同じ中隊の生き残りの、中隊にとって重要な人達の

誰もが大叔父は、60連隊にいなかったと証言している

しかし、終戦後(昭和21年4月)に独自に作成された

60連隊第一大隊機関銃中隊の死亡者名簿には

大叔父の名前は記載されている、、、





これらの状況証拠をつなぎ合わせて推測した

これはあくまで私の推測であるが

大叔父が戦病死したのは、先代の60連隊長の時期であるが

その頃、光機関の北部大佐の指揮下にいたと

思われる大叔父は、戦後処理の過程に於いて

60連隊の連隊長となった北部大佐の指示で

自分の連隊の第一大隊の死亡者に

加えられたのではないか?





調書については、北部大佐の指示で

インパール作戦に参加した者に対し

誰にでも当てはまるような定型文で

60連隊に存在しなかった大叔父でも

不審に思われない内容とした

そして、適当な日付と場所として

中隊が玉砕した日と場所から病院に搬送したことにし

玉砕の日にしておけば、誰にも分からないだろうと

言う公算もあったのではないだろうか





インパール手前の最前線から

700kmも離れたメイミョウの兵站病院まで

下士官が搬送されるなんて、ありえないと誰もが言う

戦史をよく分かっていない私でさえも

戦時死亡者調書を見て、不思議に思ったほどである




続く…




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