姉婿と石原完爾氏との共同作業とも言える

日満の学校の設立での繋がりの他に

もしも、その前から石原完爾氏と神居家が

山形で繋がりがあったとしたら。。。

曾祖父は教師、石原完爾氏を教えていた可能性は?

教えていなくとも、家が材木問屋で教師って

当時は、教師の数もそんなにいなかったのではないか

もし住所が近かったならば、知っていてもおかしくはない

ふと、思いついたことに、自分でも驚いた

曾祖父の生年月日も知りたい

ただ、それを調べるのは、大叔父の件を

調べるのよりも大変なことだと思った

自分でまたまた大きな課題を作ってしまった





先に、私の推論を頭ごなしに否定された

階行社文庫の偉い方は

山形県の連隊から発行された

徴兵延期証明書に書かれていた大叔父の住所を見て

石原完爾氏は、鶴岡の出身で

単に山形県と言うだけで

大叔父の住所とは全く違う所で

大叔父が関係したと思えないと言われた





私の強引なこじつけかな?

大叔父の名字はかなり珍しいと思う

もし山形で神居家をご存じであればすぐに分かる

のではと、ふと思ったのだけれども。。。





念のため、曾祖父のことを調べてみよう

曾祖父は、晩年は尋常小学校の校長先生をしていて

数学博士だったと聞く

その時代の教師の線と、山形の米沢市の材木問屋の

筋から調べてみようかな

でも、どこで?どうやって?





祖父が明治30年代の生まれ

そうすると、曾祖父は明治の初めの

生まれくらいだろうか?

その頃、山形県で教師になるには

どこの学校に行くのだろう???

近くの国立大学は、仙台くらいだろうか?

昔の数学博士って、どこに載ってるの???




続く…




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