ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2011年06月

ミャンマーに思いを寄せて 222

コレラにかかった家族がいる家は、家の周りを
数10cmくらい掘って、トタン板で囲んで、火を着けて焼いたそうです


ミャンマーの昔の家屋は、竹で作った高床式で
バナナの葉っぱのような物を編んで、屋根と壁に使われているので
簡単に作れるのだそうです


私もこの後、地方に行く途中、農作時の休憩場所などに使われている
高床式の建物をたくさん見た


副会長さんは、この湖のそばの収容所に住みながら
イギリス軍の命令で、湖の水を浄化し、収容所にパイプで引き込み
供給する作業をしたそうです


残念ながら、車窓からは、一瞬、湖らしき物が見える程度で


徒歩で散策したら、きっと、美しい景色なのだろうなと思った


往路・復路とも、この湖の近くを通った
その度に、湖が見える手前から、マイクを手元にソワソワとされて


一生懸命ガイドして下さった


この湖は、副会長さんにとって、青春の1ページの、とても思い出深い湖
約70年前、ここに、若き日の副会長さんが、おられたのだなぁ。。。




…続く




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ミャンマーに思いを寄せて 221

副会長さんの、ミャンマーでの任務は、もちろん、防疫給水で


戦時中、ヤンゴンに着いた頃は、町が不衛生だったことから
コレラ(水などから)、ペスト(ネズミなどから)が充満し
狂犬病が多発していたそうです


そこで、まず取り掛かったのは、ネズミの駆除と、野犬狩り


ミャンマーの犬は、日本の柴犬のようなコロコロした、やや毛の
フサフサした犬ではなく、ベージュ色で、痩せていて、細長い
中型と小型の間くらいの大きさで、毛も短い


PHOTO089



私が行った時も、飼い犬として、どこの家の庭先にも放し飼いでいた


おとなしく、吠えることもなかったが、狂犬病の注射もされていないので
かまっては、いけないとガイドさんから言われていた


戦時中の野犬狩りは、ストリキニーネと言う猛毒を入れた団子を
食べさせて、駆除を行ったそうです


副会長さんが、ビルマ入りしてから、ヤンゴン市内の野犬は
いなくなったそうです


犬に呪われてるかもな~と笑っておられましたw




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 220

防疫給水部と言うのは、旧陸軍に存在した、研究機関の一部で


衛生的な給水を行うため、現地の水質を検査・浄化したり
感染症の予防などを行う部隊である


※現在の自衛隊では、給水部門は、需品科職種が受け持っている


日清・日露戦争では、戦死より、現地の水が原因で、コレラ・赤痢・チフスなどの
伝染病にかかり亡くなるケースが多かったことから


この、防疫給水部が生まれたと言われている


第二次世界大戦中は、12個の防疫給水部があったそうです


防疫給水部は、「宇治式浄水器」と呼ばれる、陶器製の浄水器を
装備していて、師団に4個浄水器を基準とし
1個連隊毎に浄水器1個の割合を想定されていた


この部隊は、森村誠一氏の著書「悪魔の飽食」にて
旧満州(中国)のハルピンにあった、第731部隊を舞台にした作品により
有名となった


731部隊とは、石井四郎 陸軍軍医中将を長とした部隊で
細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあったとか


そのための人体実験を行っていたとする説もある


マルタと呼ばれた、捕虜を用いて残虐な人体実験をしたと
森村誠一氏は、書かれているが、その内容を否定する意見も多い


副会長さんも、石井四郎中将を、もちろんご存じで
ガイドのアナウンスで、少し触れておられたが


731部隊の人体実験うんぬんに関しては、明言を避けられた




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 219

ミャンマー2日目


トングーと、パゴーと言う町を目指して、ひたすら北上する


道は、舗装されているとは言え、ガタガタとした悪路が続く


様子を忘れないように、その度にノートに記していたが
揺れるバスの中で、思うように書けない


ヤンゴン市内は、軍の医大もあった


ミャンマーは、学問の分野に、力を注いでいるように感じる


軍の施設の周りには、鉄条網が張り巡らされ
物々しく、一見して、軍事関連の施設と分かる


入口らしき各所には、鉄砲を持った兵士が見張り番をしている


日本の自衛隊さんのように、手を振ったら振り返してくれそうな
そんな雰囲気ではない


怖いと言うイメージが先行しているからか、バスの中から
ジロジロと見ていたら、怒られそうな感じだ


しばらく走るり、郊外に出ると、湖があった


副会長さんのガイドが始まる


終戦時に、副会長さん達は、ここで武装解除され
湖のそばの、収容所に入ったのだそうです


副会長さんは、軍隊に入る前は、第一製薬の社員で
薬学を学んでいたことから、その分野の軍役に就いたそうです


今の自衛隊の職種で言うと「衛生科職種」に値する


そして、配属先は、防疫給水部と言う所


18師団(菊)の所属でタイ→マレーシア→シンガポールを渡り歩き


ビルマに防疫給水部がなかったことから


18師団から離れ、タイ経由で、33師団に編入され


昭和18年の3月7日に、合流し、インパール作戦に投入された




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 218


走っている途中で、乗り物に、大量の人がしがみついて乗っている
場面に出くわした


PHOTO046


こんな風に。。。いっぱい


PHOTO040


屋根の上にも、乗っている


PHOTO041


もちろん、その下の車の中も、いっぱい


思わず、現地のガイドさんに、あれは何ですか?と質問をした


すると、庶民の乗り合いバスだと言う


その座る場所によって、乗車賃が違うらしいが


タクシーや、冷房付きの大型のバスよりは、遙かに安いそうです


停留所のような所はなく、みなさん、走っている車から
飛び降りたりしていました


ぼちぼちのスピードを出していたので、「落ちないのですか?」と
聞くと、「落ちますよ」とあっさり返答されたw


ヤンゴンでは、私達が乗っているような、冷房付きの?大型バスも
ほんの少し見かけたが、都市部を過ぎると、滅多に見かけず


乗り物を見ただけで、外国人の観光客だと分かるくらいだった


ミャンマーでは、10月~2月が乾期で、3月~5月が夏
6月~9月までが雨期


私達が行ったのは、2月


気温は、やや高かったが、蒸し蒸しした日本の暑さと違い
バスの冷房を止めても、窓からの風で十分暑さをしのげた


大叔父は、昭和18年の12月にミャンマー入りし
昭和19年の3月には、インパール作戦に参加している


そして、ミャンマーの夏から雨期に差し掛かる、5月の末に倒れ
雨期の真っ只中の7月の末に亡くなった


大叔父も、同じような風を感じ、異国の地で何を思っていたのだろう。。。




…続く




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ミャンマーに思いを寄せて 217

ミャンマー2日目は、バゴーとトングーと言う町を目指して
一路、北上した


バゴーという町は、現在の軍政権により、近年、改正された呼び方で
昔は、ペグーと呼ばれており、副会長さんのガイドでは
ペグーと言う呼び名で語っておられた


観光バスは、冷房を入れると走らない


冷房を入れたり・切ったりしながら先に進んだ


ミャンマーにも、動物園があった


そして、新しく出来た、首都にも、動物園が出来たとか


ミャンマーの子供も、動物園を見て、楽しむのね
子供は、どこの国も同じで、可愛いだろうなぁ


町中の商店、軒先には、昔、駄菓子屋で売られていたような
恐ろしいほど着色された、ピンクや緑色の、怪しげなジュース?が
並んでいた


PHOTO023


ヤンゴンの町中には、ロータリーの真ん中に、大きなオブジェがある


石像の上に、大きな赤い物=ルビーを表していた


何度と、車窓から写真を撮ったが、残念ながら、上手く写らなかった


ミャンマーの宝石と言えば、ルビーが有名である


私も、お土産として、何か1つくらい、購入していこうと考えていた


ミャンマーの国旗が、年末に変わったそうで


途中の店先で、ガイドさんがバスを降りて、国旗を買いに行った


(新国旗)
svg[1]




(旧国旗)
Myanmar[1]



変更前の国旗も知らなかったが、新しくなった国旗も知らなかった


国旗って、こんなに簡単に、変えられるものなのね
これが、軍政と言うものかしら?


ミャンマーの軍事政権は、2010年10月21日に突如、国旗のデザインを
変更することを発表し、翌日には古い国旗を燃やすよう命令した


全体は、国家の統一、黄は平和、緑は豊な国土、赤は勇気を表すそうです


ガイドさんが買ってきた、新たな国旗を見て、副会長さんは
「えらく派手になったもんだね~」と言われていたw


この画像ではそうでもないが、色はメタリックで
キンキラキンの国旗だった


どこかの国旗に似たような雰囲気のようにも思う


何かしら、思うところがあって、新制ミャンマーとして
出発している最中の国なんだろうなと感じた




…続く



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ミャンマーに思いを寄せて 216

途中、小さな単線の線路を渡った
 

細い細い線路


電車の陰は見えない、頻繁には、通っていないようだ


のんびりと、線路のそばを歩く人々


この線路は、ミャンマー国内を南から北(地図で言うと、上下)へと
伸びる鉄道で、通称「ミャンマー鉄道」と言うらしい


戦時中には、日本軍の突貫工事により、泰緬(タイメン)鉄道と言う
映画の「戦場に架ける橋」でも有名な
タイのバンコクから、ビルマのマンダレーまでを結ぶ鉄道が建設されたが


その鉄道は、戦後、ビルマ国内の路線は、撤去されたため
この、ミャンマー鉄道とは違う物である


ミャンマー鉄道の線路は、1800年代、イギリスが統治している時代に
インドの鉄道の線路幅を変更した際に出た、余剰品を流用した物で


元々が中古品で建設された鉄道であったこと


その上、整備・保守が行き届いていないことから、老朽化が進んでおり
遅延も多く、乗り心地は良いとは言えないらしい

そして、ミャンマーでは、電車はなく、今も汽車を使っている


運賃は、外国人に対しては、正規料金の10倍近くにもなるそうで
「外国人料金」が適用され、二等車しか連結していない場合でも
一等車の運賃で計算されるとか…


今回の旅では、私達は、残念ながら?鉄道は利用しなかった


ずっと車両移動で、私の足は、象のようにむくんでしまっていた


鉄道施設・橋・空港・高速道路などは、準・軍事施設とみなされ
許可無く写真を撮影することは禁止されていた


線路の「写真を撮らないで下さい」と言う、アナウンスが流れた


細い細い、単線の線路が、のどかな緑に包まれて
遠くはるか続いているのを、見送った


きっと、70年前も変わらない風景


大叔父も、こんな風景を目にしながら、歩いていったのだろうか




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 215

ミャンマー2日目


バゴー(旧ペグー)と言う町を目指し、バスは、ヤンゴン市内を走り抜ける


バスの中では、道すがら、ハキハキと、しっかりとした口調で
副会長さんの軽快なガイドが続く


今回のツアーのメンバーで、ミャンマーが初めてなのは
私と、お母さんと娘さんで参加されていた親子だけだった


あとは、副会長さんと、その付き添いのお孫さん


そして、ミャンマーと親交のあるご夫婦


親子とは、少しお話しをしていたが、他の方々とは
まだ、挨拶程度にしか、接していなかった


初めてのミャンマーに、やや緊張気味の3人


そして、知らない者同士、バスに乗っていると言う状態に
楽しい観光の雰囲気とまでは、行かなかった


副会長さんのガイドに聞き入り、それぞれ車窓にかじりついた


PHOTO019

路上で、農作物?か何かの作業している人々、のどかだ


ヤンゴン港が、チラリと見えた


終戦時、この港から、船で日本に帰ったと、副会長さんの声


ミャンマー国内は、日本の中古車が溢れかえっていた


それも、やや年代物の中古車だ


日本の企業のロゴが、そのままの状態の車も多く、とても、楽しかった


レトロな車のマニアさんが見たら、博物館のようかもしれませんw


PHOTO063


ミャンマーで出会った、福山通運w




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 214

ホテルに迎えに来たバスは、昔の古い日本の観光バスだった


バスは、ヤンゴン市内を通り抜ける


※ヤンゴン(旧ラングーン)2005年以前まで首都
現在の首都は、「ネピドー」


その度に、副会長さんが、マイクで、ガイドをして下さった


現・軍事政権により、国名は1991年に、ビルマからミャンマーへと変更され
近年、首都もヤンゴンから、ネピドーに移転された


国旗に至っては、昨年末に変わったばかり



(旧国旗)
Myanmar[1]









(新国旗)
svg[1]









建てられたばかりの、近代的な空港


開通したての、大きな高速道路等、急速な発展をしているように見受けられた


それらが何を意味しているのかは、不明確ではあるが
ミャンマーは、大きく変貌しようとしていることは明かである


しかし、ヤンゴン市内には、イギリスの統治時代に建てられた
レンガ造りの建物が、まだまだ存在し


1950年代に、お役所地域として栄えた建物が、そのまま残っていて
今も使用されていた

PHOTO021










続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 213

※登場する地名には、現在の表記、または旧の表記が混在します
時代や、浸透性などに合わせて、自分なりに分かりやすい方を
使用します



1日目に泊まったホテルは、日系のホテルで、とても快適だった


そして、思っていたのより、多くの外国人観光客と見える人々がいた
ビジネスではなさそうな、観光客


何を見に、ミャンマーに来るのだろう?


私は、観光で来た分けではなかったので
観光として、見たい物や、行きたい所は
調べていなかったため、意外だった


朝食のため、レストラン前で、親子と待ち合わせ


フロント脇のソファーで、待っていると
外国人風の女性が、私に英語で話しかけてきた


中国人か日本人かと聞かれた、日本人だと答える


ガイドさんですか?とも聞かれたが、いいえ


女性は、台湾人だと言う


36人のグループで観光に来ていて、グループには、インド人もいるそうです


東京と、大阪に言ったことがあるとか、日本には、トモコさんと言う
お友達もいると、話してくれた


台湾の人は、ミャンマーに遊びに来るんだ。。。


何を見に来るのだろう?仏像なのかな?


そして、待ち合わせの親子が来られたので、外人さんと、別れた


レストランのバイキングで、軽く朝食を摂り、出発準備をする


今日は、陸路で、パゴーと、トングーと言う町を目指す
どちらも、旧軍の慰霊碑がある町らしい


大叔父の眠るメイミョウは、まだまだ先だ




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 212

家には、ハノイの空港から電話したきりで、それも繋がらなかったため
ヤンゴンのホテルの部屋からも、国際電話を何度もかけた


しかし、繋がらない。。。


ホテルのフロントから、直接かけることをすすめられて
フロントからも電話を入れてみたが、繋がらなかった


携帯は、もちろん圏外で、使い物にならない


ミャンマーでは、現・軍政に対する悪口は公衆の場で言ってはいけないと
添乗員さんから、注意を聞いていた


現・軍政の悪口を聞きつけた者が、密告するのだとか


怖い国だ。。。日本の常識では考えられない国に足を踏み入れたのだ


電話も、政府が発信統制しているとか、全てを傍受されているなどとも
聞いていたので、日本への連絡は、無理なのだと諦めた


ミャンマーを出国するまで、連絡は取れないのか


何事もなく、無事に、出国することが出来るのかだろうか。。。


私の頭の中は、悪名高い、近隣の某国に来たような
ミャンマーに対して、得体の知れない、恐怖感を持った


今日から、朝早く、夜遅くまで、ハードな旅程が始まる


体調管理も含めて、気を引き締めて、過ごさなければ





続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 211

ミャンマー2日目の朝は、お天気が良かった


昨夜、寝てしまったため、朝からシャワーを浴びた


高い建物はあまりなく、ホテルの窓から、ヤンゴン市内が見渡せた


PHOTO015



ホテルのそばは、繁華街らしく


密集した地域に、小さな古いビルがたくさん見えた


その小さなビルの路地は、入り組んでいて、汚れた雰囲気だった


PHOTO014



小さなビルの窓からなびいている、洗濯物が見える


ミャンマーの人々の暮らしぶりが見えて、嬉しかった


早く、外に行きたい、ミャンマーの人に触れてみたい




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 210

そう言えば、ハノイ空港で、中部国際空港から参加されていた
別コースの全ビルマ会の方、3名にお会いした


関西弁の方が混ざっておられたので
お聞きしたら、京都の出身の方だった


もしかしたら、大叔父の60連隊の関係者かと期待したが
残念ながら、そうではなかった


全ビルマ会は、全国に会員がおられるのだと知った


最初から、最後まで別コースの方々だったので
特に気にしなかったが、その後、大変お世話になるであろうとは
この時は、全く予想しなかった


やっとミャンマーに到着したと言う安堵感


そして、明日から始まる、最終章


私に何が出来るのだろう、何か収穫があるのだろうか


大叔父の最後の地、メイミョウに行く…


緊張のような、興奮のような、疲れと共に、知らない間に、眠りについた


大叔父さん、やっとミャンマーに来ることが出来たよ


もうすぐ、迎えに行くからね、待っててね


この旅が、無事に終えて、日本に帰れますように、守っててね




…続く




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ミャンマーに思いを寄せて 209

疲れた体で、明日の用意をする


着て来た、ダウンを圧縮し、キャリーに詰め込んだ


明日からは、本格的に、暑い気候のミャンマーに繰り出すのだ


大量に持ち込んだ日本茶のペットボトルを飲みながら、一服した


1人の部屋は、広く、ガランとしている


子供は、日本でしっかり頑張っているかしら、泣いていないかしら。。。


ハノイ空港で、携帯から電話をしたが、なぜか圏外で繋がらなかった


ミャンマーと日本との時差は、2時間半


もう子供は、とっくに寝ている時間だ、その日の電話は諦めた


部屋の中の、ほのかな間接照明、静かすぎて、寂しかったので
テレビをつけてみた


日本語の放送はなかった


それでも、テレビから流れる音が、なんだか心地いい



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 208

ホテルでの食事を済ませ、各人、部屋に入る


ツアーの人達の部屋は、階も、全てバラバラだった


もちろん、添乗員さんも、優しい親子も、近くのお部屋ではなかった


それぞれの部屋番号を控えて、何かあったら連絡が取りあえるようにした


親子のお母さんは、エレベーターで別れる間際まで
心配して下さって、ベットごと遊びにおいでと言って下さった


部屋は、とても広く、設備も整っていて、ホッとした


トイレットペーパーや、タオル&パジャマ持参と案内にあったので
どんな所に泊まるのだろうと思っていたが


1泊目は、無事?高級ホテルに、泊まることが出来た


コーヒー・紅茶類、シャンプー・リンス、タオルもハブラシ等も
全て揃っていた


しかし、後に、ここのホテルが、この旅の最高のホテルだったと言う
ことを知ることになる




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 207

ミャンマー1日目の宿泊先は
日系のホテルで、とても近代的な建物に安心した


早速、本日3回目のお夕飯w


メニューは、ミャンマー料理かと思っていたが、中華のコースだった
外国人観光客用のメニューなんだそうです


チンドウィン河のロブスターを使った、エビ料理が多かった
やや川特有の、ドロ臭いはしたが、美味しかった


チンドウィン河。。。70年前、大叔父が苦労して、渡河した川


その川のエビを食べている私、やや複雑な思いがした
大叔父も、70年前に、エビを食べたのかしら?


そして、ドリンクは、缶ジュースの他に、フレッシュジュースがあったので
珍しいパパイヤジュースを注文してみた


出て来たジュースは、パパイヤをそのままジュースにしたもので
冷えてはいなく、ドロドロで、生臭い味で、とても飲めた物ではなかった


日本で飲んでいたジュースは、それなりに、日本人の口に合うように
工夫されていた物だったのだと、その時、初めて知った


その後、結局、私は、ミャンマー滞在間、二度とフレッシュジュースを
注文することはなかった


フォト

写真は、ミャンマービール


そして、必ず、お腹を壊すからと言われていたので
生野菜、フルーツ、氷など、とても気をつけて食事した




…続く




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ミャンマーに思いを寄せて 206

念願のミャンマー、ここを目指して、今まで頑張ってきた
とおとお、ミャンマーにたどり着き、バスの中で感無量になった


飛行機の中で、2回も夕飯を済ませていたのに
ツアーでは、また、お夕飯をいただくことにw


レストランを目指して、バスは
日の暮れたミャンマー・ヤンゴンの町を走り抜ける


お寺が多いが、ほとんどのお寺に電飾が施され
ギンギラギンの竜宮城のように見えるw


日本のお寺とは、全く違った


街灯は少なく、暗がりの歩道を歩く人々
日本では、これほど暗いと、危険を感じるはず


車窓から見える、お店は、日本で言うと、昭和30~40年台と言った雰囲気
映画の3丁目の夕日のセットのように見えた


その合間に、近代的な建物の、ブランド物のお店などがある


庶民のお店とは対照的なのに、それらが融合している不思議な町並みは
私が思い描いていたのより、やや都会に思えた



そうこうするうちに、ホテルに着いた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 205

現地のガイドさんが合流され
ヤンゴン市内に、観光バスでみんなと食事に出掛けた


初めて見た、ミャンマー


大叔父が来た当時とは、かなり違うのだろうけど
大叔父も、この異国の雰囲気を感じ取ったのだろう


風、におい、言葉。。。


浅黒い肌の、アジアの顔のミャンマー人


ロンジーと言う、巻きスカートを、男性も女性も着ている


気温は、思っていたよりも暑くなく、乾期だからか
あまり蒸し蒸しもしていない


過ごしやすい、暑さだった


ヤンゴン空港から見た夕日は、赤くて、とても大きかった


バスの中で、現地の通貨「チャット」に両替した


ミャンマーでは、日本円は全く使えない
一部のホテルや空港以外では、米ドルもカードも使えない


日本の銀行で、米ドルに両替して持参し


ミャンマーで、ドル→チャットに両替する


その時のレート:1ドル85円→50ドル→35,000チャット


全てツアー料金に含まれているため
現地の通貨で、お買い物するのは、食事の時のドリンクや
ちょっとしたお土産物くらい


どれくらいの物価なのか検討が付かない。。。


50ドル分両替して、35,000チャット、それがどのくらいの価値なのか
私にはよく分からなかったxx


ミャンマーのお札は、1,000チャットだったので、50ドル分用の両替パックには
35枚入っていて、お金持ちになったような気分だったw


副会長サンは、1,000ドル分両替されていた
豪遊なさるのかと思って、驚いたが、のちに、違う事に気づいた




…続く




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ミャンマーに思いを寄せて 204

ミャンマーにやっと、たどり着いた


もうすでに夕方、日が暮れようとしている


空港の周りだけ、煌々と灯りが点っていると言う感じで
町中は、空港側からは、あまり見えない


現地スタッフとの合流を待っている間
私の足下には、無数の蚊が群がってきた


ツアーの女性陣は、靴下にスニーカーに長ズボンだったが
私は、ラフな7分丈のズボンに、パンストにスニーカーだった


半ズボンは、ダメとのことだったから
それでも、暑い国だからと言う理由で
安易に7分丈のズボンを選んだのは、間違いだったようだ


「蚊」と言えば、大叔父は、このミャンマーの蚊により
マラリアにかかって死んだ


にっくき蚊!!


ここまで来て、私までもが、マラリアで倒れたら
笑い話にもならない


この蚊が、とても憎らしくて、バッグの中から
虫除けを出して、ひたすら散布した


虫除けだけは、大量に持ってきていた


他の方にも、貸してあげた


そうこうするうちに、現地スタッフが来られて
薄暮時のヤンゴン市内にいざ出発




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 203

ベトナム・ハノイに、さっそうと、降り立った


気温15℃、思っていたより涼しく、ダウンも役に立った
日本とは、2時間の時差


時間が少しだけあったので、免税店をブラリ


微妙なネオンがギンギラの、昔のゲームセンターのような
怪しげな雰囲気の免税店w


ツアーに同じく初参加の、親子のお母さんが
1人参加の私を何かと気遣って下さって、一緒に、免税店巡り


お母さんのおじさんが、ビルマで戦死されたらしい
ツアーに参加する前日に、お役所から、軍歴表のコピーが
送ってきたのだそうです


おじさんが知って欲しかったので
ツアーに間に合うように、届けてくれたのではないかと思われたそうです


そして、すぐに小さな飛行機に乗り込み
ミャンマーのヤンゴン空港に向けて飛び立った


またまた機内で、食事が出て、本日、2度目のお夕飯w


2時間のフライトで、ミャンマーに着く


滑走路がなかなか見えず、畑に突っ込むのではとヒヤヒヤしたが
なんとか、無事、空港に着地した


ベトナムとの時差は、30分


ヤンゴン空港は新築されたばかりだそうで
とても近代的な美しい建物だった


空港内から、外を見ると、夕方だった


空港のベンチには、手足のない僧侶や
手足のない美しいドレス姿の女性が、たくさん座っていた


そう言う、障がい者の団体さんが、これから旅行されるのかしら?
どなたかを待っておられるのかしら?
と思っていたが、あとで、添乗員さんに聞くと


旅行者ではなく、物乞いの人だよと教えてもらった


物乞い。。。日本では考えられない状況に
異国に来たのだなと言う衝撃を受けた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 202

今、やっと目的を果たそうとしている
ミャンマーに向けて、出発の時、気を引き締めて、頑張らねば


ベトナム航空で、11時発


ベトナムまで6時間の空の旅


機内では、ツアーの団体は、横1列に座った


私は、ツアー客としては、端の席で
隣には、1人参加のおじさんが座られた


そのおじさんは、新潟から参加の遺族の方だった


とても、陽気で、雰囲気が和む


昭和7年生まれ、メイクテーラーと言う場所で、お父さんが戦死され
その後、とても、苦労されたらしい


もうミャンマーには、10回以上、来られていて
最初は、厚生労働省の方から、遺族として、ミャンマーに連れてきて
もらったと、話をされた


昭和7年生まれと言えば、終戦時、13才の少年


お父さんを亡くされて、苦労されたんだろうなぁ


私は、戦争の苦労を知らない


遺族と言っても、遠縁で、大叔父本人にすら、会ったことがない


同じ遺族と言うには、申し分けないくらいの気持ちになった


他の参加者は、どのような境遇の方なんだろう


気にはなったが、席の位置からして、お話する機会はなかった


また、追々、伺うこともあるのかな


飛行機の中では、お食事を楽しんだり


座席の前に付いていた、画面で、ゲームをしたりして、時間をつぶした


いつの間にか、眠りについて、あっという間に、ベトナムに着いた





…続く




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ミャンマーに思いを寄せて 201

いよいよ、搭乗手続き開始
ミャンマーへ一歩一歩、近づき、緊張感が増す


手荷物検査のベルトコンベアで、私の荷物が引っかかった


全部出して、下さいと言われる


何も怪しい物は、入れていないはずなのに。。。


言われるがままに、荷物を出し始める


手荷物は、パンパンなほど、色々な物を詰め込んでいた


出して、出して、結局、何も怪しい物はなかった、詰め込みが原因かw


ツアー全体を待たせてしまい、さい先の悪い出発となってしまった


海外旅行に不慣れだと、実感した


この先、私はほんとうに、大丈夫なんだろうかと、少し不安になった


搭乗までの、少しの間、家に電話した


子供と主人は、お出掛けの最中で、車の中だった


子供の半べその声を聞いたら、こっちの方が泣きそうになった


次は、乗り継ぎのベトナムから電話するからと、電話を切った




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて・近況報告

読者の皆様へ


いつも、ご覧いただき、ありがとうございます


おかげ様で、一般公開をし、早や9ヶ月目に入り
200話を迎えることが出来ました


前回の100話の時は、150話くらいは行きそうですと
言っていましたが、まさか、200話を超えるなんて
自分でも、驚いています


しかも、200話を超えても、まだ結末は見えません


内容的には、まだ2月中旬の話で
全くリアルタイムに追いついていない~ 


もしかしたら、300話も超えるかも 


ミャンマーに行ったら、それで終わりかと思っていたけど
そうではないように思うようになってきました


そして、この後も様々な出会いがあり
色々なことを感じたり、調べたりと
大叔父の生きた時代に思いをはせる、今日この頃です


現在の状況は、大叔父を知っている人を探そうとしています


当時のことをご存じの方が、少なくなってきている現状
急がなければと、思っています


60連隊だった方、もしくはビルマ・祭師団だった方
60連隊の戦友会のことをご存じの方がいらっしゃいましたら
是非、情報をお寄せ下さいm(_ _)m※直メッセ可


今後も、記事は激しい展開が続きますw


どうぞヨロシクお願いします


              
                          2011.6.1  aya     



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ミャンマーに思いを寄せて 200

ホテルのシャトルバス乗り場で、副会長さんと、その付き添いのお孫さん
そして、旅行会社の方と合流した


成田に着いて、その他のツアー参加者や、添乗員さんにも合流した


特にお話する分けでもなく、1人参加の私は、ポツンとしていた


とにかく、広い成田空港の中を、旅行会社の方に遅れないように
ガンガンひたすら歩いた


すぐに、飛行機に荷物を預ける列に並ぶ


キャリーケースを預けたが、手荷物は、とにかく物がいっぱいで、重かった


上着は、冬物のダウンを着て行っていたが、それも預けることなく
飛行機は冷えると聞いていたので、そのまま、着て行くことにした


控え室で、パスポートのチェックや、色々な説明を聞いて


ほんとうに、数時間後は、ミャンマーに行くんだぁと
やっと、実感が湧いて、またまた緊張してきた


考えれば、行くと決まってから、とても忙しかった


そして、ここ数週間、準備や手回しに追われ
不安の中で、慌ただしく、この日を迎えたのだ


さっきまで、キャリーケースを引っ張っていたことからの開放感と
昨夜は、眠れなかったことから、静かな、控え室でのひとときは
眠りに誘われるようだった


ここからが、ほんとうの始まりなのに、ここまで来られただけで
もう、安堵したような、不思議な気持ちになった




続く…




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