2004年10月30日

【果たされた約束】クリスティアン・エリア(2004/10/15)

出典:Peace Reporter.it
翻訳:飯田亮介( info@ryosuka.com )

訳者解説:日本人旅行者がまた誘拐されたと言う。彼がどんな人物であるのかは分からないが、大手新聞の言うように「サマワが見たい」として行ったとすれば、同じ気持ちをいくらか持つ自分にはつらい話だ。無事を祈りたい。
以下にお届けするのは、やはり民間人であり、世界の紛争地区を旅しては記事を書いて報告をしてくれていたイタリア人エンゾ・バルドーニの物語である。イラクに向った彼は、やはり誘拐され、そして殺害された。当時のイタリア政府の反応も、日本政府によく似ていた。



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10月15日発信、物語とルポルタージュ「イラク」:写真の彼がモハメッド。エンゾ・バルドーニが生前、力になることを約束していたイラクの青年である。エマージェンシーは彼をひと月以上前から探し続け、ついに見つけ出した。

2004年10月14日記。モハメッドはバクダッドに暮らす二十才と少しのイラク青年だ。同年代の多くの若者たちと同じく、モハメッドはかなり若いうちに結婚し、初子の誕生を待っていた。そんな時、戦争が起こり、彼の人生を決定的に破壊した。多くのイラク人に起きることだが、彼の場合は米軍のある攻撃が人生の方向を変えてしまった。モハメッドは攻撃の間、妻とその胎内にいた赤ん坊が死ぬのを目撃し、彼自身、膝から下の両脚を失った。

彼のエピソードは、より大きなある物語の一部をなすものだ。1980年、イラン・イラク戦争の年から途切れることなく暴力と死に染められた生活を送ってきた、殆ど全てのイラク人たちの物語。イランとの戦争のあとはクェート侵攻、そして合衆国の指揮する同盟軍による攻撃。それから十年間、厳しい経済制裁が米軍とその同盟軍による第二の攻撃が始まるまで続く。

だから、イラクのような国ではモハメッドは別に特別な例とは言えない。ただ、2004年8月のある日、彼の人生はまた変化することになる。今度は良い方向に。その出来事は、遠い国からやってきたある男の人々への愛情から生まれた。男はイタリアから命がけでやって来た。戦争をテレビでしか観ることの無い者たちに、イラクにいる全てのモハメッドたちの物語を話して聞かせるために。

その男とはエンゾ・バルドーニである。彼は成功した広告業者であり、やっとのことで生き抜いている者たちのことは忘れ、人生を満喫することも出来たはずの人物だった。だが、エンゾはそうではなかった。余暇があれば、暴力の悲劇を日々生きている人々の物語を語ることに時を費やすことを好んだ。コロンビアにビルマ、チアパス(訳注:メキシコ南部の州)に東チモール、彼は世界中のモハメッドたちをいつも追い続け、数々の物語を語り聞かせるために書く情熱が絶えることはなかった。エピソードは、時にインターネットのブログ(http://bloghdad.splinder.com/)で語られた。

こうして、2004年8月6日、エンゾはイラクに向った。NGOのための特別機でヨルダンのアンマンからバグダッドに到着。ホテル・パレスティナに宿泊。そしてヨルダンのパレスティナ人、Ghareebと出会う。エンゾはGhareebを信頼し、彼とともに戦火のなかの国を巡ることを決意する。2004年8月9日、Ghareebの日産のジープに乗って、ファルージャに向って出発。国際連合軍によればファルージャは、オサマ・ビン・ラディンの部下とされるAbu al- Zarqawiの兵士たち、ひくことを知らないゲリラ兵たちが隠れているとされる町だ。エンゾとGhareebは旅の途中で一度、Ghareebの友人たちの家で食事のために脚をとめた。そこで、エンゾはモハメッドと出会うことになる。

「こういう手紙が君には山と届けられることは分かってる。だけど、バグダッドを目指していたアメリカ軍が通りかかった時、田舎暮らしのモハメッドは、ちょうど出産の瞬間を迎えようとしていた妻に付き添っていたんだ。そして、一台のブラッドリー(編集者註:軽戦車)がふたりの乗った救急車を砲撃した。モハメッドは両脚を失って車の外に放り出され、妻が生まれかけの赤ん坊とともに焼け死ぬのを目撃した」。

「どこかの慈善団体が彼に義足を与えたが、サイズ37と38でふぞろいだ。それにモハメッドは膝蓋骨も片方ないんだ。僕の大好きなこのバクダッドの若者のために、なにか出来ないだろうか?モハメッドはこのあいだ再婚したばかりだ。彼は人の心を明るくさせる素敵な微笑みを持っている。だけど新妻は、脚のない彼を自分の両親に紹介するのを恥ずかしがっているんだ。元気で」。

そして、「エンゾ・バルドーニ」のサイン。

このメールの宛先はテレーザ・サルティ。世界の紛争の民間人犠牲者たちの救済活動をかなり前から行っていて、イラクでは九年前から活動しているイタリアのNGO・エマージェンシーの代表者である彼女だ。エマージェンシーはメールに反応し、モハメッドが義足を受け取るだろう事をエンゾに約束した。そしてイタリア人レポーター(エンゾ)に、イラク北部のSulaymaniaでエマージェンシーが運営するリハビリテーション・センターと連絡をとらせた。そこでモハメッドは治療を受け、歩くことが出来るようになるはずだった。しかも両足とも同じ長さで。そうすれば、彼も結婚できるようになる。歩けるようになる権利は誰にでもあるのだから。

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「テレーザ、君は天使だ。僕が自分でSulaymaniaにモハメッドを連れて行けるようにするよ。旅に必要な書類もすべて用意しよう。(ごめん。嬉しくて大泣きをしそうなんだ。馬鹿な感激屋なもんで)」エンゾはそう答えた。そのメールには、胸にくる一枚の写真が添付されていた。モハメッドとエンゾが寄り添って座り、不ぞろいの義足を手にしている写真。だが何よりも二人の笑顔、外国人たちが全てを奪い、他の外国人たちが命を還してくれる場所での、死の狂気と生の狂気からくる二人の微笑みがそこにあった。


旅の準備の合間に、バルドーニはナジャフへと向う。ナジャフは戦火が燃え上がり、街中で戦いがおき、極限状態にある住人たちが助けを必要としている都市だ。8月15日、人道支援のコンボイ(旅団)とともにエンゾはナジャフについた。8月16日、エンゾはまたバグダッドにいた:彼は肩を脱臼してしまい、旅を中断しなくてはならないかと心配していた。8月19日、イタリア赤十字のメンバーと物資を載せたまた別のコンボイがナジャフへと向った。この赤十字の団員たちと物資は、エンゾが強く希望し、催促したものだった。そして、エンゾも彼らと行動を共にした。これから先の出来事は、すべてが謎に包まれている。エンゾが寄稿していた週刊「ディアリオ」によれば、そのコンボイはナジャフに到着した。国際赤十字によれば、コンボイはKufa(ナジャフの手前15キロ)で停止したことになっている。復路、Mahmudiya近郊でコンボイの先頭を走っていた車の下で、地雷が炸裂した。その一台には、まさしくエンゾとGhareebの二人が乗っていた。

コンボイは安全上の問題からバグダッドに向って走り続け、Ghareebは爆発によって死亡し、エンゾは誘拐され、五日にわたって彼の消息は不明となった――今や、これらの事実は確かなもののようだ。赤十字とイタリア政府はそれが誘拐事件であること、または、少なくとも何か劇的なことが起きていることは知っていたが、当初は、衛星電話すら持たずにイラクで危険を冒した向こう見ずな男というバージョンのニュースを広めた。2004年8月24日、アル・ジャジーラ放送に(エンゾ)バルドーニを映したビデオ・テープが届けられる。ビデオの中で「イラク・イスラム・グループ」を名乗る集団が誘拐の犯行声明をした。誘拐犯たちは48時間以内のイタリア軍のイラク撤退を要求し、さもなければエンゾを殺すとした。つらい時が過ぎて行く。「平和主義の男」の解放を求める、エンゾの子供たち、グイドとガブリエッラの複数の声明が時を刻んだ。2004年8月26日、恐れていたニュースが届く:エンゾ・バルドーニが殺害されたのだ。まず(殺害の場面の)ビデオの存在が語られるが、実際、人々の手に入ったのは不鮮明な一枚の写真だけだった。エンゾの遺体に関する情報はゼロだった。悲しみと哀悼の時。

一方でイラクでは、もう長いことエマージェンシーと働いているクルド人のHawarが悲しみに負けまいとしていた。彼には果たすべき約束があったのだ。Hawarはモハメッドの写真入りのポスターを印刷させ、何千枚ものポスターをイラク全土に配布させた。さらに、戦火にもかかわらず配達されている僅かな新聞各紙に、(モハメッドを探す)広告を掲載させ、テレビ・ラジオにも広告を打った。情報提供用の電話番号に、最初の電話がかかる。「彼のことなら知ってます」電話の人物は言った「モハメッドはal-Amarah地区に居ます」。

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情報提供者は電話番号もひとつ教えてくれた。Hawarはあらゆる方法でその番号に電話をかけてみようと試みたが、戦火のなかのイラクでは何ひとつとして簡単にできることが無いのであった。そこでHawarは、ナジャフに暮らす幼なじみに電話をし、事実の確認を頼んだ。Hawarの幼なじみの名はSherazade、Sherazadeはal-Amarahに向った。ただ、al-Amarahに到着した彼を待っていたのは思いもしなかった事実だった:与えられた電話番号は地区の消防署のものだったのだ。

消防署でSherazadeがモハメッドの写真を見せてまわると、一人の消防士がその居場所を知っていると言った。ただ、エマージェンシーに電話したのが誰なのか知っている者は一人もいなかった。消防士はHawarの幼なじみに、翌日また来るように頼んだ。翌日、消防士は別人の青年を連れて現れた。青年もモハメッドと言う名で、やはり両足が無かった。あのモハメッドと同じく彼もまた、より大きな物語の登場人物だ。エマージェンシーには青年を助けることが可能であり、事実助けることになる。だが、彼はエンゾのモハメッドではなかった。Hawarはあきらめず、探し続け、地元テレビ局数社に広告を放送させた。「もしこれも効果がなければ、」Hawarは言った「アル・ジャジーラに行ってくるよ」。

さて、Sherazadeはナッシリヤに向うことになった。ナッシリヤはイタリア軍が派遣されている町で、エンゾはイタリア兵たちみんなと顔見知りだった。もしかしたら、誰かモハメッドのことも何か知っているかもしれない。だが、兵士たちからも、赤十字からも何の情報も得ることが無く、町の郊外へと向う数多くのタクシーの運転手たちも誰もモハメッドを見たことがなかった。

その代わり、電話がたくさんかかってくるようになった:みんな自分がモハメッドだと言い、エンゾの友だちだと名乗った。そして全員が両足を必要としていた。エンゾ、それに彼と同じように考える人たちは正しかった:戦争のある処には、助けるを必要としている多くのモハメッドたち、それぞれのエピソードが語られるべきたくさんのモハメッドがいるのだ。エマージェンシーは、電話をかけてきた人々全てに、できる限りのことをすることになる。だが、守るべき約束が一つあることは忘れることがなかった。

Hawar は探索の範囲をバグダッド周辺に移動することにした上、探索に自分の一族全員を巻き込んだ。親族の一人などはいわゆるスンニ派三角地帯全域を回り、あやうく命をおとしかけた。バグダッド、ファルージャ、Ramadiのあらゆる病院が調べたが、モハメッドの足どりはまったく掴めなかった。

Jamalにはひとつの直感があった「何かを知りうる唯一の人物は『ムクタール』だ」。恐ろしい戦争に破壊された国においてムクタールはある種の「区長」のようなものであり、人々が認める唯一の実質的な権威なのだ。確かにこの権威は一つの地区に結びついたものでしかないかもしれない。だが、その存在は決定的なものだ。

バクダッドからほど近いAbu Ghraib近郊地区のムクタールが実際、正しい人物だった。昨日(訳注:10月13日)、ミラノにいるHawarに電話があった。「彼を見つけたよ!!!」息を切らして電話の声が叫んだ。「誰?誰を見つけたんだ?」驚きながらHawarは答えた。「モハメッドさ、モハメッドを見つけたんだよ!!!」。

抑え切れない喜び。すぐさま、青年をSuleymaniaにあるエマージェンシーの施設に運ぶ手だてが講じられた。Abu Ghraibからバグダッドに連絡が行き、そこからイラク北部、エマージェンシーの病院に電話が届いた。モハメッド本人と話すにはまだ時間がかかるだろう。じっとしていられない気分のHawarだったが、「ジュージに電話をしなきゃ。電話は僕がしたいんだ」と言うだけの落ち着きはあった。ジュージはエンゾの伴侶で、この知らせをまず彼女に伝えるのは正当なことだった。

「Hi Giusi, I'm Hawar, エマージェンシーです。モハメッドのこと覚えてますか?彼を見つけました」。もちろんジュージは覚えていた。それに、彼女の人生の伴侶がどれだけモハメッドに愛着を持っていたかも。

テレーザ・サルティとエマージェンシーの全メンバーはこの知らせに興奮した。「ディアリオ」紙の編集長、エンリーコ・デアリオにも連絡がいった。エンゾの好きだった彼にも知らせなくてはならない。一ヶ月以上がたち、ようやくモハメッドは見つかった。義足も手に入れるだろうし、妻にも面目がたつことだろう。エンゾ・バルドーニの遺体についての情報はまだ何も無いが、彼が一人の友人と交したその約束は果たされた。

クリスティアン・エリア

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原題:Ricominciare a camminare 訳者:飯田亮介 info@ryosukal.com 10月末にお届けしたピース・レポーターの「果たされた約束」の続報です。 背景はとてつもなく悲劇ですが、明るい知らせです。イラクからの朗報、ご覧下さい。
【ふたたび歩き出す】クリスティアン・エリア、Peace Reporter.net(2004/12/9)【反戦翻訳団−Antiwar Translation Brigade−】at 2004年12月14日 23:02
この記事へのコメント
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ことが起こっている「現場」に行くこと。一番重要なことでありながら一体どれほどの人がそれを実行できているのでしょう?

 死の危険を顧ずに現場に飛ぶ人たちがいるからこそ、臆病で安全(と自分が信じているだけ)な場所に籠もっている人たちでも、真実を掴むことが出来るのです。

 そして、自分は思い出すのです。こんな人も居られました。

一ノ瀬泰造さん
「地雷を踏んだらサヨウナラ」http://www.teamokuyama.com/taizo/jirai/

 


Posted by 203号系統@アホでマヌケな日帝本国人 at 2004年10月30日 09:35
 すみません。こちらのウェブサイトを先に挙げるべきでした。


一ノ瀬泰造氏のご遺族によって管理・運営されている――
”TAIZO ICHINOSE PHOTOGRAPHY official site”
http://www.taizo.photographer.jp/
Posted by 203号系統@アホでマヌケな日帝本国人 at 2004年10月30日 09:46
 エンゾ・バルドーニさんに関する記事です。
 こちらも、併せてお読み下さい。

【エンゾ・バルドーニさん/ナジャフ】Falluja,April 2004 - the book(2004/9/29)
Posted by 203号系統 at 2004年11月04日 21:00
 エンゾ・バルドーニさんに関する記事です。
 こちらも、併せてお読み下さい。

【エンゾ・バルドーニさん/ナジャフ】Falluja,April 2004 - the book(2004/9/29)
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-128e18dda9a25f65b8b83e0abe9e4bb0.html
Posted by 203号系統 at 2004年11月04日 21:01