ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2011年07月

ミャンマーに想いを寄せて・暑中お見舞い申し上げます

読者の皆様へ


暑中お見舞い申し上げます


いつも、ご覧いただき、ありがとうございます


記事の内容は、もうすぐ目的のメイミョウへ行きます

ミャンマーでも、大どんでん返し???があったり
新たな疑問も出て来ました

元々、ビルマのことや、戦争・歴史など、不勉強だったので
様々な事を調べながら、記事を書いています

難しい事柄に直面しては、四苦八苦して、調べて
なかなか進まないのが現状です


ただいま、やや夏バテぎみのため、大変申し訳ありませんが
少しペースを落として投稿させていただきますm(_ _)m


まだ、大叔父を知っている人には、巡り会っていません

この夏も、60連隊のあった京都に足を伸ばし
調査を続けたいと思っています


当時のことをご存じの方が、少なくなってきている現状
急がなければと、思っています

60連隊だった方、もしくはビルマ・祭師団だった方
60連隊の戦友会のことをご存じの方がいらっしゃいましたら
是非、情報をお寄せ下さいm(_ _)m※直メッセ可


皆様も、暑さ厳しい折、どうぞご自愛下さい


今後とも、どうぞヨロシクお願いします


              
                          2011.7.26  aya     



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ミャンマーに想いを寄せて 243

日本人のツアーコンダクターからは、現地の物は食べない方が良いと
言われていた


衛生的な面も懸念されるし、ツアーの最中に食あたりでもされたら
困るのだろう


前回のミャンマーツアーでは、副会長さんのお孫さんが
生のフルーツに当たって、大変なことになったそうです


私も、旅行前から、皆に気をつけなさいと言われていて
他の海外旅行で、お腹をこわしたこともあったので
特に、生のフルーツや野菜、氷、水など、とても気を遣った


屋台の何か分からない現地の食べ物や
袋に入っているお菓子も気になったが、冒険はしなかった



ガイドさん達が、一生懸命お買い物をしていたので
バスの付近に戻り、さっきのお店の前でブラブラした


ツアー客のご夫婦は、何度もミャンマーに来られていて
片言ながら、会話が出来る人だった


子供を見つけては、お菓子をあげて、お話ししながら、写真を撮っている


私は、話せないけど、便乗して、ジェスチャーで写真を撮らせてもらった



はにかみながら、パチリ


PHOTO047



ロンジーという巻きスカートが似合う、とっても可愛い、看板娘のお嬢さん


お菓子をあげたら、喜んでくれました


お店の中のお父さんらしき人も、ニコニコしてました



フルーツをどっさり抱えた、ガイドさん達が戻って来た


お昼には、フルーツバイキングかと思ったが、それはお供え用だった


お花が高かったので、もう少し先の市場も、はしごするらしい



私達は、バスに乗り込み、市場と慰霊碑をめざし、北上を続けた





続く…




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ミャンマーに想いを寄せて 242

いざ、市場へと繰り出した


静かな裏庭から、怪しげな店内を抜けると、外の賑やかな雰囲気に包まれる


多くの人が、わんさかお買い物に来ている




PHOTO038


PHOTO039



でも、日本のように、会話が出来ないほどのうるさい状態ではない


ミャンマー人は、大声を出すことは、行儀として、良くないこととされているらしい


日本では、市場やお祭りだと、呼び込みの声や、売り物のおもちゃの音


スピーカーから流れる大音量の音楽、そして、ケンカの怒鳴り声は当たり前


電車の中でも、携帯で大声で話すおじさんや、大声で話す高校生


スーパーで、大声で子供を叱るママなど、恥ずかしい人達は多い


ミャンマーでは、そう言った風景は見たことがなかった


見習いたい物である


ザワザワとはしているものの、うるさいほどではない



ガイドさんと、ツアーコンダクターさんは、スタスタと歩いて行く


私達のお買い物の時間ではない


フルーツとお花を買うと言う


はぐれないように、後を追いかけて、付いて行く


色々なお店がある




PHOTO036



これは何?と思うような物も、たくさんあった



PHOTO045





続く…




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ミャンマーに想いを寄せて 241

各々、タバコを吸ったり、写真を撮ったり、のどかな時間を楽しんだ


観光地でも何でもない、民家の裏庭、なぜかとても居心地が良い


他の旅行では味わえない、旅情だ


庭先の木に、大きな大きなザボン(柑橘系の果物)がなっていた


珍しいねと、みんなで眺める


すると、大きな豚が歩いてきた、豚です、ブタ!イノシシみたい!


丸々とした、とっても大きな豚が、ノッシノシと歩いてきた


本物の豚を見るのは初めてかもしれない


しかも、至近距離で!ちょっと怖い


みんなが怖々固まっていると、豚は足下で、ゴロンと寝転がった


PHOTO071


家の人が笑っている、ガイドさんが通訳してくれる
 

なんでも、食用に買ったら、なついてしまって食べられなくなったそうです


飼い豚…この家のペットなので、怖くないですよと


お腹をさすってくれと言ってるらしい


見ると、お腹を出して寝転がって、甘えている


豚を触るのも初めてで、、、怖々、なでてみた、ゴワゴワした毛でした


豚は、もっともっとと言わんばかりに、思いっきり寝そべってくる


豚って、人になつくんだね、驚いた


お礼を言って、市場へと繰り出そうとした時


その家のご主人が、お土産に持って行きなさいと


先ほどのザボンを1つくれた


大人の頭くらいある、大きな大きなザボン



大叔父も、ビルマの人と触れ合ったことがあったのかしら?

大叔父さん、ミャンマーの人は、優しいですね




続く…




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ミャンマーに想いを寄せて 240 

市場でトイレ休憩&フルーツの買い出し


トイレと言っても、日本の公衆トイレのような設備も無ければ、数もない


お年寄りと女性を含み、列をなして、トイレに並ぶ


ドアが閉まらないとか、暗くて何も見えないとか、虫がいるとか


滑りそうだとか、荷物を交互に預かって、大奮闘(笑)


たった数人なのに、ものすごい時間がかかるのだ


もちろん、手を洗うところもないので


大量に持参したウェットティッシュの出番である


トイレは終わったが、みんな、疲れ果てていた


始まったばかりの旅だけど


悪路の中、ずっと座席に腰掛けたままの長距離移動


外の空気が気持ち良い


すぐ近くに聞こえる、市場の熱気とは違う、のどかな時間が


この裏庭には流れていた


厨房から立ち上る湯気


何やら作っている、おばあちゃん


赤ちゃんをあやしながら、家事をしているお母さん


犬やネコがのんびりとしている


洗濯物が干してある風景


懐かしい、日本の田舎に来たような、心が和む空間だった




続く…




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ミャンマーに想いを寄せて 239

木にくくりつけられたロープに、洗濯物がたくさん干してあった


昔の日本も、こんな風景だったのかな


男性用と女性用が、隣り合わせの小さなトイレ


男性陣が終わった後に、女性達が使った


昔の和式のボットントイレのような感じだった


コンクリートに、プラスチックの便器?が埋め込まれていた


日本のように立体的な物でなく、オマルの受け皿のような簡易な物


高床式で、下にはボットンの穴はなく、そのまま、地面に落下する


もちろん水洗ではないので、大きい方をする場合は、便器の穴に落とすように
頑張らなければいけないらしい。。。(汗)


だから、日本と反対に座るのね


紙はゴミ箱へ、もちろん備え付けのトイレットペーパーなど無い


大量に持参したポケットティッシュの出番である


用を足した後は、トイレ内にある溜め水を流す


溜め水も、水道がある所はまだマシで


コンクリートで作った四角い囲い入った、虫がいる雨水だったり


大きな瓶のような物を置いてある所もあった


それを、備え付けのお椀のような器で流す


決して、衛生的だとは言えない


原始的と言うか、これに慣れておかなければ、この先やっていけないの
だろうなと、割り切った


これから後も、ホテルとレストラン以外では
このような、トイレ事情がずっと続いた


ここはパスして、次まで我慢しますは通じない


次の村までは、遙かに遠いのである


そして、その村に、満足のいくトイレがあると言う確立は、ほぼゼロに近い


最悪、草むらで。。。


でも、草むらの方がマシじゃないかと思うときもあった(笑)


日本の生活に慣れた神経質な方だったら、きっと泣くだろう


私は、この旅で、いろんな意味で、たくましくなったように思う




続く…




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ミャンマーに想いを寄せて 238

トイレ休憩と、フルーツを買いに、市場へと降り立った


ガイドさんの案内で、道端の露店みたいな飲食店の店内を通り抜ける


店内の(と言っても、屋根があるだけの外)テーブルの周りで、ご飯らしき物を


食べている現地の人達にジロジロと見られて、少し怖かった


椅子はマチマチで、パイプ椅子のような良い物はなく


プラスチックの椅子とか、子供のお風呂椅子のような物とか、色々並んでいる


その奥の民家の敷地にあるトイレをお借りするようだ


店先で、ガイドさんが交渉して、お金を渡していた


店内を抜けると、少し広い裏庭のような場所に出た


民家と厨房と、少し離れた所に、高床式の小屋のようなトイレ


私と、親子のミャンマー初めて組は、トイレの説明を受ける



●ドアを閉めたら、ドアに向かって座る(日本とは反対)

●ティッシュは流さない

●終わったら、中にある溜め水を流す



PHOTO034


PHOTO035



外のような、中のような厨房

ネコや犬、赤ちゃんもいた

初めて、現地の人の生活に触れた場所だった




続く…




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ミャンマーに想いを寄せて 237

村と村の間は、民家らしき物が、時々ポツリとあるくらいで、何もない


途中で、市場に寄ると言う、フルーツを買いに行くらしい


南国のフルーツ!!私の胸は高鳴る(笑)


窓の外は、だんだんと賑やかな雰囲気になってくる


人々が溢れている、市場が近いのだ


大人も子供も、たくさんいる


今日は、お祭りなのか?休日なのか?とガイドさんに聞いてみた


すると、日曜日なのもあるが、冷蔵庫が無いので、毎日買いに来るから
いつも、こんな風だと言う


冷蔵庫が無い生活。。。暑い国なのに。。。日本では考えられない


それが普通の、この国の生活なんだろう


道端に並んだ、様々なお店に、すごい人数の人々が群がっている


市場には駐車場と言う物は、無かった


その人混みの中に、バスを横付けして、下車


この度初めての、トイレ休憩を兼ねて、市場を見学に出掛けた




PHOTO038

市場のお花屋さんです





続く…




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ミャンマーに想いを寄せて 236

道すがら、車窓からは、行き交う車や、自転車や人々が見える


ヤンゴンでは、現代風の高級化粧品店やファッションピルなどもあったが
それも、一握りの地区だけで、その後は、普通の田舎町の風景が続いていた


車線はあるのかないのか…大まかにあるのだろうけど


日本のような白線や信号はほとんどない


ぶつかるのではないかとヒヤヒヤするような荒い運転(のように感じる)


運転手さんは、ニコニコと温厚そうな人だ


クラクションを鳴らしまくりながら、次々に他の車を抜かしていく


周りは中古の日本車の乗用車ばかり、その中では、目立つ観光バス


バスの中から見ている私達だけど、反対にそれを見られているような感覚


まだミャンマーと言う国、ミャンマーの人々とは触れ合っていない


外国、そして未知の国に対し、疑心暗鬼な気持ちは拭えなかった


例えとしては失礼だけど、サファリバスの中から猛獣を見ているような


たくさんの猛獣の中を、ひたすら突き進むサファリバス


サバンナの中に、ポツリと存在するバス、檻の中から、猛獣を見る


油断したら食べられる。。。そんな気分だった





続く…




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ミャンマーに想いを寄せて 235

資料としてまとめておいた、大叔父の経歴や写真


ブログの最初の書き出しの印刷物と一緒に、皆さんに回覧した


PICT0002


PICT0003




<原文>

  ○○ ○○(←大叔父の氏名)


生年月日 : 大正7年12月4日生


階   級 : 陸軍軍曹


所属部隊 : 第15師団(祭)歩兵第六十聯隊  機関銃中隊


死亡年月日 : 昭和19年7月24日 午後4時10分


死亡場所 : ビルマ国 明妙 第121兵站病院


本籍地 : ○○ 


分類 : 歩兵


出身別 : 補充兵


昭和17年12月1日 第一補充兵役


特有及び特能ノ特業 : 機



●甲種・幹部候補生


●○○大学法律学部中途退学 昭和16年7月(法文学部法政学部)






(軍歴表の時程より)

昭和16年4月 中途退学の際、配属将校の行フ教練検定に合格す
昭和16年7月 大学中退
昭和17年12月1日 第一補充兵役
昭和18年4月20日 臨時招集有り
            歩兵第128連隊 応招
            第一機関銃中隊
  
  歩兵第60連隊補充交代要員として京都出発


  第60連隊機関銃中隊

   通称号 祭 7368部隊
   第60連隊長 大佐 鈴田 正忠
    昭和20or21年5月3日(軍歴表の記載日?)


昭和18年7月23日  下関
          同日  釜山
         7月26日  山海関
            同日  中支那において上海南京蕪湖付近ノ警備 (60連隊は駐屯)
 
昭和18年12月29日  揚子江→ビルマのメサイ      
昭和19年5月24日 インド・アッサム州テグレパール→メイミョウの病院
                         病名「アメーバー赤痢、兼マラリア」


昭和19年7月24日 死亡






戦時死亡者調書

昭和20年7月15日
森 7368部隊


死亡場所 ビルマ国サガイ州・明妙 第一二一兵站病院

死亡日時時刻 昭和19年7月24日 午後4時10分

「ウ」号作戦参加中 連日ノ激戦に加わるに 豪雨と給養ノ粗悪に依る疲労蓄積
遂に発病するに至る

病名 アメーバー赤痢、兼マラリア


                第60連隊第一大隊附
                軍医 中尉 ○○ ○○

                第60連隊長 大佐
                                 大佐 北部 邦雄 





(ブログ書き出し原文)


ミャンマー:旧ビルマ


生前、母がずっと行きたい行きたいと言っていた国


私が生まれる、ずっとずっと昔のお話。。。


母が幼かった頃は、戦時中だった


母の叔父、私から言えば、大叔父さんは、祖父のとても年の離れた弟


祖父が育てたようなもので、大学まで行かせた可愛い年の離れた弟


その大叔父にも、召集令状はやってきた


母は、ある朝、大叔父に呼ばれて、縁側で、膝の上で『おはぎ』を食べた


とても、美味しくて、大叔父は、全部食べていいよと母にくれたそうです


大叔父の優しいそのまなざしが、最後になるなんて。。。


今から考えれば、戦時中の食料の無い時の『おはぎ』


何か特別な日だとは、子供の母には分からなかった



その日、大叔父は、出兵した


母に、おはぎの思い出を残して、大叔父は、その後、ビルマで戦死した


ビルマには、戦没者の慰霊碑があって、戦没者の名前が各々刻んであるとか


母は、生前、ずっと、ビルマに行って、叔父さんの慰霊碑にお参りしたいと言っていた


未だに、国交もなく、情勢の落ち着かない国、現ミャンマー


行く方法は、考えれば、色々とあったかもしれない


祖父が生きている間に、詳しいことももっと聞けただろう


だけど、結局、母が生きている間には、夢はかなわなかった



その母の話を、小さい頃から、何度、聞いたことか。。。


もちろん、私は、大叔父のことは全く知らない


写真も見た記憶もない、母の生きている内に、写真くらい見せて
もらっておけば良かったと、今更ながら思う


小さい頃から、私の中に、ビルマに対し、懐かしいような、憧れのような
そんな不思議な思いがあった


ビルマで死んだのだから、ビルマ人に殺されたと思っても、不思議でないはずなのに…


たぶん、戦死は、マラリアでの戦病死だったと言うのも理由の1つだけど


ビルマ人に対しては、戦史を知る前から、不思議と嫌な感情はない


むしろ、ビルマと言うだけで、親近感さえ沸く



母が亡くなり、子供も少し手を離れ


ここ数年、ミャンマーに行きたい!!母の果たせなかった夢を私が!!
と言う思いが増している


だけど、考えてみれば、私は、大叔父のことを全く知らない


祖父母、母も亡くなり、伯父・伯母に聞くしかない。。。


それから、私は大叔父さんの足どりを掴むため、調査を開始した


すると様々な、時代背景が浮かんできて、やはり、私はいつか


ミャンマーに行かなくっちゃと日に日に思うのでした






…続く





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ミャンマーに思いを寄せて 234

観光バスの中では、副会長さんのガイドが入る時以外は静かだった
 

お互い、知らない者同士、そして、観光に来ているのでも何でもなかったので
会話が弾む、浮かれるような旅ではなかった


私の他は、副会長さんとお孫さんのペア、そして親子のペアと、ご夫婦


そして、日本人のツアーコンダクターと、現地のガイドさん、運転手さんと助手


中型の観光バスの中は、広々としていた


窓の外を眺めたり、手記のノートを悪路の中、必死に書いたり


その他は、ウトウトすることも多かった


大きめのバッグを1つ、肩から提げていたが


中身は、水やお菓子、お財布、カメラ、化粧品からタオルだとか諸々でパンパン


どっさりの荷物を傍らに、2人掛け用のシートに、1人で陣取った


周りの人達と時々、会話はするものの、そう長続きはしない


そのうち、やはり、年齢的なものから言って、1人参加の私を不思議に
思っておられることも分かった


「母の遺言で。。。」と言うと、皆、神妙な面持ちになった





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 233

映画の「ビルマの竪琴」に出て来そうな、そのまんまのお坊さん達


袈裟の色に何か意味があるのか?階級的な物???と思って
聞いてみたら、意味はなく、単なる好みだそうです


普通の布きれを、単に巻いてるだけのように見えるのだけど


布は、きちんと縫ってあって、108枚の布をつなぎ合わして作られているらしい


108枚…除夜の鐘と同じ数


仏教の考えで、人には百八つの煩悩(ぼんのう)があると言われ


その煩悩を祓うために、除夜の鐘をつく回数は
108回とされていると言われています


煩悩とは、人の心を惑わせたり、悩ませ苦しめたりする心のはたらきのことを言い


仏教における考え方からきているそうです


仏教にも、色々な宗派があるけど、ミャンマーも日本の仏教も
元々は、同じようなものなのだと思った


ミャンマーのお坊さんには、女性は触れてはいけない決まりがあるそうです


さっきの煩悩に関わるのかしら?


日本だと、宗派により、結婚もいいし、お魚やお肉を食べてもいいし
髪の毛を伸ばしている、お坊さんもいる


ミャンマーでは、公共のバスなどでは、運転手さんの後ろの席が
お坊さんの指定席となっている


もちろん女性が触れないようにするためもあるのと
特別な存在として、尊敬されているのだそうです


ミャンマーに行ったら、お坊さんと記念写真を撮りたいと
密かに思っていたが、それは、とんでもないことなんだと分かった


子供の頭をなでる行為も、この国ではいけないことで


日本の常識は、外国では通用しない
知らないとは、恐ろしいことだなと、ふと思った


この先も、ミャンマーの方に、粗相のないように、振る舞わないと。。。





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 232

パゴーと、トングーと言う町をひたすら目指して、陸路で進む
どちらも、旧軍の慰霊碑がある町らしい


どこの部隊の慰霊碑で、どんな戦いをしたのか
さっぱり私には分からない


とにかく、観光バスは、走る、道路は悪路


所々に、パゴタと言う立派な、キンキラキンの仏教施設が目に付く


パゴタとは、お寺かと思っていたら、日本で言うお寺ではないらしい


パゴタは、市民がお祈りをする場所で、お寺は、僧侶が修行をする所


お祈りをする所と、修行をする所は、別なんだそうです


道には、たくさんのお坊さんが歩いていた


群れをなして歩いているのではない、1人1人、歩いている


壷のような物を抱えて、托鉢(たくはつ)をしていた


壷には、食事を入れてもらうそうです


若い子から、年輩のお坊さんまで様々


皆、黄色や赤茶色の布地の袈裟(けさ)を着ている





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 231

ヤンゴン市内を出た途端、いきなり道の真ん中でバスは止まり
ミャンマー人の男性が乗り込んできた


そして、運転席付近で、何やら、話している


その人は、新しい運転手さんだった


ヤンゴンの運転手さんは、ヤンゴンだけしか運転出来ないらしい


そして、新たな運転手さんは、マンダレーの運転手さん


申し送りをされて、ヤンゴンの運転手さんは、バスを降りていった


その後、降りた運転手さんは、どうやって帰るのか? (^_^;)



私達一行は、パゴー(旧ビルマでは、ペグー)と言う町を目指している


そこには、日本軍の慰霊碑があると言う


どんな部隊の、どんな戦いの慰霊碑なのか、全く分からない


このツアーの参加者には、直接の関係者はいないようだが


道すがら、行けそうな慰霊碑を順番に回るようだ


民間が建てた、日本軍の慰霊碑は、無数にあるらしい


今は、のどかなこの地域も、約70年前には
戦死者をたくさん出す、激しい戦場だったのだ





…続く




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ミャンマーに思いを寄せて 230

副会長さんが、武装解除を受けた湖を通り過ぎ


イギリス軍の戦没者を祀る墓地の前を通る


PHOTO031


車窓から写したので、分かりづらいとは思いますが


大きな緑の庭園の中に、墓碑が整然と並んでいる


戦死者は、主に戦車兵だそうです


日本人の戦没者墓地も、こんな風なのかしら?


現在は、ヤンゴンには無く、ヤンゴン郊外に移されたと言う


最後の日に、合同慰霊祭で、訪れる予定


ヤンゴンでは、外国人が慰霊祭のようなことをやってはいけない
決まりになったらしい


イギリスの墓地は、あるのに、日本の墓地だけ移動???


バスは、ヤンゴン市内を出た




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 229

機関車トーマスの話で、少し、ミャンマーのことからは外れましたが
雑感として、ついでに書いておきます


先日、テレビを付けたら、なんだか分からないが、韓国ドラマをやっていた


続き物のようで、ストーリーは知らなかったけど
「ロード ナンバーワン」と言う、朝鮮戦争を描いたドラマだった
 

朝鮮戦争。。。言葉は知ってるが、詳しい内容までは???


近隣の外国の話と言ったイメージで、今まで、さほど興味もなかった


ただ、画面には、似たようなアジアの顔の人達の戦闘シーン


年代も、日本の戦後すぐの時期


なんとなく、大叔父の戦闘も、こんな風だったのかしら?と見入った


もちろん、ビルマの山の中と、韓国の町中じゃ、全然違うのだろうけど
「戦争」と言う点では、似か寄るところもある


そう言えば、ビルマのことに関わってから、初めて観る戦争映画かもしれない


今まで観た戦争映画は、「映画」と言う物語を
ただ他人事のように観ていたような。。。


でも今回は、迫力のある戦闘シーンや、極限の状況の人間臭さを目の当たりにし


ストーリー全般は分からなかったのに、テレビにかじりついてしまった


画面の隅で、あっけなく倒れていく人々


さっきまで生きていたのに、隣で話していた人が
次の瞬間には、物の様になって、飛んでいったり、動かない


人が人に見えなくなるような、悲惨な状況


何をどうして、なんて考えることなんて出来ず、ただがむしゃらに
狂ったように鉄砲を撃ちまくる


愛国心のため?自分を守るため?仲間を守るため?
いや、そんなことを考える余裕なんかないと思う


やるか・やられるか!! 


意志と言うより、恐怖に打ち勝つように、生きるための本能


平常心で見ている側からは、狂気のようにも見える
追い込まれると、人間は、鬼にもなれる


それが、良いとか悪いとかではなく


その状況を味わった者にしか分からない、感覚と状態なのだと思う


そういうことが続けば、もちろん心理状態にも、影響を与えるだろう


大叔父に置き換えると、大叔父は、何を見て、何を感じて、何を思ったのか


そして、どういう気持ちであの世に行ったのか


調べたとしても、それだけは、分からない


今の豊かな現代しか知らない私には、どれだけ理解しようと努力しても
到底理解出来ないことなのだろうと思った


ただ1つ言えることは、約70年前、この日本にも
そんな時代があったと言うこと


そして、それは教科書で習う、単なる近代史ではなく
身近な人々が経験した、全ての日本人に関係のある事柄


そして、それを経て、今現在の平和な日本があると言うこと


私は、ビルマのことに関わってから
自分の中で、何か変わったかどうかは分からないけど


今日の映画を観る視点や尺度は、確かに変化があった


自分では気づかないけど、何か変わりつつあるのかも知れない


いつか、時が流れたとき、分かるのだろうか




…続く




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ミャンマーに思いを寄せて 228

日本の機関車ヒロは、トーマス達に助けられ、みごと復活をする


そして、トーマス達や、かつての「伝説の英雄」を懐かしむ人達に
見送られ日本に帰る


そして最後にトーマスは
「ここもあなたの故郷だと言うことを忘れないで」と言った


ビルマも第二の故郷…そんな思いがした


今なお、ミャンマーに眠っている英霊達


戦後約70年、きっと、20代~30代と言う若さで、散っていった命


日本で暮らしていた時間より、ミャンマーで眠っている時間の方が
長くなっている


戦争と言う時代を通して、数奇な運命で、ビルマに渡った人達


人生のうちのたった数年だけど、その人達にとっては、とても大きく
生涯忘れることの出来ない、戦場での体験


私が出会った多くの生き残りのおじいさん達は
戦友を忘れず、今でもビルマを愛している


ビルマは、その人達の第二の故郷なのかもしれない


そして、私は、その後、泰緬鉄道で、使われていた機関車について
気になったので調べてみた


すると、1979年に2両のC56形蒸気機関車が日本に帰還を果たしていて
現在も日本国内で保存されていると言うことを知った


終戦から30年以上経って、日本に帰ってきた機関車


機関車は、きっと、ヒロのように嬉しかったに違いない


帰ってきた機関車は、1両は、老朽化が著しかったが、復活修繕され
静岡県の大井川鉄道で、現在も走っているそうです


そして、もう1両は、靖国神社の遊就館に展示されていた


あ…!! 私が、子供と訪れた際、子供が気に入って、何度も何度も
上り下りして、見ていた、あの機関車が…ビルマからの機関車だったのか


とても、驚いた


靖国神社に子供と一緒に、よく遊びに言っていた時は
まだ、ミャンマーに行く事になるだろうとは、全く思っていなかった頃


ずっと知らず知らずに、ミャンマーに関することに
触れていたように感じる


これも、何かしらのご縁だったのかしらと、不思議に思った


そして、更に、後に、この靖国神社ある機関車を、ビルマから帰還させた張本人と
出会うとは、この時は思いもしなかった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 227

何気に、子供番組の機関車トーマスを見ていた私


ふと、これって…泰緬鉄道の話じゃないのかしら?


このアニメの原作の国は、「イギリス」


日本からの新幹線の輸入を記念して、作られた映画だと言う


イギリス・森・日本の機関車、たったこれだけだが


私には、泰緬鉄道がモデルとなっているような気がして、しかたがなかった


そこで調べてみた


日本軍が進行した所で、イギリスが統治していたのは
ビルマとマレーシアと、香港


マレーシアと香港では、日本軍は鉄道を作っていない(私が調べた範囲では、記録になかった)


日本の蒸気機関車を持って行って走らせたと言う可能性は
捨てきれないが


やはり、線路とワンセット+森を考えると
ビルマが妥当だと言う結論に達した


子供のアニメなのに、必死に見入ってしまった


故郷に帰りたいと泣く機関車、森の奥で何十年も日本に帰ることを
夢見ていた。。。帰りたいだろうなぁ


大叔父も、その他大勢の戦友も、帰りたかっただろうなぁ


ミャンマーの地で、人知れず倒れ、今も、帰りたいって、思っている
英霊は、たくさんおられるのかもしれない




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 226

泰緬鉄道のタイ側は残っているが
ミャンマー側では、線路が撤去され、幻の鉄道となった


先日、子供とテレビを見ていたら、去年公開された、子供の大好きな
「機関車トーマス」と言うアニメの映画版が放送されていた


機関車トーマスの物語は、イギリスの作品 


その映画のタイトルは「伝説の英雄(ヒロ)」


ストーリーは、主人公のトーマスと言う機関車が
ある日、森に迷い込み、ボロボロになって、走れない
蒸気機関車の「ヒロ」と出会う


ヒロは、昔々、日本からやってきて
かつては「伝説の英雄」と呼ばれて活躍していた機関車 だった


それが、いつしか忘れ去られ、森の奥に放置されていた


走れなくなった機関車は、精錬所に送られ、スクラップにされることとなる


ヒロは、故郷に帰りたい、友達は故郷にたくさんいると嘆く


トーマス達は、ボロボロになったヒロを修理して
なんとか助けようと奮闘する




…続く




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ミャンマーに思いを寄せて 225

戦後、泰緬鉄道建設を担った関係者らは
捕虜虐待などとされ、B・C級戦犯とされた


しかし、それは、連合軍側の捕虜は
捕虜になり士気と体力がなかったことに加え
日本食が口に合わなかったことも、一因だと言われている


一般的な例としては
木の根っこを食べさせられた=「ごぼう」であったり
腐った豆を食べさせられた=「納豆」などがある


これらの多くの犠牲者の元、当初5年は掛かると言われた建設は
翌昭和18年10月に完成した


1957年公開のイギリスの映画「戦場にかける橋」の元とされた鉄道で
映画の舞台となったのは、タイのクウェー川にかかる鉄橋(現在復元)


旧来の名称はメークロン川だったが
この映画によって「クワイ川」が著名となり
クウェー・ヤイ川と改名された


クウェー川鉄橋は公開後半世紀経過した現在でも
観光名所となっている




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 224

建設現場は劣悪で、特に工事の後半は雨季となり
その上、迅速さが要求された


夜を徹して行われた突貫工事
雨期の増水により、胸元まで水に浸かっての作業もあったらしい


食料不足からくる栄養失調と、コレラやマラリアにかかり
死者は莫大な数となった


日本側とタイ・ミャンマー側の調査で食い違いが出るが
約半数が亡くなったと言われている


過酷な作業は、日本軍側も、多大な犠牲者を出している


大叔父も、戦死ではなく、戦病死


戦争で亡くなったことは、確かである
しかし、勇敢に戦って、戦火に散っていった方達との扱いとは
やや違うように、ミャンマーに行って感じた


「名誉の戦死」とは、言えない戦病死


どちらの亡くなり方が偉い分けじゃない
しかし、亡くなり方により、階級の特別昇進などに差は生じている


戦争によって、同じく亡くなったのに。。。


戦場のどこにいても、どんな作業に従事していても
過酷なことには違いない


そして、亡くなり方も、皆、悲惨を極めていただろう


生きていてくれたら…と言う遺族の思い
そして、身内を失った悲しみは、同じである


だが、戦病死は、本人も、遺族も
より一層、無念に感じるのではないだろうか


この泰緬(タイメン)鉄道の建築作業に、大叔父は関わっていない


大叔父がビルマに入る前に、皆さんのご苦労があり建設されたこの鉄道


きっと、それを知るよしもないまま、大叔父も列車に揺られたことだろう





…続く




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ミャンマーに思いを寄せて 223

この間、ビルマの泰緬(タイメン)鉄道と言う
映画「戦場に架ける橋」でも有名な
タイのバンコクから、ビルマのマンダレーまでを結ぶ鉄道のことに触れた


それについて、少し書いてみたい


今は、ビルマ国内の路線は、撤去されたため、タイ側には残っているが
ビルマ国内には、泰緬(タイメン)鉄道は残っていない


旧日本軍の公式名称は、泰緬(タイメン)連接鉄道
英語圏では、「死の鉄道」として知られている


この鉄道の建設構想は、20世紀の始め、イギリス軍が占領していた時代から
検討されていたが、地形が複雑で、建設を断念していた


戦時中、旧日本軍は海上輸送の危険を避けるため1942年(昭和17年)6月に
ビルマ戦線の物資輸送ルートを確保するため、建設を開始した


イギリス軍が検討した複数のルート案の内の1つを選んだ


旧陸軍には、日清戦争の後に作られた、鉄道連隊と言う部隊があった


鉄道連隊とは、戦地における鉄道の建設・修理・運転や
敵の鉄道の破壊に従事する部隊である


泰緬鉄道の建設は迅速さを要求され、ビルマ側・タイ側両方から開始した


建設の作業員には日本軍1万2,000人、連合軍の捕虜6万2,000人
募集で集まったタイ人数万・ミャンマー人18万人・マレーシア人8万人
インドネシア人4万5,000人にも及ぶ労働者が投入された




続く…




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