ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2012年08月

ミャンマーに思いを寄せて 275

また1つ慰霊祭を終え、次の街メイクテーラを目指して高速道路で北上した



副会長さんも、昔々このマンダレー街道を通ってメイクテーラに来たそうです


狂犬病のワクチン開発のため、どうしても冷蔵庫が必要で


当時、ビルマ国内に1個だけ冷蔵庫がメイクテーラにあるとの情報を元に


民間から赤のシボレーを買い上げ、この道をさっそうと飛ばした 


その後、このメイクテーラと言う街は激戦地として有名になった



ここメイクテーラでは、同行者の親子のお母さんのおじ様に当たる方が


戦死されたそうで、今まで立ち寄ってきた慰霊碑とは、また違う思いがある


バスの中で、そのお母さんが、この旅に参加した思いを語られていた


私の母よりはやや若いと思うが、きっと同じ世代でおじさんを思う気持ちは母と同じだ


手にされていた、凛々しい軍服姿の青年の写真


優しい優しいおじさんの出征前の最後の写真


大学を出て、前途有望な青年は、志高くこのビルマの地で名誉の戦死を遂げた



第49師団、通称「狼」


狼と呼ばれた師団は、とても強かったそうです


狼が増援に来た際、周りの部隊は「狼が来た!!」ととても喜んだそうです


その第49師団・狼の慰霊碑は


しっかりとした高い門のある、大きな寺院の中にあった


少し入ると日本語の看板があった


PHOTO099



静かな静かな緑豊かな寺院の中


長い回廊を通りながら、奥へ奥へと進んだ


PHOTO100



かなり歩く、途中ベンチで休んだ


日差しが木々の間から差し込む、緑のカーテンが心地よい


日本人のコンダクターさんが話しかけてきた


戦争とは無縁のような世代の私が、1人で参加していることを
不思議に思われていたよう


亡くなった母の代わりに大叔父の慰霊に来たと伝えた


そして私達は、奥へと進み


最初の関係者の慰霊碑に緊張したような面持ちで対面した




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 274

滞りなく慰霊祭を終えた


その後、お寺のような民家のような庭でひとときの休憩


子供達がたくさん集まって来た


PHOTO090 - コピー



お母さんらしい女性は赤ちゃんも抱いている



持参したお菓子や文房具をあげるととても喜んでいた


特にキラキラの鉛筆は珍しいのか女の子は目を輝かせて眺めている



戦時中の日本軍は地元の方との触れ合いがあったか分からないけど


友好的なビルマの人達と親交があったとしてもおかしくはない



聞いた話によると


日本軍の兵隊さんの中には農家出身の方も多く


まだ戦闘が激しくない頃には、同じく農業中心のビルマで
お世話になったお返しに地元の田畑を手伝ったりしたこともあったと言う


私達は、身振り手振りで子供達と一緒にお菓子を食べた


言葉は通じなくとも、子供は万国可愛い


日本で留守番をしている私の子供のことを思い出す



大叔父も、ビルマの子供達を見て、祖国の幼い母やその兄弟を
思い出していたのだろうか




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 273

後日、副会長さんに聞いた話では


当初の目的の慰霊碑には行けなかったので


たまたま現地の人に案内されて初めて訪れた慰霊碑


どこの部隊の慰霊碑かは副会長さんも分からないと言う


川での集団自決の話の部隊の慰霊碑ではないそうです



このように、ビルマには数え切れないほどの慰霊碑があり


公式に日本が把握している慰霊碑はほんの1部だとの説もある



誰が建てたのか、どこの部隊の慰霊碑なのか分からなくなっている物も多い


お参りに来てくれる日本人はいるのか


分からない慰霊碑でも、現地のミャンマーの人々は
昔から変わらず、お守りをして大切に祀って下さっている



今回行ったこの慰霊碑は、お寺の境内の中にあり守って下さる人がいるので良いが


戦闘のあった道端などに建てられた慰霊碑は


建てた戦友が皆、高齢化し慰霊に来れず


家族は現地が分からず


お参りに来る人がいなくなり朽ち果てた慰霊碑がたくさんあるらしい



それらを撤去または移動してほしいとミャンマー側から


厚生労働省の方に申し入れがあるそうです


ただ現実問題として、その予算をどうするかなどの難しい問題も


今後の課題だそうです






…続く



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ミャンマーに思いを寄せて 272

子供達が集まってきた、恥ずかしそうに遠巻きに見ている


庭に放し飼いにされていた犬もシッポを振って寄ってくる


「犬には絶対にかまわないで下さい」とガイドさんから注意を受ける


狂犬病の予防接種を受けていないと思われるだめだった


何匹かいて、相手にしないと、そのうちひなたぼっこで丸くなって寝ていた


PHOTO089



お寺でトイレを借りて、少し落ち着いてから


慰霊祭の準備に取りかかった


慰霊碑は石で作られた小さな物だった


昨日、お参りした慰霊碑は、屋根付きの立派な慰霊碑だったが


川を見渡せる堤防の淵に祀られた、石をそのまま建てたような


自然な形の小さな慰霊碑だった


何が書かれているのかさえ、もう判別出来ない


手慣れたみんなが手分けして、黙々と準備をした


慰霊祭用に台などをお寺が準備して下さった



PHOTO088



副会長さんを先頭に、いつもの力強い読経が流れた




先ほどの集団自決の話を胸に、私も一緒に読経し手を合わせた




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 271

川を渡りきり、ほどなくバスは停車した



バスを降りると、川淵の小さな民家のようなお寺のような所に案内された


後ろを振り返ると、さっきの橋の小屋の中にいた軍人さんが


鉄砲を持ったまま、後ろを付いて来ていてとても驚いた


外国人は、民家に入ってはいけないと言う決まりがあるそうで


私達を監視しているようだった


しばらく私達の行動を少し見ておられたが、おかしなこともしなかったので


安心したのか、橋の方へ戻り、少し離れた所から見ておられた



時代は違うとはいえ、同じ軍人さん


90才を越えた当時の戦友がはるばる日本から慰霊に来たのだと知ると
態度が変わり、ミャンマー人から恩恵を受けたと感じることは
その後の旅の中でしばしばあった


副会長さんの存在は、ミャンマーの軍人さんや年老いた方には特に
影響力があったように思う


みんな尊敬と言うか手厚く友好的な扱いをして下さった




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 270

橋を渡る前、副会長さんのアナウンスが入った


「今から渡る川では、たくさんの日本兵が亡くなっています」



大きな川を渡河する際は、イカダを組んで渡ったりしたそうです


そのイカダもその場しのぎの簡易な物


行きは乾期で渡りやすいが、帰りは雨期


インドから飲まず食わずの後退を続けてきた体力の落ちた体には


この川を渡るのは厳しすぎた



逸話として


イギリス軍に追われてこの川まで後退してきた日本軍の部隊


イギリス軍が見ていると、日本軍の部隊が甲武装(軍隊の正装)で


装備品も全て抱えて、行進し始めたそうです


何をするのかと見ていたら



その部隊は、黙々と川に向かって前進し


目の前で、入水集団自決をしたそうです


イギリス軍には、「捕虜になって辱めを受けるくらいなら
潔く自決をする」と言う日本人の考え方は理解が出来ず


「クレージー」だと驚いたらしい



この話は、戦後、副会長さんがインパール作戦で戦った
イギリス軍と友好を深め、その際にイギリス側から渡された


あちらの出版物に記載されていて知った話だそうです


歩兵138連隊の話だと言う



「敵を前にして、戦わず自決しちゃったんだよ、困ったもんだよな」と


今は笑い話として副会長さんは語っておられたが



部隊全員に自決命令を出さなければいけなかった部隊長の心中


自決命令を受けて、重い装備を身に着けたまま、自ら川に入り
溺れて清く散っていった戦友達


同じく当時の悲惨な体験をしてこられた副会長さんには


きっと痛いほどその時の追い詰められた日本軍の状況が
分かっていたことだろう



日本に帰ること、家族に会える希望を捨ててでも


捕虜になるくらいならと自決を選んだ当時の日本人


平和な現代に生きる私には、簡単には理解できないけど


この川を下り、魂はきっと日本に帰ってるよね



今から行く慰霊碑は、その方達の物だろうか?


直接関係がない人達だけど


大叔父の眠る地に早く行きたいと言う気持ちよりも


日本人として手をあわせてあげたいと思った




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 269

今から行く、慰霊碑には、どこの何の部隊の方々が祀ってあるのか知らない



私達一行を乗せたオンボロバスは
クラクションを鳴り響かせながら、街中をぶっ飛ばす


ミャンマーの車は、日本の中古車がほとんどを占めていた


中には、社名の入った日本車がそのまま使われており
とても楽しい風景だった



PHOTO063



写真は分かりにくいと思いますが、ミャンマーの高速道路の
料金所ですれ違った、福山通運のトラック


若者の人気は、車より、バイク


スクーターよりも、中型のバイクが多かった


バイクに乗って、ジーンズを履くのがトレンドらしい


女の子は、シフォン生地のミニスカートが流行だとか


韓国ドラマの影響だそうですが


日焼け止めのお化粧品として、昔から使われている「タナカ」や


腰巻きスカートの「ロンジー」の方が、私には、素敵に見えた



ミャンマーも、外国の文化が急速に入り


若い世代を中心に、急変しているところなのかなと、ふと思う


かつての日本も、こうだったのだろう


日本でも、和服の日本人が、ほとんどいないのと同じだ



なんだか勝手に、ミャンマーの人達は、外国に染まらずに
純朴に生きて欲しいなと思ってしまった





続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 268

その小屋の前までバスは来た


運転手と軍人さんが何やら話している


どうやら検問みたいだ


なかなか通してもらえない


どうなるのかと不安だった


すると最後に運転手さんがお金を払った


チップの要求だったのか、通行料かは分からないが


ようやく橋を渡る許可が下りた



トランシーバーで、軍人さんが連絡を取っている


きっと橋の向こう側の小屋の軍人さんに連絡してるのだろう



ミャンマーでは、空港や線路、橋などは写真撮影が禁止されている


軍事施設に準ずるそうです



もちろん今、渡ろうとしている橋も撮影禁止


カメラを隠したまま、ゆっくりとバスは進む



渡っている橋と平行して、隣に古い橋があった


あちらは、通行人用かしら?



副会長さんのアナウンスが入る


「隣に見える橋は昔の橋で、あの橋を落として日本軍は進軍しました」


副会長さんがこの地点に来た時には
先に通った友軍により、橋は落ちた後だったそうです



行きは戦闘が長引き、その後後退に追い込まれるなど考えず


まさか自分たちを苦しめることになろうとは思ってもいなかった大きな川


作戦上、落としてから進んだ橋


約70年前に日本軍により落とされた橋も今は修復されていました 



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 267

目的のトングーの街に入った


しかし、慰霊碑の場所が分からないようだ


相変わらず、道の真ん中にバスを止めて


通訳さんが降りて行って通行人に場所を聞いている



なかなか場所が分からない


後に分かったことだが、いつも行っていた慰霊碑の場所に


軍の施設が建ったことで、外国人の私達は立ち入ることが出来ず


目的の慰霊碑に行くことが出来なかったそうです



この先も、その慰霊碑にはもう行けなくなったのだと思うと
とても悲しい気分になった


私には直接関係のない慰霊碑だけど、関係者や家族だったら


きっと悲しいと思う



そこで、村人から他にも慰霊碑があると言う情報をもらい


予定を変更してその慰霊碑を訪ねることになった



バスは、大きな川に架かる橋の手前で停止した


「カメラを隠して下さい、絶対に写真を撮らないで下さい」と
アナウンスが入る


カメラが見つかると没収されるそうです



緊張が走った



橋のたもとの小さな小屋の中に、軍服を来て鉄砲を肩から下げている
軍人さんが見える




続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 266

やっとの思いで移動したが


今度は隣の時計屋さんで、一緒に行った人達が時計の価格交渉を始めた


ホテルの部屋に時計が無いと不便なので
大きな掛け時計を買っていた



やっと魚屋さんから離れても、あの臭いが微かに漂ってくる


とにかく、新鮮な空気が吸いたかった



ふと、変なことを思い出した



戦場のビルマの白骨街道。。。



以前にお聞きした、旧軍の方の話で


最初の腐敗した遺体からの臭いは、1km離れていても
あそこに遺体があるなと分かるほど、強烈だったそうです


しかし、どんどんと遺体が増えて、その中を歩いていると
麻痺して、臭いは全く気にならなくなったそうです



「感覚が麻痺するんだよ」



きっと、とてもじゃない臭いだろうに、それさえも感じない極限の状態


五感のうちの1つの、嗅覚が働かなくなる。。。


順応性や慣れとは、また違うように思った



この魚の臭いと一緒にするのは、失礼だと思うが


こんな臭いにさえ、耐えられない私には、想像を絶する臭いなんだろうなと思う


人間の腐敗した臭いが漂う。。。現代に普通に生きている私には、考えられないが


約70年前の、ここビルマで、現実にあったこと



後でとある書物で知ったことだが
私は雨期で暑いビルマの気候が白骨化を進めたと
ばかり思い込んでいた


通常、どのくらいの早さで人間が白骨化するか知らないが


単純に暑い場所では、すぐに腐敗して白骨化するんだろうなと思っていた


しかし、それはハゲタカみたいな鳥がついぱんだのが1番の原因だそうです


弱っている人間をハゲタカが狙って死を待っている


死にかけの人、死んでいないかも知れない人も
ハゲタカに襲われてつつかれて肉を食べられた


本人も周りの人間も、その鳥を追い払う体力はなかった


そして、その変わり果てた姿は、共に戦ってきた、同じ日本人であった


亡骸すら、どうしてあげることも出来ず


後に白骨街道と呼ばれた道を、明日は我が身かもしれないと思いながら
後退して行った、多くの軍人さん達


副会長さんをはじめ、ビルマを訪れる旧軍の方は


単に懐かしいのではなく、多くの名もなき戦友の弔いもあるのだろうなと思った


だから見ず知らずだけど、慰霊碑があると知るとお参りに行く


コース上の慰霊碑を巡りながらツアーは進んでいく



市場で浮かれていた私は、観光に来たのではないと改めて反省し
厳粛な気持ちで、バスに乗り込み、次の街を目指した




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 265

私達を乗せたバスは、慰霊祭用のお供えを買いに市場へと向かった


その市場は、道路に面した店舗の他に、奥へと続く、細道がいくつも伸びていた


軒を競うようなアーケード風の薄暗い市場の細道


少し入ってみた



観光客が珍しいのか、ジロジロと視線を感じる


ミャンマーの人は、おとなしいのか声はかけられない


道路に面した露店は、飲食店や洋品店などで


奥は、野菜や青果など、生鮮食品が多かった


PHOTO093


すると、とても生臭い香りが漂ってきた


堪えられないくらい臭い


何の臭いかと思ったら、少し離れた所に、魚屋さんがあった


川魚のようだ、鯉のような大きな魚もある


しかし、とにかく臭い


ハエがいっぱい、たかっている


直射日光ではないものの、冷房もなく、氷もない


単にザルの上に魚が並べてある


ここでは、これが普通の売り方なんだろうなぁ。。。



そして、現地の人は、この魚を買って、食べるのだろう


きっと、私達が食べたら、お腹を壊すと思う



とても臭いのする魚屋さん近辺


一緒に行った人達は、さほど気にならない様子で


その魚屋さんに、どんな魚が売っているのか、興味深々




魚屋さんが、これ買って行かない?のような身振りをする


みなさん、現地の方との交流が楽しいのか、なかなか、その魚屋さんを離れようとしない


私は、気分が悪くなりそうだった




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 264

ミャンマー3日の朝は、とても寒かった
 

季節的には、大叔父がもう少ししたらインパール作戦に導入される時期


ミャンマーでは、ずっとお天気だった


日本のような四季はなく、乾期と雨期に分かれるそうです


私達が行ったのは、ちょうど良い季節の乾期だった



私達を乗せたバスは、北上を続けた


隣の街かと思っていたが、大きな国の中のバス移動


トングーの街は思ったより遠かった



空港近くの都心のミャンマーとは違い


ずっと同じ草原の様なミャンマーの風景が続く

PHOTO094


PHOTO095


PHOTO066



ポツンポツンと所々に、樹木があり、遠くの方まで見渡せる


この景色は、昔と変わらないと副会長さんは言う


水牛が放し飼いにされていて、のどかな雰囲気


普通に旅行に来ていたら、旅情豊かなきっと良い景色に映るのだと思う



…だが、私の中では、こんなに隠蔽物が無ければ


敵から丸見えで、お昼の行軍は絶対不可能だったろうなと


変なことばかり考えてしまった



大叔父もこの道を通ってインパールに向かったのだろうか。。。


この変わらぬ景色に、副会長さんは何を思っているのだろう。。。


行きはのどかなこの景色、帰りはきっとここも戦場だったのだろうなぁ。。。


そして、当時のビルマの人々は何を思っていたのだろう
自分達の戦争でなく、巻き込まれたような形で
自国が戦場となる


きっと現地の人だって死傷したりしたと思う


立場上、最初は日本に身方して、負けが決まりそうになると
連合国側に寝返ったビルマ国


それでも、現地の人々は最後まで日本人に優しかったと言う



続く…



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残暑お見舞い申し上げます

皆様、ご無沙汰しております

暑い日が続いていますがお変わりございませんか


潮書房光人社「丸」に連載が決まり、原稿まとめに追われる日々です

この長文がまるごと掲載されるのではないので

言葉を変え凝縮してまとめるのにかなり難航しております

9月末発売号から掲載されますので

宜しかったら是非お買い求めください


そこで全国の皆様に呼びかけて情報を得たいと考えています

年配の方は、どうしてもwebとは縁遠い方が多いので

紙面であればまた違う何かの収穫に繋がるのではないかと期待しています

再度こちらでも大叔父の詳細を記載しておきます

大叔父は、祭師団ではなく
弓師団に臨時に編入されていたようです

ビルマ・弓師団の山本支隊の支隊本部
に配属されていたのではないかと思われます

旧軍の方で大叔父をご存知の方を探しています
どうぞ情報をお寄せください


<大叔父の詳細>

神居 達(かみい とおる)

・軍曹(甲幹部指定)
・大正7年生まれ
・歩兵60連隊第1大隊機関銃中隊
※インパール作戦では1大隊だけ祭師団ではなく、弓の山本支隊に編入
支隊本部または師団・連隊クラスで通訳として従事していた可能性大


是非とも、ビルマでの大叔父をご存知の方にお会いしたいのです

歴史の証言者が、どんどん少なくなる現状
タイムリミットが迫っていると言う、危機感を持っています

どうぞ皆様のお力添えをお願いいたします



暑さ厳しい折、皆様どうぞご自愛くださいませ



             2012.8.16   Aya
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