります。その中で、クレイグ・アンガーは、この関係を理解するためには、アル・カイダが誕生した時期に戻らなければならないと述べ、「そのためには、80年代のイラン・イラク戦争、1991年の湾岸戦争、2003年のイラク戦争について研究しなくてはならないだろう。また、そのためには、ダラスやヒューストンの石油王の会議室、そしてカーライル・グループの重役室の中で何が起きたのかを推理しようとしなくてはならないだろう。そして最終的には、これらの情報を突き合わせて、ある種の連続性、つまりブッシュ家とサウジ王家が一つの時代から次の時代へと時代へと協力しながら世界のステージを覇したのだという物語、その流れを把握しなくてはならないだろう。それを成し遂げたとき、ある一つの避けることの出来ない結論があぶり出されるだろう。それがどれだけ恐ろしい響きを持ていようと、この二つの家族の知られざる関係がテロ=恐怖の時代の引き金を引く手助けをし、9-11の悲劇をもたらしたのだ。」
迫力のある言葉ですね、クレイグ・アンガーさん。

クレイグ・アンガー(以下CU):ありがとう。

AG:9-11を理解する上で、この関係が重要であると何故思うのか話して下さい。

CU:分かりました。そうですね、このことは家の居間に象が居るのにも関わらずそれが見えないというような状態に喩えられるように私には思えます。ある有力な論理の一つが目の前にあるのに、それがほとんどのアメリカの報道に無視されてきたのです。つまり、こういうことです。サウジが無ければ、9-11は多分あり得なかった。そして、そのことに誰も焦点を当てて来なかったのです。それは単に19人のハイジャック犯の内の15人がサウジ人であったとか、良く知られているように、オサマ・ビン・ラディンはサウジ人で、彼が首謀者だったとかいうことではないのです。アルカイダの根本を見ると、その資金はほとんどサウジ・アラビアから提供されていて、そこには、サウジ王家の人々や、サウジのエリート商人や、アメリカと取り引きをしブッシュ家と直接な関係のある億万長者の投資家といった人々が含まれています。これが一つの点です。二つ目の点は、サウジアラビアが私たちの友人、私たちの同盟国であるはずだということです。このような友人があるのなら、誰が敵を持つ必要があるのか?と考えずにはいられません。しかし、今までアメリカ中がサウジアラビアとベッドを共にして寝ているような状態だったわけです。そうした関係から恩恵を受けている者は誰でもです、つまり安いガソリンを満タン入れたことのある者なら誰でもです。そして、このことはフランクリン・ルーズベルトがサウジアラビアと同盟を結んだ1940年代にさかのぼるのです。特にブッシュ家というのは、この件で非常に大きな役割を果たして来ました。つまり、過去一世代に渡って彼等がその政策の構築者だったということです。ジョージ・ブッシュ父と、彼の友人で協力者であり、国務長官だったジェームス・ベイカー、そしてジョージ・ブッシュ息子の活動が、彼等が政権を握っているかどうかに従って、民間セクターと公共セクターで行き来していたのです。そこで浮かんで来る疑問があります。それは、「彼等は突き詰めたところ余りにも取り込まれてしまっていて、対テロ戦争を戦えないのではないか?」ということであり、「この関係が対テロ戦争のターゲットの一つになるべきではないのか?」ということです。

JG:私達は以前にもサウジ王族の国外脱出について報道したことがあります。ケビン・フィリップスが先日出した本について彼にインタビューもしました。しかし、私が驚いたのは、あなたが、ブッシュ家の一代目の黎明期から始まって、ブッシュ父そして、ここが私には一番驚くべき部分なのですが、2000年の選挙におけるサウジ王家とブッシュ家の関係までと、その流れの全容をまとめ得たたということです。すこし、お話いただきたいのですが。例えば、フロリダのサミ・アル・アリアンと彼のブッシュ家との繋がりについてお話いただけますか?

CU:これは殆ど報道されていない凄い話しなんです。そして、面白いことに、右翼系の報道だけがこのことについて話してきました。それから、ブッシュの演説の執筆者であるデイビッド・フルムの発言を見たんですが、彼は上司ブッシュにとても批判的で、こう言ったのです。「我々共和党は非常に幸運だ。なぜなら、我々の敵、ライバルである民主党は余りにも機能不全に陥っていてこの事を政治的に論議しようとしないからだ」。事は2000年の選挙に遡ります。そこで、語られなかった重要なニュースの一つは、ブッシュ政権がイスラム系アメリカ人の票を勝ち取る秘密作戦を備えていたということです。本当に僅かの人しか知らないことだと思うのですが、アメリカ合州国にはユダヤ人よりもイスラム系アメリカ人の方が多く住んでいるのです。約700万人いるのです。でも彼等は一つのブロックとして票集めの対象にされて来ませんでした。そして、実際、彼等を一つの票田として扱うのは多分バカらしいことでしょう。イスラム教徒がアラブ人だとは限りません。アラブ人はイスラム教徒だとも限りません。アメリカ黒人のイスラム教徒で特に中東に対して何の忠誠心もない人たちもいます。そこで出て来るのが、ワハビー派です。戦闘的ワハビー派はイスラム系アメリカ人社会の一部ではありません。これは、サウジがその資金援助に大きな枠割りを担っているということを除いての話しですが。とにかく、ブッシュ陣営は積極的にこの票を取ろうとしたのです。フロリダのタンパでイスラム教徒の指導者たちと選挙活動を始めました、あなたがさっき言及されたこの男、南フロリダ大学の教授だったサミ・アル・アリアンも含めてです。そして、彼は今、パレスチナのイスラム聖戦のリーダーとして重要な役割を果たし、イスラエルで2人のアメリカ人を含む100人以上を殺害した自爆攻撃に資金援助を与えたという、テロ活動の疑いで起訴されているという訳です。

AG:それで、このニュースとどういう繋がりがあるのですか?

CU:特筆すべきなのは、ブッシュが彼と一緒に選挙キャンペーンをしたというだけではなくて、私の本の中で彼等がタンパで一緒に選挙運動をしている写真がありますが、ブッシュは彼を選挙の後でホワイトハウスに招待しているのです。そして、ブッシュがそうしていなかったら今日、大統領になっていなかっただろうという非常に有力な論証ができると私は思います。アル・ゴアとの2度目の大統領選ディベートで、ブッシュが突然、熱狂的な市民自由主義者になったかのように振舞ったんです。これは彼の過去からして尋常でないことです。そこで彼が言ったのは、彼はアラブ系アメリカ人に対する人種的分析を用いた捜査に反対だということです。これは全くなんの脈絡もなく出て来た発言でした。そのような質問があったわけでは無かったのです。アフリカ系アメリカ人に対する人種差別の質問はありました、しかしアラブ系アメリカ人についてでは無かったのです(訳注:今では完全に忘れられているようだが、この当時、アメリカでは人種に基づいた警察の捜査が大きな問題となっていた。特に黒人に対する些細なことにもとづく差別的検挙・捜査の実態が大きく報道されていた)。そして、これらの言葉は彼が票を得るための合い言葉のようなものだったのです。彼がディベートでその言葉を発した直後、アラブ系のイスラム系アメリカ人の指導者の携帯電話に31回も着信があって、我々は今やブッシュを支持しなくてはいけないと言ったというのです。そして支持声明は次から次へとやって来ました。ブッシュはフロリダでのイスラム系アメリカ人の90パーセントの票を取ったのです。これは明らかにフロリダでの勝利の鍵となる要因になりました。これがブッシュのフロリダでの勝利を決めた500票の差を埋めて余りある票をもたらしたのです

AG:私たちは、「House of Bush, House of Saud」を書いたクレイグ・アンガーさんと話をしています。あなたは本を大脱走の話しから始めますね?

CU:そうです。私は、ちょっと普通じゃない話だと思うんですが、これも広く知られて来ませんでした。アメリカの報道では、ちらほらとだけ言及されて来たのです。これは、9-11の二日後の話です。アメリカの歴史で最も恐ろしい惨劇、アメリカの歴史で最悪の犯罪があって、3000人が殺されたんですよ。その二日後、9月13日に、ブッシュとバンダー王子はホワイトハウスのバルコニーで葉巻きを吸っていたのです。在米サウジアラビア大使のバンダー王子はブッシュ家に非常に非常に近い、いやブッシュ家の一員のようなものです。元ファーストレディのバーバラ・ブッシュは彼をバンダー・ブッシュと呼んでいて、彼は彼女の家で煙草を吸うことのできる唯一の人なんです。彼はブッシュ元大統領とも親しい友人でした。バンダー王子がブッシュ大統領と一緒に写っている写真の中での彼のボディーランゲージを見れば、これはアメリカ合州国大統領に畏怖している男じゃないんです。これは友人の息子を訪問している男なんです、大きなひじ掛け椅子にくつろいでいるんです。なんと言うか、あれ程、私もリラックスできたらいいんですけどねえ。分かりますか?とにかく、彼らは9月13日にホワイトハウスで葉巻きを一緒に吸っていたわけです。

AG:2001年9月13日に。

CU:その通りです。そして突如として、飛行機の便が出発し始めたのです。私はタンパからレキシントンの便に乗った二人の人に話を聞きました。その便には3人のサウジ王家が乗客に含まれていました。そして、飛行(=逃避行)が始まったのです。私は8機の飛行機が少なくとも12のアメリカの都市を回ったことを突き止めました。これは大作戦だったのです。これにはホワイトハウスの認可が必要でした。ロスアンゼルスから出て、ダラス、ヒューストン、クリーブランド、ボストン、ニューアークと。面白いことに、実際にそのうちの二機は、ハイジャックされた航空機が飛び立った都市から出発したのです。空港の職員はこの実際に起っていることが何なのか全く分からなかったのです。

AG:これはローガンとボストンでのことですね?

CU:その通りです。そしてニューアークです。そして、便は出て行ったんです。私は…

AG:全ての民間のジェット機が離陸出来ずにいたその時にですね?

CU:そうです。実際、9月13日に3機の民間機が強制着陸をさせられています。この脱出の全てが終わるのには二週間かかりました。しかし、重要なのは、それがホワイトハウスの許可が必要だった時に始まったということです。そして、私は前の対テロリズム担当責任者で当時ホワイトハウスの危機管理室にいたリチャード・クラークに話を聞くことができました。そこで彼が私に言ったのですが、事実、彼はこの件に関する議論に関わっていて、彼はFBIが彼らの身元調査を済ましているのなら大丈夫だと発言したというのです。でも、問題は誰も本当に調査を受けてはいなかったのです。私が言いたいのは、ごく通常行われる殺人捜査では、友人や親類家族に話を聞くものです。たとえ彼らが無実であろうとも、本格的な捜査をするのならそうするのです。それで、ここではとてつもなく大きな犯罪があったわけで、彼らのパスポートは確認され、彼らの身分は確認されていたわけです。しかし、多くの場合、いや殆ど全ての場合において、本格的な尋問はありませんでした。

ホアン・ゴンザレス(以下、JG):それではビン・ラディンの家族のどのような人たちがアメリカにいたのでしょうか?

CU:そうですね、私が初めてこれら脱出に使われた便のうちの四つの便の乗客リストを入手することが出来ました。そして私が見つけた中で最も驚くべき名前はアフメド・ビン・サルマンという王家の高い地位にある男のものでした。彼はケンタッキー州のレキシントンにいました。彼はケンタッキー・ダービーの勝ち馬だったウォー・エンブレムのオーナーとしてアメリカでは良く知られています。彼は偉大な競走馬主だったのです。

AG:ウォー・エンブレム(War Emblem 戦争の紋章)ですか?

CU:ウォー・エンブレムです。彼はまたポイント・ギヴンという前年にトリプル・クラウン(訳注:アメリカ競馬の三大レース)の内の二つを勝った馬も所有していました。彼の馬は合計で四つのトリプル・クラウンのレースを勝っています。彼はレキシントンでの二歳馬の競売をしていて、9-11によって非常に気が動転したと言っていました。9月12日に、彼は120万ドル相当の馬を買ったのです。私には、彼がどの程度、気分が悪かったのか分かりません。そして9月13日にはあの便がタンパからケンタッキーのレキシントンにやってきて、数日後には出発し、彼をレキシントンからロンドンに乗せて行きました。

AG:タンパにある新聞が唯一これらの便が飛び立ったことを報道しました。これらの人々を護衛するために送り込まれた年を取ったFBIの捜査官、それとも警察の人でしたか、彼すらも彼らが離陸できるとは全く思っていませんでした。

CU:そうです。その通りです。元FBIの護衛は空港までわざわざ行ったのは金で雇われていたからだと言っていました。

AG:誰に雇われていたのでしょう?

CU:サウジ王家にです。このタンパの新聞、タンパ・トリビューンはこの報道で素晴らしい仕事をしました。しかし、合州国のただの一紙でさえもこのニュースを取り上げませんでした。結局、私がヴァニティー・フェアーに記事を書いたのですが…

AG:これらの飛行機が飛び立った空港に記録は残されていなかったのでしょうか?

CU:実際、探し出すのは全く難しいことではありませんでした。もう一度言いますが、タンパ・トリビューンはとても良い仕事をしたのです。ただ私はそのあとに従っただけです。つまり、名前は書かれていましたし、彼らは記録に残っていました。私は空港のインフォーメーションから調べたのです。こんなことをするのに天才である必要はありません。

AG:私たちはクレイグ・アンガーさんと話をしています。次に話をするのはバーソン=マーステラーのようなPR会社が9-11以降の混乱をサウジが乗り切る手助けとして何をして来たのかといった事などについて話をしようと思います。

JG:本の中であなたは、ビン・ラディン家、それからサウジ王家とブッシュ家の長年に渡る関係に着いて明らかに語っていますが、明らかにクリントン政権も、様々な方法で、サウジ王家と、またはビン・ラディン家ともいくらかは、取り引きをしなくてはなりませんでした。あなたは政権交代期について書いています。つまり、ブッシュが入って来たとき、サンディ・バーガーとクリントンの官僚たちが対テロ戦争についてブリーフィングをして、彼らがどう反応したかについてです。このことについて少し話して下さい。

CU:このこともまた40年代に遡る合州国とサウジアラビアとの関係が絡んで来ます。私たちは戦略上の備蓄としての原油を必要としていますから、民主党か共和党かに関わらずサウジと親しくするのは珍しいことではありません。それに加えて、サウジは本当に両党から党派を問わず友人を得ようとしていました。ある時にはアーカンソー大学の中東学プログラムに2300万ドルの献金をしました。私は、これはクリントン大統領の好意を得る一つの手段だったと思います。いずれにせよ、彼らはブッシュ家に対するほど、クリントン政権とは親密であったことはありません。

1990年代の初頭のテロ問題というのはいささか混乱していました。湾岸戦争後、ビン・ラディンは勢力を持って来ていました。しかし、90年代半ばを通じてのテロの概念というのは国家によるテロのものでした。例を挙げれば、リビアのカダフィとかです。1990年代の半ばに至って、クリントン政権は、オサマ・ビン・ラディンとアル・カイダが新しい形のテロリズムを発明したということがやっと分かりかけていました。すなわち、これがトランスナショナルなテロリズムであり、彼らは独自のやり方があり、イスラムのチャリティ
を通じて資金を集めているということです。そして、取締りを始めていました。サウジ政府、特に銀行システムに圧力をかけていました。これらは、いくらかの曖昧な成果をあげましたが、同時にクリントン政権はその後期にモニカ・ルインスキースキャンダルのために傷付き、動きがとれなくなってしまいました。

もちろん、アル・カイダへの反撃に関しては、1998年の8月にクリントンは記憶に残るような攻撃を加えました。この前の月に、アル・カイダは5分の間隔をあけて殆ど同時にケニアとタンザニアのアメリカ大使館を爆破するという、途方も無いことをしていました。これらは巨大な1000ポンドの爆弾で、アル・カイダが精妙であり、世界貿易センターでのちに起るような作戦を実行できるということを見せつけました。そのとき、リチャード・クラークはアル・カイダへの報復をするため積極的なキャンペーンを始めました。クリントンはところが、このために悪者にされてしまったのです。映画「Wag the Dog」(邦題:「ウワサの真相:ワグ・ザ・ドッグ」)を思い出せば分かると思いますが、アル・カイダへの反撃により彼は笑い者にされました。共和党がその先頭に立っていたのです。彼らはテロへの資金援助を規制する銀行法案に反対していました。共和党の上院議員フィル・グラハムがそうしたのです。

JG:あなたが言っているのはスーダンの製薬工場への攻撃のことですね?それからアフガニスタンでのビン・ラディンを始末しようとした攻撃。これらについて話しているんですよね?

CU:その通りです。1998年にです。

JG:あなたはまた、その製薬工場の代理人をしている弁護士が共和党の忠実な支持者であり、ミシガンでのブッシュ支持者であると言及していますね?

CU:そういう明らかな葛藤が沢山あるのは、本当に驚くべきことです。例えば、サウジアラビアへの大使、ロバート・ジョーダンはジョージ・W・ブッシュ個人の弁護士でした。ブッシュのハーキン・エナジーでのインサイダー取引の疑惑で、ブッシュを弁護しました。ハーキン・エナジーはサウジアラビアからの金銭援助で救われたのです。彼はまたサウジアラビアの法的代理をしているベイカー=ボッツというジェイムス・ベイカーの法律事務所の弁護士だったのです。

AG:9-11の犠牲者からの訴訟に対してですね。

CU:その通り。まさにその通りです。彼らはまたサウジと多くの取引をしてきた巨大な未公開株投資会社であるカーライル・グループも代理しています。

AG:早速そのことについて話してみましょう。これにも、あなたの本に登場するジェイムス・バスが関わっていますね。ジョージ・W・ブッシュの救済と彼のサウジ家のみならず特にビン・ラディン家との関係について話してください。

CU:ええ、ジェイムス・バスは物凄く謎めいた人物でしたので、私に電話を掛け返してきたのにはびっくりしました。私はすぐにヒューストンに飛んで行きました。彼はテキサスのリバティーに住んでいるのです。彼は、私が「ヒューストン=ジェッタ・コネクション」と呼んでいるものの当初の会長だったのです。彼はジョージ・W・ブッシュと共にテキサス航空警備隊にいました。彼はブッシュとブッシュ父など合計4-5人の大統領候補と友人でした。彼は当時、航空機の販売をしていて、たまたま一機をサレーム・ビン・ラディンというオサマ・ビン・ラディンの兄にあたる当時25歳だった男に売りました。彼はヒューストンにサウジアラビアの有力な銀行家で25歳だったハリッド・ビン・マンフーズとという男と一緒に来ました。彼らは商売関係をテキサスの有力政治家たちと結びはじめたのです。面白いのですが、この頃、サウジはアメリカの株式に8000億ドルに至る投資を始めました。これらの会社の殆どが私たちの良く知っているウォール街の巨大企業です。私が最も興味をひかれたのは、彼らがそれほど経済的にうまく行っているわけではないけれども有力な政治家に関係がある会社に出資していたということです。具体的に言えば、ジョージ・W・ブッシュが創立した小さな石油会社がありました。そして、80年代後半にはジョージ・W・ブッシュが取締役をしていたハーキン・エナジーがありました。当時のハーキンの業績はひどく、湯水のように金が無くなっていました。物凄い会計不正もありました。当時、石油の価格は暴落していました。そこで、わたしは聞きたいのですが、世界の石油を牛耳っているサウジが、地球の向こう側にまで来て、この哀れな潰れかかっている会社に投資するなんてことがあり得たのでしょうか?それはジョージ・W・ブッシュという当時合州国の大統領の息子が取締役をしているということを除いてはのことですが…

AG:サウジは大統領を一人買い取ったと言えるでしょうか?

CU:私が見い出したのは、驚くべき数字だったのです。取引の全てを出来る限りたどってみたところ、これは低く見積もった数字だと思いますが、14億ドルがサウジ王家とその同盟者からブッシュと彼の同盟者が大きな利権や重要な地位を持っている会社に流れています。これらはカーライル・グループ、ハリバートン、ハーキン・エナジーといった会社です。この数字がどれほどのものなのか少し比べてみると、クリントン夫妻のホワイトウォーター(訳注:クリントン政権初期の不正投資疑惑。余談ですが、メディアと野党のクリントン攻撃はブッシュに対するとは比較にならないほど、厳しかった)への投資の2万倍です。

AG:そこで、あなたの言っているこの15億ドルに近い金額ですが、ブッシュ家自体に個人的にはどうだったのですか?図書館などに使われたようですが、この金額の見積もりについて話して下さい。

CU:少なくとも100万ドルがそれぞれの大統領記念図書館に注ぎ込まれました。ここで私が言っておかなければならないのは、サウジは一般的に言ってこの方面では両党派的だったのです。彼らは民主党にも共和党にも献金をします。また、バンダー王子も開けっぴろげに話してきました。私たちの友人が役職から降りた後に贈り物をすると、まだ役職に着いている人達は我々のメッセージを理解するんだ、と。どちらにしても、ブッシュ家は裕福であることに間違いありません。私は彼らが金のためだけに、この業界にいるとは思っていません。これは権力をめぐってのことなのです。そして、この金の多くがは彼らの郎党どもに直接に流されているとは思いません。それよりも、これは石油産業と軍事産業の金が注ぎ込まれている権力の器なのです。そして、それは彼らの友人や協力者そして巨大な未公開株投資会社であるカーライル・グループの面倒見をするのです。合計160億ドルの資産を持つ会社の数々を経営しているわけですが、15年前には存在しないようなものだったです。

AG:「House of Bush, House of Saud」の著者、クレイグ・アンガーさんをゲストに迎えています。

JG:あなたはサウジ王家そしてビン・ラディン家とブッシュ家の歴史を記述しているわけですが、そこに9-11が起きて、対テロ戦争が突如としてイラク侵攻に変身するわけです。あなたは、どのようにしてブッシュ政権がこのテロに関しての深いサウジコネクションというものを無視しきってしまうのかということについても書いていますね。

CG:そうです。9-11が起きて五時間も経たないうちに、ラムズフェルド国防長官は「これは広く攻めて行こう。サダムをとっちめよう。関係していたかどうかは問題ない。」と言ったのです。1992年にまで辿ることができるのですが、サダムをやっつける計画は国防副長官ポール・ウォルフォウィッツのようなネオコンによって作製されたのです。そして、それらの計画で繰り返し言われたことは、この政策を軌道に乗せるには真珠湾攻撃のようなものが本当に必要だということです。サダムは全く関わっていないと私は思いますが、9-11はまさにそれだったわけです。いずれにしろ、ブッシュ政権はアメリカ人の70%にサダムが悪者だと信じさせることができました。彼は残酷で、とんでもない、ひどい男です。このことに疑問の余地はありません。しかし、彼は9-11と何の関わりもなかったのです。

AG:クレイグ・アンガーさん。9-11について人々が理解していることについてはどうでしょうか?この国の殆どの人に調査をしたとして、彼らはハイジャック犯の大半である19人のうち15人がサウジアラビア出身だということを信じないと思うのですが。多分ほとんどの人が彼らはイラクから来たと思うでしょう。このような事についてはどうでしょう?この状態は入念に造られたわけです。9-11の見せ方にかなりの圧力がかけられてきたのです。9-11の後に在米サウジ大使が何をしたか話して下さい。

CG:サウジ政府は広報活動に素晴らしく長けています。過去30年を見ると、彼らは700億ドルをプロパガンダに使っています。これは冷戦の最盛期のソ連をしのぐ、世界の歴史で最も大きな宣伝キャンペーンだったのです。9-11の直後、さっそうとしていて魅力的で、ある意味アラブ世界のギャッツビーのようなバンダー王子はアメリカの巨大な広報会社バーソン=マーステラーを雇いました。彼は考えられるすべてのインタビュー番組に出演しました。彼は何度も何度もオサマ・ビン・ラディンはサウジではないと言ったのです。実際、彼の市民権は剥奪されていました。しかし、ビン・ラディン家はサウジの中のサウジです。彼らはサウジアラビアの偉大な構成員で、サウジ王家と親密な場所にいる億万長者なのです。オサマ自身がこういう矛盾の体現者なのですが、ビン・ラディン家は一方で非常に西洋的な顔があって、ディズニーやポルシェやスナップル(訳注:大手清涼飲料企業)と取引をしたりするのですが、他方ではこの悪童オサマが恐ろしいテロ攻撃をし、想像のできる限り最も戦闘的な狂信者なのです。

JG:バートン=マーステラーのような広報会社がどうしてこのようなことが出来たのですか?どうやって、アメリカの世論にこのような大きな影響を与えたのでしょうか?

CG:インタビューを次から次へと準備したのです。つまり、サウジ政府に話を聞きたければ、広報エイジェンシーに連絡をすれば彼らにすぐに会えます。彼らはこれが非常に上手なんです。私はつい先週、マイケル・ムーアと一緒に彼の新作「華氏911度」の撮影でワシントンDCにいました。私たちは、サウジ大使館の向かいの歩道で撮影していたのですが、誰が出て来たと思いますか?彼らは私たちが撮影しているのを見て、若くて魅力的なサウジアラビア人女性を使わしたんですが、その彼女曰く、「まあ、ムーアさん!私たちはあなたの大ファンなんですのよ。」私は、そんなこと全く信じられません。でも、あれは広報の素晴らしい一手だったと思います。そして、彼らは何度も何度もそうしているのです。

バンダー王子を見ると、彼はあの頃考えられる全てのインタビュー番組に出演してました。彼は言いました。サウジアラビアにはテロはありません。私たちはサウジアラビア人犠牲者です。彼らはある意味、切りくずすことが困難な説得力のある論理を作り上げました。彼らは言ったのです「ザカットというイスラムでチャリティを意味する言葉があります。これはイスラムの教えの柱の一つです。だから、私たちはとても気前が良いんです。」サウジ王家がチャリティにすごい額を寄付することは事実です。もちろん、そうするのに必要な金を彼らは何十億ドルと持っているわけですから。そして、その金がどこに行くのか調べることが難しいのです。例えるならば、あなたがユナイテッド・ウエイ(注:大手慈善団体)に寄付した金がアイルランド共和国軍にわたったようなものです。だからと言って、あなたがテロリストだとか、罪があるというわけではありません。しかし、もっと深く調べてみると、問題はもっと複雑です。確かに90年代の半ばには合州国の対テロ分析はこのことを知っていて、クリントン政権は取締りを始めていたのです。1995年、1996年とサウジアラビアで爆破があったとき、彼らはサウジ政府に圧力をかけて銀行制度を捜査しようとしました。でも、サウジ政府は非常に非協力的でした。これらの爆破事件の爆破者もしくは容疑者は捕らえられると、FBIの尋問の前に斬首され、尋問は許可されませんでした。ですから、実態はサウジ政府の広報が見せているものよりも遥かに複雑なのです。

AG:9-11レポートと28頁の黒塗りにされた部分について話して下さい。

CU:そうですね、何がそこに書かれているのかは私にも分かりません。9-11調査委員会が疑問の根底まで本当に調べなければいけません。彼らはブッシュ政権がどうして9-11以後にサウジ人たちが出国するのを許可したのか問いかけなければいけないはずです。これらの人々を調査なしに行かせたことは目も覆いたくなるような実にひどい情報収集活動の失敗です。アルカイダと繋がりのあったと言われ、9-11を予め知っていたという、アフメド・ビン・サロモン王子でさえも、ブッシュ政権によって尋問を受けずに9-11の直後に出国を許されました。どうして、こんなことがありえたのでしょうか?ブッシュ家はサウジ家を友人だと考えるほど親密だったからなのでしょうか?

これらの質問をすれば陰謀説キチガイとして扱われるため、これらの質問は避けられてきました。ところで、私は陰謀があったとは思っていません。ビジネスがあったのです。14億ドルにのぼるブッシュ家とサウジアラビアの取引があったわけです。こんなビジネスをする場合、「食わしてくれる者の手を噛むな」というのがビジネスの絶対原則です。14億ドルをもらったわけですから、その相手はクライエントであり、ビジネス仲間であり、友人であり、家族の友人であるわけです。バンダー王子はジョージ・ブッシュ父をケネブンクポートに訪れたり、現大統領ブッシュと共にクロウフォードに行ったりするわけです。一緒に狩りに行ったりもする。これは家族の友人なわけです。

AG:フロリダの投票の時に狩りをしていたのではありませんか?

CU:その通りです。また目につくのは、2000年のフロリダの投票は湾岸戦争の同窓会のようだったということです。これは湾岸戦争の10年後のことです。わたしがこの本でしようとしたことは、この世界で最も力のある二つの家族の30年を描こうとしたことです。ですから、湾岸戦争が起ったときには彼らは10年来の友人であるわけです。彼らはサウジアラビアでサウジ王家の利権のために一緒に戦争をしている相棒だったんです。ここでまた、忘れてはならないのは、このことはブッシュ父とサウジ王家がかつてはサダムフセインの重要な支持者だったにもかかわらずのことであったということです。ですから、信じられないような皮肉がここにはあるのです。

AG:イラン・コントラ事件。ブッシュ家とイランの武装化と、イスラエル、サウジアラビアとの繋がりについて話して下さい。

CU:うわぁ。これはあっちにこっちにとねじれ続けた政策でした。このひどく残酷な現実主義が頭をもたげるのが見えます。そこには何の原理もないのです。レーガン=ブッシュ政権の中には二つの派閥がありました。1980年は52人の人質とともに始まったことを思い出してもわかるように、イランはイスラム教徒かつ敵として悪魔のように扱われていました。同時に、政権の一派は、イスラエルにとってもっと危険なイラクに対する防波堤として、また敵の敵は味方だとしてイランに武器を渡さなければと主張したわけです。別の一派は「イランの原理主義が広がれば、サウジアラビアにある我々の原油が危ない、だからイラクを武装すべきだ」と言ったわけです。そして、老ブッシュ大統領は両方の派閥についていたのです。彼はあっちに傾いたりこっちに傾いたりしていたのですが、実際に中東へ秘密使節として行きました。もちろん、これは「偉大な平和の使節」としてアメリカで報道されました。実際、彼はウィリアム・ケイシー(訳注:当時CIA長官、イラン・コントラ事件の中心人物)の諜報員だったのです。彼は、アメリカ合州国の副大統領だったのですが、サダム・フセインにイランを爆撃するのに助けになる軍事情報を供給していました。

AG:これがジョージ・ブッシュ。

CU:ジョージ・ブッシュ父です。

AG:副大統領として。

CU:副大統領として、そうです。

AG:CIAのために働いていた。

CU:そうです。

AG:元CIA長官でした。

CU:このことは元は1992年に「ニューヨーカー」にマレー・ワッツと一緒に書いています。

AG:彼はサダム・フセインに秘密情報を渡したわけですね。

CU:間違いありません。

AG:イラン兵の位置を知るために?

CU:そうです。彼らは武器と人質の取引きをしようとしていました。彼らはイランに人質を一人釈放させたのですが、イランがもう武器はいらないと言ってきました。そこで、レーガン政権は取引きに必要な立場を失いました。どうすればイランにもっと武器を欲しいと言わせることができるのか?イラクに彼らを爆撃させるのです。そうするためにはイラクにもっと軍事戦術的情報を渡さなければいけませんでした。それで、衛星からの情報をもって、ジョージ・H・W・ブッシュ、ブッシュ父がこれがすべてうまくいくように1986年に特使として行ったわけです。

JG:この証拠はありますか?

CU:私たち、マレー・ワッツと私は1992年にこれを報道したのですが、国務省その他からの極秘電報を入手することができたのです。

AG:イラクは毒ガスをイランに対して使いましたね?

CU:はい、使いました。また、彼らはアメリカのヘリコプターを使ってそうしたという疑いもあります。もっとも衝撃的なことのひとつは1983年にはレーガン政権はサダム・フセインが化学兵器を使っていることをよく知っていたということです。わたしがイラク戦争が偽善的だと思う理由の一つは、ドナルド・ラムズフェルドは当時レーガン大統領の大統領特使として二度、サダム・フセインに会いにバグダッドに行っているのです。私の本にも写真が載っています。彼が基本的に言おうとしていたことは、「まあ聞いてくれ、公式にはあなたが化学兵器を使ったことを非難するけれども、心配しなくても、あなたとうまくやって行くつもりだから」ということでした。これはワシントン・ポストにも報道され、電信もあります。1984年の3月にもこのメッセージを確実にするために行っています。

AG:実際、彼はイラクとの関係を正常化するために、非難は控えていました。ドナルド・ラムズフェルドはサダム・フセインに対して強く抗議することはありませんでした。それで、あの有名な写真があるわけです。私はデモクラシー・ナウ!のプロデューサーで記者であるジェレミー・スケイヒルが報道したことも言っておきたかったのですが、この写真の発見以来ラムズフェルドは主流メディアで時折この件について問いつめられています。

CU:そうです。ここで付け加えることは、サダムの残虐さに関する証拠が増え続けたにもかかわらず、この政策はさらに7年間続けられたということです。ですから、同じ人間、チェイニー、ラムズフェルド、コリン・パウエルといった当時の政策に関わっていた人たちがいたわけです。

JG:あなたの本の読者である平均的アメリカ人には教訓があると思います。このブッシュ家とサウジ家の長期的関係がアメリカの平和と安全、そして全体の状況に何を意味したのかに関してです。

CU:そうですね。教訓は、見えているものが事実だとはかぎらないということでしょうか。私はアメリカ人が…ちょっと面白いことですが。なぜ、このことが報道されてこなかったのか?そして、なぜ、このことは完全に埋められてきたんだろうかと思います。結局、アメリカ人はスペクタクルが好きなのですが、彼らは自分たちの奥底にある秘密を調べたくないのです。それはアメリカンライフの基本的な構造の一部であるので、そうすることは安定を脅かすことになるのです。彼らは不安定さを物凄く恐れています。アメリカ人はこの関係から利益を得て来たのです。この政策は素晴らしく成功的だったとも言えるでしょう。安いガソリンが欲しいのならです。同時に、政策というのはある期限を過ぎて、その利便性を越えて続けられることもあるのです。アメリカ人が殺されて行く中、サウジアラビアというのはそれほど素晴らしい同盟国なのだろうかという疑問を持たずにはいられないのです。

AG:クレイグ・アンガーさん、ご一緒いただき、どうもありがとうございました。

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米兵はイラク人たちの死体の上に大便を垂れ、そして車両で踏みつぶした【低気温のエクスタシーbyはなゆー】at 2004年05月22日 15:07
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