インパール作戦に参加するまで60連隊は中国にいた

そこでのことをおじいさんは「平時」と呼ばれた

中国戦線では、少しの小競り合いがあったくらいで

平穏無事な生活を楽しんでいたらしい

大叔父も中国で約4ヶ月ほど過ごしている

のどかな楽しい外国気分を味わったのだろうか
 


その頃の写真が山ほどあって大切なアルバムを拝見した

そこに写る青年達は今の青年と変わらず

写真を撮られるのが少し恥ずかしそうな顔で楽しそうに笑っていた

中には小銃をかっこよく構えてポーズを決めている写真など

戦時中であっても昔であっても若者は若者である

たくさんの若者が白黒写真に生き生きと映し出されていた

しかし、そのアルバムは戦死した戦友ばかりを集めたものだった

ほとんどがインパール作戦で亡くなったそうです

ここに笑っている人達が全員戦死って。。。

涙があふれそうになった



おじいさんは戦後、意を決して京都新聞で戦友の写真を掲載し

遺族の方に写真をもらっていただこうと遺族を捜したそうです

何人もの申し出があり、写真の一部は遺族へと帰って行った

それは昭和53年のことである

「もう少し早かったら」と私の調査が遅くから始まった事に対し

おじいさんは残念そうでした



中国では本国への手紙もたくさん出したそうです

もちろん検閲はあるが比較的自由だった

それがインパール作戦参加でビルマ入りした途端

平時ではなくなり

手紙どころか写真さえも1枚もなかった



続く…



※ブログランキングに参加してみました
大勢の方に読んでいただくことで、情報をいただけるよう
ご協力をお願いしますm(_ _)m
ポチッとな↓↓

人気ブログランキングへ