ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2013年02月

ミャンマーに思いを寄せて 368

そのとおり、大叔父は山形の出身です


曾祖父の時代は、山形にいた


元々家系は、山形で材木問屋をしていたそうです


今も本家は山形にあるそうです


曾祖父は、山形の数学博士であり、教師だった


曾祖父の兄弟が、京都のお寺にいたため


祖父は、その叔父を頼って京都のお寺に入った


その祖父の元で、大叔父は京都の大学に入った


大叔父は、京都の伏見にあった姉の家に下宿し、そこから通っていた


そのため、大学に入った頃は、まだ曾祖父が健在だったため


山形の住所での届け出だったのではないかと推測する


その後かどうか詳細は分からないが、2年後の大叔父が


出兵する際には、曾祖父は祖父のお寺に身を寄せて


出兵する大叔父をお寺から見送っている


そして、曾祖父は京都で亡くなった



大学側へは、「大叔父の本籍地は山形のままで、京都で下宿し
大学に通っていたようです」


とお返事をした




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 367

その後、調査の進展状況は気になりつつも


ご迷惑かと思い催促はせずに様子を見ていた



秋になり、久しぶりにメッセージが届いた



そのメッセージには、当時の校友名簿を見つけ
その中に大叔父の名前を認めたとの内容でした


「昨日何気なく当時の校友名簿(昭和18年)を見つけ出し見ていますと

大叔父さんの名簿が記載されるのを見つけました。

この名簿は昭和16年12月発行で、当時在籍していた人たちが記載されております。

前期まで在籍していた校友すべてが記載されておりますので

大叔父さまも記載されていたと推察します。」


とメッセージをいただいた喜びと同時に


今もなお、大叔父のことを気にかけて下さっていたことに驚き


心底、感謝した



その名簿の中で気になることがあったため、メッセージをもらったようです


「大学への届出住所が山形県米澤市○○町となっています。

住所との関係がなにかおありでしたらお教えください。」



続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 366

その頃、この話をしていた同時期に


この大学の近くの別の大学では


その大学出身者で、先の大戦の戦没者の調査を


本格的にすすめる動きが出たそうです


このことを、大叔父の○○大学の100年史担当の方は


「○○大学の英断」と評価され


そちらの大学の方に詳しいことを聞きに行かれたそうです


大叔父の○○大学においても、こうした調査をすすめることができれば


学業の志半ばで兵役につかれた先輩諸氏の英霊も


喜んでくれるのではないかと言われていました


また詳しいことが分かったら報告して下さると締めくくられていた




今回の私の問い合わせから始まったこの件に


払拭されたかのように、この時代に興味を持っていただき


感謝したいと思います




○○大学の100年史担当部署は、もちろん戦時中のことだけを


調べている部署ではない


私の個人的な印象として、歴史の研究に携わる方全般に


どちらかと言うと近代史を後回しにしがちな傾向があると感じる


近代史は分かっているからと言う思いからだろうか


やや軽視しているようにも思う


反対に今ならまだギリギリでも間に合う


生き証人のいるうちに、近代史に力を入れていただきたいと願うのでした




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 365

大学側には、それまでの交流間に様々な質問をしていた


私には分からないことがたくさんあったためだ



先の写真の件では、その他に


・写真屋さんは、構内に常駐していたのか?


・同じ壁紙の部屋は、他にもたくさんあったのか?


・学生服の着用は、義務か?


・あの写真が退学後だった場合
 退学後も、大学構内に気軽に入れたのか?


学費の面では、当時の学費と言うのは、いくらくらいだったのか?


その他として、大叔父の専攻語学は何だったのか?


など、色々ととあった



出来れば、あの大叔父の写真に一緒に写っている同級生を


探していただいて、写真の真実を教えて欲しい


当時の大叔父の胸中を知りたい,


今ならまだご健在で間に合うかもしれないと言う思いがあった




しかし、私個人のことにお付き合いいただいている以上


これ以上わがままを言えなかった




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 364

大学側も私の問いに注目されて、この度、人員表を送って下さったのだ



その表には、年度区分の各学部ごとの在学生の人数と卒業生の人数が出ていた





昭和16年のところに印がつけてあった



法政学部においては、それまでの卒業生数は安定して200名前後なのに対し



昭和16年のところだけ107人と半分くらい極端に卒業生の人数が激減していた



次の年の昭和17年はわずかに少ないが元に戻り200名近くとなっていた



中途退学の人数は、この表には出ていなかったが



明らかに昭和16年だけがおかしな人数となっていた



私からの質問があるまで、このことについて大学側は全く気づいていなかった





大学側も、この人数に注目され、私が指摘した短縮卒業→入隊を前提に



退学者あるいは入隊拒否のための除籍者が激増したのではないかとの



推測に同調されていた





お手紙には、私とのやりとりで、大叔父をはじめ昭和16年当時の


学生群像に少しだけせまることが出来


大学の歴史を扱っておられる部署の人間として



真実を調査し伝える責任の重みをひしひしと感じたと書かれていた





…続く




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ミャンマーに思いを寄せて 363

大叔父は、昭和16年のその年
 

大学4回生で奇しくも初の短縮卒業に該当した


本来ならば昭和17年の春に卒業だが


3ヶ月の短縮で12月に臨時徴兵検査を行い


合格者を翌年の昭和17年2月に入隊させた


○○大学では、入隊を拒否する者については


退学と言う処置を取った




大叔父は悩んだのかもしれない


同じく祖父も、大学まで行かせた年の離れた弟を思い。。。



大叔父は、短縮卒業を目前に昭和16年7月に退学した


自主退学でもなく、学費滞納と言う家庭事情と言う形で




その時代、戦争に行くことを拒否する者は


非国民だと後ろ指を指されてもおかしくはなかっただろう


しかし、退学前後に撮ったと思われる写真には


学友達と微笑む大叔父が写っていた


非国民と言われようとも、ある種の志しを持って退学したと仮定すると


写真の中には背広を着ている人が大叔父の他にもいる


昭和16年に退学理由はともかく


大叔父と同じように中途退学をした者はたくさんいたのではないだろうか


それを大学側に聞いてみた




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 362

○○大学からいただいた資料には


「学生数・卒業生数の表」と言うのもあった


数ページに渡る表は明治33年からの人員数


○○大学の前身の○○法政学校 時代からの貴重な資料だ




大叔父が退学したのは昭和16年7月


この年の10月、同年の卒業生の大学・専門学校生を対象に


卒業時期を短縮させて軍隊に入隊させた初めての年である


一般的に有名な明治神宮外苑の壮行会が行われた学徒出陣は


後の昭和18年のことで、18年には徴兵猶予を受けていた


文化系の在学生に対し、徴兵猶予延期処置を廃止したため


大々的に学徒出陣と呼ばれているが


実際にはそれより前の昭和16年から


学徒出陣とは言えないまでも卒業時期を短縮し、入隊させ戦力としていた




卒業の短縮処置は、当初は3ヶ月から始まり


次第に半年となり昭和18年には短縮もなくなったのだ




続く…



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お知らせ

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます



ミャンマー旅行記をやっとこさ脱出したら

そこから先はスイスイと書くことが出来ています



ただ、現況はハッキリ言って進展なしです

ミリタリー雑誌「丸」での連載も今月号で終わり

残念ながら情報提供は無かったようです



大叔父が中隊・連隊で勤務していなかったと言う

事実までは分かったものの

では大叔父はどこで何をしていたのか?

そこから先は、物証や状況証拠、証言を元に

勝手な仮設により調査続行しています



あまりにも壮大な仮設なため

私だけの力では裏付けを取るのは厳しいと判断し

専門家の協力が必要となりました


そんな中、協力依頼をした方お2人方


しかし、今のところ進展なし


半分諦めかけていた今日

大学の歴史研究の助教授さんから詳しく話が聞きたいとの

申し出があり、とてもとても嬉しかったです



どのようなお力添えをいただけるかは分からないですが

話を聞いてもらえるだけでもありがたい



そして、いつも周りの人が気に留めていてくれて

行く先々で、力になってくれそうな人に声をかけてくれる

先の2人も、今日の人も周りからの紹介者でした

ほんとうに皆さんに感謝です



このミャンマーの件は人から人への

優しさのリレーで今も調査中です

また何か進展したらご報告しますね



読者の皆様もいつも支えて下さってありがとうございます

ついでにポチッとして下さるとより一層励みになります


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            3013.2.24

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ミャンマーに思いを寄せて 361

大叔父の○○大学の100年史担当の方から



当時の貴重な資料のコピーや写真をいただいた




その中には


・「○○大学学則」

・「学生数・卒業生数の表」


などがあった




昔の文字や言葉で書かれている学則は、読むのが難しかった




その学則の中からは様々なことが分かった



気になった個所としては



大叔父は昭和16年に24才で大学の4回生



今の大学制度に当てはめれば、2年のブランクがある



前職があったのか、浪人して入学したのか、留年したのかと



思っていたが、中学を出た後、大学までの間に



大学予科と言うのが2年あるのだと知り



ほんとうに私は無知だなと感じた



○○大学の予科には○○大学の中学を卒業した者に進む資格があった


その当時の制度として、トータル9年間○○大学にいたのだ





その次に、学期は2学期制だった



3学期制で1学期が終わり、夏休みに入り退学したのかと漠然と思っていたが



そうではなかった




しかし、無夏休みは7/11~9/10で、夏休み中に退学したのは確かだった







そして、昭和16年4月1日改正の○○大学学則の第17条によれば



「学生ノ服制ハ国民服乙号型トシ大学記章ヲ帽章トス」とあった




学生服が国民服へと代わって行く時期



大叔父の大学構内で撮ったと思われる写真にも



学生服と国民服と背広の人が入り混じっていた



PICT0003 







※大叔父は後列中央



このことから、この大叔父の写真は、昭和16年4月以降の



早い時期ではないかと推測された



時代背景を色濃く残す貴重な写真だと言える





まだこの時点では、この写真に関して全く分からず


モヤモヤとした気持ちで過ごしていたが



後に、この写真は新たな展開により



衝撃的な真実が明らかにされることとなる







続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 360

ミャンマーから帰った後も、大叔父の○○大学の


100年史担当部署の方とは、ずっと連絡を取っていた


分からないことは山ほどあり


何から手を付ければ良いのか見当もつかず


気になることは全て調べたい気持ちだった



大学時代に関する疑問もたくさんあった


・学費滞納と言う退学理由


→学費が払えないほど、祖父の生活は困窮していたのか?


→当時の学費の金額


→当時の学費の支払い方・納期


→退学時期の夏休みとは、何を意味するのか?



・大叔父が大学構内で撮ったと思われる写真 

PICT0003
 
↑大叔父は後列中央



→背景の壁紙が大学構内と同じだと言う発見 

コピー ~ scan-31
 
↑大学側が提供してくれたその当時の写真
大叔父は写っていないように思う
壁紙が前出の写真と同じである



→大学構内に写真屋さんを呼んで撮る写真の重み・意味


→その写真屋さんは、何と言う名前の写真屋さんで、今もあるのか?


→写真を撮った時期の選定


→学生服と国民服と背広が混ざっている時代背景



その他、大学に残っている資料には、まだ私の知らないこともあるだろう


・大叔父の選択語学


など。。。



知りたいことは山ほどあった



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 359

大叔父の所属は、60連隊の第一大隊(吉岡部隊)と判明した


その文面には、テグレパールではなくテグノパールとあったが


外国語の発音をカナ表記にする際に生じた違いだと思う


公式文書に残っていた、大叔父がメイミョウの病院に


搬送された地点として記されていたのがテグレパール


しかし、60連隊本体はテグレパールを通っていないことが分かった


と言うより、テグレパールは60連隊の祭師団の経路上には無かったのだ


大叔父の軍歴表には、大隊名が書かれておらず


60連隊機関銃中隊としか分かっていなかった




その後、副会長さんの調べにより


60連隊でインドのテグレパールと言う街を通ったのは


1個大隊だけあったことが分かった


その1個大隊は、編成上、本隊を離れ、祭師団も離れて


弓師団の山本支隊に編入されていた


ただ、それが何大隊なのかは分からなかった



それを求めて、戦史叢書を調べたのだ



そして、その部分を見つけコピー依頼して、その他の史料の閲覧も申し出た


やや冷やかしのように?職員の方が「見つかりましたか?」と


聞いてこられた


ニヤリと「ありました」と言うと、職員の方は、えっ?って感じでした


無い物は無いと言われて、引き下がるわけには行かないのよ


どれだけ調べて真剣に取り組んでいるか、この人達はご存じないので


ブログを読んで下さいと、メモ書きで渡した


すぐに、ご覧なったようで、ミャンマーに行った写真を見て


驚いておられる様子でした


どうしても知りたかったことを、やっと探し出せて安堵した 




意気揚々と、今回は、ニコニコで帰ってきました




きっと、これからも、お世話になるであろう


「防衛省・防衛研究所・史料閲覧室」 


大変お世話になり、ありがとうございました!!


専門分野の研究者に協力していただけたら


百人力なのにと、心底思います


戦争の「せ」の字も知らない世代の私が


全く興味もなく、チンプンカンプンの世界に


必要に駆られ、踏み込んでしまい、奮闘しています


自分でも言うのも何ですが、ものすごく勉強しています


まだまだ途中ですが、これからも頑張ります




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 358

そして、お電話で対応して下さった方のアドバイスで


『戦史叢(総)書』と言う書物を拝見した


この書物は、防衛研究所の前身と朝雲新聞社によって刊行された


公刊戦史書物なんだそうです


全102巻から成り、太平洋戦争について研究する人にとっては


最重要の基礎史料の一つとされており


国立国会図書館や、政令指定都市レベルの一部の図書館や


靖国神社などで閲覧が可能らしい




その中の、インパール作戦の巻を差し出された


広辞苑のような分厚い書物で、意気消沈しかけたが


やるしかない


ある程度の時程と地名などは、頭に入っていたので


目星を付けて、目次を追った


そして、分厚い書物と格闘しながら、遂に決定的な一文を発見!!!


あったーーーー!!!自分でも、鳥肌が立つくらい、驚いた


よく、見つけたよね~、すごいよ、すごいよ私


書物の中から、テグレパールを通った60連隊の


1個大隊の記述を見つけ出したのだ


やっと大叔父の所属大隊が分かった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 357

後日、再び防衛研究所に向かった


戦いに行くような気分で高揚していた


悲しみいっぱいで大泣きして帰ってきた前回


恥ずかしいが、ほんとにそれほど真剣だったのです


でも凹んでいたって何も始まらない


必死に調べても分からない事はある


だけど調べる前から諦めたら終わりだ




朝から行きます宣言の電話を入れて


参考資料の閲覧のサポートをお願いしておいた


恥ずかしさと、悔しさと、色々な思いを胸にまた防衛研究所の門をくぐった




受付で手続きをしようとしたら


電話で対応して下さっていた方が出て来られた


この間の対応とは打って変わって、とても皆さん親切だった


(。。。また泣かれたら、たまらないと言う迷惑女なのかもしれません




ありがたいことに、資料を準備して下さっていた


まずは、インパール作戦の作戦図から取りかかった


何枚もある大きな表だ


当初は、この手の表を見ても何が書いてあるのか


さっぱり読み取れなかったけど


勉強して、ある程度は解読出来るまでになった


これでもない、あれでもないと、作戦図を広げまくり


くまなく見たが、調べたいことは載っていなかった


ここに無ければ、大叔父の手がかりを探すことは


無理かもしれない。。。




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 356

戦況が混乱していた時期、きちんとした部隊の行動記録は
 

残っていないかもしれないと言われた


では、連隊または師団としての作戦図もないのですね?と聞くと


「それはあります」との回答


ほら、やっぱあるんじゃんか


それらをまとめた、書籍の名前を告げられて、ご覧になりましたか?と聞かれた


そんなのあるなんて知らないってばっっ


「そう言ったアドバイスがいただきたかったのです、
そのための相談員ではないのですか?」と


思わず、強い口調で言ってしまった


さっきまで泣いていた私は、ついに爆発した




防衛研究所の史料閲覧室は、珍しく一般に公開された場所


広報の意味合いもあるでしょうに


1人の自衛隊の職員の対応だけで、自衛隊全体の印象が変わることもある


他の方が、災害派遣等で頑張っておられるだけに、残念でならない




電話で対応して下さった方は、最後まで低姿勢で謝罪されていて


もう一度、来ていただくことは出来ませんか?


今度は、資料をきちんと準備しておきますのでと、言われた




どうしても調べなければいけないことがある


後日、私は再度、防衛研究所を訪れることとなった





続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 355

防衛研究所では、周りの自衛官の方が、オロオロされていたように思います

滅多に来ないような一般人の女性を泣かした図…

そして、目はウサギ・鼻はトナカイのようになって、鼻水ズルズルで

恥ずかしいくらいの顔のまま

防衛研究所の門の受付で、帰る手続きをした



きっと、史料閲覧室から帰ってきた女性がすごく泣いてたと

何事だと驚いておられたことでしょう



あまりにヒドイ対応がショックで、家に着いてからも号泣してしまった



ここで諦めていいのか。。。


単なる1担当者に冷たくあしらわれたくらいで負けちゃダメだよね


何か手がかりになる資料は、防衛研究所に絶対にあるはず


泣いていても何も始まらない


懲りずに、もう一度、防衛研究所に電話で問い合わせした



電話口には、さっきのおじいさんとは違う人が出た


また、同じように、簡単に説明した


すると、こんな感じの資料がありますよと教えて下さった


でも、閲覧出来ますから、こちらに来て下さいと言われた。。。




むむむむむむ




「今日、そちらに行って相談員と言う方に相談したが

話は聞いてもらえず、あまりにもヒドイ対応でだったため

納得が行かなかったので、失礼とは分かっているが

再度、お電話で問い合わせをした」と勢いよく伝えてしまった


すると、「お身内の方の件で、来られていた方ですね?」と

覚えておられた


他の自衛隊さんが協力して下さったことも

私が廊下で泣いているのもご存じのようで

申し分けなかったと、とても恐縮して謝っておられた


そして、あの資料はご覧になりましたか?この資料は?と聞かれたが

全部、拝見済みだと返答した




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 354

防衛研究所の資料閲覧室にいた人には、全て今のやりとりが聞こえていた


元の席に戻ろうとしたとき

閲覧していた周りの人が事情を察して、60連隊関連の資料を探して下さっていた


これは、見ましたか?あれは見ましたか?と、閲覧室の職員以外の

自衛隊の方が、優しく協力して探して下さった


しかし、全て閲覧済みの史料だった


思わず「相談員は、何の役にも立ちません…」と口走ると

悔しくてポロポロと涙が溢れた

ここに来ること・来てからの緊張感と不安も一気に溢れ出す


「資料が全く残っていない部隊もあるのですよ」と、なぐさめて下さった



涙は止めようと思っても、止まらない、、、、一度、部屋の外に出た

玄関のソファーで、外の空気を吸った

我慢しようと思えば思うほど、次から次へと涙が溢れて、どうしようもなかった


おじいさんが気を遣って?追いかけて来られたが

顔も見たくなく、私にはお話しをする余裕はなかった


涙が止まらず、部屋に戻れないほどの顔になったので

建物の外に出て、誰もいないところで思いっきり泣きじゃくった

全ての方が協力的ではないと分かっていても

これが自衛隊・公務員の対応かと思うと許せなかった



悔しさと悲しみに暮れて、防衛研究所で大泣きして帰ってきたのでした




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 353

このおじいさんは、何もご存じないからしかたないけど

ここに来るまでに、どんな道のりだったか。。。

厚生労働省、役所関係、遺族会関係、関係神社・仏閣、書籍等

色々な手を尽くしても分からず


後は、60連隊の生き残りを捜し出して、直接、お話しを聞く方法と


日本一と言っても過言でないほどの戦史史料を抱えている

ここで調べるしかないと思った


ここで分からなければ、最後かな。。。


ワラをも掴む思いで、ここに来たのに。。。



そんなことは、このおじいさんには関係の無いことだと分かっていても

これが自衛隊の対応なの?なんて、ヒドイ対応なのだろう。。。

災害派遣などでの、自衛隊の活躍がとても良い印象だっただけに

あまりのことに落胆した

税金泥棒と言う言葉は好きじゃないけど、これはそれに該当すると思った




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 352

中には数人、資料を見ておられたが恐ろしいくらいに静かだった

受付の方は私服だった



またまた様々な用紙を記入した

初めてだと伝えると、利用の仕方を、テキパキと説明して下さった

要するに、資料の索引があるので、見たい資料の名前を探して

用紙に記入して、請求→閲覧となる


カード形式の索引や、辞典のような図書、ネット検索も出来る


取りあえず、大叔父の関連部隊の資料を探してみた

いくつかあったが、個人の回想録だとか、規則等の綴りしかなく

閲覧させてもらったが、追い求めている情報ではなかった


ハッキリ言って、見たい資料が何と言う名前の書物で

どこ載っているのかさえ分からない

見たい資料の名前と言われても。。。困った



受付に言うと、「そう言うことは、相談係に」と、つっけんどうな回答

相談係は、となりのデスクにおられた



おずおずと「恐れ入ります…」と声を掛けてみた。。。

しかし相談係のおじいさんは、無視(>_<)

声が小さかったのかしらと、今度は、少し大きな声で

「スミマセン!!」と呼びかけた


すると、はぁ?と、なんとも微妙な対応

静まり返っていた史料閲覧室は、更に静かになり

みなさんが、こちらに聞き耳を立てて集中されているのが分かるような雰囲気


勇気を出して、相談してみた

簡単に要約して

ビルマ・インパール作戦の60連隊の行動記録を調べたい

歩兵60連隊所属だった身内がいて、詳しいことを調べている…

と、話の途中で


「個人の記録は分かりません」と返ってきた

、、、それは分かっています



「60連隊関係の資料は調べた?」と聞かれた

「はい、調べました」

「調べてなかったら、ないよ」


…え何、それ、、、何なの、この対応は???

じゃあ、60連隊と言わずに、師団の記録だとか、他に参考になりそうな資料を

アドバイスしてくれるとかないのですか?

インパール作戦の作戦図くらい、あるのでは?


ここの相談員って、何のためにいるの???


静かな静かな閲覧室で、一般人の私は、元々浮いていた

その中で、邪魔くさそうなおじいさんに、分かりやすいように、かいつまんで

必死に説明したのにも関わらず、バカみたいな対応に、やるせない思いだった



この人に、何を言っても無駄だ



続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 351

何時間もかかって、やっとこさ最寄りの駅にたどり着いた


地図では駅の傍のような雰囲気だったが、ぼちぼち遠かった


なんとなく女の直感で道を進む

すると、静かな道に出て、刑務所のような?飾り気のない敷地が続く

恵比寿の駅前の雑踏がウソのように閑静な1本道



遠くの方に、門と門番らしき姿が見えた



門には、防衛研究所とか、他にも大きな看板があって

写真を撮りたかったけど、撮れるような雰囲気じゃなかった


入ってすぐの所に受付があり、入門の申請用紙を記入した

「どちらまで行かれますか?」、「ご用件は?」など質問されて

史料閲覧室の図書を拝見しに来た旨を伝えた



さて、史料閲覧室はどこ?

受付からは、遥かに緑の木立が見えるだけで

その奥は、どんな建物があるのか分からないほど広かった

恵比寿駅からは想像出来ない、都会の真ん中に突如出現したような緑地帯



どこまで歩くのかしら…迷子にならないかしら?と少し不安になった

初めてだと伝えると、「右の道を登って下さい」と

えっ?それだけ?ヒールで登れるのかしら?

自衛隊さんには登れても、私にはサバイバルな道だったらどうしょう。。。

不安いっぱいで、木立が生い茂る暗い上り坂をトボトボと歩き出した

程なくして、建物が見えた


その何の建物か分からないような無機質な建物が史料閲覧室だった


想像していたのより、遙かにキレイな場所だった


自動ドアをチョコンと押して、中に入る。。。


閲覧室に入るには、もう1つ、自動ドアを入る



建物の入り口には、注意事項の貼り紙があった



・上着やコート、かばんの持ち込みはダメ

・ペットボトルの持ち込みもダメ

・飲食は中では出来ない

・シャープペンの使用もダメ、鉛筆のみ

・カメラ撮影不可



色々と決まりがあるのですね



飲食はしないけど、バッグには大量の資料が入っている

しかも、今日はボールペンしか持ってきていない。。。どうしよう



取りあえず、中に入って、指示を仰ごう




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 350

ミャンマーに行ったら全てが終わると思っていた私



でも、ミャンマーまで行って、現地に遺骨はなかったと言う

大ドンデン返しが待っていたり

分からないことも山積で、実は、振り出しに戻ってしまったような状態でした



地道に調査を続けるしかないな


ここまで来たら、納得の行く所までやってみよう



まずは、大叔父の所属部隊を調べなくては


「歩兵60連隊の機関銃中隊」としか分かっておらず


何大隊なのか不明なままだった



大叔父が病院に搬送されたと言う地点の


テグレパールを通った60連隊の大隊は1個大隊しかない


60連隊本体の祭師団とは外れて、別の師団に組み込まれた1個大隊


その大隊が分かれば、大叔父の所属大隊が分かる



戦史資料が豊富にあるところは何処か。。。


国会図書館にはあるだろうが、膨大な量の書籍から


ピンポイントで見つけることはかなり難しいと思われる


他にはないか?戦史に詳しい人に聞いてみた


自衛隊に防衛研究所と言うところがあり
そこの資料は一般に公開しているとのこと


他に、自衛隊の中には富士学校の普通科部の戦史教養班と言うのもあるが


そこよりも防衛研究所の方が資料はあると聞き


早速、「防衛省・防衛研究所・史料閲覧室」と言う所まで行ってきました



正直、名前だけで怖い(>_<)防衛省に行くなんて、滅多にないよ


ミャンマーに行くより怖いかも。。。


行くと決心した日に、たまたま電車は行く先々で事故で止まっていたxx


行く手を阻み、その先に待ち受ける事態を物語るかのように。。。





続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 349

昭和40年代、大叔父のお墓も伯父の名前で祖父のお寺に建てられた


時を同じくして、護国神社に届けを出した


これは単なる偶然なのだろうか?


戦後25年も経ってから、何が祖父を動かしたのだろう?


昭和40年代と言えば、日本は高度経済成長の真っ只中


戦友たちが遺骨送還運動をし、海外の戦地では遺骨収集が


盛んに行われていたこの時期、ビルマも例外ではなかった


厚生労働省を中心とし、各戦友会が新聞に「遺骨収集に行く」と言う宣伝を


大々的に広告していたと聞く


伯父は仏門に入るか否かまだ決断していなかった時期だと思う


祖父は息子である伯父に住職の跡取りとしての期待を込めて


伯父の名前で様々なことをしていたのかもしれない




その夜、父にその話をした


終戦記念日は明後日だ


すると、父は「また今度にしなさい」と静かに反対の姿勢をとった


父によると、宮司さんとは知り合いなのだそうです


しかし、近年、先代の宮司さんがお亡くなりになり


現在は、息子さんで若い方なのだそうです


先代の宮司さんだったら色々とご存じだっただろうにと言っていた


またお会いしたら、それとなく聞いておくとだけ言いその話を終えた



明後日の終戦記念日に護国神社に行けば何か情報を得られるかもしれない


父の反対を押し切ってまで行っていいのだろうか?


大叔父の調査を続けていることに対し、良いように思っていないのだろうな


私はやっぱり世間から見るとおかしな風に見えるのだろうか。。。





続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 348

60連隊の戦友会や遺族会の手がかりは依然とつかめなかった


何か他に手がかりとなることはないかと思案した


そうだ!地元の護国神社に問い合わせれば何か分かるかも


早速、護国神社に電話してみた



護国神社には、60連隊の慰霊碑もあった


そして、60連隊かどうかは分からないが


定期的にお参りに来られている方もいると言う



60連隊の代表の方の連絡先を尋ねたが


やはり個人情報保護法の関係で教えてはくれなかった


ただ、60連隊の関係者が来られるかは分からないが


終戦記念日には、各部隊は大きな行事を行うところが多いため


お参りに来られたら、何か収穫があるかもしれませんと教えて下さった



そして、最後にふと気になり、護国神社に大叔父が祀られたのは

いつですか?と質問した


すると、昭和40年代に入ってから、伯父の名前で届出があったとのこと


伯父はそのことを知らなかった


きっと祖父が伯父の名前で届出をしたのだろう


戦後25年ほど経ってからの届出


靖国神社への登録は、戦後処理が終わり


総務省からのデータを元に、一括で昭和33年4月~祀られている


護国神社には、どのような経緯で祀られたのか?


他の方も昭和40年代の日付なのですか?とお聞きしたが


分からないと言う


対応してくださったのは宮司さんだったが


それ以上護国神社からは、何も掴むことは出来なかった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 347

2011年・夏


ミャンマーから帰って半年


昨年2010年の夏は、大叔父の件で、奮闘していたなぁとふと思った

全く手掛かりがない状態から、「ビルマ・アケボノ」と言う、キーワードを頼りに

推理だけで、がむしゃらに突き進んだ、熱い夏

あの夏から、1年、今年も、お盆に、お墓参りをしてきた


大叔父と、母方の祖父母や親族が眠る、お墓

祖父母の面影が残る、お寺



その後、新しい収穫はなかった

まだ、私だけが続けている、大叔父の調査

皆、ミャンマーに行ったことで、終わったと思っている

これ以上、何も出来ないのかもしれない…

これで、納得すべきなのかもしれないけど



まだ、納得できず終われない自分がいた



大叔父を、実際に知っているのは、伯父と伯母の2人だけ

その2人でさえも、大叔父のことを、そうそう思い出すこともないだろう

それを、70年近く経って、急に、会ったこともない私が騒ぎ出し


怪訝に思うのも無理はない



しかし、伯父から「よくやってくれた、ありがとう」と

思いもよらぬ言葉をかけられて

頑張って良かったと、心から思った

だが、まだ引き続き、調査をしていることに対し

伯父はあまり良く思っていないように感じた



父についても、そうだった



私のしていることは、おかしなことなのだろうか?


間違っているのか?


いけないことをしているのか?

自問自答しても答えは出ない



そして、自分自身でさえも、どう言う結末であれば納得して終わることが出来るのか

全く、予想が付かなかった。。。




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 346

帰り際、1人ポツンとされているおじいさんがいた


「全ビルマ会の方ですか?」と聞くと


「はい、でも私は少し違うのです。。。」




おじいさんは、憲兵さんだった




インパール作戦にも直接関わっておらず、戦友らしき人もおらず


全ビルマ会には入っているものの、やや寂しそう




「私の祖父も憲兵だったんです」と言うと、とても喜ばれて、話を続けて下さった


私の父方の祖父は、早くから満州に渡り、憲兵として

民間人に扮して、満州樹脂に入り込んでいた



「そうなんです、私も民間人になりすまし、軍服を着たことは3回しかありません」


「他の方と違って、憲兵と言うことで
終戦後は、2年もビルマから帰れませんでした」と苦労話をされた


民間人に扮していても、たれ込みや、憲兵隊本部の顔写真付きの名簿から


憲兵とバレたら、とても厳しい取り調べがあったそうです



「満州からだったら、よく帰れましたね」と言われた


「最後まで、民間人に扮して、なんとか帰れたそうです」


「でも、帰国後も、何年も逃げ回ったと聞いています」と言うと


「そうでしょう…満州からは、バレたら帰れなかったと思います」と言われた




戦闘らしい戦闘にも参加されておらず、他の方とは少し違う


インパール組の副会長さん達とは、混ざれない、やや孤独そうなおじいさん


それでも、憲兵の話が出来て、嬉しそうでした


ビルマにいた軍人さんは、全ての方が、インパール作戦に関わっているのかと


思っていたが、この全ビルマ会にも、色々なビルマ体験があるのだなぁと思った





続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 345

会食の後、2次会に誘われ、皆さんと喫茶店へ。。。



そこでは面白い話をたくさん聞いた


隣のテーブルのおじいさんは、「2・26事件」に参加した人だった


えっ?!あの、教科書で少し習った、有名な事件???


生き証人が、隣の席に座っている。。。ビビったww




確かあの事件は、天皇派?の将校が、軍を率いて

クーデターを起こして、政府や軍の要人を暗殺した事件


指揮を取った将校以外は、それに率いられた普通の兵隊

そのおじいさんも、その1人だった




おじいさんは事件後に、建物の前で、旗持ちをしたそうです

よく見る有名な写真に写っているのは、このおじいさんの若かりし頃



一部の将校が高い志を持ち、正義だと信じて決起されたが、軍からは不祥事とされた

首謀者以外の、この事件に関わった下士官は、一部を除き、その大半が

反乱計画を知らず、上官の命に従って適法な出動と誤認して襲撃に加わっていた


事件後は、中国などの戦場の最前線に駆り出され戦死することとなった者も多い




このおじいさんも本人曰く、「死んでこい」と、中国戦線に出され、帰還


再度「死んでこい」とビルマに送り込まれ、終戦を迎えた強者だった





それから、他のおじいさんは、あの靖国神社の就遊館に展示されている

機関車を、ミャンマーから運んできた人もいた




以前に熱く書いた、泰緬(たいめん)鉄道の機関車だ




靖国神社に見に行かなければと思っていたので

それを持ち帰ってきた、ご本人にお会いするとは思っていなかった




今回は、直接お話する機会はなかったが

是非、次回は、詳しいお話を聞いてみたい…次回があることを祈る


(※残念ながら、次回はなかった。。。ほんとうに残念です)



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 344

ミャンマーから帰ったからと言って


全てのことが明らかになった訳ではなかった


分からないこと、調べなければいけない課題は山のようにあった



そんな中、初めての全ビルマ会の総会に出席した


総会と言っても、20人くらいの参加


ほとんどが旧軍の方で、遺族は私も含め、4人くらいだった


副会長さんの見事な進行で、決算報告など

型どおりの総会は無事に閉幕した



決算報告の中には、慶弔費もあった


来年度の慶弔費は、今年度よりも数倍多く見積もられていた


お亡くなりになる会員さんへの弔電や香典費なのである


やはり、残された時間は少ないと感じた


冬の忘年会に参加した際、「聞きたい事は聞いておいた方がいいですよ
また今度はないかもしれません」と言われていた


その年亡くなられた会員の方で、大叔父と同じく祭師団の方がおられた


「残念だったね、あの方だったら、参考になる話をたくさん聞けたのに」
と皆に言われた


間に合わなかった。。。


また今度、また今度と言って、機会を待っていてはいけないのだ


自分から積極的に、話しかけ、お話を伺わなくては…


以前から、焦るような気持ちはあったが


現実に直面したかのような、衝撃を受けた




この時の私は、ミャンマーに慰霊に行くと言う大きな目標をクリアし


この先、ピルマ関係の活動を、何をどうして行きたいのかさえ見当が付かず


慰霊に行き、無事に帰ってきた安堵と共に、少し休憩していた




私のこの先の目標は?


。。。大叔父を知っている方にお会いしたい


出来れば当時の大叔父取り巻く状況や、大叔父の気持ち


そして、大叔父の最後の様子を知りたい 




時間がない、早く行動を起こさなければ。。。気持ちだけが焦った




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 343

ミャンマーから帰り、やり遂げた満足感と日々の生活に追われ


一時期、記事を書くことから遠ざかった



ミャンマーでの旅行記は、自分に関係のない所も訪れたため


それは、どこの何と言う部隊の慰霊碑で、何の作戦で、いつ玉砕したのか?


なんてことを1つずつ調べながら書いてたら、難し過ぎて進まなかったのも一因



その頃、記事を出版社に持ち込み、雑誌の掲載を打診していた


少しでも大叔父に関する情報が欲しい


ブログには何1つ情報は来ていなかった


もし掲載されるなら、本題の大叔父の最後の地のメイミョウに行く所を


先にブログで書いちゃっていいのかな?って、迷ってた



しかし、2月に持ち込んだ話は


3月の震災で出版社はそれどころじゃなくなった


その後も「検討中」「保留」が続き、結局なかなかお返事がもらえずに


ヤキモキしながら月日は流れていったのだった




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 342

ここからは、やっとこさ日本に帰ってきてからの話となります 



ミャンマーから帰ったら、お礼や報告で忙しい日が続いた


子供を預かってくださったご近所のママ友にも感謝した


最初、お願いした時は皆に驚かれた「えっ?ミャンマー??」って


内情を話したら快く賛同くださり、子供を預かってくれた


子供も頑張ったと思う



伯父のところにもお土産と写真を持って報告に行った


当初、なぜ私が今頃、大叔父のことを調べてミャンマーに行くのかと


やや訝しい雰囲気だった伯父


ミャンマーに行ってきたことに対し、どう思っているのか。。。


非難されるのではないかと、怖々だった



すると、伯父は「ありがとう」と言ってくれた


「誰にでも出来ることじゃない、叔父さんも喜んでいると思う」と


私はとても嬉しかった



最後に伯父は「選ばれたんやな」とも言った


母の兄弟は、伯父のほかにもたくさんいる


私と同じ立場のいとこもたくさんいる


その中で、この子だったら探してくれると大叔父が私を選んだと言うのだ


私は大叔父に選ばれたのだろうか?


確かに幾度と言い表せない運命のようなものを感じていた




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 341

ベナムでは、あまりの寒さに震えながら、ホー チミン廟も見に行きました


ベトナムの建国者ともいえるホーチミンさんが祀られているお墓です 



PHOTO218 - コピー
 



とても厳粛な場所で、写真を撮ろうと皆で並んでいた時


はずみでロープ内の芝生を踏んだ人が、警備の人に笛を吹かれて注意された



ホーチミンさんが住んでいたというお家も見ました


ガラス越しに中が見ると、キレイですが華美でなく質素な雰囲気でした



フォト



ホーチミンさんの愛車↑↑



ご結婚はされなかったのかしら?とガイドさんに聞くと


ご結婚はされていないが、「ベトナムの父」なので私たちみんなが子供ですと


言われていたのが印象的でした


日本には、国民からここまで慕われている政治指導者がいるだろうか。。。



ベトナムでは英語は通じず、もちろん日本語もダメで


唯一通じた日本語は「SONY」と「気持ちいい?」でした(笑)


観光もほどほどに、のんびりと疲れた体をストーンマッサージで癒した


温めた石を使っての全身マッサージ


女性陣だけで繰り出した夜のベトナムは楽しかったです



ベトナムの公衆の飲食店では、お皿を共用するのだそうです


前の人が食べたお皿で、次の人も食べる


もちろん知らない人同士でも


そのため衛生面ではかなりヤバイそうです


現地の人は、それが普通で大丈夫だけど


日本人は病気になるので、外での食事は厳禁でした



現地のガイドさんが日本の歌謡曲をたくさん知っていた


日本に留学していた時におじ様方にスナックに連れて行ってもらったらしい


しかし、おじ様方から教わった時代物の歌ばかり。。。


中条きよしの「うそ」と言う歌は知らないだろう?と聞かれた


いいえ、知ってますとも!! 折れたタバコの吸い殻で~♪


食事の席で即興で日本人ガイドさんとアカペラ熱唱(笑)


ミャンマーでの慰霊巡拝の雰囲気とは違い


ベトナムではみんな笑顔でした



        

続く…



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お知らせ

読者の皆様へ


いつも読んで下さってありがとうございます


2月になりましたね、ミャンマーに行ってから2年経ちました。


今年も全ビルマ会の会長さん(副会長さんが会長になりました)


御年94才を筆頭に、ミャンマーに慰霊に行かれます


近年、お脚が悪くなり「今年が最後かも。。。」と言われていたので


ほんとうは私も行きたかったのですが、残念です



私のブログ記事は、まだ2年前のミャンマー旅行が終わったところで


この後、少し帰りに寄ったベトナムの記事を書いて


現況の話を加速させようと思っています



ミリタリー雑誌「丸」にて 、ブログ記事が連載されていましたが


今月号(1月26日発売号)で旅行記は最終話を迎えました


下の方の連載物の欄に『大叔父の足跡を探したミャンマーの旅』と
出ております


出来れば、ミャンマーに行くまで・行った後の話も載せほしかったです、、、


好評だと聞いていましたが、読者さんの反応はどうだったのでしょうね?


もし書店で丸を見かけましたら、是非、お買い求めいただき


綴じ込みハガキにて感想や、続きが読みたいです!!なぁんてコメントを


送っていただけると嬉しいなぁ~

 
引き続き大叔父をご存じの方の情報提供を求めて頑張っています


皆様も何卒ご協力をお願いします





                2013.2.1

ミャンマーに思いを寄せて・ご報告4

残念ながら私はその場にいなかった


聞いたところによると、今の○○本願寺の1番偉いお坊さんの


お母さんは天皇陛下の妹さんだとか


その浄土真宗の偉いさんは言っておられたそうです



それとは別に京都や奈良には昔から


天皇家や将軍家や公家などの高貴な身分の姫君様が


尼さんとなり暮らしていたお寺が多々存在する


戦争に加担したと判断された護国神社とは


別の次元で国との密接な関係があったと言えのではないだろうか



戦時中、宗教と言うオブラートに包まれた世界の中で


お寺が受け持った政治的な役割はあったと推測する


いつの時代も宗教は政治に大きな影響を与えている



ビルマにおいては、ビルマ自体が仏教国で


日本の別院を建てるまではなかったとしても


仏教会としての表には出てこない繋がりがあったとしてもおかしくはない



軍の直接的な行動は戦史に残り、研究者も多いと思うが


この手の話はなかなか伝え聞かない


浄土真宗の偉い方も、言えないようなことはたくさんあるのですよと


言われていたそうです



先の大戦とは軍人だけで行ったものではない


日本国民が一弾となって自国のために戦った


大叔父をご存知の方を探すと言う本題からは


かなり外れた寄り道だったけど勉強になりました



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ミャンマーに思いを寄せて・ご報告3

その浄土真宗の偉いさんは家族の以前からの知り合いで


全く浄土真宗の方だとは知らなかった


このブログも読んでいただいていたようです


ブログの中の○○本願寺の箇所は、まだ読まれていないようだったが


なんとなく、そんな話の流れになったそうです



結論、やはり私の感は当たっていた(と思う)


浄土真宗の信者向けの教範?冊子?心得手帳?のような物の中に


白木の箱の受け渡し場所だったことが明記してあるそうです


しかしそれはあくまで信者向けであり


外への公表は控えているような気配


当時の時代背景を考えると、迫害を恐れて隠蔽した公算が強いが


現在においては、どうしても隠さなければいけないと言うより


社会的体裁が悪く今更言う必要がないと言うニュアンスのように受け取った



私が○○本願寺に問い合わせをした時


担当者はウソをついたのだろうか?


信者ではないから真実を教える必要はないと思ったのか?


未だに口にすることは御法度なのか?



最初は今の時代に変なことを聞いてくるおかしな人のような雰囲気で


怪訝な対応だったけど


その後は、白木の箱の記録がなかったことから


「ビルマ」と言う単語で日誌をかなり調べていただき


手厚い対応をしていただいたと感じている


とぼけてウソをついておられたと言う印象はない


仏様に遣えておられる方がウソをつくことはないだろうと信じたい



信者さんにも色々なタイプがおられるのかも。。。


歴史を勉強して行を深める方


神仏に奉仕?して徳を積む方


悟りを開き熱心に布教活動をされる方など



たまたまご存知なかったのかもしれない。。。



続く…




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