経歴書を見ると

曾祖父は、明治4年生まれであった

出生地と本籍地は、山形県米沢市

親は米沢で、材木問屋をしていたのであろう

やはり曾祖父は教師であり、晩年は山形県の西置賜郡で

尋常小学校の校長先生だった

若い頃を除き、教師生活のほとんどを

西置賜郡で送り、最後もそこであった





出身校は、「私学米沢中学校」であった

その時代の私学の中学校の位置づけが

私にはよく分からない

ネットでは、私学米沢中学校では出て来ず

「私立米沢中学校」だと思われる

私立米沢中学校は、とても歴史のある学校であった





1618年(元和4年7月)に、米沢藩の学問所として開設

後にそれを再建し藩校となる

藩校とは、江戸時代に各藩が作った

武士の子供達を対象とした教育のための学校

発展期には全国に255校に上り

ほぼ全藩に設立されたらしい

各地域から時代をリードする政治家や学者を輩出している





この米沢中学校の前身の「興譲館」においては

代表的な藩校として、名前が挙がるほど有名な

学校であったようである

戦後の学校制度が新たになってから、高等学校になり

現在は名前が変わっているが

日本で3本の指に入る歴史のある学校である





当初、曾祖父は数学博士だったと聞いたことから

山形の近くの東北帝国大学の出身かと思い

調べてみたが、東北帝国大学は明治40年の創設であり

曾祖父が学んだ時代には、まだなかったことを知った

いったいどこで学んだら、当時は教師になれたのだろうと

調べてみても分からなかった

「私学米沢中学」、そして、当時の教師とは

いったいどのような地位だったのか

そして、なぜ教師になったのだろう

兄弟は京都でお坊さんだし

いつかじっくりと調べてみたいと思った




続く…




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