山本支隊長の回想録にも藤原中佐の名前は

しばしば出てきており、15軍司令部から

何の連絡のために通っていたかは定かではないが

山本支隊長の元へ何度も通っていたことが分かっている

この後の冨澤先生の講演会の中でも

最後には山本支隊長に「君の言うことはもう聞けない」と

藤原中佐は言われたと話されていた

藤原中佐は個人的にもインド国民軍のことを

ずっと気に掛けていただろう

それ以上に、形式上指揮系統は違うが

友軍としてインパール作戦に参加するインド国民軍は

大変重要であったと思われる





大叔父の歩兵60連隊の第一大隊だけは祭師団から離れ

弓師団である山本支隊に編入されている

山本支隊とインド国民軍の関係

インド国民軍と光機関の関係

そして、山本支隊と60連隊第一大隊の関係

山本支隊と15軍情報参謀であり

藤原機関長であった藤原中佐の関係

後の60連隊の連隊長は光機関の軍事部長だった北部大佐

英語が堪能だったことから通訳として

戦地に赴くと言っていた大叔父

インドの公用語は英語だったこと

60連隊所属となっているが、60連隊に存在しない大叔父

大叔父の死亡者調書は、死後1年以上後に

北部大佐が連隊長として着任されてから発簡されていること

中野学校の慰霊碑は京都にあり

その隣に60連隊の慰霊碑もある

60連隊と中野学校の関係





なんだかよく分からないがモヤモヤとした気持ちになる

ほんとうに漠然とではあるが

全てが絡み合っているように思えてならなかった

大きな何かの渦に巻かれ翻弄された大叔父が

見え隠れするような気がする

それにしても60連隊って何か変だよね。。。




続く…




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