その早稲田大学の先生が書かれた本は

珍しく光機関のことを研究した内容であった

中野学校を題材にした本はたくさんあるが

光機関について詳しく研究された本は

滅多に見かけない





○○大学の100年史担当だった方から

教えていただいたA氏の箇所を1番最初に確認した

確かに○○大学出身のA氏の名前が出ている

記載は次の通りであった

「A君という25・6才、○○大学出の青年がおった。

はじめ大陸の勉強がしたいと北京に来ておったが

わたしが南方に行くと言ったら「ぜひ連れて行ってくれ」と

ついてきたもので、その献身ぶりは、インド青年の

間でもなくてはならぬ存在でした。」と書かれていた





戦後にその証言をした人と言うのは

北部邦雄大佐であった





北部大佐は、当時の階級は中佐で

北支政権軍事顧問をしていた時に

光機関の前身の岩畔機関に引っ張られたと書かれていた

北部大佐は、中野学校の教官もされており

岩畔機関長の岩畔氏とは、同期であったが

岩畔氏が辞めた後も、岩畔機関→光機関で活躍する





この北部大佐、読者様の中には気付かれた方も

おられると思いますが

後に、大叔父の歩兵60連隊の連隊長になる人である

大叔父を調査する上で

私がマークしていた重要人物の1人であった

その人が、A氏の特務機関入りに直接関係していた




続く…




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