歩兵60連隊長 松村大佐の「インパール作戦の回顧」より
中でも1番印象に残ったのは
大叔父の1大隊が弓師団(第33師団)の山本支隊に
配属されたときのことだ
松村連隊長は、作戦の行動間に突然
第1大隊を山本支隊に送り出すこととなった
連隊としては、これはかなりの痛手であったと思う
この時のことを松村連隊長は次のように書かれている
「呉淞港出帆以来幾千、否幾万粁にわたる長途の転進行動
に苦労を共にして漸くビルマに進駐し、今や近く最後の
目的たるインパール進行作戦に、光輝ある軍旗の下に
勇躍参加せんと意気込んでいた矢作なだけに
吉岡部隊(第1大隊)将兵に与えた心理的影響は蓋し
甚大なるものがあった」と最初にあり
次いで「私もまた、出来得べくんば同じ軍旗の下に
全部隊、全将兵が挙って作戦に参加することを熱望した
ことは勿論であって、部隊の戦力発揮の上からも
甚だ残念に耐えなかったのである」と綴られていた
連隊としての痛手よりも、まず最初に第1大隊の者の
気持ちを考えて胸を痛めておられる様子が伝わってくる
「同じ軍旗の下で」と言う言葉が2度も使われており
ここでの別れが最後となった将兵もいただろう
命令とは言え松村連隊長の無念さが感じ取れた
続く…
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「呉淞港出帆以来幾千、否幾万粁にわたる長途の転進行動
に苦労を共にして漸くビルマに進駐し、今や近く最後の
目的たるインパール進行作戦に、光輝ある軍旗の下に
勇躍参加せんと意気込んでいた矢作なだけに
吉岡部隊(第1大隊)将兵に与えた心理的影響は蓋し
甚大なるものがあった」と最初にあり
次いで「私もまた、出来得べくんば同じ軍旗の下に
全部隊、全将兵が挙って作戦に参加することを熱望した
ことは勿論であって、部隊の戦力発揮の上からも
甚だ残念に耐えなかったのである」と綴られていた
連隊としての痛手よりも、まず最初に第1大隊の者の
気持ちを考えて胸を痛めておられる様子が伝わってくる
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