落胆している私に優しく話を続けて下さった

藤原機関長もマラリアにかかったそうである

マラリアでフラフラの状態で

師団に調整に行っては帰らないと主張する藤原さんを

説得出来ず、麻酔で眠らせて帰らせたと言う

戦場では、もちろんトイレットペーパーもなかったのだそうです

大叔父も同じくマラリアで戦病死したので

そう言った話をして下さったのであろう





ビルマ戦記にはいつも川が出てくる

雨期の大きな川が後退する日本軍を苦しめた

手記の多くには、川を渡る際は筏(いかだ)を作ったと

書かれていたが、一応、一部には船着き場があったようで

その船はポンポン蒸気の船であったそうである

大叔父が病院に搬送された時期は

まだ撤退命令も出ておらず、戦況は悪化していたが

きっと船で川を渡ったのであろう

おじいさん達の様々なお話しを聞いたり

手記を読んだりしているが、川 のイメージが

いまいち分からず、冨澤先生の説明で

なんとなくイメージすることが出来た





藤原中佐は元々、情報畑の人ではない

陸軍参謀本部 第2部の第8課(諜報・謀略課)と言う

心理戦や宣伝戦、思想戦を行っていた部署にいたことから

中野学校の教官を兼務し

藤原機関を設立することとなる





藤原機関は後に、岩畔(いわくろ)機関へと拡大していく

大叔父がビルマ入りしたインパール作戦前の

ビルマにおいての特務機関は他にもあったが

時期的には、南機関の残務であるとか

岩畔・光機関(藤原機関の後継の機関)に

おいては宣伝戦に力を入れていたそうである

南機関については、ビルマ人工作

藤原→岩畔→光機関はインド人工作

南機関は、100人斬り競争(虚報の武勇伝)の野田大尉が

有名であるが、藤原機関とは別の特務機関ですと

冨澤先生は丁寧に説明して下さった



続く…



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