光機関の軍事部長が60連隊の連隊長と言うことに

なんとなく、60連隊と光機関の関係は密であったのでは

ないかと思い始めた





・戦後(昭和21年5月)に作成された軍歴表

・大隊名さえ書かれていない軍歴表

・ビルマ入りした後は死ぬまでの間、白紙の軍歴表

・マラリア、アメーバー赤痢の下士官が
インパール手前のインド国内から
700kmも離れたビルマ国内の兵站病院まで搬送されたとなっていること

・ 病院に搬送されたと記載されている日付・場所は
中隊が玉砕した日と場所であること

・体格が小さく、機関銃中隊には不向きだったと思われること

・誰もが大叔父が60連隊にいなかったと証言すること

・終戦後(昭和21年4月)に独自に作成された
60連隊第一大隊機関銃中隊の死亡者名簿には
大叔父の名前が記載されている





そこで戦後の残務処理の過程に於いて

第一大隊の死亡者に加えられたのではないか?

玉砕の日に病院に搬送されたと言うことについては

以前は、突撃の前に何らかの恩恵を受け

第一線から外してもらったのだろうと思っていたが

玉砕の日にしておけば、誰にも分からないだろうと

言う公算があったのではないかと思えてきた





・大学在学中から、京都ー東京、市ヶ谷ー中野に通っていた
痕跡が残っていること

・退学後、出兵までの間、東京・中野に住んでいたこと

・通訳をすると本人が家族に伝えていること


・京都にある中野学校の慰霊碑の隣に60連隊の慰霊碑もある


・60連隊の連隊長は、光機関の軍事部長であったこと





これらのことから、特務機関の関係者だったのではないかと

勝手に思い込んだ

中野学校の卒業生ではなくとも、光機関(または南方遊撃隊司令部)

には中野学校の者以外に軍属や普通の下士官なども含まれており

その一員であった可能性は高いと判断した




続く…





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