ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2012年12月

ミャンマーに思いを寄せて 338

このビルマの日本人墓地の始まりははっきりとしてしない

明治時代から自然と日本人の墓が集まってきたらしい

正式に日本人墓地として開かれたのは昭和15年と言う

戦争関係の慰霊碑が多いが

日本とミャンマーの歴史的な関係は、第二次世界大戦よりも

もっと昔からあったのだ


「カラユキさん」と言う言葉すら聞いたことがなかった私


学校でも習っていない

私より少し上の世代は知っているそうです

歴史上、時代の流れの中で、恥ずべきことだったとレッテルを貼られて

封印されてしまった過去

100年くらい前の日本では、こう言ったことがあったこと

日本の近代史として、同じ女性としても知るべきだと思う


「ジャパユキさん」と言う言葉は、カラユキさんから来ているそうです


今回のことが無ければ、一生知らずに過ごしたかも知れない

知ることが出来て良かった


ミャンマー以外にもカラユキさんのお墓はあるそうなので

もしも訪れる機会があったら、お参りしてあげたいと思う



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 337

その後、外国でのこのような商売に対する抵抗が日本国内で広がります



そして1920年にアジアを植民地としていた英国政府が


当時流行していた伝染病が広まることを恐れ


廃止命令を出したことがきっかけで


多くの日本人が祖国へと帰国させられたそうです



中には現地の人と結婚する人や


密かに売春婦として働き続ける人もいました


自分の意志で残ったとしても


今更、売られた身として帰る場所が無かったり


帰ったとしても偏見の目で見られると考えたり


彼女達の中には、様々な思いがあったかもしれない



そう言う時代を生き抜いて、異国の果てまで来て


この地で亡くなっていった人々のお墓



今は便利に外国へも気軽に行けるような時代になったが


そうでなかった昔々、私よりももっともっと若くして外国に来た女の子達



百年近い歴史がそうさせたのか


南国の容赦ない炎天が石を焼き付け、黒く変色していたお墓



知っていたらもっとじっくりとお参りしてくるんだった。。。



…続く



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ミャンマーに思いを寄せて 336

バスに乗り込んでから、副会長さんが


「あの小さなお墓はカラユキさんのお墓です」とマイクで説明されていた


カラユキさん???私は全くその言葉を知らなかった


そこで、後で調べてみた



【カラユキさん】


カラユキの語源は“唐行き”で、江戸時代の終わりから明治にかけて


日本から多くの若い女性が東南アジアに渡り売春婦となった



日本での貧しい生活から抜けだしたい、社会経験を積もうとか


親の苦労を助けたい、南方で成功したいという想いを胸に渡った人々


もしくは、貧しい小作農や漁師の親たちに売りに出されてしまった人達



理由は様々でも、彼女達は必死に祖国への送金のために働いたと言う



その人達は主に西日本の女性で、九州の天草・島原から


炭鉱や石炭の輸出船に紛れて東南アジア諸国に渡ったと言われています



カラユキさんは、よい暮らしを求めて海を越えてやってきたが


売春婦と言う現実と、現地の人からの差別など


その生活は楽なものではなかったようです




続く…
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ミャンマーに思いを寄せて 335

日差しを浴びて光り輝く真新しい慰霊碑たち


しかし、ふと目をやると、その慰霊碑の他に


庭園の生け垣のそばに、そっと古い古いお墓らしき物が


たくさんずーっと続いて並んでいた


何か刻んであったのか、何も刻んでなかったのか


黒くなり全く分からない


石を積み上げたような粗末な小さなお墓


戦争の慰霊碑よりも、もっと古いように感じた


これは何だろう???と思いつつも


のんびりと庭園を散歩して私達一行はバスへと戻った




…続く



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ミャンマーに思いを寄せて 334

帰り際、大きな庭園の中をグルッと回った


この庭園は、約3エーカー(約3,600坪)の広さがある


日本政府建立の慰霊碑の周りには、各兵団の慰霊碑や


個人で建てられた慰霊碑も多く存在した


ただ、副会長さんによると、個人の慰霊碑は考え物だと言う


悪いことではないが、いずれ末代になると管理出来なくなるし


現に、建てるだけ建てて、お参りに来ない慰霊碑も散見されるそうです


大きな国の慰霊碑があるのだから、ここでは1つで良いのではないかと
言うのが副会長さんの考え


入口には、杉良太郎さんの建てた碑があった


ビルマ戦線で亡くなられた方々の追悼の碑のようだ


ビルマと何か関係があるのかな?と思った


杉さんは、国内に限らず、色々な国にボランティアなとで貢献なさっていて
震災でも活躍なさっていたそうです


。。。全然知らなかったなぁ




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 333

慰霊祭を終え、皆で植樹した


PHOTO197



植樹は毎年行われており、以前の木には札がかかっていた


PHOTO203



最後の大きな行事が無事に終わったねと


同行の親子と話していたら


「式典の最中に風も無いのに、急にテントに溜まった水が大量に
落下してきたよね?あれって、英霊が喜んでくれてたってことかな?」と
言われた


…だけど、私、何のことか分からなかった???


水が落ちてきたなんて全く知らないよ~(゚ロ゚;)エェッ!?記憶にないっっ
 

思いっきりボケッとしてたんだろうか???




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 332

白亜の大理石で作られた大きな大きな慰霊碑
 

ビルマ平和記念碑と言う名前だ


PHOTO178



慰霊碑の前の説明書き


PHOTO177



いつもの通り、慰霊碑の周りを皆で掃除し


国旗や全ビルマ会の垂れ幕を飾った


今回参加出来なかった方や、遺族などから花輪が届いていた


すると、副会長さんから「大叔父さんの名前を書きなさい」と
お声掛けいただいた


私はペンで部隊名と大叔父の名前を書いた
 

PHOTO185



メイミョウの日本人墓地でのいつもの慰霊祭とは少し違い


ほんとうのお葬式のような雰囲気に感無量になった
 

PHOTO186




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 331

お天気も良く、私達が訪れた時には、花が咲いており


庭園を手入れをしているミャンマー人の親子が入り口におられた


この方達は、墓守をして下さっている方で、ここにお住まいだそうです


さすがだ、今までの慰霊碑とは比べものにならないほど立派で


庭園も美しかった



PHOTO196


↑ピカピカの石の写真には私達が写り込んでいて
お化けかと思いビックリしたww


すでに何人かの現地の日本人が集まっておられた


会場には立派なテントが設営されており


パイプ椅子が並べられていた


現地の日本人の方は日本人会と言う組織を作っておられる


この日本人会の人と言うのは、遺族ではないと言う


お商売でミャンマーに居る人達だそうです


日本人会の方に、年間費を払って慰霊碑の管理をお願いしているそうです 


広大な敷地の奥に、白亜の大きな石造りの慰霊碑があった


PHOTO178





続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 330

ミャンマー滞在最後の日


日本の国が建てた慰霊碑碑があり


そこで合同慰霊祭が予定されていた


日本政府が建てた慰霊碑はコレ1つである


最初はヤンゴン市内にあったが、近年ヤンゴン郊外に移動された



当初、日本政府が建てた慰霊碑をそのまま移築する予定だったが


移動が困難なため、ミャンマー政府に同じ物を作らせたのである


しかし、副会長さんに言わせると


一寸違わず建てたくれと言ったのに少し前の慰霊碑と違うらしい


どうも一回り大きいそうです



重厚な門には、日本語で「日本人墓地」と書かれていた



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 329

夕刻にマンダレー空港から


ヤンゴン空港に飛行機で移動



PHOTO175 - コピー


印象的だったのは、空港で飛行機に乗り込むお坊様と一緒になったこと


もちろん話しかけることはなかったけど


お坊様は当然のことながら袈裟のまま飛行場にいた


街中で見ることは多かったが、飛行機のようなハイテク?な乗り物に


お坊様も乗るんだと、なんとも失礼な感想(笑)


夕方になるとだだっ広い飛行場は意外に寒い


袈裟は布製だし、長袖のような・そうでもないような、、、寒くないのかしら?


と思っていたら、年配のお坊様の袈裟の脇から


毛糸のベストが見えた!!


そうよね、修行していても寒いものは寒いわよね


なんだかホッとしてお坊様に人間らしさを感じました

(またまた失礼な感想・汗)



そして、ヤンゴンに着き、次の日の合同慰霊祭に備えたのでした



続く…


ミャンマーに思いを寄せて 328

自身のメイミョウでの慰霊祭は終わったものの

その他の慰霊祭と観光は続いた


サガインヒルと言う所にも行った

そこでも慰霊祭をした

小高い丘の上には慰霊碑があった


PHOTO171



コンクリートで整備され小さな門が付いている慰霊碑が複数あった

その中の1つの菊師団の慰霊碑の前で慰霊祭をした

後で考えると、菊師団は副会長さんの師団だった

そして後で写真で見ると、隣には大叔父の祭師団の
違う大隊の方も祀られていた

PHOTO172



来る途中、日本人の一行にすれ違った、香川県からこられた人達だった

ふと真新しい花が供えてあるのに気付く

さっきの人達がお供えして行かれたのだろう


近くには通称「おっぱいパゴダ」と呼ばれるパゴダが見えた

それを建てた17世紀の王様が若くして美しいお后様を亡くし

最愛のお后様の乳房をモデルに建立したという言い伝えから

「おっぱいパゴダ」の通称があるそうです


戦時中に副会長さんは行きも帰りもこのおっぱいパゴダを見た

それを地点の目標物にして行軍されたそうです



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 327

こんな大きな立派な寺院、ここで修行すれば仏教界で出世するの?


日本の大学で言えば東大とかそう言う意味合い


軍人さんも多いけど、お坊さんとどちらが人気の職業なの?と


私はガイドさんに聞いてみた



すると、寺院の大きい・小さいは関係ないそうで


軍人さんは職業で、お坊さんは職業ではなく


修行に来て徳を積んでいるだけだと言う


そっか~、お坊さんは職業ではないと言う考え方


なるほどなぁ、職業ではないと言えばそうなのかもしれない


自分のために・人のために徳を積む修行


日本ではよく「坊主丸儲け」などの言葉を聞くけど(ごめんなさい)


そうよね、本来は違うのよね


自分の低次元の質問に恥ずかしくなってしまった


そんな質問に不思議そうなガイドさん


お坊さんからではなく、サラリとガイドさんの口から説明を受けたことにも


ここはほんとに仏教の国なんだなぁと思った



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 326

ここにいる小坊主さん達は、親元を離れて寂しくないのかしら?


貧しい家の子が、口減らしで寺院に預けられたのかとふと不安になり


ガイドさんに聞くと、寺院により、そう言った子供を預かる所もあるが


ここの寺院は、違うという


自らの意志で、修行に来ている


寺院にもよるが、ここは比較的裕福な家の子が多いそうです



ミャンマーでの出家は特別なことではなく日常的なことだそうです


夏休みや長期休暇を利用して出家する人も多く


期間も1週間前後~と言うから驚く


ほとんどのミャンマー人は、8才~20才までに1回出家し


20才以上になってからもう1度出家し


人生で最低2回は出家し修行するらしい


出家の間は寺院で生活する


期間は自分で決められて、いつまでもいることが出来るとか


子供を出家させることは親の義務であり


出家することにより、悪い運を取り除き、人生に幸せをもたらすと

考えられているそうです



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 325

心はスッカリ旅行気分


観光地で有名な寺院を見学した


大勢のお坊さんが修行する大きな大きな寺院


小学校低学年くらいの小坊主さんから大人の人まで様々


ちょうど食事時間のようだった


PHOTO164



1列に並んだお坊さんの列は、序列があるようで


最後の方に小さな小坊主さんが並んでいる


PHOTO166



あどけない可愛い子供だが、お坊様なのだ



托鉢でいただいてきたお料理を皆で分け合う


その他に用意された、ご飯やフルーツもあるようで


意外としっかりとした量のように思えた


グループごとに食事が始まる



PHOTO170




ドアも窓もない座敷での食事を


観光客が取り巻き、バシバシ写真を撮る


皆さん慣れておられる様子で、黙々と食事をされていた



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 324

2011.2.16

次の日も観光をする


写真はマンダレー付近のミャンマーの大きな交差点の様子


PHOTO160


自転車・バイク・車が入り乱れている




途中で大きな湖にも立ち寄った


観光客がいっぱいで活気に満ちて人気の場所だった


印象に残ったのは、「フクロウ」


フクロウは不苦労と日本でも幸せを呼ぶ鳥と言われているけど


ミャンマーでも縁起の良い鳥とされていて


フクロウの赤ちゃんがカゴに入れられいっぱい売っていた


とっても可愛いつぶらな瞳の小さな手乗りサイズのフクロウ


買って帰って飼うのかと思ったら


フクロウを空に放つのだそうです


白鳩を飛ばすのと同じような感じのようでした


野生に還ったフクロウの赤ちゃんは育つのかしら?と心配していたら


羽を切ってあるので遠くまで飛ばないとのこと。。。


飛ばしてすぐに回収に行くんだとか(笑)


フクロウちゃんはまた帰ってくるのね


良いのか・悪いのか微妙なところです



湖の上には橋がかかっていて向こう岸まで行くことが出来る


手すりも何も無い木の橋、幅は対抗者と離合出来るとは言え


足下が悪いので怖かった


景色を眺める余裕もなく、1人引き返しバスの前で休憩したのでした



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 323

その夜はマンダレーまで戻り宿泊した


ふとホテルで使えもしない携帯を開いた


毎日携帯漬けの生活から全く携帯を使わない生活を過ごし


明るい見慣れた携帯の画面が懐かしく思えた



…次の日、携帯がないことに気付く


このマンダレーのホテルに忘れてきてしまったようだ


青ざめたが後の祭


もう携帯は戻って来ないだろう


この国では使えないので一通りいじったら捨てられるのかな


大叔父を迎えに来て携帯を置き去りにしてしまった


なんとも言えない気分になった


現地のガイドさんもホテルや現地本社に連絡して下さったが


電話が通じないから明日にでもまた連絡してみますと


かなり呑気だった(>_<)


これがミャンマー人の特性なのだろうか?



不注意でご迷惑をおかしましたが


実はこの後、ちょうど中部国際空港から旅立った別ツアーの一行が


数日後にこのホテルに泊まり


ホテルから預かり日本に持って帰って下さいました


そして携帯はミャンマーから奇跡的に


無事に私の元に戻ってきたのでした




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 322

マンダレーヒルと言う小高い丘に行った

3輪の軽トラのような乗り物に乗って猛スピードで登る


上には大きな寺院があった


PHOTO151



PHOTO149



きらびやかなお城のような、遊園地のようにカラフルな建物

もちろん昔々からある建物である


夕日が沈もうとしている白暮時

心地よい風にあたり階下を眺めた


PHOTO152



これだけ見渡せれば敵の動きも手に取るように分かっただろう

ここには、どこかの師団司令部があったと聞いた


PHOTO153



手前の茶色の半円形の建物は刑務所だそうです↑↑


PHOTO156



遠くの方に水面がキラキラと輝く1本の大きな川が見えた


副会長さんに「あの川が苦労して渡った川ですか?」と質問した

すると「違うよ、もっと遠くで見えないよ」と言われた

そうだよね、もっと遠いよね


今回の旅ではここが1番インパールに近いけど

ここからでもざっと500Km以上はあるだろう

いつかインドのインパールにも行ってみたいな

大叔父が、日本軍が最後まで行けなかったインパール

今は紛争地帯で立ち入ることが出来ないと言う



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 321

メイミョウの後も慰霊祭と観光をした


でも何日にどこに行ったのか覚えていない(>_<)


あとはミャンマー最後の日の合同慰霊祭のことで頭がいっぱいだった



メイミョウの大叔父の陸軍墓地にお参りをし


残すは母が言っていた各々の名前が刻まれた慰霊碑を探すこと


個人の名前が彫られた大きな慰霊碑があるとのことで


そこを楽しみにした


そこは、とても大きな敷地だった


中心にはやや低い円柱の慰霊碑があり


その壁面を故人の名前がグルリと部隊ごとに並んでいた


そしてその慰霊碑の周りにもその他の部隊の分がたくさんあった


この慰霊碑は祭師団ではなく烈師団を中心とした慰霊碑で


ここでの戦闘で亡くなられた方を祀っており


祭師団も少し含まれているとのこと



私は大叔父の名前を必死に探した


副会長さんもみんなも一緒になって探して下さった


もしかしたらあるかもと必死に探した


しかし残念ながら大叔父の名前はなかった


ここでの戦闘で亡くなられた方を祀った慰霊碑なので当然かもしれない


とても残念だった



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 320

目的のメイミョウを後にし


感無量でその後の記憶がほとんど無い


メイミョウからの帰路はバスの中でぐっすりと眠った


昨日、慰霊祭が終わった同行者の親子のお母さんが


スッキリとした~!と言われていたのが分かる


まさに晴れ晴れとし、肩の荷が降りた気分だった



市内観光もしたが、そこが何と言う場所かも覚えていないし


何日目に行ったのかさえ定かでない


私のメモ日記はメイミョウの後は何も書かれていなかった


続きは、少しずつ思い出して書いて見る 



その時は、ほんとうに母の夢を果たしたと言う思いで


満足していたのである


今後待ち受ける新たな展開があるとは知らずに。。。



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 319

ビルマの独立に奔走し日本に留学したビルマ人の1人の僧侶

その志は30人のビルマ青年が受け継いだ

その青年達の中には、後に「ビルマ建国の父」と
呼ばれるアウンサン氏もいた

現在ミャンマーで民主化運動指導者と呼ばれる
アウンサンスーチーさんはその長女

陸軍の協力の下、日本で教育を受けた30名の青年は後に
「ビルマ30人志士」と呼ばれビルマ独立運動の中核となり

昭和16年に「ビルマ独立義勇軍」を結成した

日本軍は鈴木敬司大佐を長としたビルマ独立のための「南機関」を創設

設立当初の義勇軍の司令官には青年達が尊敬する
鈴木敬司大佐が就任した


ビルマの伝説で、イギリスに滅ぼされたアラウンパヤー王朝最後の王子が
いつか必ず白馬にまたがり太陽を背にして東からビルマ人の苦難を救いにくると言う話があるそうです

日本軍がいきなり乗り込んではビルマ人は驚くだろうと言うことで

鈴木敬司大佐は名前もビルマ風を考えた

それが「ボーモージョー」、ボーモージョーとはビルマ語で雷を表す

雷将軍と言う触れ込みでアウンサン氏の提案により
鈴木敬司大佐は純白のビルマの民族服のロンジー姿で
白馬にまたがりビルマ人の前に登場した

まさかビルマにそんな伝説があるとは知らず、、、
『ビルマの救世主ボーモージョー』になってしまった
 
そしてイギリスの支配からビルマを解放してくれると
ビルマ人は歓喜してビルマ義勇軍を迎え入れた

1943年8月1日、ビルマはついに念願の独立を宣言し

戦後、植民地化に戻そうとしたイギリス軍に対し
アウンサン氏は日本軍が育てた10万人の義勇軍を率いて交渉

結果、1948年1月4日、イギリスが独立を承認し
ビルマはようやく独立を達成したのでした

しかし独立に貢献したアウンサン氏は
この5ヶ月前に政敵の銃弾に倒れこの日を見ることはなかった


ミャンマーは今でも日本のおかげで独立が出来たと
大変な親日国家なのです


 
 
続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 318

ここで少し私なりに勉強した

ビルマの歴史に触れておきますね



ビルマは日本が進軍するまでイギリスの植民地だった
 

ビルマは19世紀に3度にわたってイギリスの攻撃を受けた


ついに1886年にイギリスの植民地とされ


既にイギリス領であったインドの一州とされてしまった



その際、ビルマ国王夫妻はイギリス領であったスリランカに流刑され


その地で亡くなられ、王制は途絶えてしまった


また、王子は処刑され、王女はイギリス軍の士官の部下に与えられた



イギリスの圧力に虐げられた歴史の中


日本は日露戦争に勝った


アジアの小国が予想を裏切って世界最強の大国ロシアに勝ったことは


とても驚くことだった


白人に有色人種が勝ったとアジア諸国は歓喜し


こぞって日本に学んだ



ビルマ国内で反イギリス運動が国民的盛り上がりを見せ始めた頃


日本は、英米によるインドからビルマを経由して中国への軍事物資を


流す蒋介石ルートを危惧し遮断を計画していた


そこでビルマを支援して、ビルマからイギリス軍を追放したならば


ビルマは独立することが出来、日本軍も問題の解決が出来ると言う


一石二鳥を考えた



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 317

イギリス軍に捕まった看護婦さんの中には女性を差し出すように


イギリス軍から命令され若い看護婦さん達を守るため


我が身を投げ出した婦長さんがいたとも聞いた



旅の途中、副会長さんのガイドにも「ここでメイミョウの女性が


イギリス軍の攻撃によりたくさん亡くなりました」と入った場所もあった


従軍の看護婦さんの他に一般の女性もビルマにはたくさんいたらしい


武器も持たず戦闘に慣れていない女性はかなりご苦労されたことだろう 


異国の地にお仕事などの関係で出向いて戦闘に巻き込まれ


人知れず亡くなって行かれた方もいたと思う



快進撃ムードで勢いよく進軍し栄華を誇った一時期


ビルマ人は日本人を快く迎え入れのどかな異国情緒を感じながら


自分の仕事や志を全うした幸せな日々


しかし数年後にはまさかこんな悲惨極まりない状況が待っていようとは

思いもよらなかったであろう




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 316

大叔父が眠る(と思っていた)陸軍墓地に参り

皆さんと慰霊祭をしたことで全てが終ったような達成感で

正直その後の記憶は定かではない


大叔父がインド国内のインパールの手前テグレパールで

倒れた5月の末にはもうすでにインパール作戦は負け戦の時期

どこをどう通ってどのくらいの期間を要して

ここメイミョウに辿り着いたかは不明である


大叔父がメイミョウの陸軍病院で息を引き取ったのが7月の終わり

インパールから700km以上離れているメイミョウは

その頃はまだ薬品や食料が豊富だったそうです

メイミョウには第15師団の師団司令部があり

ゼネラルハウスと呼ばれる建物や、競技場・映画館・料亭などがあり

馬車が走り白十字と言う喫茶店にはコーヒーもあったと言う


それでもすでに最初の空襲は昭和18年の1月にあったそうです

戦況は益々悪化し、ビルマ国・明妙(メイミョウ)第121兵站病院は

昭和20年2月に撤退した


負傷者を含むお医者様や看護婦さんはメイミョウを脱出した

汽車を乗り継ぎ、夜間に歩きタイを目指したそうです

その間には、女性も負傷者も容赦ないイギリス軍の攻撃を受け

たくさんの人が命を落としたと聞いた



続く…



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お知らせ

読者の皆様へ


もう12月になりましたね。1年間アッと言う間です

いつも読んで下さってありがとうございます


記事の内容は、まだ昨年のミャンマー旅行ですが

現在は、もう少し調査が進んで色々な展開が続いています

今なお、コツコツと情報収集しております


ただいまミリタリー雑誌「丸」にて 、ブログ記事が連載されています



m1301[1]




今月号は連載第3回目


記事の内容はあくまで旅行記なので


スッキリさっぱりと、ギュッギュとかなり濃縮です



下の方の連載物の欄に『大叔父の足跡を探したミャンマーの旅』と
出ております

意外や意外どうも、好評だとのことですビックリ!!

来月号は出版社様のご都合で、1回お休みで次の号で完結です

引き続き大叔父をご存じの方の情報提供を求めて頑張っています

宜しかったら本屋さんでお買い求め下さいませ




                2012.12.8
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