ここで私も勉強のつもりで、大叔父の

15師団及び歩兵60連隊の編制についてまとめてみる

60連隊の生き残りのおじいさん達に聞いても

入隊時に豊橋に行ったことはなく

京都の別の歩兵連隊に一度所属し

伏見師団から中国に渡る際に60連隊に配属され

現地で60連隊に合流している

大叔父の軍歴表からも、そのことは読み取れた





60連隊には、160連隊などの留守連隊は無く

豊橋の60連隊と言う割には

京都や東京の60連隊の戦友会は、京都出身の人ばかりである

その辺りがとても不思議だった





歩兵60連隊は大正期に廃止となったが

日中戦争が勃発し、その影響で

昭和12年に名古屋管区内において復活する

そしてその上級部隊の15師団も翌年昭和13年に復活した

15師団は、留守第16師団(京都)の担当で編制され

編制地は京都とされ、補充担任は、京都師管区であった

15師団は、京都の祇園祭にちなんで

通称:祭師団と呼ばれることとなった





京都には元々16師団がある

16師団は、15師団が編制された時は中国に行っていて

15師団が出来た翌年の昭和14年に

日本に帰って来たため、15師団の編制は

留守第16師団が受け持ったと言うのは理解できた





Wikipediaより

大叔父の15師団の「補充担任」は京都師管区となっている

そのため、60連隊には京都の人が大勢いたのだなと

理解した

※「師管区」とは、師団が管轄する地域のことを言う




続く…




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