ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2012年10月

ミャンマーに思いを寄せて 315

結局、大叔父の白木の箱の件については何1つ分からなかった


私は歴史に強いわけでもなく、特に戦史については全くチンプンカンプン


小さな事実と少ない証言を元に、それらをつなぎ合わせ仮説を立てる


そして、その仮説の裏付けを調べながら進んできた


ずいぶん遠回りもしたと思うし、今回も寄り道の1つだと思う


ポイントが分からないからがむしゃらに調べるしかない


すべがないからしかたないのだ



ビルマにまだ眠っていると思っていた大叔父の遺骨は日本に帰っていて


その事実をミャンマーの現地で知った


大叔父の名前の刻まれた慰霊碑もない


なんとも虚しいものを感じた


あとは、大叔父をご存じの方にお会いしたいと言う願いだけか。。。



「後10年早かったらね」と何人にも言われる


もう少し早くに始めていたら…と思ってみても今更どうにもならないのだけど


○○本願寺が近代史を紐解くことを願うことは他人事ではないのだ


私も当時のことをご存じの方がおられるうちに、早く調べないと


タイムリミットは刻々と迫っている


自分でも普通の主婦の私が、なぜこんなに必死に頑張れるのか不思議です


おかなしな人だと思われているだろうなぁと分かっていても、頑張ります



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 314

戦争に関連すれば、有名どころとしては護国神社が代表格である


終戦後、護国神社などは戦争に加担したと判断されGHQの追及を受けている


追及を逃れるために一時期、神社の名前を変えたり


様々な証拠品を隠滅したと聞く


護国神社は兵士に関わっていたことは当然であり


GHQとしては、根強い宗教的な存在として脅威の対象だったのかもしれない


それを踏まえて考えるとお寺であっても同じことで


軍に協力して戦死者の白木の箱の受け渡し場所になっていた事実は


○○本願寺にとっては不都合なことであり


迫害から逃れるために隠蔽したのではないかと考えた


日誌は戦後に差し替えた可能性が高いと思える


では差し替えたと仮定して、元の日誌はどこに行ったのか?


GHQの占領下で大量の紙面を焼却するのは難しいかもしれない


ほとぼりが冷めるまでどこかに隠しておくと言うのが一般的だ


○○本願寺内では危険があるため、担当者が自宅などに持ち帰り


隠した・もしくは少しずつ焼却したと考えるのが自然だ


とてもお節介ではあるが、その仮説を西本願寺の歴史研究者に伝えてみた


とても驚かれたがそうだとしてもおかしくないとも言われた


○○本願寺の研究機関では今はまだ江戸時代を研究しており


戦時中を含む近代史は全くの手付かず状態なのだそうです


私としては江戸時代も大切だが、まだ当時のことを


ご存知の方がいるうちに近代史を調べて欲しいと願った


今後○○願寺がどう対処なさるかは分からないが


私の問い合わせにより新たな事実を知り得たことは


研究の糧になるのではないかと自負する



…続く



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ミャンマーに思いを寄せて 313

その後の戦後の日誌で「ビルマ」と言う言葉が出てくるのは

 
昭和30年9月21日のマンダレー会が主催で全日本布教会後援による


ビルマ追悼法要だけであった


この法要には2,000人を越える遺族関係者が参加されたとか


ビルマと言う言葉が日誌の中でそれだけなんてことがあるのだろうか


ビルマには大叔父の歩兵60連隊の他にも京都の部隊が行っている



仏教の他に、日本には神道も根強くある


神道とは神社や神主さんと言えば身近に感じる


初詣、結婚式、七五三など言われてみれば普通に慣れ親しんでいる



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 312

昔々から日本の歴史の中においても


宗教は政治など時代に大きな影響を与えている


例にあげるとしたら、卑弥呼などもその1つだろうし、陰陽師もそうだよね


現代で言えば公明党もそうだと思う


単なる思想家だけでなく、政治家のような、そして学者でもあった


その時代時代で地位も高く権威もあった



平安時代には、僧兵とも言える自衛のために武装した寺院関係の集団もあった


寺院などに依存していた農民たちを時に応じて農兵として
戦いに参加させていた寺院があったり


憎侶の多くいた寺院の場合は僧侶自らが戦えるように訓練されていた


有名なところでは弁慶もそうである


それは戦国時代くらいまで続いたようです


私の中のイメージでは、僧兵と言えば、中国の映画の少林寺のお坊さんを思い出す


戦時中の従軍僧侶とはだいぶ意味合いが違うとは思いますが。。。



自国のために国民が1つになっていた戦時中


僧侶であっても当然の義務として国家に協力していたと思う


ましてや臨時の寄せ集めでもなく思想や志が統一された統率のとれた集団であり


歴史ある大きな組織の宗派を軍が利用しなかったとは思えない


海外布教にしても、行きたいから単に行きますと簡単に行けたようにも思えない


国とも何らかの繋がりがあっても何も不思議ではないし、隠すことでもないと思う



先の戦争は間違いであった、戦争はいけないことであり


聖職者として戦争に加担していたことは世間体として隠さなければ、、、


とウソをつかれたのだろうか?とも考えたが、対応して下さった方の口ぶりからは


そのような雰囲気は無く、白木の箱の受け渡し場所だったことは


ほんとう知らないようだったし、逸話としても伝え聞いてもいないように思えた


それなのに、国との接点を隠蔽したかのように思える当時の日誌。。。


なぜなんだろう?



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 311

外国では従軍牧師と呼ばれる軍隊内部で活動する軍人や軍属が存在する



従軍牧師や従軍僧侶と聞くと、戦死された時に弔いするのかなと言う
漠然とした私の中のイメージ


しかし外国の牧師さんは、戦場や医療の現場で臨終の人員を見取ったり


日々の礼拝や教育、記念行事などの宗教に関連する式典を執り行うなど


平時においても軍人や軍属などに対して宗教教育や統率訓練の役割を担い


部隊や兵隊さんに対する精神面からの支援などの大きな役割があるらしい



旧軍においては、従軍僧が存在したそうです


従軍僧は軍人ではなく軍属扱いであった


先の浄土真宗の○○本願寺の海外布教の別院の方々は軍隊布教使と呼ぶそうです


ただ、その方達が従軍僧侶に当たるかは分かりません



また、旧軍では聖職者であっても一般と変わらず徴兵の対象とされたので


兵隊のさんの中に、偶然に神主さんやお坊さんがおられると


臨時に従軍神主や従軍僧のような役割を担うことが一般的だったそうです

 

ちなみに現在の自衛隊においては、宗教活動に従事する職種は存在しない



軍隊において、牧師・僧侶などを含む宗教と言う物は


心の支えであり、大きな存在なのかもしれない。。。



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 310

どちらのお寺も初耳だったようで驚かれた


同宗派の別の○○本願寺ではとても親切に対応していただき
色々なお話を伺うことが出来た


交通の便としては自分の所の○○本願寺の方が便利だが
 

自分の所の○○本願寺より、あちらの○○本願寺の方が面積が広いため


あちらの○○本願寺が指定された可能性が高いのでは?


と言われていた
 

こちらの○○本願寺では、白木の箱の受け渡し場所に指定されていたと言う
記録はなかった



戦時中には上海など大陸にも海外布教別院があり


陸軍にはあちらの○○本願寺から、海軍にはこちらの○○本願寺から派遣されていたそうです

 
お礼を言って電話を終えた



白木の箱を受け取りに行った○○本願寺も日誌を調べて下さったが


白木の箱の受け渡しの件は全くと言っていいほど出て来なかった


終戦前後の日誌は物資が少なかったことから記事自体が少ないとのこと


京都での戦死者は日誌の記録に残らないほど少なかったのか?


○○本願寺での白木の箱の受け渡しは、大叔父のだけだったとか?


…そんなことはないだろう


きっと国を挙げての大事業であり


終戦近くは京都でもかなりの戦死者数だったのではないかと思われる


その記録が全くない。。。



これは不自然としか思えないのではないか




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 309

○○本願寺に白木の箱の件を問い合わせてみた


しかし、今の時代におかしな質問をしてくる私に困惑ぎみの対応だった


当然と言えば当然だが担当部署探しで
○○本願寺のあらゆる所をタライ回しされた


その度に電話をかけ直し白木の箱の質問をした


私が聞きたかったことは

●いつごろから始まり、どのような規模だったのか

●受け渡しの場所指定は、部隊ごとだったとか戦地ごとだったなど

●○○本願寺以外にも受け渡し場所はたくさんあったのか


○○本願寺では、その歴史を研究している分野があった

系列の大学内に部署があり大学と合同で研究されている

最終的にはそちらが対応して下さったが

○○本願寺は対応がイマイチだったのでダメ元で、その○○本願寺と目と鼻の先の
同宗派のもう1つの○○本願寺にも聞いてみた



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 308

大叔父の訃報を受けた後、祖父と伯父は○○本願寺に
白木の箱を受け取りに行った


伯父は何も入っていない白木の箱を首から提げて帰ってきたと言う


「お○○さんに白木の箱を受け取りに行った」と伯父が言った


お○○さんとは、○○本願寺を指す京言葉である



なぜ○○本願寺だったのか、ふと気になった


祖父のお寺は浄土宗で○○本願寺は浄土真宗


宗派は関係なさそうである


浄土真宗と言えば日本最大の仏教宗派である



そこで後日調べてみた


まずは価値のある戦史資料が豊富に揃っている

東京・目黒にある防衛省の防衛研究所に問い合わせてみた


●訃報の受け取り方

海軍の場合…士官の場合は遺族の住んでいる地域の鎮守府(司令部)から
         下士官の場合は本人の所属の鎮守府から届く

陸軍の場合…司令部または役所から各人の家に届く



●白木の箱の受け渡し場所の指定について

それにも細かい軍の規則があり
陸軍・海軍、そして階級により扱い方が違う

海軍の場合…昭和17年2月、海軍省人事局長発行の
         「戦没者の海軍喪儀等に関する通牒」による

陸軍の場合…明治からの規則の「戦場・掃除及び戦死者埋葬規則
         遺髪遺骨の取り扱い方」による


陸軍の場合は、人数が多いため
海軍よりも大まかで臨機応変的なところがあり

指定場所の細部選定については現地任せであった

交通の便が良く、著名な場所でかつ広さを要する所

そこで京都では○○本願寺も受け渡しの指定先の1つだったようだ

実際にどこが指定場所にされていたかの記録は
防衛省側には残っていなかった



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 307

大叔父は、ビルマに未だに眠っていると信じ、ここまでやってきたが


まさか私が生まれるずっと前に日本に帰っていたとは。。。


知った時は、かなりショックを受け愕然とした


内心、「副会長さん、来る前にもっと早くに言ってよ~」って思った(笑)


しかし、遺骨収集が活発に行われていた昭和40~50年代でも
戦争当時から30年以上も経ち、地形も変わり、生き残った者も記憶は薄れつつ


探しに行っても見つからないことも多々あっただろう


それと比べるときちんと現地で埋葬してもらい


遺骨が日本に帰れた大叔父は、幸せだったと思う



そして、それでも私が成し遂げたことに何かしらの意味はあるのではないか


まだ調べなければいけないことも増えた今


また新たな目標を持って続くのである




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 306

実は、大叔父の眠るこのメイミョウの陸軍墓地も


すでに厚生労働省が発掘した後で、遺骨は全て日本に持ち帰られ


現在は、東京都千代田区 千鳥ヶ淵戦没者墓苑に埋葬されていると後になり知った


千鳥ヶ淵戦没者墓苑とは、国が維持管理する「戦没者の納骨堂」であり
無名戦士のお墓です


遺骨は千鳥ヶ淵の墓苑の中の、各方面ごとに分類された
一般公開されていない納骨室に納められている


もちろん誰が誰の遺骨かは分からず、混ぜ混ぜだ


遺骨採集の際、個人が特定出来る場合は出来るだけ遺族に返還したそうです


例えば遺骨が印鑑を握っていたなどの事例もあったと厚生労働省の方が話しておられた


そう言った特例でない限り、 まとめてここで埋葬されている


また、インパール付近の激戦地のイント国内では


戦後一時期、遺骨採集が行われたが現在は紛争地帯のため外国人は出入りが
出来ないと聞く


インパール付近は、日本の遺骨収集団が入る前にイギリス軍の遺骨収集団が入っており


イギリス軍はドーザーのような物で根こそぎ掘り起こし


日本軍もイギリス軍も区別なく全て持ち帰った


そのため、日本人が行った時には、ほとんど遺骨が出てこなかったと言う



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 305

副会長さんがメイミョウに遺骨収集に来た時


現地の人が「general(ゼネラル・将軍)のお墓がある」と教えてくれたそうです


それは、紛れも無く山内師団長のお墓だった



そして、山内師団長の奥様を同行して、再びメイミョウに来た


お墓を掘って遺骨を持ち帰りましょうと提案したところ


遺骨はいただいているのでいらないと言われたそうです


副会長さんは「まいったよ~、ここまで連れて来ていらないって言うんだもんなぁ」と
笑っておられましたが


奥様としては、まだまだ部下がこのビルマで眠っているのに


師団長だけ日本に連れ帰るわけには行かないと考えられたのでは
ないだろうか


山内師団長は、今もそのままビルマのメイミョウ近郊で人知れず眠っておられ


発掘出来なかった多くの戦友達を見守っておられるのだろう


残念ながら今回の旅では山内師団長のお墓には参らなかった




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 304

国を挙げて、厚生労働省がビルマに遺骨収集に行ったのが


昭和31年からで、昭和45年以降には一般人のビルマへの渡航が許可され


ビルマ関連の戦友会がこぞって遺骨収集に出掛けるようになった


戦後25年以上経ってからのことである



昭和29年、日本はビルマと平和条約締結


その関係でビルマの首相が来日されたことから


昭和31年以降の遺骨収集が実現したと言われている



厚生労働省の遺骨収集は、旧軍の方の案内で


大規模な墓地や遺体集積場所などを中心に発掘された


しかし、山内師団長のお墓は見つからなかった



全ビルマ会の副会長さんも昭和49年から遺骨収集に参加


何ヶ月も泊まり込み遺骨収集にあたったと


厚生労働省の資料にも記されていた


厚生労働省が発掘できなかった箇所は


小規模の戦闘地や、広範囲の戦場


戦友の最後を見送った者が現地に赴いて


探してくれない限り、見つからないのである



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 303

当時の陸軍の規則には
「戦場・掃除及び戦死者埋葬規則」と言うのがあり


その中の「遺髪遺骨取り扱い方」によると


士官以上と下士官では、もちろん扱いが違った


士官以上は、遺骨または遺髪等の一部を本土の家族に
渡すようになっているが
下士官はその義務は規則では決められていなかった
(防衛省・防衛研究所資料閲覧室より回答)


その規則を病院は遵守し、大叔父の遺骨は家族の元へは戻らず


白木の箱には何も入っていなかった



よく映画などで下士官の遺品が帰ってくるのは


戦友が個人的に持ち帰った場合であり


出撃前に遺髪等を準備するのも、規則ではなく部隊長などの配慮
なのだそうです



山内師団長の奥様の元へは、片腕分の遺骨が戻ったと言う


士官以上と下士官の違いは当然のことで


そのことに対しては何も思っていない


しかし、遺族としては何かしら最後の遺品もしくは現地の石など


何でも良いので白木の箱に入っていて欲しかったと思う




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 302

ここメイミョウの病院では


大叔父と同じ時期、昭和19年8月6日


祭(第15師団)の師団長・山内 正文陸軍中将もマラリアにより永眠された



山内師団長は、インパール作戦から退却する際


6月10日に師団長を解任され、直接メイミョウの病院ではなく


1度、弓(第33師団)の師団司令部の曙村と呼ばれていた所を経由して
メイミョウに運ばれている


もう曙村の時点で、山内師団長は起き上がれない状態だったようです


なぜ弓の師団司令部を経由したかについては分からないが


解任前もしくは解任後だとしても


師団長がよその師団司令部に身を寄せると言うのは珍しいことではないだろうか


それほどまでに戦況は悪化し混乱していたと考えられる


その山内師団長の亡骸は、このメイミョウで荼毘にふされた


しかし、戦後の昭和31年から始まったと言われる


ビルマでの厚生労働省よる遺骨収集では、山内将軍のお墓は見つからなかった




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 301

目的を果たした


母が言っていた各人の名前が刻んである慰霊碑ではなかったが


大叔父の慰霊碑とも言える墓地が存在したことに感動した



ミャンマーには数知れない慰霊碑が存在する


その中には、各人の名前の刻まれた大きな慰霊碑もあるらしく


この後の旅程で訪れる予定となっており


また探そうと副会長さんは言って下さった



元看護婦さんのおばあさんが初めてミャンマーに来た時


慰霊碑の前で歌ったら、日本軍の幽霊が出てとても怖かったと言われていた


私は、その類がとても苦手で


もしかしたら、ミャンマーで何かの現象に見舞われるのではないだろうかと恐々だった


出来れば大叔父以外の日本軍の霊は遠慮したい


失礼かもしれないが、もしもに備えて日本から塩を持参 した


しかしその手の類には幸い出くわすことはなかった



続く…



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ご挨拶

読者の皆様へ


いつも読んで下さってありがとうございます

まさかまさかの300話自分でもビックリです

書くのが追いつかず、ブログ内容は昨年の2月のミャンマー旅行の最中ですが

ミャンマーに行けたら終わると思っていたのに
その後も、たくさんの新展開があり、今は何か映画のような?すごい話に
なってきています

大叔父は歩兵60連隊の第一大隊の機関銃中隊に所属していましたが
所属先で勤務していなかったことが分かりました

ミリタリー雑誌「丸」さんでは、先月から連載をさせていただいて
大叔父をご存じの方がいないか全国に呼びかけていますが
しかし、今のところ何の情報もありません

丸の呼びかけ記事では、60連隊の大隊・連隊本部や山本支隊本部
で勤務していたのではないかと呼びかけましたが

ここ数週間、思いも寄らなかった新たな大きな展開に直面し
どうも私は検討違いをしているのではないかと思えてきました

今は調べ物や歴史の研究者などにお会いしてお話を伺ったりとバタバタしております

早く皆様にお知らせ出来るように頑張ります

引き続き、読んでいただければ嬉しく思います

今後ともどうぞヨロシクお願いします



                        2012.10.14      

ミャンマーに思いを寄せて 300


現地の管理人さんにもお礼を言った


今までずっとこの墓地を守って下さってありがとうございました


PHOTO138 - コピー



この墓地を管理したのは、終戦直後からではないと言う


たまたま買った土地に、この墓地が含まれており


管理する条件付きだったそうです


可愛いお子さんとご主人も一緒に来られていたので


お供えした物を託し、お子さんには、お菓子と文房具をプレゼントした


明後日には、ここは軍の土地となる


墓地を後にする時、不思議と名残惜しいとか思わなかった


軍の大学が建てば、もうここへは来られないかも知れない


でも心残りはなかった



来た道を登ってバスへと帰る


晴れた笑顔と共に、満足で足と心が軽くなっていた




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 299

私が母の代わりにミャンマーに来たことは皆さんご存じだった


しかし、何故、母の代わりなのか、その想いは語ってなかった



もうみんな故郷の歌で、顔は大泣きのグチャグチャ状態


グチャグチャのまま、更に声を詰まらせながら


母が突然、自ら命を絶ってしまったこと


娘として支えになってあげられなかった後悔


亡くなってから親孝行をしようと決めたこと


大勢の方の協力でここに来られたこと


そして、ツアーの皆さんが、コースとしては外れている遠方の


ここメイミョウにまで付いてきて下さったこと



目的を果たせて嬉しい、ありがとうございましたと伝えた
 

PHOTO137 - コピー




良かったね、良かったねと皆さんから祝福の声をいただいた




続く…


 
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ミャンマーに思いを寄せて 298

大叔父は、昭和19年7月24日 午後4時10分、この世を去った


訃報を日本の祖父が受けとったのは、それから1週間ほど後だったと言う


祖父は知るはずもないのに


その時刻に「今、達(とおる)が死んだ」とポツリと言い


本堂の片隅で、ビルマの方角を向いてお経を唱えていたと言う



この墓標の下には、数え切れない方々が眠っているはずなのに


不思議と怖いと言う思いはなかった



故郷を歌ったあと、副会長さんが「何か言うことはないか?」と聞かれた


私は、皆さんにお礼が言いたいと言った


すると副会長さんが「違うよ、大叔父さんにだよ」と言う


大叔父には、ずっと心の中で語りかけてきた


今だけでなく、幼い頃からのお墓参りの時とか、神頼みのおまじないとか、いつも


何も言わなくとも、きっと大叔父は私が日本で
大叔父のことを調べるのに奔走していたことも


今、ミャンマーを訪れていることも


わたしの気持ちも全部お見通しだと思う


しいて言うならば「大叔父さん、一緒に日本へ帰ろう」



そして私は皆さんに、これまでの経緯を語りだした



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 298

大叔父の墓標の前で、涙が止まらなかった


大叔父に会ったこともないが


今までの様々な想いが去来する



この大業を成し遂げたこと、この場所にいる自分が


信じられない気分だった



今、私はビルマ・ミャンマーの地に立っている


70年前のここメイミョウと言う町には傷病兵が溢れかえり


この墓地の近くにあったであろう火葬場は
ひっきりなしに稼働していたと思われる


緑豊かな今の風景からは想像が出来ないほどの惨状だっただろう



病院で生死を彷徨っていた大叔父の様子はどんなものだったのか


マラリアとアメーバー赤痢


看護婦さんが手を尽くして下さっていたとしても


ここにたどり着くまでに時間がかかり、きっとかなりやせ細り


もし大叔父を知っている祖父が見たとしても、分からないくらいの


想像を絶する姿になっていたのではないだろうか


幼さの残る大叔父の写真とは別人のようになっていただろう


フォト




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 297

読経が終わった


副会長さんが私の希望だと、「ふるさと」を歌おうと言って下さった


私は、昨夜書いた3番までの歌詞の紙を皆に配った



最初の方しか知らなかったふるさとの歌詞


最後まで知った時、その内容に涙した



なんて深い歌なんだろう



子供の頃の野山の風景を遠い地から懐かしむという内容で
生まれ故郷から離れて学問や勤労に励む人や移民の心情を歌っている
歌とされている


大正3年に発表され尋常小学校・唱歌として国民に親しまれた


大叔父も知っていて口ずさんだであろう歌



故郷(唱歌)




  1 兎追いし 彼の山

    小鮒釣りし 彼の川

    夢は今も 巡りて

    忘れがたき故郷



  2 いかにいます 父母

    つつが無しや 友がき

    雨に風に つけても

    思い出づる 故郷



  3 志を 果たして

    いつの日にか 帰らん
    山は青き 故郷

    水は清き 故郷





大叔父の墓標の前で、大きな声で歌った


でもその声は、涙まじりの声だった


皆も大泣きしながら一緒に歌ってくれている


静かな緑の原っぱに、その声は響いた


きっと、ここに眠っている多くの英霊達に届いたと思う


今も忘れずあなたたちを想っている日本人がいると言うこと


そして、あななたちの築いた歴史があって


今の平和な日本があることに感謝しています



どうか安らかに眠って下さい




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 296

日本にも大叔父のお墓はある


大叔父の訃報を受け取った祖父


祖父と伯父は、西本願寺に白木の箱を受け取りに行った


しかし、白木の箱には骨など何も入って無かったと言う



普通お墓には、下の方に骨壺を入れるスペースがあるが


日本にある大叔父のお墓には、最初からそのスペースは無く


巻石で塞がれていた


101227_092320



大叔父はビルマで待っていた


70年と言う月日を経て、大叔父の姪っ子のその子供の私が


何の縁か分からないが、ビルマまでこうして向かえに来た


大叔父さん、お待たせしました、日本に一緒に帰ろう


いつも守ってくれてありがとう



続く…

 

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ミャンマーに思いを寄せて 295

慰霊祭をするため皆で掃除した


古い卒塔婆などもあった


私は、日本から持参した日本酒とタバコをお供えした


大叔父がお酒を好んでいたのか、タバコをたしなんでいたのかは分からない


それでも日本から持って来た物を喜んでくれるだろうと思った



いつものように、副会長さんの力強い読経を先頭に私達が続く



この慰霊碑は、今まで立ち寄ってきた慰霊とは少し違う


ここは、ビルマ国明妙(メイミョウ)第121陸軍病院の墓地


病院で亡くなった方々を焼き場で火葬し、埋葬した場所


病院があった場所からはかなり離れた所にある墓地


たくさんの方々が眠っている


そして、何より違うのは、この墓標は、戦時中からあり、旧日本軍が作った墓標


ミャンマー国内で唯一現存する戦時中からの陸軍墓地であり墓標だそうです


その他の物は、戦後、戦友や国が建てた慰霊碑である


コンクリート製のしっかりとした墓石


大きく「陸軍墓地」と刻まれている


この下にはどれほどの方が眠っているのか


戦地で火葬されて、こうして埋葬されているのは幸せな方なんだろうと思う


大叔父もその1人




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 294

やっとやっとたどり着いた大叔父の最期の地

ここまで来るためにどれほどかかったことか


突然の母の死 

自分も親となり、親のありがたみを痛いほど感じた

今更ながら親孝行がしたい

もう母はいないが、自分自身が前に進むためにも


幼い頃から時折ポツリポツリと繰り返し聞いていた大叔父のこと

ビルマで戦病死した大叔父

出征の日に、大叔父の膝の上でおはぎを食べた母

それが最後になるとは知らなかった

優しい思い出だけを残して大叔父は若くしてビルマの地で散っていった


私と母の場合では年齢も立場も違うが

大切な人を失った悲しさ・寂しさ

最後だと分かっていたら、もっと何か伝えられたかもしれないと言う想い

幼き母が無邪気に自分の膝の上でおはぎをほおばるのを見ていた大叔父

母には何も告げずにビルマへと旅だった大叔父

それを見ていたであろう祖父と祖母

その大叔父の出征の日に
お寺の本堂の前で親族揃って撮られた集合写真

その写真には確かに母も写っていた

大叔父はどんな想いだったのか

祖父母はどんな想いだったのか


母は生前ずっとビルマに行って大叔父の慰霊碑にお参りしたいと言っていた

慰霊碑には各人の名前が刻んであり、大叔父の名前を探したいとも

母の果たせなかったことを私がかなえてあげたい

そして私はビルマに大叔父を捜しに行こうと決めた


しかしそれは、簡単なことではなかった

何度挫折しかけて泣いたことか

名前と階級とビルマで戦病死したことしか分かっておらず

祖父母ももうこの世にいない、詳しく知っている人は誰もいなかった

約70年も前のこと、そして何より個人情報保護法の壁は厚かった


それでも、歴史を調べ、僅かな手がかりと直感を頼りに少しずつ紐解いた

奇跡とも言える人から人への優しさのリレーで、ここまで来られた


今、私は大叔父の最期の地に立っている


大叔父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、お母さんありがとう

協力してくれた皆さん、応援してくれた皆さんほんとうにありがとう


そして、お母さん、よく頑張ったねって褒めてくれる?

親孝行になったかな?お母さん。。。



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 293

管理人さんは明後日に引っ越しをすることになり
荷物を運んでいたところだと言う


それは急に決まったことで、国が土地を買い取ったが
二束三文の価格で、強引に立ち退きを命令されたようなものだと泣いていた


土地を奪われ、お金も無く


これからどうして行ったらいいのか分からないと泣いておられた


その土地には軍の大学が建つそうです


慰霊碑を含むその土地に軍の施設が建てば


私達はもう、入ることは出来ない


立ち退きまであと2日



私達が来るのがほんの少し遅れたら、大叔父の慰霊碑には
参ることが出来なかったのだ


偶然とは言え、ギリギリ間にあった



道が細いためバスはこの先を行けない、下車してここから歩く


慰霊碑までは、かなりあるらしい


緑豊かな広陵地、やや下り坂の細い道を延々と歩いた



PHOTO129



日差しも強く、足下の悪い道を、副会長さんは杖を突きながら
ゆっくりと下りて来て下さった


しばらくすると、緑の中に、トタン屋根の小屋のような物があった

門を開けてもらい、中に入る

大叔父の祀られているであろう慰霊碑があった


PHOTO130



想像していたのとはかなり違ったが、今までの慰霊碑より立派な
コンクリート製だった


大叔父は、この下で眠っている


大叔父さん、やっとたどり着きました





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 292

病院跡地を見送り、次は慰霊碑に行く


大叔父が祀られているであろう慰霊碑


母が言っていたように、名前は刻まれているのか?


今まで立ち寄った慰霊碑は全て小さな物だった


どんな慰霊碑なのだろう?



バスは、メイミョウの静かな別荘地を通り抜けていく


病院の跡地内にあると思っていた慰霊碑は


敷地内には無く、町外れにあると言う



かなりバスは走った


街中の賑わいも無ければ


先ほどのイギリス様式の建物もない小さな村のような所に着いた



ガイドさんが誰かを捜している


バスを度々停車して、道行く人に聞いている


慰霊碑を管理して下さっている方を探しているのだ


慰霊碑には門があり、鍵がかかっているとのこと


なかなかその人は見つからず、時間だけが過ぎていく



町人が私達が探していると言うことを伝えに行ってくれたようで


隣町に行っていたその管理人さんが戻って来られた



管理人さんは、副会長さんやコンダクターさんを見つけて
半泣きになり駆け寄って来た


1年に1度、必ず日本から来る人達に会ったのが嬉しいのだろうか
と思ったが、それは違った




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 291

当初、ここメイミョウは、ツアーコースに含まれておらず
私だけ別行動で来ることになっていた


それを知った副会長さんが心配してコースに組み込んで下さった


旅程的には、無理矢理組み込まれたのと
ここだけ離れた場所のため、とてもキツイ移動となった


副会長さんは、ご高齢のためかなりお疲れのご様子


バスからは降りて来られず、車中で待っておられた


少しご機嫌斜めのような気配だった



中には入れてもらえず、門の前で佇むしかなかった私


大叔父の入っていたであろう感染重傷病棟も分からない



しかたなくバスに戻った


ここまで来たのに、何か心残りのような悲しい気持ちになった



副会長さんの合図でバスは発車した


ガイドさんが「大丈夫?ほんとうにいいの?」と気遣って下さっていたが

 
遠慮して「また来ます、いつかゆっくりと来ますから」と答えた


でも今度なんていつのことか分からない


またミャンマーに来られるかどうかも分からないのに。。。



窓に食い入るように、病院跡地を見送った


その時、車窓に、おばあさんのいた看護士さんの宿舎と


大叔父が入っていたであろう感染重傷病棟の建物が見えた


写真で見たあの建物だ!!


あった、やっぱりここだったのだ!!


小学校の門からはかなり離れていた、敷地はとても広かったのだ


「ありました!!今、見えました!!」と言うのと同時に涙が溢れた


バスを引き返そうかと聞かれたが、もう満足だった


諦めかけていたのに、最後にその姿を見せてくれた


写真に納める余裕はなかったが


私の心の中にしっかりと焼き付けられた光景



大叔父さん、ありがとう、やっぱりここにいたのよね




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 290

その小学校を目指した


制服を着た小さなミャンマーの子供が歩いている地区


今まで見て来た寺院での小学生は制服は着ていなかった


制服だけを見ても、やや裕福な子供達との印象を受けた



ここですとバスが停車した


カラフルに塗装されたコンクリートの壁の合間に門があった


うっそうとした緑の奥に、古びた建物が見え隠れする



PHOTO124



元看護士のおばあさんが来られた時は


まだ軍の施設だったが、今は小学校になっていた病院跡地



PHOTO119


PHOTO121 - コピー


PHOTO123


PHOTO122


PHOTO118


PHOTO127


PHOTO128



古びた建物は、イギリス統治時代の建物だと一目見て分かる



きっとここだよね。。。



おばあさんにいただいた写真の建物は見あたらない



よく見えないが、門に近寄り、段差に登って写真を撮った


中の人達は、何事かと見ている


戦争当時、ここが病院だったとは知らないのだろう


もしかしたら、どうしました?と声をかけられ
おばあさんのように恩恵を受けて、中に入れてもらえるかもしれないと
期待をして、門から中の様子をうかがっていた


大叔父がここにいた証を何か残していないか


奇跡のようなことも考えていた



しかし、残念ながらそれはなかった




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 289

私が目指している病院跡地と思われる建物は、第五小学校ではないかとの
情報がもたらされた


このメイミョウには、第一から第五まで小学校があるのだ


病院跡地と思われる候補はいくつかあるとのこと


私は1つだとばかり思っていたので困った



副会長さんの話によると、末期には運び込まれた負傷者や病人が
病院の建物に収容しきれなくなり、民家を借り上げたりして
街中が病院と化していたと聞かされた


街外れには美しい湖もあり、まだ戦闘が激しくない頃は
遊泳をしていたと昔を思い出す副会長さん


しかし最後には、その湖の向こう岸まで
傷病兵で溢れかえっていたいたそうです



他にも、メイミョウを訪れたことのある旧軍の方のお話を伺ったとき


少し考えた後、「あなたには話せない」と口を閉ざされた


平和な時代に生まれ育った遺族の私に
戦時中の傷病兵で溢れかえった悲惨な地獄絵図のような様子は
語れないと判断された様子だった



私は、おばあさんにいただいた写真の感染重傷病棟の跡地だと言われる
その建物にどうしても行きたかった


大叔父がそこに入っていた確証はないが
末期ではなく早い段階で入院したと思われるためそこだと思った



大叔父さん、私、すぐ近くまで来ていますよ


母の代わりに日本から迎えに来ました、私が分かりますか?


大叔父さんの足跡を必死に探してやっとやっとここまで来ることが出来ました


70年も待たせてしまったけど、一緒に日本に帰ろう




続く…


 
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ミャンマーに思いを寄せて 288

大叔父が入院していた「ビルマ国・明妙(メイミュウ)第121兵站病院」


その跡地は、未だにあるのか?


この病院の元看護士のおばあさんが数年前にミャンマーを訪れた際には
レンガ造りのその建物は、軍の施設として残っていた


たまたま、現場にいた軍関係者の恩恵を受け
敷地内に入れてもらい、外観の写真撮影を許可されたそうです



おばあさんにいただいた写真



PICT0008


PICT0007



↑大叔父が入っていたと思われる感染重傷病棟



私達を乗せたバスは、ゆっくりとメイミョウの街を走る


小さな山間の街かと思っていたが、メイミョウの街は意外と広いようだった


先ほどの建物が建ち並ぶメインストリートの他は


ミャンマーの緑に埋もれるように、古いイギリス風の建物が点在する


避暑地の閑静な別荘地帯の面影が残っていた




続く…

 

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ミャンマーに思いを寄せて 287

メイミョウを目指して、バスは坂道を登る


かなり登ったところで、メイミョウの街の入り口が見えた


ロータリーがあり看板があった


PHOTO116



ロータリーと言う所が、いかにもイギリス統治の雰囲気を残している


どんな街なんだろう、胸が高鳴る



副会長さんが初めてメイミョウに来た時は


避暑地としてイギリス式のレンガの高級な別荘が建ち並び


馬車が走っていて、おとぎの国に来たように思ったそうです



戦時中には15軍の軍司令部があった所


芸者さん達のいる花街や日本の料亭もあって


病院なども充実し、とても華やかな街だったそうです



副会長さんは、司令部に挨拶に行き、運転手付きのサイドカーに乗って遠征した


そのサイドカーには、士官用の階級に応じた色旗を掲げるのだそうです



確かに、中心地には昔のイギリスの建物があった


PHOTO140


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PHOTO143



だけど、それ以外は、なぜか中国風の真新しい建物が多くあり不思議に思った



PHOTO117



近年、中国が出資し、中国からメイミョウまで高速道路が出来た


しかし、中国人はあちらから出入り自由だけど
ミャンマー人は自由に出入り出来ない道らしい


中国人が土地を買い占め、次々に別荘を建てているとか。。。


メイミョウの街は、今、新たに急成長で変貌を遂げている最中なんだそうです


昔々はイギリスに開拓され、次に日本が使い、そして今度は中国浸食され


歴史に翻弄されている街とも言える


どうか昔のメイミョウの面影をとどめてほしいと願った





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 286

メイミョウは高地にあり、涼しく避暑地としてイギリス統治時代に開拓された


メイミョウの大叔父の病院も、イギリス統治時代のレンガ造りの立派な建物だ



バスは坂を登って行く



PHOTO108



PHOTO110



PHOTO111




段々と景色が変わっていく


途中のお店でトイレ休憩を取った


私達のための休憩ではなく、バスのための休憩だった


坂道を登るには、オンボロ観光バスには厳しいらしい


前回来た時には、途中で緑の液体を吐いてバスは動かなくなったそうです


その他の車も同じで、手入れはワイルド、水道水で直接エンジンを冷やしていた



PHOTO114



長い休憩の間、私達はお買い物した


ガイドさんから現地のお菓子などは食べたらダメと言われていたが


味見させてもらったら美味しくて、みんなで買って食べてみた


1番美味しかったのは、フルーツなどの甘露煮のような・ドライフルーツのような物


私の買ったピーナツの揚げ菓子は、油が酷くて気持ち悪かった



売店のイスで休憩していたら、ネコが寄ってきた


ミャンマーで初めて見たネコは、人に慣れていて可愛かった



そうこうするうちに、バスは復活し、また坂道を登りだした




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 285

副会長さんは菊師団の防疫給水部の所属だった


進軍先の地域に先行し、水質調査をしたり、水源の確保をしたりする任務


マレーから回されてビルマに投入され、その後インパール作戦に従事


副会長さんの部隊がビルマ入りした頃は、まだビルマは平和で


戦況も完全に日本軍が勝っていた



ビルマ入りと同時に、その分、徴兵期間を終え、本土に帰る兵隊さんが
まだいた頃だったそうです


補充の部隊が来て、やっと兵役が終わるとその方達に大歓迎を受け


部隊全員に、戦時下のビルマでカツ丼を振る舞ってもらったそうです


本土では考えられないごちそう、それほどビルマは食材にも恵まれ
平和で良い国だった


バスは徐々にメイミョウに近づく



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 284

メイクテーラからメイミョウはかなり遠かった


バスでの移動も、足のむくみやおしりや腰の痛さが辛かった


ご高齢の副会長さんは大丈夫かしら



メイミョウへの道は、今は2本あった


所々舗装された新しい道と、旧道


大叔父の時代は旧道しか無く、きっとその道を通ってメイミョウまで行ったと思われる


しかし旧道は舗装もされておらず、まっすぐでもなく
細いため、バスは新しい道を通ってメイミョウに向かった


私としては、大叔父が目にしたかもしれない旧道をほんとうは通りたかった


しかし新しい道と旧道は離れているとのことで、移動時間を考慮して
新しい道を行くしかなかった


新しい道と言っても、歩道なんてなくて、すぐそばを人が歩いていて
どちら側通行なのか分からないほど、車も人も入り乱れていた


その中をクラクションをガンガン鳴らしながら


バスは恐ろしいほどのスピードで走り抜けた


その他の車は、鼻先の長い昔々のトラックか日本車の中古が多かった



途中、田園風景が広がった


バスの運転手さんのご実家の近くだと言う


のどかで優しい風景



そして、道の両側には、花を付けたマンゴーの木が生い茂っていた


もう少ししたらたくさんのマンゴーが実るそうです



マンゴーは3種類あり


そのうちの2種類は日本人でも食べられるが、1種類は無理なんだそうです


副会長さんでも、それを見分けることは出来なかったらしい


マンゴーの木は、1本1本持ち主が決まっていて


マンゴーが食べたくなったら、持ち主を訪ねて行っていただいたそうです


持ち主がおばあさんだと、特に優しくくれたと副会長さんは言っていた



大叔父は、マンゴーの季節まで生きていたのだろうか


マンゴーを口にしてから逝ったのだろうか






続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 283

ミャンマー4日目の朝は、とても早くに起きた


とおとお今日は大叔父の最期の地に行く


しかし興奮して早くに目が覚めた訳ではない


朝っぱらから大音響で何か鳴り響いている


大きすぎて何か分からないけど、人の声???


よく聞くと、お経のようだ


どこかで集会でもしているのか、とにかく寝ていられないほどのマイク放送


ゲストハウス内ではなく、街中に響いていた


起きてレストランに行き、聞いてみると


毎朝、同じ時間にこの放送が流れるらしい


この地区の朝の恒例行事


仏教を信仰している国なんだなぁと思い知る



レストランで他のツアーの人と話していると


みんなベッドでダニに刺されたようで、赤くかゆそうだった


私は、ベッドに入らず眠ったので、被害には遭わなかった



今日は、メイミョウに行く


昨日の副会長さんとの会話で、分からないことが増えたけど


それでも、目的としてきたメイミョウに行くのだ



どんな街なのか


大叔父の入院していた病院は、果たしてまだあるのか



期待と不安を胸にゲストハウスを後にした




…続く



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