みやす あやな の クダラナイ New York 帳。 

いや〜、ホントしょうもないネタばっかで申し訳ないけど、たまにでいいから独り言に付き合ってチョーダイ! アップタウン・マンハッタンから発信してま〜す★

2012年08月

「『本物』のレイプなら、女性の身体は妊娠しない仕組みになっている。」

「女性はオーガズムに達しないと、妊娠しない。」

こういった信じがたい発言を、いま、大統領選挙が近づくこの国で、政治家が堂々と言ってのけた。それもけっこう本気だ。(後で、これはさすがにマズかったと気付き撤回したが、もう遅い。)

そんなことを本気で言っているアメリカの政治家が、今週も問題になって取り上げられている。

発言が非科学的、うんぬんじゃなく、この政治家のマチガッタ意見がどうのでもなく、こういって表立った場所で堂々とそんなことを言うドアホの行動の後ろに見え隠れする、アメリカのひん曲がったクリスチャン文化が、おそろしい。

女性の権利や、中絶云々に焦点を当てたくない共和党がいま、この問題発言をしたアホ(名前はエイキン)を選挙戦線からはずすのは分かるが、しかしNYではほとんど見当たらない、こういった、ほんとうに存在するスバラシく外れたアメリカのひん曲がったクリスチャン文化って、ほんと、理解できない。

アメリカの紙幣には  In God We Trust と書いてある。しかしこの 「God」 に、アラーとかは絶対に含まれないし、「 We」 とは、白人アメリカ人のことを示す。

この国は、9.11事件のあとに 「God Bless America」 をスローガンに戦争を繰り広げた。政治家も「God Bless America 」と声高々にうたっていた。

  「アメリカに、恩恵を。」「アメリカは、素晴らしい・・・」
  そしてその「アメリカ」とは白人の事で、黒人は含まれない。

いくらリベラルなニューヨークといえど、ここはそんなアメリカの一部だ。いまだにNYの黒人アーティストが、黒人のジーザスを題材に作品を作ると大変なさわぎになるし、「ゴッドが黒人だなんて、神への冒涜はなはだしい!」と本気で攻撃する連中(保守派白人クリスチャンfromど田舎村)が、この国には恐ろしいほどいる。

ジーザスもキリスト教も、ぜんぜん関係ないわたしには、全く理解できない事象だ。
(あれ、神の前に、人類は平等なんじゃなかったっけ? 黒人はダメですか?)

米国籍で色の黒い連中にむかって、わたしみたいな外国人が  "You Americans are..." などと発言すると、怒りだして、
「おれはアメリカンじゃない! アメリカンとは白人の事だ!」などと、アメリカンアイデンティティーを自ら本気で否定する人が、NYにも、今でもたくさんいる。

国籍はアメリカでも、「アメリカン」という言葉に黒人を含まない、と、本気で思っているのだ。

今でも田舎村の方に行くと、外国語を喋る連中を、
「あの人たちは、間違った言語をしゃべっている。」とか、平気で言っている。

わたしは白人に囲まれて育っていないから、自分の民族が白人に比べて劣等であるとか思った事は一度もないが、そういわれ続けて育ってしまったアメリカ育ちは可哀想なものである。間違いだと知りながら、その植え付けられた劣等感から、逃れられない。

日本で育ってよかった。
そう思う反面、われわれ日本人は白人アメリカ人同様の差別を、韓国人や中国人にしているのだろうと思うと、こころが痛い。

最近は、できるだけ道弁を使うよう、日頃から心掛けている。

去年の夏に五年ほど顔を合わせなかった北海道の家族や友達たちと触れ合い、いかに自分が北海道弁からかけ離れたところに辿り着いてしまったのかを知って、ちょっと北海道に見放されたような、過去15年間の自分の「標準語」という選択が間違っていたような気持ちになったからだ。

15年前に日本を離れたわたしは、日本といえば北海道しか知らなかった。今年になって日本語の文章を定期的に出版してもらえるようになって、英語やスペイン語を捨てるようにして日本語ばかり書くようになり、毎日パソコンに向い合いながら、はじめて、わたしは北海道弁と標準語の、明確な境界線を知らない事に気付いた。それから、自分の中に眠る北海道を、感じ始めるようになった。

外国に長く住んでいる関西人以外の日本人は、決まって「標準語」を話すようになる。だからニューヨークなんかにいると、標準ごと関西弁しか聞こえなくなってくる。

北京語と広東語じゃあるまいし、というくらい、日本語もこの街ではまっぷたつに分かれてる。理由は簡単だ。

日々を、英語圏で送っていている我々は、とっさに日本語で喋る場合、地方の言葉が出るときがある。すると通じない。しかし、それに相当する標準語がサクッと出てこない。すると、コミュニケーションが成り立たない。だったら最初っから、標準語で話すようにしておいた方が楽でいい。面倒なので、みんなでそろって標準語を話すようになる。

ところが、北海道に帰ると、自分だけが標準語を喋りつづけている。文法も、語彙も、ビミョーに違う。逆に彼らのちょっとした文法やイントネーションの「ズレ」がぎこちなく感じたりもする。日本を去る前までは、自分だってなんの疑問も持たずに、彼らと同じ「訛り」を喋っていたのに、だ。

わたしが30歳になった頃、93歳のじいさんが死んで、直系の祖父母の代は、残るところはバアさんのみとなった。たったひとりの人間が死んだだけで、家庭はずいぶんと寂しくなり、家族の会話からはずいぶんと北海道弁が薄れた気がした。あのジイさんの道弁がわたしの名前を呼び、話しかけてくれることはもうないと思うと、明治や大正といった時代がこつぜんとわたしの人生から姿を消し、あっという間に他人行儀な「ただの歴史」となってしまった様な気がした。 

いまさら願ってももう遅い。彼はもう、この世にはいない。

うちのバアさんの家族は津軽の出だそうで、だからバアさんは津軽弁がわかる。
バアさんの娘(うちの母)は津軽弁なんか分からない。道弁だけ分かるが、自分よりも下の世代と話しているときは、より濃度の薄い、標準語よりの道弁を話す。彼女の子供である我々三人は、更に純度の低い道弁を話すし、理解できる道弁の語彙もかなり減ってしまう。

かくいうわたしは、すっかり標準語圏民キドリである。

しかし今年に入って自分の文章が出版されるようになり、「プロの編集」という日本語を髄からよく理解している人種とはじめて口をきくようになり、指摘されることによって自分は、思ったよりも、道弁が抜けきっていないこと、それから、抜く必要も恥じる必要もどこにもないことに、ようやく気付いた。

「おまえ、そこをどけろ!」と書いて
「これは方言です。でもここはあえてこのままでいきましょう。」といわれた。

え? どこが方言なの? と調べてみると、あらほんと。方言なのね。
でもきっと、北海道の人は気付かずに読んでるよ。東北もかな?

まぁしかし、道弁で表記しても通じる言葉は、じつはたくさんあることに気付き始めた。

というわけで、せっかく北海道で生まれ育ったのに、道弁を失ってしまうのは勿体ないから、さいきんは毎日全部、なにもかもを道弁で喋るようにしている。

すると不思議なことに、じいさんやばあさんの夢をよく見るようになった。
オカシな話だが、身の回りでは自分しか喋らない道弁は、誰の耳にでもなく、自分の耳にやさしい。自分の訛りを、自分の耳で確認して、ニューヨークというこんな異国の地にいながら、自分は今まさに、郷土の土を踏みしめているような錯覚や、安堵を覚えるのだ。

練習を重ねるうちに、ぐんぐんと体内にまだ眠っていた道弁が甦りはじめ、わたしは今、長い年月を経て、再び北海道民に変貌してきた気がする。そう。こんな、遠い土地で。

んだべやー。したっけおまえ、あれはそれだってかい。したらばおめーんとこのぼっこさ、なんぼかおれんとこんもってこいぃ。すったらぺっこのこしたって、しゃーないべさー。なに、はんかくさこといってんだ、おめー……

ナァーンて表記しても、標準語圏を気取ってる都市部の人間には、あんま通じないんだろうなぁ・・・。

コテコテの北海道弁ラジオ、なんて、どっかで流れてないかなぁ・・・。
わたしも変なことを願うようになった。さて、県人会ならぬ、北海道民会にでも参加しようか。








わたしには、人に相談してもまったく無駄な悩みがひとつ、ある。
「回線」が、あわないのだ。

わたしはバイリンガル教育を受けていない。
外語は全部、16歳以降に覚えた。英語、スペイン語なら問題ないし、ポルトガル語やイタリア語は、半端に教育を受けているので、ニュースでなに言っているくらいは分かる。

問題は、そう。言語の回線が、あわないのだ。

言葉とは、意思疎通が目的なのであって、それ自体の修得が目的ではない。

通じればそれでいい。
通じなければ、通じるまで喰らいつく。
そう思いながら、やすっちい5ドルのミニ辞書を片手に、わたしは一年間、アマゾンを歩いてまわった。一年を終えてアメリカに帰ってくるころまでには、軽い文学や新聞程度なら読めるようになっていた。

ついでに従兄弟のようなポツ語を学ぶと、思ったよりすんなり体内に吸収できた。
歴史書くらいなら読める。

そんなこんなで、気が付いたら4か国語を使いながら日常を生きている。特にむずかしい物に取り組んでいる訳ではないし、できる範囲内で学んだだけだから、そんなに苦労もしていない。

けど、回線が合わない。
分かるはずの言語がとつぜん聞き取れなくなったり、アメリカ人に向かって日本語で物事を説明していたり、コロンビア人に向かってポルトガル語で話してる。
「は?」という顔をされてようやく気付く。あ、また回線がズレてた、と。

ニューヨークという街の住人は、おそらく2人に1人以上はバイリンガルだろうが、3、4か国語以上喋れる者もたくさんいる。それでも、日常的に2、3言語以上をすべて使って生きている者は、あまりいない。

そういう者たちの大半は家庭内だけですでに2、3言語をまぜて話している人達で、彼らは英語の存在を知る前に、すでに数ヶ国語かを口にしながら育っている。(例:メキシコの土着言語がおばあちゃん世代の第一言語、スペイン語が子供の第一言語、+英語。)

だからわたしの様に、回線が大混乱するという異常事態には陥らないのだ。

ひとりだけ、わたしと似た悩みを共有する男性にであった事がある。
彼は4年前にニューヨークに越してきたばかりの大学教授で、第二言語圏のメキシコで博士号を取得している。第四言語の英語で、大学の授業を教える日々だ。

「あんた、自慢してんの? こっちは英語ひとつで苦労してんのに。」
と、厭味のひとつも言われる、「半端な才能ゆえの悩み」を抱えるわたしは、そいつと出会えた事がかなりうれしかった。

その人とは、英語、スペイン語、ポルトガル語のどれで何を言っても通じたのもうれしかったし、時に、いったい何語を自分のメインの言語として生きていくべきなのか、本気で悩んでいる、とグチると、
 「あぁ、よく分かるよ。」
とひとこと言ってくれるだけで、ずいぶんなにかから、解放される思いだった。自分は一人じゃない。そう思えた。

同じ悩みを共有するひとがいるという安堵感が、ひどく心地よかったのを、記憶している。

しかしひと夏が終わり、また次の夏がやってくる頃、ヨーロッパだアフリカだと、遠方でのリサーチの仕事ばかりに明け暮れている奥さんが帰ってこないんだ、と打ち明けられ、ほー、で、なに? は? あなたと恋愛? やだよ、わたしそんなの。と、友人関係さえ終わってしまう。

だいたい、奥さんが戻らなくなったとたんにわたしを捕まえたくなる、というその根性が気に喰わん。

映画 「エリザベス」で、エリザベス一世役の女優がものすごい剣幕で、
 "You can make a whore out of anyone, but not me. I'm Elizabeth!"
だかって言っていたのが印象的だったが、まさにそのとおり。
 (どんな女をどう扱おうとおまえの勝手だが、わたしは別格よ。といったところだろうか。)

Replacement 扱いとは、無礼極まりない。許せん!

というわけで、わたしは現在、回線が合わなくって悩んでいる友達募集中。
あはは。いなさそー。




さて、気が付けばときはすでに8月中旬。

そろそろ『ゲトー巡り』再開の日付が近くなってきているのを感じる。

肩からカメラを1、2台下げて、あやしい界隈を深夜の人通り少ない時間帯に一人歩きしていた五月までの日々。

あれはあれで面白いんだが、夏にはできない芸当である。(わたしはね。)

理由は数点あるが、一番のカナメは、カメラを隠せない事にある。

やっぱり、なるだけあやしいエリアを、店もなにもかもが閉まった時間帯に歩き回る。一人歩きのときも多いし、もうひとり、写真を撮って回る女とふたりで行く事もある。
薄手のシャツ一枚でも羽織って、必要以上にカメラを露出しないよう隠せない時期は、やっぱり危険である。

なぜ女と行くかというと、男友達は「危ないから、ヤダ。」と、みんなやる気ゼロ。
返って女の方が「わたしも興味はある。」と、前向きだからだ。

そのうち、そこまで危なくないエリアを、女性友達を連れて行ってあげたい。あれはいい社会勉強になるし、わたしはゲトーならガイド解説がうまいと思う。

わたしは話のつまんない女じゃないよ。ファッションと映画の話以外ならなんでもできる。

もうひとつの理由は、暑いから。暑い中何万歩も歩いていると、体力の消費が激しく、すると前方と後方、いっぺんに注意しながら夜中の二時に徘徊しているのがむずかしくなる。注意力散漫は、危険である。

気が付いたら、いろんな国でいろんなゲトーを徘徊して回ってきた。ゲトーという言い方はヒドいかもしれないが、いろんな国の貧民窟を時間をかけて回ってきたからこそ、ニューヨークゲトーの事もちょっとはよく見えている気になっているのかもしれない。

近いうちに、資料室にこもって、過去20年分のアップタウンでの銃バイオレンスの件数を数え、ドラッグ検挙の歴史を、じっくり読み漁りたいとおもっている。時間のかかる作業だが、誰かがまとめた文章ではなく、当時の新聞記事にひとつづつ目を通して、事実関係だけではなく、当時マスコミで使われていた言葉をそのまま読み、時代の移り変わりを自分で感じてきたい。

ここ五年、十年でハーレムはかなり「キレイに」なった。
それは、「美しく」なったのではなく、「清潔になった」訳でもない。

わたしのこの、混沌とした汚かった時代のハーレムに対するノスタルジアは、一体どこからくるのだろう。

混沌としたアップタウンという別社会には、下の方マンハッタンにはない自由と、狂った独自の文化があり、ここにじっと身を置きながら彼らの生活を長きにおいて眺め続けてきたわたしには、どうしても、昔のここの住人の方が、ずっと生き生きして、のびのびと、たのしそうにしていたようにしか思えないのだ。

なにも犯罪者や、腐った連中の話をしているのではない。

悪い事になどにはいっさい手を出さない母親たちや、働き者の父親たち、路上を駆け回るガキめらの表情が、十年前の方が、どうしてもギラギラと、生き生きと、良くも悪くも激しく、意義のある人生を、生きているような表情をしていたようにしか、思えないのだ。

だからわたしはゲトーを探す。生き残りのゲトーを、まだ残るゲトーカルチャーを、
十年後には絶対に、「古きよき時代」「古くて腐っていた時代」それでも「泣いて笑って、たくましく生きていたあの頃」の思い出と化してしまうこの風景を、胸に納め、文字におさめ、写真に納めして、形に残したい。

秋の再来が、もう待ちきれない。

NY市では、いろんな人が逮捕されているところを日常的に見かけるのはフツーだ。

路上の端っこに連れていかれ、手錠をかけられ、お縄ちょうだいされている人の顔を眺めるのはけっこう好きだが、いちばん感心してしまうのはやっぱり、ラティーノだと思う。

白人が逮捕される場合、大抵の男はキレた顔をしている。
「クソー!なんでおれが捕まらなきゃナンネーんだ!」
といったところだろうか。

黒人はちょっとうつむき加減か無表情な人が多い。
キレていても、それは顔だけで言葉を発したりはしない。

そしてラティーノは、なんと、ヨユーシャクシャク。
彼らの表情を代弁すると、「あー、また捕まっちまったかぁ。」ってくらいに、やたら表情に余裕があり、にやついていたり、笑顔で行き交う近所の兄ちゃんやおじさんと、関係ない言葉さえ交わしている。半ばにこやかに、自分に手錠をかけたポリスにまで軽い世間話をかましている様子を、よく見かける。

マジ? ていうかこの余裕綽々さ加減は、マジ信じられない。
もちろん、余裕のある振りをしているのもあるだろうが。
(注:わたしが見る、ラテン系の逮捕者の多くは、おそらく自分の住んでいる地域で逮捕されている。vs 黒人と白人の逮捕地域に関しては不明。)

ちなみにこのあいだ、チャイナタウンで逮捕されている30歳くらいの女性を見かけた。近寄っていってナガナガ観察してみると、これもまたすごい。

全く動じていない。完全無表情。能面のようなツラ。
逮捕する私服警官(白人二人)の手には、手錠の他に、ブランド物のカタログというか、小冊子のような物がにぎられていた。

さすがに私の視線に気付いてか、女は私に一瞥をくれ、すぐさま視線を私からそらしたが、そのときでさえ女は、全く表情を変えなかった。

なんの罪で逮捕されたんだろ・・・。

私は過去に、長期旅行中に「無実の罪」でなんども逮捕、拘留された事があるが(エジプト、キューバ、ボリビア。全て不起訴、無実です。)後方から乱暴に腕をつかまれるたびに私は、ミリタリーオフィサーや警官に食ってかかってたな。フザケンナ、私ガナニヲシタ、ソノ手ヲハナセ・・・!

もし少しでも、自分がやましい事や罪を犯しているという意識があったのなら、わたしも能面になっていただろうか。無言で、うつむいただろうか。それとも・・・

なんにせよ、ヨユーシャクシャクだけはわたしにできる芸ではない事に、間違いはない。




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