おまけ☆岩畔・光機関の僧侶

「アラカンに轟く太鼓」 ~今井 行順~より



そう言えば、大川塾のおじいさんからも

アキャブにお坊さんが居たと聞いたことがある

少し調べると昭和18年の8月~

大川塾出身者2名がアキャブに追加されていた

この2人は、元・南機関員で

ビルマ義勇軍では大尉として

活動していた経歴の持ち主だったが

光機関では軍属の立場に戻っていたようだ





ただ、第三者がまとめた

光機関の様々な組織図において

この大川塾出身の青年軍属や

長以外のその他のお坊さん等は記載されていない

機関だからそもそも正規の編制表が

定められていたわけではないので

人の増減や組織の変更は随時行われていても

組織の細部までまとめられた

資料がないのは当然である

機関一般の特性であろうし

ましてや特務機関であれば

資料が残っていないのはしかたないのである

それでも、戦史には出て来ないけれど

実際にそこに居た人は存在するのである





この手記は、民間人が書いているため

将校だけの名前に留まらず

下士官や臨時に派遣されていた兵の名前まで

しっかりと書かれていた

反対に、嫌いな将校の悪態まで

しっかりと書かれていて

人間味溢れる読みやすい本である





下士官等の個人名は

一般的には書物等に書かれていることは少ない

「以下〇名」とか「下士官」とかの記載が多いため

偶然にも出会った下士官等の個人名は

大切にしなくなちゃと思う

”神居 達(かみい とおる)”と言う大叔父の個人名も

誰かがどこかに残してくれているかもしれない

それを求めて私はずっと

個人の手記等を綿密に調べているのだ





アキャブがやや、のどかな時間を過ごせたのは

第1次と第2次のアキャブ作戦の合間の

昭和18年5月~12月頃までだろうか

その間に出張所は人員を増やしていく

こののどかな期間を振り返り

アキャブ守備隊の第55師団から

出張所に派遣されていた兵が

「光機関に居た時だけが懐かしい。

人間らしく扱ってもらっのは、軍隊では

あの時だけでしたから、、、」と証言している





ここでは、よその部隊から臨時に

派遣されていた人のことが書かれている

このような一時的な人員の貸出は

運用の範疇で正規の異動ではないため

兵籍簿には載らず

きっとずっと原隊に居たようになっていると思う

小さな事柄の対処としては一般的なことであろう

ましてや有事の際にはそこまで時間を割けない





ただ、当人が死んだ場合は

その記載されていない小さな部分が

とても大事な意味を持つ時がある

大叔父も戦史に出て来ない1人であるが

どうだったのかなぁ。。。

分かっていたけど書かなかったのか

分からなかったので書けなかったのか

分かっていたから嘘を書いたのか

分からなかったので嘘になったのか

私の戦いは続くのであった




続く…




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