講演会が終わり、高揚したまま

会場であるグランドヒル市ヶ谷を後にした





中野学校の関係者には滅多にお知り合いになれない

もしお知り合いになったとしても

おいそれとは口を開いて下さらないだろう

冨澤先生の支援をいただけたことは

大変ありがたいことであり

冨澤先生のお返事を心待ちにした





一方、その頃ミリタリー雑誌「丸」では

大叔父の記事を連載し

情報提供を呼びかけていただいていた

末文には大叔父の簡単な経歴と

「大隊本部または支隊本部で通訳として従事していた
可能性があるが詳細不明。」

と記載していた

しかし、丸の読者様からはまだ何も情報は寄せられていなかった





原稿を提出した頃は、まだ中野学校や特務機関が

出て来ていない頃だったのでしかたがない

もしほんとうに特務機関関係者だった場合は

見当違いの人捜しもいいとこだ

続編の連載の際に修正しよう

丸の連載の約束は、旅行記の後

ミャンマーに「行くまで」→「行った後」の3部物であった




続く…




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