ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2010年10月

ミャンマーに思いを寄せて 14

早速、靖国神社に電話をしてみた
「資料館に、戦没者の名簿があるとお聞きしたのですが、、、」


資料館とは、神社境内にある、『遊就館』と言う軍事歴史博物館
入り口には、汽車や、大砲?なんかの大きな迫力のある展示物
喫茶コーナーや、珍しいお土産物売り場の奥に、有料の資料館がある


靖国神社の担当して下さった方の説明だと
資料館には、戦没者の個々の遺影(写真)が展示されている
その名簿を一般人は閲覧することが出来ると言う


ただ、その写真は、遺族が祀って欲しいと送って来られた物で
戦没者全員の分ではないらしい


そして、その他に、一般公開ではないが、戦没者の資料もあるとのこと
事情をお話すると、快く、調べて下さった


あった!!大叔父の記録が残っていたのだ!!


でも、私に開示して下さるかしら。。。不安がよぎる
しかし、ここは、お役所じゃないから、個人情報うんぬんとは言われなかった
コピーして送って下さるとのこと、うわぁ~感謝・感謝!!


涙が溢れて止まらない、ずっとずっと欲しかった資料が手に入る


いつも、何気に行っていた靖国神社に、大叔父は祀られていたのだ
何となく、不思議な縁を感じた


役所のデータベースは、各都道府県の役場のデータからの物
厚生労働省のは、遺族年金・軍事恩給などのデータからの物
靖国神社のは、総務省からのデータの物


若干、それぞれ網羅している範囲や、細部のズレはあるらしいが
激動の時代だったのだからしかたがない
それでも、まだ記録が残っていることの方が素晴らしいと思った
日本のお役所、意外とやるわねw


丁重にお礼を述べて、お電話を切った


電話を切ってからも、興奮と言うか感動と言うか、また涙が溢れた。。。


ほんとうにありがとうございます、靖国神社の方



続く…

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ミャンマーに思いを寄せて 13

曙兵団の移動経路は、大まかに分かったものの
その広大な経路の、どこで大叔父が亡くなったのかは、依然として分からない
 

出来れば、亡くなった地に立ち、手を合わせたい
死亡日が分かれば、部隊の行動記録から、少しは絞れるのに。。。


役所は、これ以上は、期待できない
何か、他の所から、大叔父の詳細を知ることは出来ないかと考えた


8月15日・終戦記念日、今年も、靖国参拝の話がチラホラ


靖国神社には、戦没者名簿と言うのがあると聞いたことを、思い出した


「靖国で会いましょう」を合い言葉に散っていった命
靖国神社なら、何か分かるかもしれない。。。


靖国神社には、何度か行ったことがある
毎年、武道館で行われる大会を見に行った時
武道館のついでに、すぐ近くの靖国神社に子供と散歩に行っていたのだ 


ただ、靖国神社って、偉いさんしか祀っていないのでは?などとも思ったが
考えていてもしかたがない


靖国神社に早速電話してみた



続く…

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ミャンマーに思いを寄せて 12

曙村は、かなり南部の方で、祖父のお寺の管轄の師団から行ったと思われる部隊とは 全く関係のない場所に位置することが分かった


ここで、曙村は除外し、曙兵団だけに絞り込むことにした


曙兵団の行動記録。。。曙兵団は、かの有名なインパール作戦に携わっていた
(※訂正:後の調査で、アケボノ兵団は、ビルマにも、インパール作戦にも、
関係がないようです、スミマセン)


<インパール作戦>
調べれば調べるほど、無謀な作戦と言えた
当時でも、大反対の作戦であったらしい


インドのインパールまで進軍し、イギリス軍と対日インド軍を撃滅し
中国への支援経路を断とうと言う作戦


結局、インパールまでは到達せず、作戦中止で撤退命令


補給経路を断たれた部隊は、悲惨な状態で後退したようだ


ちょうど雨期に入り、饑餓に加え、マラリア、チフス、赤痢等
1944年、終戦の1年前のこと


大叔父も、そのうちの1人だったと思われる


後退して行く途中で、マラリアにかかり、歩けなくなり
遠ざかる部隊を見送りながら、草むらで
1人寂しく、息を引き取ったのだろうか


後1年すれば、終戦だったのに。。。
その時の状況が、目に浮かぶようで、心が痛くなった


当時の大叔父の年齢は、今の私よりも遙かに若い
そんな青年達も、60年前は、たくさん戦地で亡くなっていった事実


時代だったとは言え、今の青年とその当時の青年と比べる
そして、のほほんと暮らしている私とも比べると
なんとも、心苦しく、私も、生きていることに感謝して
一生懸命頑張らなきゃと思うのでした



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 11

『ア・ケ・ボ・ノ』その言葉だけが頭に残った
曙と言えば、お相撲さん?缶詰?こんなくらいしか思い浮かばない


主人の友達の、軍事関係に詳しい人にも協力依頼
ミャンマーとアケボノの関係について、早速、手分けして調べた


旧軍は、秘匿符号として、部隊名や作戦名、現地名を漢字で表したことを知る
秘匿だったら、分からないよな…


出て来たのは、『曙兵団』
師団よりも、やや小さな単位の行動部隊の秘匿名称だった


そして、主人の友人も、『曙村』と呼ばれていた村があったことを
調べて出してくれた


なんだか、光が差したような気がした、調べれば出てくるものだね
60年以上も前の記録です、そしてまた、黙々と調査に没頭する日々


部隊の名前なのか、地域の名前なのか…取りあえず、2手から詳細を調べる


戦史なんて、全く知らない私
ビルマと言えば、映画のビルマの竪琴くらいしか知らないし
歴史の教科書でも、ビルマ戦史については、教えてもらった記憶がない
独立の時のことを少し触れていたくらいか


ネットと、膨大な書物などから、昔の資料を調べ尽くした


祖父のお寺の管轄の○○師団から、ビルマに行った部隊で、アケボノに関係する所
ただ、それだけの情報を元に、膨大な資料から推理した、途方もない作業だった



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 10

母が亡くなっている今、3親等と言えば、伯父くらいだろう


伯父に一筆書いてもらうことくらいなら、なんとかなるかもしれないけど
請求行為に合わせて身分証明書のコピーの添付なんて、頼めるわけもない


失意に暮れた私…私ではダメですか。。。
60年以上の歳月が流れた、故人の記録を紐解くと言うのは、難しいのか


「死亡場所が分かれば、慰霊巡礼に行きたかったのです」とポツリと言った
すると、先ほどのおじ様の態度が一変した
どうも、怪しい問い合わせだと思っていたらしい


確かに、今の時代に、本人のことをほとんど分からない
遠縁だと主張する、若い?女性から、問い合わせがあったら不審かもしれない


伯父の協力は得られないと思うと言った
「どうしても、私からの請求では、開示していただけませんか?」
恐縮されながら、決まりなので、出来ないと言う。。。


可愛そうに思って下さったのか
「アケボノと書かれています」とヒントらしきことを言って下さった


これ以上は、おじ様を困らせるだけ
意地悪ではなく、あちらもきちんと法律を守ってお仕事されているのだ


そして、最後に、国が毎年行っている、ビルマ行きの慰霊巡礼が
12月にありますよと、厚生労働省の窓口を親切に教えて下さった


国がバックアップして、ビルマに行ってるんだ!!私も、一緒に行きたい!!


お礼を述べて、電話を切った
それにしても、アケボノ…???


早速、ビルマ・アケボノに付いて、調べてみた



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 9

ワラを掴む思いで、厚生労働省と言うキーワードに願いを託した
 

厚生労働省に問い合わせる。。。どこに?何と言って???
日頃、お役所なんて、区役所くらいしか、縁のない私
あまりにも、大きな窓口にドキドキした


話を整理して、説明しなくてはいけないだろうからと
シュミレーションしてみたりしてw


まずは、代表の交換手が出られた
戦没者の資料についての問い合わせと言うと、担当の部署に繋いで下さった


戦没者個人の記録が知りたいと申し出ると
厚生労働省では、部隊ごとの行動記録しか分からないとのこと


個人の軍歴などの情報は、戸籍のある各都道府県の役所の援護課だと言う


お礼を述べて、電話を切った後、考えた。。。
住んでいた住所さえも分からないのに、本籍地なんて…


仮に、祖父のお寺と仮定して、とりあえずハッタリで聞いてみよう
早速、お寺のある都道府県の役所に電話した


担当して下さったおじ様は、とても邪魔くさそうに…
「全員の記録があるとは限りません」と言われた


氏名・生年月日・本籍地・死亡年月日を聞かれたが、分からないことが多すぎた


氏名とビルマで戦死したことと、ハッタリの本籍地だけで
取りあえず、記録があるかないかだけでも調べて欲しいとお願いした


数分待つと、記録があった!!!!やっぱり本籍地は、祖父のお寺だったのだ


ただ、細部については、個人情報保護法の関連で
3親等以内でないと、開示出来ないとのこと


やっと、ここまでたどり着いたのに。。。
もう目の前に、私の知りたい資料があるのに



続く…

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ミャンマーに思いを寄せて 8

まずは、大叔父の詳細を調査することから始めた


私が分かっていたことは、大叔父の名前と、ビルマでマラリアで
亡くなったこと、戦死時の階級は軍曹、大卒で英語が堪能だったことから
通訳として、従軍したとのこと
そして、ミャンマーには、慰霊碑があって、個人の名前が刻んであると言う
たったそれだけしか知らなかった


お墓には、亡くなった日さえ彫ってはいなかった


これだけの情報から、何をどこで調べて、ミャンマーに行くことが出来るのか?


もう一度、伯父に、大叔父のことをそれとなく聞いてみた
すると、大叔父は、大阪の帽子屋さんに勤めていて
出兵の日は、祖父のお寺から行ったと言う


それは、大阪に住んでいたのか・お寺に住んでいたのか?
出兵の日は、最後に、お寺に寄ったのか・住んでいてお寺から行ったのか?
そこまでは、突き止めることが出来なかった


仮に、お寺に住んでいたと仮定したら、出兵時の所属部隊が分かるかも
所属部隊さえ分かれば、部隊の行動記録を調べて
亡くなった地域が少しは限定できるかも


軍事関係に強い人に、聞いてみた
お寺の地域だと、当時は○○師団の管轄下だと教えてもらう
もちろん、今は、旧軍の○○師団はないし
その跡地にも現在の自衛隊はない。。。
そこの資料はどこで調べればいいんだろう?


防衛省に問い合わせる???何って言って、問い合わせる???
歴史に出てくるような偉いさんでもなければ
生年月日や住所さえも分からない、60年以上前に亡くなった
個人の情報を、調べると言うのは、無謀なことのように思えた


亡くなった場所さえ分かれば。。。


このミャンマーの件は、あまり周りの人に話していなかった
なぜなら、理解してもらえないだろうと言う思いがあったから
私自身でさえ、なぜ、こんなにも大叔父やミャンマーに
思い入れしているのか説明が出来ないからである


そんな折り、ふとした会話から、主人の友達に
その情報は、防衛省でなく、厚生労働省にあると教えてもらう


厚生労働省…???
防衛省も、厚生労働省も、私にとっては、似たり寄ったりの縁のない大きな所
防衛省よりは、怖くないかもw


それよりも、これは、大きな収穫かもしれない
まずは、今、私に出来る事からしてみよう
時間はかかるだろう、結果は出ないかもしれない
それでも、やれるだけのことをやれば、納得行くのでは。。。


何かにすがる思いで、怖々、厚生労働省に問い合わせた



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 7

ずーっと、心の中で、幼い頃から、ビルマへの憧れはあったものの
本格的に、ミャンマー行きを考え出したのは、母が亡くなって数年後


ネットで、たまたま行き着いた先の、個人の方のブログがきっかけでした 


お仕事ならば、日本人でも、ミャンマーに行けるんだ。。。

 
実際に、ミャンマーとの往復をなさっている方が存在していることに
とてもビックリした
その方が、ミャンマーを愛しておられることも伝わって来て、とても嬉しかった
ミャンマーの国とも深い関係を築いておられるようだった


現地の様子、人々との交流、その方のブログから伝わるミャンマーに触れる度
どんどんとミャンマーが近づくような、そんな気がした


そして、その方と親交させていただいて 、3年前のある日
突然、お会いすることとなった 


その頃、ミャンマー情勢が悪化してて、テレビでも連日、暴動や軍との対立
日本人カメラマンが射殺されるシーンが報道されていた


リッツカールトンのスイートルームで、家族共々、お会いした 


会話は、その方のミャンマーへ行く付くまでの武勇伝?などから始まり
ミャンマーの建国の歴史に至り、日本人に対する感情など
そして、その時の暴動の情勢など。。。


ミャンマー建国には、旧日本軍は大きく関わっている
ビルマ人の、日本人に対する感情は良いとは知っていた


終戦直後、ビルマは、連合軍側についた
他の国では、各地で捕虜の虐殺などを伝え聞くが
ビルマは、表向きは連合軍の言うことを聞いて
現地では、捕虜扱いの日本軍を手厚く保護してくれていたのだと初めて聞いた


歴史の教科書には出て来ない
生の当時の貴重なビルマの状況を知ることが出来た


大叔父は、終戦を向かえることは出来なかったが
植民地支配していた敵国のイギリス軍や、ゲリラ的な中国軍の驚異はあるものの
現地のビルマの人々は優しかったのかな?と言う安堵ともに
不覚にも涙があふれてしまった


お会いしてほんとうに良かった、ありがとうございました


私の下心としては、いつか、お供してミャンマーに行けないかしら?
なんて思ったりしてww
現地に詳しい方なので、心強い味方なんだけど…と、までは、言えなかったww 



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 6

母から聞いた話によると
戦時中、祖父のお寺は、大火で、全焼した
空襲などではなく、放火だったそうだ


戦争に行く人が、狂って火を付けたと聞いていたが
真相は、どうだったのか。。。祖父は何を思ったのか


幸い仏様だけを救い出すことが出来たが、後はほとんど残らなかった
何百年と続いた歴史あるお寺を、祖父の代で焼失させてしまったのだ


その後の復旧で、雨・風しのげる家が村人によって急遽建てられたが
昭和の終わりが近づく、つい最近まで、当時のボロボロの家のまま
亡くなるまで祖父は暮らした


一門からは、お寺の管理不行き届きのため、追放された祖父らしい
お坊さんとしての格は高かったので、個人として、色々な場所に 招かれてはいた
時には代表として、東京の会議などにも出席していた
ほんとうかどうかは私はしらないが、一門の公式の席には、最後まで出なかったと聞く


一時のおとがめを、祖父が頑固に貫き通したのか、今では定かではない 


祖父の葬儀には、一門の他、他宗教のお坊さんなど、総勢50人を超す
お坊さんが本堂を埋め尽くし、とても大きな葬儀だった
今でも、私は、祖父を尊敬しています


この事実を繋げて考えた時、私は、祖父の苦悩が少し分かったような気がした
一門から出され、ボロボロの家に住み、派手な生活を慎み
村人のためにと奔走した祖父


村人へ・弟へ、せめてもの罪滅ぼしの気持ちもあったのかもしれない


ようやく、祖父のお寺の片隅に、ひっそりと、大叔父の墓石が建てられたのは
戦後25年ほど経ってからのことだった


その間、祖父は何を思っていたのか
大叔父がもしかしたら、帰ってくるのではないか?
戦死の訃報は間違いだったのではないか?
ビルマの竪琴の映画のように、現地で元気に暮らしていて欲しいと願っていて
お墓をなかなか建てられなかったのではないか
そんな気がしてならないのです…



この夏も、大叔父の墓石に手を合わせて、冥福を祈ってきた


暑い暑い夏の日、、、大叔父の亡くなったビルマはもっと暑かったのだろうか
マラリアと戦いながら、衰弱していく意識の中、何を思っていたのだろう。。。



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 5  

戦中戦後、祖父は、毛筆の腕を買われて、役場の戸籍係として、定年まで勤めた
 

私は、いわゆる「赤紙」(召集令状)は、国から直接来るのだと思っていた


今回のことで、調べている内に、その時代背景にも必然と触れることとなった


赤紙は、国から割り当てられた人数を元に、各地方役所で、人選し、交付したらしい

祖父は、戦時中、招集されていない
村に1軒のみのお寺だったことと、もう兵隊としては高齢だったことが主な理由


勤労奉仕として、鉱山に行っていたこともあったが、そこでの話は、多くを語らなかった 


祖父は、村の長老として、役場の職員として、赤紙の人選に大きく関わったであろう
もちろん、心苦しく、辛い作業であったことは、察する
村人からは、恨まれたこともあったろう。。。


そして、自分の大切に育てた弟へも例外なく、赤紙を切るしかなかった苦悩
祖父のせいではないが、大叔父は結果、戦死した


何年経っても、一生涯、悔いても悔いても、忘れられぬ出来事だったに違いない
そして、決して忘れてはいけないと心に刻んだだろう



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 4

祖父は、お寺の住職、お寺は、小さいボロ寺w


祖父が他界する、ついこの間まで、昔のまんまの家だった
おトイレは、怖いくらいのボットンで、家の中に井戸があって
お風呂は、五右衛門風呂、掘りごたつは練炭を入れていたww


母などの子供部屋も、そのまんまあって、古い古いお寺だった


見かねた檀家(だんか・お寺の縁者)さん達が
せめてもと、伯父夫婦と孫達用の新居を作ってくれたと聞く


祖父は、お金が無かった訳じゃないが
最後まで、そのボロ家での生活を譲らなかった
「お寺は、派手なことをしてはいけない」といつも言っていた


それが、どんな思いだったのか、私には分からないけど
大叔父のことを調べるうちに、祖父の悲しい過去にも触れることとなった


祖母の形見の宝飾類は、母から私も受け継いだけど
それは、祖母がお嫁入りの時に持ってきた物ばかり
晩年は、着物にしても、何1つ派手な物は身につけていない
若い頃の写真を見ると、とってもおしゃれなのに。。。


祖父が、それをさせていなかったのだろうか 



続く…

 
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ミャンマーに思いを寄せて 3

お墓参りに行く度に、いつかはミャンマーに迎えに行くからね
と、大叔父の墓石につぶやく私


見た事も会ったこともない大叔父だけど
母の代わりに迎えに行ったら、喜ぶだろうと思う


白木の箱に入って、戦死の訃報を受け取ったと言う
だけど、白木には、もちろん遺骨は入っていない


母は、まだ見ぬミャンマーに何を思ったのか
魂はまだ帰って来ていないと考えたのかもしれない


宗教的なことや、霊的なことは私には分からない
変かもしれないけど、私も、なんだか、とても、ミャンマーに行ってあげたい
若くして散っていった、大叔父の最後の地を踏んでみたいと思うようになった


どうやったら、国交のないミャンマーに行けるのか?
ジャーナリストでも、商売人でもない、普通の主婦の私
もちろん、ツテなんて何もない
(※この時点では、国交はなくとも、民間レベルで
旅行会社などがツアーを出しているとは知らなかった)


だけど、よく考えたら、ビルマで戦死したと言っても、ビルマは国
遙かに大きな国の名前である


果たして、ほんとうに、戦没者の慰霊碑があるのか?
もしかしたら、あちこちにあるかもしれない。。。
国中の慰霊碑を、むやみに探し回るのは無謀なこと


まずは、大叔父の詳細について調べなければならない
しかし、母も、祖父母も他界した今、情報源として残るは
母方の伯父・伯母のみ、母よりは、年長者だけど、そう変わらない


それとなく、聞いてみた。。。
でも、感触としては、私が何故、ミャンマーに行かなければいけないのか
今更、なんでそんなことを言うんだと、怪訝な雰囲気だった


反対さえされなかったけど、とてもじゃないが協力的とは言えなかった


末っ子だった母は、特別に可愛がってもらったらしい
だけど伯父・伯母は、大叔父に対し今更何とも思ってはいないようだった


結局、私の、大叔父に対する感情は、理解してはもらえなかったように思う


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続く…

ミャンマーに思いを寄せて 2

その母の話を、小さい頃から、何度、聞いたことか。。。
 

もちろん、私は、大叔父のことは全く知らない
写真も見た記憶もない、母の生きている内に、写真くらい見せて
もらっておけば良かったと、今更ながら思う


小さい頃から、私の中に、ビルマに対し、懐かしいような
憧れのような、そんな不思議な思いがあった


ビルマで死んだのだから、ビルマ人に殺されたと思っても
不思議でないはずなのに…


たぶん、戦死は、マラリアでの戦病死だったと言うのも理由の1つだけど
ビルマ人に対しては、戦史を知る前から、不思議と嫌な感情はない
むしろ、ビルマと言うだけで、親近感さえ沸く


母が亡くなり、子供も少し手を離れ、ここ数年
ミャンマーに行きたい!!母の果たせなかった夢を私が!!
と言う思いが増している


だけど、考えてみれば、私は、大叔父のことを全く知らない
祖父母、母も亡くなり、伯父・伯母に聞くしかない。。。



それから、私は大叔父さんの足どりを掴むため、調査を開始した


すると様々な、時代背景が浮かんできて、やはり、私はいつか
ミャンマーに行かなくっちゃと日に日に思うのでした


追って、調査結果を書いていきますね、今なお、現在進行形です


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続く…

ミャンマーに思いを寄せて

ミャンマー:旧ビルマ


生前、母がずっと行きたい行きたいと言っていた国



私が生まれる、ずっとずっと昔のお話。。。


母が幼かった頃は、戦時中だった
母の叔父、私から言えば、大叔父さんは、祖父のとても年の離れた弟
祖父が育てたようなもので、大学まで行かせた可愛い弟


その大叔父にも、召集令状はやってきた


母は、ある朝、大叔父に呼ばれて、縁側で、膝の上で『おはぎ』を食べた
とても、美味しくて、大叔父は、全部食べていいよと母にくれたそうです


大叔父の優しいそのまなざしが、最後になるなんて。。。


今から考えれば、戦時中の食料の無い時の『おはぎ』
何か特別な日だとは、子供の母には分からなかった


その日、大叔父は、出兵した


母に、おはぎの思い出を残して、大叔父は、その後、ビルマで戦死した


ビルマには、戦没者の慰霊碑があって、戦没者の名前が各々刻んであるとか


母は、生前、ずっと、ビルマに行って
叔父さんの慰霊碑にお参りしたいと言っていた


未だに、国交もなく、情勢の落ち着かない国、現ミャンマー


行く方法は、考えれば、色々とあったかもしれない
祖父が生きている間に、詳しいことももっと聞けただろう
だけど、結局、母が生きている間には、夢はかなわなかった


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多くの方に読んでいただき、情報が寄せられるとありがたいです
ご協力をお願いしますm(_ _)m 人気ブログランキングへ 続く…

ご挨拶m(_ _)m

はじめまして


以前から、他ブログサイトにて、仲間内にのみ公開していました記事です


大勢の方に読んでいただくことで、様々な、お知恵や情報を
拝借出来るかと思い、公開に踏切ました

内容的には、政治的・時代背景や思想的な物も含みます
そして、我が家のタブーとする事柄やお恥ずかしい場面も出てくるかと思います

不快な方は、スルーして下さいね、ご批判・反論等はご遠慮願います


では、どうぞヨロシクお願いします

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