北部大佐は、光機関の軍事部長をしている

私は、その北部大佐が、後に歩兵60連隊の

連隊長になったことが、なんとなく不思議である

「特務機関の人間だった者が、歩兵の連隊長に

なったからと言って、何もおかしくない」と

階行社文庫の偉い方は言っておられた

確かに、インパール作戦が失敗して

人員が少なかった時期でもあるため

こんな人事があっても、何も不思議でないのかもしれない

ただ、そんな使い方、普通はする?と漠然と思ってしまう





問題は、北部大佐が、大叔父の死亡者調書の

発刊者であると言うことだ





お役所からの「戦時死亡者調書」の写しは

以下の通りである



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<戦時死亡者調書>


昭和20年7月15日
森 7368部隊


死亡場所 ビルマ国サガイ州・明妙 第一二一兵站病院


死亡日時時刻 昭和19年7月24日 午後4時10分


「ウ」号作戦参加中 連日ノ激戦に加わるに 豪雨と給養ノ粗悪に依る
疲労蓄積、遂に発病するに至る


病名 アメーバー赤痢、兼マラリア


昭和19年5月24日 インド・アッサム州テグレパール


第60連隊第一大隊附
軍医 中尉 ○○ ○○


第60連隊長 大佐
北部 邦雄



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この戦時死亡者調書の中の私の疑問点は



●死後1年くらい経ってからの発刊

→発刊の日付がほんとうだとしたら
インパール作戦で忙しくて、死亡者調書の作成が
1年近くも遅れていたのに、終戦前のドタバタの
時期の方が忙しいんじゃないの?

●書かれている文面の内容は、死亡の調書ではなく
単に発病の経緯である

→他の人の死亡者調書を見たことがないので
比較できないが、こんなものなのかしら?



●大叔父は第一大隊の所属で、第一大隊附の軍医さんの
名前で証明されている

→しかし、この軍医さんは、第三大隊の軍医さんである
第一大隊だけ別の師団に編入されており(弓・山本支隊)
第三大隊の軍医さんは
もちろんテグレパールにも行っておらず
証明出来ないはずである

当初、第一大隊の軍医さんが戦死されて
終戦間際に第三大隊の軍医さんが
第一大隊に異動されたのかと思っていたが
第一大隊の軍医さんは、ずっとお元気で
軍医の変更はなく、戦死されてもおらず
復員され、その後もご活躍されている




続く…




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