※※キャー更新を忘れて出掛けちゃった

今頃になりごめんなさい





「幻のビルマ独立軍始末記」著:緑川巡

私が気になる部分だけピックアップしてみる

超・短く簡単にご紹介(を目指すぞ~!)



特務機関ってきっと昔からあったのよね

特務畑と言われるような

専門性のある人材の育成や運用が

着目され出したのは

何となく満州事変以降かな?(と勝手な印象)





日露戦争の時に大活躍をされて

諜報活動のモデルケースみたいな感じで

超・有名なのは明石 元二郎大佐(当時)が

おられるのだけれど

この方は語学が堪能で

特務活動に長けていた方であったが

別に特別な教育を受けた方ではなく

実務経験等により培った才能で

大きな成果を上げられたのであって

個人の能力が素晴らしかったのである

(と私は思っているが、どうでしょう?)





組織的な運用が出来るようになるのは

陸軍ではやっぱり中野学校出身の者を

ある程度輩出した頃からになるのかな





あ、でも憲兵隊も特務畑の人は居たわよね

憲兵隊の方が特務畑の歴史は長いのかな?

憲兵隊の特務畑は今で言えば公安かしら?

陸軍の特務畑は今で言えば

自衛隊の情報科職種になるのかな?

似ているようでも全く違うかぁ





南方は(特にビルマ関連)は

私は藤原機関か南機関くらいからしか

あまり調べていないので知らないのだけれど

本書にはその前のビルマで

特務機関が活動していたことが書かれている

まあ、特務機関ではないが

昭和通商の調査部も怪しいよね(おいっ)





私は珍しい記事だなと思ったので

ご紹介しておきますね

読者の方はあんまり興味はないですか?





援蔣ルート、ビルマ公路とか呼ばれる道は

昭和14年(1939年)に開通したとのこと

この道を監視をするために

ラングーンの日本領事館に

「渡機関」が出来たそうだ

その長は渡辺三郎海軍大佐

そして大野善隆海軍予備大佐と

平岡関造陸軍中佐などが居たらしい





そしてそしてそれとは別に

国分正三海軍退役大尉は

大正12年(1923年)頃からビルマに住み

昭和14年頃からビルマルートの情報を

海軍に渡していたとのこと





そしてビルマの内状に

精通していた国分正三海軍退役大尉は

現地人からの要望を受けて

報告文書に「ビルマ独立計画書」

も添えて提出したそうだ

様々な方面にビルマ独立援助運動の協力を求めるが

全ての折衝が上手く行かなかった





が、しかしただ一人

山本五十六海軍中将だけは

援助を約束してくれたそうで

ほんとうは陸軍よりも海軍の方が

ビルマ工作は早かったと書かれていた

へえ、そうなんだ




続く…




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