第15師団(祭)は真実を知り驚愕した

実は烈と接していた祭の右突進隊は

戦力が尽き火砲はすでに1門もない状態で

かろうじて持ち応えているに過ぎず

その右突進隊こそが60連隊であった





更にその右の端には

烈の存在を信じて疑わず

2つの師団の重なる安全地帯として

60連隊の第一野戦病院が患者収容所を開設し

野戦病院には身動きのできない傷病兵が

溢れかえっていた

そして60連隊の糧秣収集班も置かれていて

糧秣収集班が烈の方角に

収集に出掛けたばかりであった





しかし現場では情報が錯綜し

烈が撤退していることが理解できず

「烈が敵に突破される時には、

必ず烈から連絡が来るはず」と

やや楽観的な雰囲気もあったと言う

(いやいや、烈はもう居ないのよ





本道解放は明日と迫る中

直ちに患者の担送が指示されたが

思うように動かすことは出来なかった

考えてみれば烈は計画的に移動をしても

20日かかって70Kmしか移動出来なかったのだ






急いで患者を担架に乗せて移動準備

担ぎ手が足りずに

動くことが出来ない患者達は

道に並べられて搬送される順番を待っていた





宮崎少将は敵進出まで

あと4日あると予測していたが

残念ながら大きくハズレて

予想もしない速さで

突然に崩壊の時が来てしまった、、、

それは本道解放の翌日で

60連隊に状況が知らされた2日後だった





その敵は正面の敵ではなく

烈方面から来た戦車群の直撃であった

戦車による猛攻撃が野戦病院を襲った





戦車の砲撃の後に前進して来た敵に

道の脇で順番待ちをしていた患者達が

見つかってしまった

一部の患者はトラックに乗せられて連れ去られ

残りの者には水がかけられるのが見えた





しかし、それは水ではなく

次の瞬間に患者達は炎に包まれた

生きたままガソリンをかけて

焼き殺されたのである





寸前まで患者搬送をしていた60連隊は

その近くで隠れたまま

その声を聞き、その臭いが漂う中

その情景を見るしかなかった





悔しくて悔しくて、許せなかった

でも反撃すれば自分達の居場所がバレる

敵を攻撃する弾はもう残っていなかった

「我が連隊の死の転進は、この時を持って始まる」



実際におじいさんから聞いた過去記事⇊

ミャンマーに思いを寄せて 402 (2013.6.9)




続く…




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