ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2010年12月

ミャンマーに思いを寄せて 71

会食場をあとにし、さっき来た、参道を駅の方向に向かった


緊張と体調不良とで、かなり疲労困憊していたけど
清々しい気持ちで歩けた


青空を見上げながら、色々と頭の中に巡る


思えば、このミャンマーの件では
ほんとうに不思議なご縁と偶然が重なっている


自分ですら、こんな展開になるとは思ってもみなかった


細々と、自身の記録として、始めたこのブログ記事


いつまで続くのか、どんな結論が出るのか、今でも分からないけど
まさか、ここまでの連載になるとはビツクリですw


そして、自分の大胆な行動力にも、かなり驚いている
人は、必死になると、思わぬ力を発揮するんだなぁ。。。


そして、真剣に取り組み、もがいていると
誰かしら優しい手をさしのべて下さる方に
偶然出会い、良い方向へと進んできた


私には、フィクションを練って書く技量はない
それなのに、これって、普通の小説よりおもしいかも?
と自分でも思うくらいの、展開が続き
ましてや、自身に起こっている実際の話に驚きを隠せない


その中で、今日は、元看護婦さんのおばあさんと出会った


当時の看護さんと言えば、超難関の高学歴
今で言うと、スチュワーデスさんになるよりも遙かに難しく
エリート中のエリート


そのため、もちろん絶対数も少ない


メイミョウくらいの規模で、医師や、その他の軍属
現地の下請けの人を除き、看護婦さんだけの人数は
20人くらいであっただろうと、推測される


20人のうち、大叔父のいた、マラリア病棟担当は、4人
年齢的にも、ご健在が危ぶまれる中


そのたった4人のうちの1人に、65年経った今
たまたま参加させていただいた、東京の慰霊祭で、お会いするなんて
普通は考えられないだろう。。。


大げさかもしれないけど、奇跡に近いと思う
こんな偶然ってあるんだなぁ、映画の世界みたいw



続く…


ミャンマーに思いを寄せて 70

メイミョウの病院の、元看護婦さんのおばあさんも
毎年、ビルマへの慰霊巡拝に参加されていたけど
来年は、お友達が不参加のため、おばあさんも不参加を決めたと
言っておられた、とても残念に思う
 

個人旅行では、メイミョウまで行けたとしても
病院のレンガ造りの建物は、まだ残っているが
今、現在、軍に撤収されており
普段は、観光客が入れない場所になっているとか


この、全ビルマ会からの、慰霊巡拝が1番安全で
恩恵で、病院内に、入れてもらえることがあるますよとも言われていた


夢物語のようだった、ミャンマーへの旅が、実現性を帯びてきた
しかも、急展開で、年明けすぐの2月
果たして、ほんとうに行くことが出来るのだろうか?


金銭的な面も含め、何の準備もしていない。。。


メイミョウはコースに含まれているのだろうか?
単にミャンマーに付いて行き、一般的な慰霊祭に参加したとしても
私にとって、大叔父の最後の地・メイミョウに行かなければ、意味がない


実際問題、どうするのだろう?と、他人事のように思った


突然、降って湧いた、現実のミャンマーツアーを目の前にし
この状況に、きっと、頭が付いて行ってなかったのだと思う


さて、果たして、おばあさんは、写真を送って下さる約束を
覚えていて下さるだろうか。。。


過大な期待をしては、いけないかな



…続く

ミャンマーに思いを寄せて 69

全ビルマ会の慰霊祭は、100人余りの方が参加なさっていた


副会長さんは、元気に、会食場前方のマイクで
お知らせをアナウンスされていた


さすが、軍医殿、皆が慕っておられる


その中で、ちょうど騒がれていた、尖閣諸島問題や、靖国参拝の件で
今の総理は、弱腰・腰抜けと、笑われていたいたのが印象的でした


私ですら、そう思うのだから
帝国陸軍の出身の副会長さんには
総理でも若造のヒヨッ子のように見え
諸外国に対する、低姿勢でゴマすり態勢の政治家が腹立たしく
思うのは、当然のことかもしれませんw


そして、靖国神社にA級戦犯が祀られているからと言う理由で
戦没者追悼のための、新たな国立追悼施設の建設を進める
動きを止めさせようと、呼びかけておられた


靖国で会いましょうを合い言葉に散っていった英霊達が
帰ってくるところは、靖国神社以外にないのです


私も、新たな国立追悼施設を作る必要性もないと思います


そして、最後に、2月にミャンマーへの慰霊巡拝の旅行
を計画しているので、ふるって参加して下さい
私の足腰の立つうちは、行きますと言われていた


実質、副会長さんが、仕切って、旅行を計画して下さっている
お元気で、しっかりとなさっているが、御年91才
また次回と言っている場合ではない
急なことだけど、2月に同行したいと思う


あとで、パンフレットをきちんと見よう。。。



続く…


ミャンマーに思いを寄せて 68

おばあさんの腕に着いて離れない、日本兵の顔の風船


しかし、日本に着いたら、その風船の顔は、消えてくれた


「きっと日本に帰りたかったのだと思うの」とポツリと言われた
「ウソじゃないのよ、ほんとうに見えたのよ」


おばあさんの作り話ではなく、ほんとうに体験されたことだろうと思う


そして、私の手を握りしめて
「おじさんは、きっと待ってますよ、迎えに行ってあげて!!」
「お願いだから、迎えに行ってあげて…」と、涙を流されたのです


私は、こんな言葉を待っていたのかもしれない


応援してくれる人は多いけど
周りのみんなには、きっと、突然、ミャンマー・ミャンマーと
何を騒ぎ出したの?と映っているだろう


どうしたの?今更、なぜ、ミャンマーなの?と
変な宗教にでも入ったかのように、怪訝に思う人もいる


私も、なぜ、本格的に行動を始めたのか、自分でも分からない


何も、私でなくとも。。。行ってどうなるものか。。。
自己満足の世界だよね、と言う、迷いも、なくはない


そんな折、おばあさんの涙を見て
そうだよね、大叔父は、まだビルマで待っているよねと、確信した


霊感的なことは、分からない、でも
お寺の墓石に手を合わせても、靖国神社にお参りをしても
きっと、大叔父には、思いは届いているとは思うのだけど
大叔父は、ビルマで今も、待っているのではないかと言う思いが
いつも、胸の中にあった


やはり、私はミャンマーに行こう!!
慰霊の旅ではなく、大叔父を迎えに行こう!!と思った


そして、最後に、おばあさんは、メイミョウの写真を送ってあげると
言って下さった


付き添いの、お孫さんも、とても優しい方で
咳で声が出ない私の代わりに、何度も、大きな声で耳元で通訳して下さった


おばあさん、お孫さん
ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました


そして、偶然の素晴らしい出会いに感謝した



…続く

ミャンマーに思いを寄せて 67

偶然、メイミョウの病院勤務の看護婦さんに出会い
ほんとうに、こんな出会いってあるんだなぁと驚きながら
色々とお話しを伺った


おばあさんは、ビルマに着いて、すぐに、マラリアにかかったが
軽く済み、その後は、とても元気に勤務されたのだそうです


当時の院長さんが、とても良い方で、皆を大切にして下さったと言われていた


20年の2月に、戦況悪化のため、軍の命令により、メイミョウを脱出


汽車を乗り継ぎながら、道路は危険なので、命からがら、険しい山道を越え
赤十字の従事者と言うことで、国境越えを許され、ビルマを脱出し
中立国のタイで、終戦を迎えたそうです


「ご苦労なさったのですね」と言う私に
「みんなが、そう言う時代だったのですよ」と微笑むおばあさん


おばあさんは、もう何度もミャンマーに慰霊に訪れたそうです


以前、行った時に、慰霊碑の前で、日本の歌を口ずさんだら
慰霊碑の中から、煙がポンッと出て
知らない日本人の男性の青白い顔が出たそうです


その顔が、小さな風船のような形で
おばあさんの腕に付いて取れない。。。


人には、見えない顔の風船。。。


おばあさんは、怖くて何度も、「離れて下さい」と言ったそうです
それでも、風船は離れない



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 66

きっと、可愛い看護婦さんが献身的に看病して下さっていることは
大叔父も分かっていたことだろう


どんな風に、大叔父の目に映っていたのか


おばあさんも、記憶にはないだろうが、きっと大叔父の顔を見ているはず
親族さえも知らない、最後の大叔父の顔を


目の前のおばあさんの、この目を通して
大叔父が見えるような錯覚を覚えた


出来ることなら、脳裏にある当時の記憶を、未来の装置にかけて
映画のように、見ることが出来たらなぁ、なんて思った 



おばあさんの勤務されていた、感染重症病棟は、岐阜班の担当


おばあさんは、岐阜の出身ではなかったが
たまたま近くの長野県にいたところ、岐阜県の任務に招集され
岐阜の日赤の方達と共にビルマに渡ることになったそうです


おばあさんの話だと
感染重症病棟で回復すると、内科病棟に移される
ここの病棟同士は、交流があったが、感染病棟勤務と言うことで
宿舎なども隔離され、その他の病棟とは、交流はなかったそうです


だから、受付の様子なども、分からないとのこと


自力で歩いて来られた方もいただろうし
トラックなどで収容された方もいただろうし
鉄道があり、汽車が着く度、患者さんが、ドッと増えるのだそうです


感染重症病棟では、1日、2~3人が亡くなっていった
もちろん、元気になり、内科病棟に移る方も多かったようですが


マラリアは、以前に書いたように
2日熱、3日熱と呼ばれる、発熱パターンがあり


悪寒の時は、跳ね除けられるくらいの力で、体が萎縮するらしい。。。
危険なので、ベットに縛り付けたこと、もしばしばだったとか


ただ「メイミョウの病院で亡くなられた方は、幸せだと思って下さい」と言われた


いつ、どこで亡くなったか、野山の道ばたで、亡くなって
詳細も分からない方が多い中


部隊に随行する、臨時の野戦病院ではなく
ビルマ1の、態勢のを誇る「明妙・第121兵站病院」


まだ、19年の7月だと、医薬品も、食料も豊富にあり
とても恵まれた環境だったそうです


マラリアの患者さんにも、お粥が配られ
いつも、パイナップルがたくさんあり、果実やジュースも与えたそうです


きっと、その当時の日本人の大半が
パイナップルを食べることは、初めてだったと思う


甘い、甘い異国の果物「パイナップル」をどう感じたのだろう
とても、美味しかったことだろう


そして、安全な、最高の病院施設で、幸せだったのではないだろうか


「おじさんは(大叔父)、お腹をすかせて、亡くなっていませんよ
安心して下さい」
と、聞いて、ほんとうに嬉しかった



病院の隣には、陸軍墓地と言うのがあり、きちんと供養されたそうです



…続く



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ミャンマーに思いを寄せて 65

副会長さんに伴われ、大叔父の最後の地、メイミュウの病院で
看護婦さんをしていた方にお会いした


優しげな可愛い笑顔の、ポッチャリした小さな、おばあさん


簡単にご挨拶を済ませ、早速、当時の状況を伺った


メイミョウは、元々、植民地として、イギリス軍が駐屯していた町
ミャンマーの中でも、山岳地の高地のため、涼しく
日本で例えるなら、軽井沢のような避暑地だと言う


おばあさんのお年を伺うと、85才
戦時中は、20才くらいの若さだったのでしょう


参加者名簿を確認すると、部隊区分は、「日本赤十字」


そうか、軍人さんだけではなく、こう言った軍属?の方も
戦争で活躍されていたのだなと思った


日赤の看護学校を出て、初めての赴任地がビルマだったそうです


メイミョウの病院は、イギリス軍の建てた
しっかりとしたレンガ造りの建物


それぞれ、内科・外科・感染重症病棟(マラリア病棟)などの病棟があり


各病棟は、都道府県別の日赤の編成により、受け持ったそうです


内科は、石川班(石川県から派遣された日赤の担当)
感染重症病棟は、岐阜班(その他は不明)


各病棟は80名を定員とし、2交代で、2人1組と言う


過酷な勤務状況だったそうです


80名を、2人で看る。。。
今では、考えられないような状態だ


話しを聞いていると、おばあさんがビルマに赴任されたのが
昭和19年の3月


20年2月の撤退の時まで、メイミョウにいたと言う


大叔父が、亡くなった19年の7月が重なる!!


しかも、おばあさんは、重症病棟と呼ばれる
マラリア病棟勤務だったことが分かった!!


なんと言う偶然だろう。。。


あ~、この方に、大叔父は看病していただいたんだ
突如、涙が溢れてしまって、おばあさんの前でポロポロ泣いた


何も言葉が出てこない、ただ、ただ溢れる涙を止めることが出来なかった


しばらくすると、大叔父の名前と、死亡日を教えてと言われて
耳の遠い、おばあさんに、メモ書きした


残念ながら、おばあさんは、大叔父の名前は覚えておられなかった


「ごめんね、ごめんね、覚えてなくて。。。
ごめんね、ごめんね、助けてあげられなくて。。。」


おばあさんが、しきりに謝って下さる


違うんです、亡くなったことを責めて泣いているのではないのです
大叔父の最後を看て下さった感謝の気持ちでいっぱいなんです
と、言いたいのに、言葉にならなくて


振り絞るような声で、やっと
「大叔父がお世話になり、ありがとうございました」と言った



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 64

全ビルマ会に登録することが出来、とても安堵した


この日を夢見て、全ビルマ会を探し回った日々が、懐かしく感じる


そして、もう1つ、今日の目的は
大叔父の部隊の人と交流したいと言うこと


この場に、大叔父と同じ部隊または、同じ兵団の方が
いらっしゃらないか、尋ねた


大叔父のことを知っている方がいらっしゃるかもと
淡い期待をしていたが、残念ながら、誰もおられなかった


ここまで、来たのに、、、とても残念だった


まぁ、登録が出来ただけで良しとしようかなと思った時
ふと、頭の中によぎる物が…


「メイミョウの病院におられた方は、いらっしゃいませんか?」


入院患者さんで、大叔父のことを覚えておられる方がいるかも。。。


すると、驚いたことに、当時のメイミョウの看護婦さんが
来ておられるとのこと!!



そして、副会長さんが、その方の元に、案内して下さった



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 63

会食場に、やっと副会長さんが、お見えになった


どう見ても、91才には見えず、若々しく
ハキハキとした口調、お耳も遠くない


挨拶をそこそこに済ませ、お土産を手渡した
「いただける物は、何でも頂戴しますよ、あははは」と、とても明るいw


そして、本題の、全ビルマ会への登録をお願いした
「はいはい、いいですよ」と、近くにいらした
先ほどの受付でお世話になった方に、手続きを依頼された


いとも簡単に、全ビルマ会に受け入れて下さった


あれほど、探して探して、やっとたどり着いた、全ビルマ会


普段なら、感動の涙が出てもおかしくない状況なのに
副会長さんの明るさで、とてもとても嬉しく
私までニコニコしてしまったw


その場で、住所などの詳細を書き、これにて、登録完了


そして、先ほどの受付の方から、おつりをいただいた
すっかり、おつりなんて、忘れていた私w



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 62

全ビルマ会の会食場の片隅で、ポツンと座っていた私


知り合いもいないし、ズカズカと、戦友の輪に入る勇気もない
お茶を、口に含みながら、薬を飲んで、ボケーっとしてしまった


しばらくすると、だんだんと、会食場の人員が増えてきた


年輩の女性が、1人でお食事をなさっているのを発見したので
声を掛けてみたが、とりつくシマもないくらいに、撃沈xx


途方に暮れていた私の前の席に、老人を伴われたご夫妻が座られた


思い切って、声を掛けてみた


「お食事中、恐れ入ります…初参加の者です、どうぞヨロシクお願いします。副会長さんにご挨拶したいのですが、お顔が分からないのですけど、 ご存知でしたら、教えていただけませんか?」


親切に、奥様の方が、会場内を探して下さったが
まだ、お見えでないとのこと


来られたら、教えて下さると聞き、安心して、お弁当をいただいた


お話ししたら、その方達も、初参加で、直接的な遺族ではなく
靖国神社の戦没者だけを移動して、新たな追悼施設を
作ろうとする働きに、反対をされている活動家だった


私より年輩のご夫婦で、後で、名簿で確認すると 
英霊を讃える会と言う団体の会員のようだった


各地で、様々な活動をなさっていて、パンフレットをいただいた


…私は、そこまで、熱い人でもなく、平和主義者な訳でもない
ただ単に、大叔父の件だけで、全ビルマ会を頼って来ているに過ぎない


普段の主婦生活では、なかなかそう言った方達には
お会いすることはない


皆さん、熱心に様々な活動をなさっているのだと、改めて、思い知った


私は一体、どんな志しがあり、生きているのだろう。。。



しばらくしたら、副会長さんがお見えになったと、お声掛け下さった



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 61

本殿での慰霊祭を終えたら
会費は納めたものの、体調不良を理由に
会食には出ずに、帰ろうと思っていた


会員登録もしてもらえるか分からない私が
会食に参加なんて、いかがなものかと
躊躇(ちゅうちょ)していたのもある


でも、お電話を下さった、副会長さんにも
まだ、ご挨拶が済んでいない


会食に参加すれば、色々な方の話しが聞けるかもと
予定を変更して、そのまま会食場に向かった


立食のバイキング形式かと思っていたが
入り口で、お弁当・お茶・缶ビール・日本酒カップが手渡された


広間に入ると、普通にテーブルとイスが並んでいて
自由な場所で、好き勝手に食べて帰ってねのようだった


また、入り口のテーブルの片隅に、腰掛けた


ご一行は、本殿からの移動には、小一時間ほどかかっていた


もちろん個人差が有り、早く着いた人は
思い思いにお弁当を食べて帰って行く


大きな広間に、ポツポツと、戦友の輪があり
仲間同士で固まって、お弁当を食べ、談笑していた


その中に、どう考えても
年齢的にも、性別的にも、浮いている私がポツンといた


お弁当を食べる元気もないくらい、体力は消耗していた



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 60

本殿への移動中
無言で連なり、ゆっくりと進む人々の列
中には、お足の悪い老人もいらっしゃった


大変失礼だとは思うが、その時、私の脳裏には
作戦失敗で、命からがら後退する
戦争末期のビルマの様子が浮かんだ


飢餓に苦しみながら、雨期の道無き道を
ボロボロになった戦友同士が助け合いながら
ゆっくりとゆっくりと、後退していく


白骨街道と呼ばれた、腐敗臭の漂う、長い長い、ぬかるみの道
よろめきながら、遺体を避け、前へ前へと無言で進む人々の列


こんな感じだったのかもと、涙が出そうになった


私の父が老人と言っても、参加者の旧軍の方に比べたら
はるかに若く、元気だ


身近に老人がいない私にとっては、老人にどう接して良いのか
正直、分からず、手をさしのべるべきか、とても悩んだ


申し分けないとは思いつつも
私は、遠慮がちに、廊下の真ん中を、ゆっくりと進んだ


どんなにゆっくり進んでも、たちまち、先頭集団に追いついてしまう


本殿の後方の片隅に、座ろうとしたが
そこは、足の悪い方用の、イス席だったため、前方の畳へと座った


若い者には、ほんの少しの距離と感じる移動だったが
全員が揃うには、30分ほどかかった


全員が揃った所で、神主さんのありがたいお話しがあった


ただ、また、前方にいる私ですら聞き取れないほどの
小さな小さな声だった


神主さんらしく、奥ゆかしい、物静かな語り口なのだろうけど
老人の耳には、きっと届かないだろう


神主さんは、私よりもお若い感じの青年だった


私は、もちろん、軍隊経験はないけど
旧軍の方を前にして、「男のくせに、けしからん!!大きな声で話せ」と
誰も言わないのかな?なんて思ってしまった私w



そして、静まりかえった、本殿に、厳かに、ノリトの奉読が始まった




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 59

靖国神社の本殿へと進む


遠慮がちに、100人程いらっしゃる、全ビルマ会の方々の、最後尾に付く


途中、数段の階段に差し掛かった時、左右に分かれて、長蛇の列が出来た


何か分からず、私も、その列に並んだ
なかなか進まない。。。


前方をよく見ると、皆さん、階段を下りることに苦労なさっていた
もう、足がお悪い方も多いのだ


左右に分かれた、長蛇の列は、階段の手すりを持って降りるための列だった


介添えがいらっしゃる方は、その方に介助されて
そうでない方は、前後の老人同士が、手に手を取って
階段を降りる作業を手伝っている


私は、どうしたものか…


手すりを持たなくとも、簡単に階段を下りることが出来るので
この長蛇の列に並ぶことはない


老人に手をさしのべるべきだろうが
慰霊祭に初参加の私には、出過ぎたマネか、、、


無言のまま、繋がる長い列


その時、ふと私の脳裏に戦場のビルマの状況が浮かんだ




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 58

拝殿から、移動するため、一度、立ち上がった
どこに行くのかと思っていたら、拝殿の奥の、本殿へと案内された


子供の、七五三の時は、 本殿を遠くに仰ぎ見ながら
先ほどの拝殿で行われた


拝殿から、本殿は100mほどある


どちらも高い位置にあり、間にさえぎる物は何もない


拝殿には窓はなく、正面いっぱいに広がる、本殿を望むことが出来る
空中都市?のような、見えない道で繋がっているかのような、不思議な眺め


ありがたい本殿の大鏡が奥の方に見えた


七五三の時、奥に見える本殿に参拝者らしき団体がおられた


あの人達は、観光客なのかな?
どうしたら、あの奥の本殿に行けるのだろうと思っていた


その本殿に今、案内されている


その時、分かった、本殿まで入れる人は、「格」が違うのだ


七五三の子供は、拝殿まで
そして、今、私は、旧軍の方にお供して、本殿まで入ることが許された


さすが、靖国神社、国のために戦った方達を尊重されているのだ


私は、謹んで本殿へと向かった



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 57

靖国神社に無事到着し、参集殿の脇の、受付に急いだ
立て看板があり、すぐにその場所は分かった


教えていただいた受付時間には十分だったが
受付は閑散としていて、係の方らしき人が2人、もう片付けようとなさっていた


おずおずと、声を掛ける私


意外にも参加者は多いようで
名簿の中から、私の名前を探して下さるのに手間取った


そして、ようやく見つかり、会費の徴収


あいにく、大きなお札しかなく
おつりは、もう撤収されており、受付にはなかった


もう、慰霊祭が始まっているとのこと
時間内に、余裕を持って来たはずだったが
大半が揃ったからなのか、予定が早まったようだ


おつりは、後ほど、と言うことになり、慌てて慰霊祭へと急いだ


案内されるまま、参集殿の団体受付を通り抜け、拝殿に小走りで進む


そこには、大勢のお年寄りが、鎮座されていた
その片隅に、そっと、混じって座った


今から、ちょうど始まるところだった


神主さんが、何か説明しておられた
しかし、マイクもなく、背後のお賽銭の音などで、全く聞こえない


ここで、これから、慰霊祭をするのだなと思っていたら
どうやら、別の場所に移動するらしい



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 56

11/3に靖国神社に行く約束をしたが、依然として体調は回復せず
安静を心がけ、とにかく何としてでも、靖国に行くぞと心に決めた


当日、11/3は、やや冷たい空気だったけど、お天気も良く
出掛けるには、ちょうど良い天候


相変わらずの体調だったが、出掛けることにした


お洋服は、何を着て行けば良い?
フォーマル系だろうけど、礼服は、少し重いかもしれない


ヒラヒラのお洋服が多い私は、リクルートスーツのような雰囲気の
お洋服を持っていないことに気づいた


何とか、派手にならない程度の、黒系のスーツに身を包み、電車に乗った


そして、教えてもらった時間に間に合うように、九段下の駅に着いた


人々の行き交う坂道を登ると


静かに靖国神社の大鳥居が出迎えてくれた


高さ25mもある、大きな大きな、大鳥居を見上げてみる
赤い鳥居ではなく、重さを感じる土色の大鳥居


そこをくぐると、本殿までの長い長い道が続く


遠いような、近いような。。。


体調の悪い体を引きづりながらも、背筋を伸ばし
前へ前へと確実に進んでいく


自分でも、高揚し、やや緊張しているのが分かる


何度も、訪れている靖国神社
いつもは、子供を連れて、お祭りの日に、屋台や骨董市で賑わう境内を楽しんだ


でも、今回は違う


気持ちが違うと、こうまで感じる空気は違うのかと驚く
静かで、優しくも、ピンと張り詰めたような、清々しい空気


ここに、大叔父が祀られているんだ…


靖国で会いましょうを合い言葉に散って行った
多くの英霊達が祀られている


途中、門の手前の、大手水舎で
手と口を清めてから、拝殿の前にたどり着いた
101103_112023


一瞬、涙が浮かんだ


「大叔父さん、来たよ、私、来たよ、いつも、守ってくれてありがとう」


そして、拝殿に一礼し、脇の受付へと急いだ



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 55

全ビルマ会の副会長さんとの初めての電話の中で
「付き添いはいらっしゃいますか?」と聞かれた


私1人での参加ですと答えた


参加人数の掌握かと思っていたら
「付き添い」とは、介添え人のことらしい


慰霊祭に参列なさる、戦争に参加された旧軍の方は
皆さん、お若い方でも、85才以上だろうから、介添えが必要であったり
車イスなどの方もおられるのだろう


「では、お若い方なのですね?」と聞かれた
私のことを、参加者の代理人(家族)と思っていらしたようだ


私本人ですと答えると、「おいくつですか?」と聞かれた
年齢を言うと「それは、お若い、私は、その倍以上です」と大きな声で笑われた


なんだか、緊張がほぐれて、咳もやや治まってくれた


ハキハキとしっかりとした話しぶりだったので
父より少し上くらいの年齢の人と話しているような感じだったが
お年を伺ったら、91才だと言う


正直、驚いた!!とても、お元気だ


そして、大叔父のことを訊ねられた
「どちらの部隊でしたかな?」


60連隊ですと、答えると


「あぁ~、祭だね」
(※祭とは、旧軍のビルマでの、部隊の秘匿名称の1つ「祭師団」)


「えっ?…役所の方に、曙と言われたのですが…???」


「60連隊は、祭だよ、今の役所の人は、戦争に行ってないから知らないんだよ」と
また、大きな声で笑われた


戦後の混乱期で、曙と誤記されたのかもしれない 


「曙」と言う言葉は、誤記だったのだろうか?
どこから、曙と言う言葉が出たのだろうか?
何を元に、記したのだろう…


今となっては、知るよしもない 
(あれほど、曙兵団を調べたが、祭兵団だったとはw)


祭兵団は、関東の部隊ではないようで
参加者は、私を含めて2人しかいないとのこと


そして、もう1人の方も、遺族だと言う


大叔父を知る方に、お会いできるのではと、期待していたので、少し残念だった


11/3にお会いできるのを楽しみにしていますと、電話は締めくくられ
安堵したのだった


まだ、この時点では、お電話だけで感無量になり
全ビルマ会に、登録させていただきたいと言うことは、言えなかった


そして、入れ替わりに、フリーのアナウンサーさんから、お電話をいただいた
「もうすぐ、副会長さんから、電話が入ります」と


今、お電話をいただきました!!と、お礼を述べた


ほんとうにお聞き苦しいほどの咳で、ほとんど会話が出来なかったが
ウソでないと、実情を知っていただけて、ホッとした



何は、ともあれ、11/3は、倒れててでも、靖国神社に行くぞと、固く決心した



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 54

私の体調は、相変わらず
ひどい咳が続き、全く会話出来ない状況だった
喘息から肺炎となり、どうすることも出来なかった


何度と、全ビルマ会の副会長さんとの、お電話の機会をいただきながらも

もう少し待って下さいとメールで返信し、延期していただいていた


…もう目の前に11/3が迫っている


参加者の集計、会食のお弁当の手配などもあるだろう
このままでは、ほんとうに申し分けない


フリーのアナウンサーさんからも心配の声が…
体調悪化は、ウソじゃないのですよ
今回の件は、ひやかしなどではないのですよ。。。
お願い、分かって下さい


自分の体調管理の甘さを痛感した


でも、この11/3を逃したら、次はない
せっかくのチャンスを無駄にしてはいけない


そんな中、突然、副会長さんから、お電話があった


会話がままならない状態だったが、なんとか用件は伝わった


私の、大叔父の内容は、あまりご存じないようだったが
11/3の慰霊祭に歓迎すると言って下さった


場所などの詳細を教えて下さった



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 53

フリーのアナウンサーさんからの連絡を受け
その後、副会長さんから電話をいただけることになった


。。。ただ、ちょうどその時、体調を崩していて
咳がひどく、全く会話が出来ない状態だった(その後、肺炎に…)


ほんとうは、すぐにでも、お話ししたい…
でも、全く話せない…会話が出来るように、やや回復するまで
少しの間、お待ちいただきたいと、恐縮しながら、お返事を出した


ダメ元で、全く知らない方に、突然、面倒なことをお願いしたにも関わらず
きちんとお返事を下さって、ほんとうに何と言って感謝すればいいのだろう
こんな素敵な女性もいらっしゃるのだなと、感動した


ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございます


しかし、長引く咳。。。続く微熱、どんどん衰弱してくる体、、、マズイ
そうこうしている間に、11/3が目の前に迫っていた


この状態で、私は、靖国神社に行けるのか?こんなチャンスは、2度と巡ってこない
なんとしてでも…なんとしてでも行かなくちゃ。。。



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 52

小さな情報を繋ぎ合わせ
なんとなくミャンマーの全体像が見え始めていた時

 
待ちに待った、全ビルマ会との橋渡し役を買って下さった
フリーのアナウンサーさんから連絡が来た


催促をするのも何かと思い、ずっとずっと待っていた


難しいことなのかな?全ビルマ会は、事実上消滅しているのだろうか?と 内心、諦めかけていた所もあった


そんな折り、ふいに来た連絡に、とても感激した


なんと、ご紹介いただいたのは、全ビルマ会の副会長さん
うわぁ、すごい人だぁ!!


そして、その副会長さんからの伝言で、11/3に靖国神社で行われる
慰霊祭に歓迎しますとのこと


慰霊祭に参加させていただけるなんてっっ!!


11/3は、全ビルマ会の人が靖国神社に集まると言う
ウワサを聞いていたので、元々、1日中
靖国神社で、張り込もうと考えていましたw


会への登録は、受け入れて下さるか分からないけど
行事に特別参加させていただけることは、とても嬉しいことだ


そして、文面の最後には、来年の2月にミャンマーへの
慰霊巡拝の計画があると、書かれていた


あ~、活動なさっているんだ!!全ビルマ会は、消滅していなかった!!



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 51

実際問題、ミャンマーに同行してくれそうな人を考えた


主人は無理


じゃあ、誰と行く?誰が、そんな危険な所に、付いてきてくれる?


父も候補にあげてみた

 
しかし、よく考えたら、大叔父は母方の親戚
父方の大叔父の中にも、戦死者はいる
協力的ではあるが、内心、父はどう思っているのだろう?


武道をたしなみ、元気ではある
しかし、やや足が悪く、長距離の海外旅行はいかがなものか?


そんな折り、作業を手伝ってくれている
主人の友達に相談したところ、同行してくれるとのこと


軍事関係にも強く、サバイバルにも長け、語学もぼちぼち
男性だけど、安全な人で、私も主人も信頼している
とても、心強い、最高の同行者だ


本人には言っていないが、彼は独身で、自由の身なので
選択肢としては、とても良い条件なのだw


俺の仕事はどうするの?旅費は?友達の奥さんと海外旅行って
職場に何と言えばいい?などと、言って笑っていた


主人も、快く承諾してくれて、これで同行者が決まり、一安心


…続く


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ミャンマーに思いを寄せて 50

いつかは、ミャンマーへと思っているが
実際問題、いざ行くとなれば、誰と行くのか?


慰霊巡拝の団体の一員として行けたとしても
さすがに私1人の参加と言うのも心細い


ただ、何が起こるか分からない、現在のミャンマー情勢
単に、海外旅行だ、などと、そう安易に考えていてはいけない
最悪の事態も頭に置いておかなければいけないだろう


大叔父の慰霊に行って、自分が死ぬようなことにならないとも限らない


大叔父や、英霊が守ってくれるだろうとは、心の中で思っているものの
非現実的なことを期待してもどうにもならない


主人を1番に考えるのが普通だけど…


しかし、もしも、2人に何かあれば、子供はどうなるのだろう。。。


私達夫婦の両親は、もう私の父しか残っておらず、
父も、かなりの老人、小さな子供を今から育てるのは難しいだろう 


もしも、私達夫婦に何かあれば、保険金は残るだろうから
子供は、お金には困らないだろうけど
親戚の家に引き取られたり、親のいない子にしたら、可愛そうすぎる


私の夢のために、主人を巻き込み、父や子供に苦労をかけることだけは避けたい



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 49

遺族会の登録に、躊躇する私。。。
 

きっと、今時、新規で加入する人は、滅多にいないだろう
しかも、戦争には無縁で育った、この世代の人間なんて


年輩の方には、私の存在はどう写ったのだろうか
考えすぎだと思うが、会の維持・存続に関わる
将来に頼もしい年代だと歓迎して下さるのだろう


平和の尊さを願う気持ちは、もちろんあるが
だからと言って、熱烈な平和主義者や
戦争反対論を掲げ、熱心な活動をしてきたような訳ではない


単に、この大叔父の件で、戦争と言う事実に触れながら
以前よりは、65年前の日本の歴史を身近に感じたにしかすぎず
結論は、大叔父の眠る、ミャンマーに行くためだけに、活動しているのだ


何か、遺族会を利用するかのような、後ろめたい気持ちにさいなまれた


全ビルマ会と連絡が取れ、もし、そちらに参加させていただけるとしたら
こちらの遺族会は、どうしたらいいのだろう。。。


何も、深く、考えずに、登録したらいいだけのことかもしれない
ただ、遠縁ながら、私も遺族の1人として
様々な人の悲しみや、思いで作られたこの遺族会に対し
いい加減な気持ちで参加することは、失礼ではないかと考え込んでしまった



ちょうど、その頃、体調を崩し、寝込んでいたのをいいことに
現実から目を背けるように、そのまま、保留にした



…続く


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ミャンマーに思いを寄せて 48

ある日、日本遺族会の住まいの地区の会長さんから
遺族会の申込書が届いた


達筆で、丁寧な挨拶文
お手紙の文面からも、かなりのご高齢と伺える


氏名や住所の一般項目の他に
戦没者との続柄、戦没地、慰霊巡拝に行きたい場所
慰霊祭などの行事への参加の有無を書く欄があった


やっとやっと、遺族として認められ感動していたのも束の間


…正直、筆が進まない


活動内容は、まだ何も分からないのに。。。


確かに、大きな意味で、戦没者の慰霊祭などに参加することは
意義があるとは思うのだが


どうしてもミャンマーにこだわる自分がいた


全部の遺族会なので、戦地は、他にもたくさんある


慰霊巡礼にミャンマーが計画されるのは、いつのことなのだろう。。。


新参者の私が、ミャンマーに行きたいと言ったところで
どうなるものでもなかろう



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 47

皆の協力と、兄弟や、私に、命を託してくれたように亡くなった祖父
みんなの思いを一心に受けて、厳しくも温かく、1人っ子として育った


いつも、心の中に、兄弟がいて、私、1人の命じゃないんだと、今も思っている


他人からしてみれば、おかしなことに思うだろうけど
私の中では、とても、自然なことだった


自己紹介などで、兄弟は?と聞かれるのが今でも、苦手
1人っ子じゃないもん!!って、小さいときから、ずっと嫌だった


先祖や肉親を敬い、大切に思う心を、母にいつも言われていた気がする


そして、私には兄弟がいないので、何かあったら、頼るのは親戚しかいないのよと
母は、口癖のように、言っていた


特に、母方の親戚は、近くにいたので、いとこ達は、ほぼ全員年上のため
お兄ちゃん・お姉ちゃんと呼び、日頃から兄弟のように育った


親戚は大切にしなくちゃいけないんだと、当たり前のように思っていた


大叔父への思い入れの1つに、このような育った環境もあるのかもしれない


繰り返し、子守歌のように聞かされた、母の大叔父への思い
会ったことのない大叔父だけど、いつしか、私も先祖と言うより
身近なおじさんとなっていた 




…続く



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ミャンマーに思いを寄せて 46

さて、私が何故、こんなにも、肉親に対し思い入れがあるか
よく考えると、理由の1つとして、母の育て方によるものが大きいかも


私は、兄・弟×2・妹の、5人兄弟の長女として生まれた


ただ、兄弟は、母の体が丈夫でなかったこともあり
この世に生を受けながら、生命力が弱かったり
母の中で死んでしまったりと、結果、私だけが、生き残った


私は5人の中で、1番早産だったそうで
8ヶ月で体重1,650gで生まれ、当時としては、超・未熟児とされ
助からないだろう、もし助かっても障害が残ると言われたそうです


たまたま、最新機材の整った、国立病院が受け入れて下さり
田舎町の産院から、救急車で遠い遠い、国立病院まで
酸素マスクとボンベを抱えて、父が付き添い、搬送してくれたらしい


父も、大きさからして、無理だと思っていたそうです


当時としては、珍しく?保育器の中で、育てられた私
そして、おかげ様で、何の障害も出ず、健康体で大きくなった


母は、産後の肥立ちが悪く、そのまま隣町の産院に入院し
私も遠い国立病院に、祖父は、地元の病院に痴呆で入院していた


父は、毎朝、洗濯物を取りに、全部の病院を回り
お寺に寄って、祖母に洗濯物を頼んで出勤し、夕方、取りに行く生活が
続いたと、話していた


かさむ入院費の負担に加え、当時、「ヒ素・ミルク事件」があり
母方の祖父は、危険のない、1番高いミルクを買ってくれたそうです


私が生まれて、しばらくして、入院していた父方の祖父が他界した
火葬場の方に、顔を覚えられるくらい
毎年、毎年、火葬場に通った父


武道をしている父、どうしても、男の子が欲しかった
最後の弟の時は、母か子供か選ばなければいけなかったらしい。。。
念願の男の子と分かっていた、そして、これが最後の妊娠になることも


思わず、「子供を助けて下さい」と言って、お医者様に怒られたと
今では笑い話にする父


記憶の片隅に、私もお姉ちゃんになるんだと喜んでいた自分がいる


そして、最後まで、私のことを「お姉ちゃん」と呼び続けた母



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 中間のご挨拶

読者の皆様へ

いつも、ご覧いただき、ありがとうございます

この記事を思い切って、一般公開をし、2ヶ月目に入りました

当初は、個人的な話しが多く、恥ずかしいと言う思いがあり
他サイトで、仲間内だけの公開でした

仲間内から、共感を持ち、感想を言うことや、応援は出来るけど
ここだけに留めていては、情報は得られないと
一般公開をすすめられ、現在に至ります

何もかもが、手探りの状態からの出発で
自分でも、よくここまで来たなぁと思います

多くの方に読んでいただくこととなり、おかげ様で
ぼちぼちと情報が寄せられ、嬉しく思う、今日この頃
ほんとうに、ありがとうございます

現状は、ブログ記事より、やや進んでおり
ミャンマーへ行ける日も、夢ではないかもと思えてきました

出来る事なら、この記事が広まり
今後の活動のご支援や、情報が集まることを
密かに期待しています

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                       2010.12.03   aya

ミャンマーに思いを寄せて 45

戦時中には、キニーネと言う予防薬が用いられたと聞いた
ただ、その薬は副作用が強く
頭痛・嘔吐・下痢を伴い、衰弱している体には辛い薬だったようです


現在の日本の医療技術と、この環境があれば
大叔父は亡くならなかっただろう。。。


当時と今と比べてはいけないのだけど、無念でしかたがないのです


贅沢とは言わないが、日々生活に困ることもなく
当たり前のように買い物をし、食事をする私
この記事を書きながらも、お菓子をつまんだりしている
ありがたいことで、恵まれていると感じなければバチが当たりそうだ



紅葉の便りがちらほらと聞こえる今日この頃
大叔父は最後に何を思ったのだろう。。。


大叔父の両親や、祖父を含む兄弟、そして幼い母のことだろうか。。。
恋はしたのだろうか?恋人はいたのだろうか?


日本の美しい桜や、秋の紅葉の山々をもう一度見たかったことだろう


私には計り知る事は出来ないが
自分なら最後に何を思うのだろうと、ふと頭をよぎった



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 44

マラリアで戦病死したと伝え聞く大叔父


メイミョウの陸軍病院での最後はどんな風だったのか。。。


看護婦さんは優しかっただろうか?


戦争末期だが、ご飯は十分に行き渡っていたと仮定したら
衰弱していても、少しでも口にすることは出来たのだろうか?


お腹がすいたまま亡くなっていたら、悲しい。。。


マラリアは数種類有り、それぞれ症状は若干違うものの
発熱と悪寒のパターンを繰り返すと言われている


発熱に伴う頭痛、倦怠感、筋肉痛、関節痛などは激しいようで
熱が下がっている時間帯も、もちろん健康感はない


嘔吐、下痢などの消化器症状、咳などの呼吸器症状を伴うことがある
脳症の場合は、重度になると、錯乱、痙攣、昏睡にまで発展し
肺水腫では、呼吸不全に、急性腎不全では、黄疸を呈するほどの肝機能異常
などが症例で、そして、種々の障害をきたし、死亡に至る


現在でも、死亡は年間150万~270万人と推定されている
そのほとんどは熱帯アフリカの小児だと言う


日本人でも、現地で感染したまま帰国し、国内での発病例は年間120件ほどあり
死亡例も年間3件ほどはあるらしい


途上国援助に携わる人や、若者の旅行などが主なルートだそうです



続く…


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