ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2013年07月

ミャンマーに思いを寄せて 450

おじいさんの話は続いた

中国で駐屯していた時を平時と呼ばれ

ビルマに入ってからは平時ではなかったと言う

私の調べによると
ビルマに入ってから少しの間だけは現・ラオスとの国境で
道路構築をしていた60連隊

しかし、道路構築が進まずインパール作戦への投入を急がれ
準備も間に合わないまま一部が先行する形で作戦に投入された

その時点で、他師団よりも装備も人員も揃っておらず、慌てて出発した形だ



おじいさんの証言によると
携行食料は、作戦想定の約2週間分のお米とカンパンのみで
缶詰などは1つも配給されなかったそうです

他書物では作戦の成功を安易にとらえていた兵隊は
その2週間分の食料さえも重いと感じ、減らして行った者も
少なくなかったと記載されていた

ジンギスカン作戦とも呼ばれ
馬・牛・羊などを荷車代わりに引き連れての進軍

動物たちは途中の大きな川を渡りきれず流された

牧草も無く、険しい野山を動物は嫌がって歩かなくなった

途中で動物を食料にしながら進軍する計画だったが
次々に動物はいなくなった

おじいさんも象を食べたと言われていた

後から考えると、象も連れて行ったのだろうか???

それとも野生の象を捕まえたのだろうか???

そこまで聞く余裕がなかった



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 449

このおじいさんは、全ビルマ会の60連隊最後の方

60連隊のことを聞きなさいと

全ビルマ会の副会長さん(現・会長)に言われながらも
 
会にはもう出席出来ないお体の方なので

いつかお手紙を書こうと思っていた

でもいつかいつかで、すでに1年が過ぎてしまった



おじいさんのお話の中から

大叔父と同じ大隊だと分かった!!

残念ながら同じ中隊ではなく、隣の4中隊の所属だ

とりあえず、大叔父のことをご存知かと聞いてみた




大叔父は所属は機関銃中隊でも

実勤務は別の所だったようなので

私としては行動経路から大隊本部もしくは支隊本部で

勤務していた可能性が高いと見ていた




大隊本部で勤務をしている人間と中隊勤務の人間とでは

交流はなかったのですか?と聞いてみた

おじいさんは下士官だったため大隊本部に

行くことはなく、本部の人は誰も分からないと言われた

平時であれば少しは交流もあるかもしれないが
 
戦闘している時は、隣の中隊でさえ、全く分からないそうで 
 
それでも、中国に駐屯していた平時に中隊にいれば

中隊の中では、皆必ず知っているはずだとも言われた

…と言うことは、大叔父は中国にいる時から

中隊では勤務していなかったことになる



続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 448

さかのぼる事、おじいさんちに伺う数日前

何をどう調べればいいのか途方に暮れていた2012年の夏

靖国で「大東亜戦争開戦70年展」と言う特別展示会があり

なんとなく足を運んでみました


 

ついでに、その近くに「しょうけい館」と言うのがあると聞き

そこも行ってみましたがお休みでした

しょうけい館とは、戦傷病者資料館なんだそうです

聞いただけで身震いしそうだけど、ビルマでの一般的な

患者搬送などの話が聞ければいいなと思います

いつか、このしょうけい館にもまた行こうと思います





靖国では時間も無く慌しく見て回ったのですが

残念ながら、直接大叔父に関することは無いようだった

しかし、未だに遺族から新たに資料などが提供されているのには驚いた

ピックアップされていた青年達は、どう言った経緯で選ばれたのだろう。。。

大叔父も、いつか何かの折に特集してもらえたら喜ぶだろうか?




ここには、個々の顔写真が展示され、その名簿一覧も公開されている

しかし、大叔父の写真は無い

それらの写真は、遺族から祀ってほしいと寄せられたものだった

祖父は、何らか思うことがあり写真を送らなかったのか

そう言うことをしてもらえると単に知らなかったのか

今となっては分からない

一時期、大叔父の写真も祀ってもらおうかと考えた時もあったが

祖父がしなかったことを、私が勝手にすることは

良くないかもしれないと思いとどまったのでした




展示されていた戦死された青年の遺品などを拝見していると

遺族は何十年経っても遺族で、忘れていないのよねと思った

そして、外人さんも含め、多くの方が見学されているのに気付いた

若い世代の人も関心を持ち、じっくりと展示物に見入っておられる




戦争があった歴史を忘れてはいけない

国のために散っていった多くの命があってこそ

今の日本があることに感謝して、忘れてはいけない



私の大叔父の調査は、少しおかしな人だと思われても

悪いことではないと思う

もう少ししっかりしないといけないなぁと思い

ちょっぴり勇気をもらって

この全ビルマ会の最後の60連隊のおじいさんに

突然、連絡を取ろうと思い立ったのでした




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 447

インパール作戦に参加するまで60連隊は中国にいた

そこでのことをおじいさんは「平時」と呼ばれた

中国戦線では、少しの小競り合いがあったくらいで

平穏無事な生活を楽しんでいたらしい

大叔父も中国で約4ヶ月ほど過ごしている

のどかな楽しい外国気分を味わったのだろうか
 


その頃の写真が山ほどあって大切なアルバムを拝見した

そこに写る青年達は今の青年と変わらず

写真を撮られるのが少し恥ずかしそうな顔で楽しそうに笑っていた

中には小銃をかっこよく構えてポーズを決めている写真など

戦時中であっても昔であっても若者は若者である

たくさんの若者が白黒写真に生き生きと映し出されていた

しかし、そのアルバムは戦死した戦友ばかりを集めたものだった

ほとんどがインパール作戦で亡くなったそうです

ここに笑っている人達が全員戦死って。。。

涙があふれそうになった



おじいさんは戦後、意を決して京都新聞で戦友の写真を掲載し

遺族の方に写真をもらっていただこうと遺族を捜したそうです

何人もの申し出があり、写真の一部は遺族へと帰って行った

それは昭和53年のことである

「もう少し早かったら」と私の調査が遅くから始まった事に対し

おじいさんは残念そうでした



中国では本国への手紙もたくさん出したそうです

もちろん検閲はあるが比較的自由だった

それがインパール作戦参加でビルマ入りした途端

平時ではなくなり

手紙どころか写真さえも1枚もなかった



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 446

おじいさんは大叔父と同じく大正7年生まれの94才 (2012年現在)

昭和14年入隊の志願兵だった

俗に14年兵と呼ばれる(入隊した年を当てはめる)

大叔父は大学を16年に中退した後も志願はせず

18年の招集兵(補充兵)だった



「私は志願兵です」と誇りを持っておられるようだった

おじいさんの最終階級は軍曹

14年から終戦まで戦い抜いた古参兵

今まで全ビルマ会や、京都60会では

将校としか話したことがなかったが

ここに来て、初めて叩き上げの下士官と話した



立場が違えば物の見え方も違い

将校に比べると全般的なことは見えていないが

現地の状況など詳しく教えて下さった



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 445

全ビルマ会には60連隊の方は2人だけおられて

そのうち1人は2年前の2010年に他界されている
 
その方は、60連隊発行の唯一の書籍「二つの河の戦い」の代表者だった方

2年前と言えば、私が全ビルマ会にたどり着く1年前

もう少し早ければと思うととても残念だ



60連隊には、京都60会と東京60会があった

このおじいさんも元々は京都出身で、東京に住まわれた

この方が、東京60会の最後の生き残りのおじいさん 



おじいさんとの会話に備え

大叔父の経歴を簡易に大きな文字で書いた文書と

筆談になってもいいようにペンと用紙を持参した 



私の持参した大叔父の資料にとても驚かれて

本気度が伝わったようで積極的に協力して下さった 

おじいさんは、とても楽しみにしておられたようでした

おばあさんも、お菓子や果物など、次から次へと運んできて下さって

当初は不安だったが、思い切って来て良かったなと思った



続く…



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ミャンマーに思いをよせて 444

おじいさんちの地域は、なぜか電話が不通だった

9月に入ったとは言え、まだ残暑厳しく

暑さの汗と、焦りの冷や汗で困ってしまう

バス停からは近いと聞いていたので

先ほどのパン屋さんのようなお店で教えてもらった




ほどなくして、おじいさんちに無事到着

おじいさんちは、真新しい立派なお家だった

インターホンを鳴らすと、おじいさんが大歓迎で出迎えて下さった

おじいさんちにお邪魔させていただき

早速お話を伺うこととなった



警戒されていた奥様も、偶然、資料を入れて行った

全ビルマ会の封筒を目にされ、安心してくださったようだった

全ビルマ会の参加者の様子や

京都60会のお話をすると、「○○さんはお元気ですか?」と質問され

お元気ですよと言うと、とても嬉しそうにされていました

特に、大叔父の中隊最後の生き残りのもう1人のおじいさんとは

仲良しのお友達だったらしく、先日、お電話で声を聞いたことを話すと

奥様もとても喜んでおられた



おじいさんは、アルバムや資料等をたくさん積み上げて

準備してくださっていた

すぐにでも本題に入りたい気持ちを抑えて

おじいさんのお話を聞き入ったのでした



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 443

おじいさんから道順をお聞きし

次の日は、仕事を早々に切り上げ

中野の駅前のデパートで

手土産に涼しげな水羊羹を選んだ

水羊羹なら食べられるかな?喜んでくれるかな?

颯爽とおじいさんちに向かった



中野駅前のバスターミナルの案内図を見る

しかし、おじいさんから聞いていたバス停の名前がない

何度探してもない、、、「長田○○前」、、、

他に似ている地名はないかとよく見ると「野方○○前」がある

「ながた」ではなく「のがた」だったようだ

私はご老人の発音が聞き取れなかったのだ

その後も、発音の聞き間違いの地名に振り回されながら

なんとか、おじいさんちの近くまで来たように思った



昔の街道を思わせるような下町の優しい雰囲気の町

早速おじいさんちに電話したが、なぜか電話が通じない

携帯はダメで、近くのパン屋さんのような雑貨店の

公衆電話からかけてみる、すると只今この地域は

回線がどうのこうので繋がりませんみたいな

アナウンスが流れた

こんなアナウンス初めて聞いたよ

…電話が繋がらない、おじいさんちはどこ~



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 442

大叔父が60連隊にいなかったとの証言が相次ぎ

途方に暮れていた時、ふと思い出した

そう言えば、全ビルマ会にも、もう1人60連隊の方が

いらっしゃった



その方は、名簿には載っているが

もう会へは出席されていないので、お会いしたことはない

中野は近くだし、お話しを聞かせてもらえないだろうかと

早速お電話をしてみた



やはりお耳が遠く、奥様が対応して下さったが

怪訝な雰囲気で、妖しい電話だと思われたようだ

おじいさんは大歓迎で是非来て下さいと言われるが

奥様は、素性の分からない私を家に招くことに

反対のようで、電話口で迷惑そうに

ヘルパーさんが来るからとか、通院するからと

遠回しに断られる



奥様の対応が一般的だと私も思う

今の時代にビルマだとか、60連隊だとか語る人が

突然電話してきて、話を聞きたいなんて変だろう。。。



おじいさんは、「我が家にはビルマの木があるんです。

それを是非見に来て下さい」と言われる



偶然にも、次の日、仕事で中野に行く用事があった

「明日、お伺いしても宜しいですか?」と半ば強引に

また今度はないかもしれないと言う思いで

申し訳なかったが、奥様を振り切って、おじいさんちに

会いに行く約束をした



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 441

2012年の夏を目前に

ミリタリー雑誌「丸」への掲載を控え

原稿をまとめることに奮闘していた



膨大なブログの量から、私的な部分を削り

規定の字数で旅行記に仕上げる

ダイジェスト版のようになり、内容が伝わるか

心配になるほど短縮し詰め込んだ



正統派の雑誌に、素人の女性の珍しい記事

おまけにペンネームはカタカナで「パンダジュエリー」

なんやかんやとご指導をいただきながら

待ちに待った、第一回の掲載にやっとこぎ着けた



これで全国に紙面で大叔父の情報提供を呼びかけられる

文末には「師団クラスで通訳をしていた可能性大」と

付け加えていただき、「丸」のご配慮で

添付ハガキの読者カードで情報がいただけるよう手配して下さった



さすがプロ、私の写真や文章を素敵に編集して下さった

嬉しさと情報提供の期待に胸を弾ませ

掲載誌を、お世話になっているビルマ会の会長さんや

ビルマへご一緒した親子、父や伯父に送った



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 440

時折、大叔父の階級:甲種幹部候補生 軍曹が

おかしいのではないかと複数の人に言われる

私には何がおかしいのか分からなかった

ミリタリー雑誌「丸」への掲載を控え

丸の編集部からも同じ質問が来た



何がおかしいのだろうか?

下士官だとか将校だとか、階級の区分さえ

よく分からない私、、、

当時の階級制度を調べてみることにした



大叔父は補充兵として臨時招集されている

昭和13年4月時点での改正陸軍補充令により定められた

規則によると、幹部候補生は、兵として在営4か月以上が

条件であり、採用時に一等兵→

採用後におおむね部隊教育2か月で上等兵→

採用後3か月で甲種・乙種に区分に至る



その中で、甲種幹部候補生は、区分後1か月で伍長→

さらに3か月後(採用から通算7か月後)に軍曹→

その後、原則として学校で教育を修了した後に曹長→

見習士官を経て、晴れて少尉になる

階級の昇進期間は、戦争末期には、逐次短縮されていった



大叔父の最終階級は軍曹

戦病死したため、特別昇級したがどうかは定かでない

全ビルマ会の会長さんにお聞きすると

「この人はかわいそうだね、もう少ししたら学校に行って

少尉になれたのに」と言われた

甲種幹部候補生の指定を受け、昇級の途中に戦病死し

学校に行く前に亡くなったと言う



続けて会長さんが語る

「この頃はね、ドンドンと階級が上がったんだよ」と

先に述べた戦争末期には昇級期間が短縮されたことを

しっかりと証言された



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 439

先の中隊最後の生き残りと言われたおじいさんが

通訳と言う特技を持っていたなら

中隊所属でも、勤務地は違うところに派遣されていた

のではないかと言われていた



もし、家族が伝え聞いた「通訳」と言う仕事がほんとうならば

戦時下のビルマで、通訳を必要としていた部署は

どこなのだろう?

連隊にはいなかったとなると、その上の師団クラスの

どこかにいたのだろうか?



大叔父の1大隊だけは、祭師団ではなく、弓師団の

山本支隊に編入されていた

しかも、弓師団しか通らない地名を大叔父は

通っているところから、師団クラスにいたとすれば

弓師団本部もしくは、山本支隊本部にいた可能性が

高くなるのではないか?



弓師団…山本支隊かぁ、、、

大叔父を捜すのは、かなり難航しそうな気がしてきた

山本支隊は臨時の寄せ集め部隊だったため

戦友会などを探しても見つからなかった

(※もし山本支隊の戦友会があればお知らせ下さい)

この先、どう調査を進めて良いか分からなくなった



続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 438

恐る恐るもう1人の生き残りのおじいさんに電話した

ご家族が出られて、最初のおじいさんからのご紹介でと

前置きし、簡単に説明し、大叔父をご存じかどうか

聞いていただくこととなった

おじいさんとの直接の会話は出来ず

ご家族が大声と筆談で通訳して下さった



ご家族が60連隊の名前を出すと

電話より少し離れたところから、おじいさんが大声で

「わしは60連隊や!!」と叫ばれたのが聞こえた

最終階級や甲種幹部候補生、氏名の漢字を伝えると

電話の向こうで「神居(かみい)なんて人は60連隊にいない!!」

と聞こえてきた



「わしは、軍曹も全部知ってる!!60連隊にいた人は全部知ってる!!」

「そんな人はいない!!」と

早口で興奮されながら大声をあげておられた



ご家族は「…そんな訳で、知らないと言っています

お力になれずスミマセン」ととても恐縮されていた

出来れば、細かいお話しもお聞きしたかったが

とてもじゃないが、難しそうだったので

早々に切り上げ、お礼を述べて電話を切った



お体に障るではないかと心配になるくらい

60連隊と聞いた途端、大きく反応されたおじいさん

おじいさんの中で、今でも60連隊でビルマで戦ったことは

誇りなのかもしれない



しかしながら、60連隊での大叔父の存在が

こうまでして否定され続けることに私はかなり落ち込んだ

命をかけて戦ったのに、そんな人は知らない・いなかったと

言われる大叔父が不憫でならなかった

ほんとうに大叔父は60連隊にいなかったのだろうか?

いなかったとしたら、どこにいたのだろう。。。



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 437 

大叔父の中隊最後の生き残りと言われていた

おじいさんから、もう1人生き残りがおられると聞き

ほんとうに驚いた

おじいさんから連絡先を教えてもらい、連絡を取ることにした



でも何故、もう1人おられたのに

教えて下さらなかったのだろう。。。

先の情報提供者にお聞きすると

その方はご健在だが、お耳がかなり遠く

会話がままならないため、会への出席もない

だから、最初のおじいさんが、きちんとお話しが聞ける

「最後の」生き残りと言う説明になったのだそうです



会話がままならないご老人、お電話で大丈夫だろうか…

そうでなくとも、この時代に若い(?)女性からの

変な問い合わせと言うことで、怪しまれることが多いため

概要を、かいつまんで説明するだけでも苦労しそうだ。。。



嬉しい反面、気が重く、ためらってしまった

しかし、やる前からくじけていても何もならない

明日もお元気だと言う保証はない

私は緊張しながらお電話したのでした



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 436

運良く、おじいさんが電話に出られた

お元気そうで、私の事も覚えて下さっていて一安心



早速、本題に入った

大叔父のことを色々と尋ねたが

おじいさんは、インパール付近で

大隊とも中隊とも少し離れて通信に携わっておられたとかで

あまりよく分からないと、話を濁された

なんとなくビルマのことを話したくないような

雰囲気を察した



無理に聞こうとは思わないので

諦めて電話を切ろうとしたところ

「私は大叔父さんのことを知りませんけど、

同じ中隊の他の人だったら知っているかもしれません。」

と言われたのだ

…同じ中隊の人???中隊最後の生き残りだったのでは?

もう1人、大叔父と同じ中隊の生き残りの方が

おられるとの初耳に私はとても驚いたのでした



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 435

全ビルマ会の総会を終え

少しやる気になってきた私は

お正月にお会いした、大叔父と同じ中隊最後の

生き残りのおじいさんはお元気かしら?とふと思った

もう少し詳しいお話しも聞きたい

次にお会いできるのは、また次のお正月

また今度と言っていては、今度がある確証はない



聞きたい内容については

・おじいさんが甲種幹部候補生の教育に携わっておられたのは
 昭和何年~いつまでのことか

・豊橋で教育したと言われていたが、豊橋って?

・中隊にいなかったとしても、大隊本部や連隊本部で
 勤務していた可能性は?

・大隊本部や連隊本部にいた場合、中隊の所属の人とは
 交流はないのか?分からないものか?



おじいさんに早速電話を入れてみた



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 434

その後、持参した様々な資料を
 
皆さんに見ていただきました 


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どちらの名簿にも、大叔父の名前はあります

他には、親戚から譲り受けた○○大学関連の遺品など

 


まだ終わっていない私の地道な調査活動を改めて知っていただき

若い遺族の方まで、協力して下さるとの申し出に感激した 

大叔父と同じような境遇のおじいさんのお話しも聞け

諦めずに頑張ろうと勇気をいただいたのでした




母と同じような境遇の年配の遺族の方とも知り合った

もう少し早かったらもっと調べられたのにねと言われていました

その方も、かなり苦労して人づての紹介で渡り歩き

叔父さんの詳細を調べられたそうです

その方が、「あなたは選ばれたのよ

この娘だったら探してくれるって」って

以前に何人もの方から言われたことを、ここでもまた言われた



スピリチュアル系の世界の話はよく分からないが

たくさん従兄弟や親戚がいる中

私だけが会ったこともない大叔父のことで動いた

なぜ始めたのか、どうしてここまで頑張って必死になっているのかは

自分でも分からない

きっと大叔父は天国から喜んでいると思う

今日の出会いが何かの収穫に繋がると良いなぁ




今回も、残念ながら大叔父をご存知の方には巡り会わなかった

全ビルマ会には山本支隊の方はおられないそうで

この後の雑誌掲載で全国に呼び掛けることに期待した



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 433

そのおじいさんの場合

大叔父と同じく昭和19年の4月下旬に

インドで負傷し、後方の野戦病院に下がるよう言われ

自力で下がったが、野戦病院は機能しておらず

ここにいたら死ぬと思い
 
自力でもう1つ後方のビルマ国内の集結地に移動したそうです

そこまでの移動は、1人で徒歩で山脈地帯を3ヶ月かかったそうです

その間、お米は1度も口にしていない



ビルマ国内に入ってからは、トラックで運ばれて

それでも大きな川を渡ったりするため

病院へは2ヶ月かかり、トータル5ヶ月かけて辿り着いたそうです



大叔父は4月下旬に前線を離脱し、7月末に病院で亡くなっている

メイミョウの看護婦さんだったおばあさんの証言よると

まだ7月の段階では、メイミョウの兵站病院には

薬も食糧も存分にあった

しかし、大叔父は亡くなった



以前は、病院なのに、3ヶ月も入院してて

回復せず、亡くなるものなんだなぁと思っていたが

もしかしたら、病院までの搬送に時間がかかり

7月の亡くなる直前に病院に辿りつき

すでに手遅れの状態だったのではないかと、思えてきた



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 432

総会が始まる前の受付では

係のおじいさんから

「あんたどこかで見たなぁ、会ったことあるよね?」と

聞かれた…が、毎回会ってます・毎回お話してますよ~

おじいさんの長い人生の記憶の中では

私との出会いはそんなものなのねと苦笑しました

 

全ビルマ会の総会は20~30人くらいの参加だった

自己紹介の時間もあり、大方の目星を付けて

そのおじいさんの元へ駆けつけた



大叔父は、祭師団だとばかり思い込んでいたため

祭師団のことしか調べていなかった私

歩兵60連隊は確かに祭師団の隷下だったが

大叔父の1大隊だけは、弓師団の山本支隊に

編入されていた 



弓師団のおじいさんにお話しを聞いた

残念ながら山本支隊の方はおられなかったが

大叔父の近くにいたと思われる方の話を聞くことが出来た



大叔父の軍歴表は、前線のインドからビルマ国内の兵站病院まで

およそ700kmも搬送されていることになっている

それは、とても稀なケースらしく

誰に聞いても恵まれているとか

そんな話は聞いたことがない、その軍歴は間違っていると

言われていた



しかし、そのおじいさんも

インドからビルマ国内の大叔父と同じメイミョウの兵站病院に

行った経歴の持ち主だった

稀だろうが、ほんとうにそんな人が他にもいた!



続く…


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暑中お見舞い申し上げます

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

昨日は久しぶりにブログランキングが1位に嬉しいです

いつかいつか完結したら本にしたいなぁと思っています

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近況報告としましては

ここ数日、大学側からの情報提供で大きな新展開がありました

あまりにも濃い展開に、ついて行けない~

ほんとにスゴイんです

調べる事が膨らみすぎてパンクしそう

隠れた歴史の勉強って大変です



歴史に影響を与えたビッグネームが

関わっていたような気配も出てきました

大叔父の○○大学だけじゃなく、他の大学も関係しているようで

私なんかのレベルでは調べられないほどのスケール

もう、頭がパニックでどうしていいのか分からないです、、、

専門家に相談しようかとか色々と考えますが

歴史の解明が目的ではなく

大叔父をご存じの方や、大叔父の名前が記された名簿などに

たどり着ければそれで良いと思っているので

どこまで手を広げれば良いのか分かりません



なんじゃコレと、呆れてみんなが笑うほどの話になってきました

これがノンフィクションだからスゴイよねと

大叔父は、隠された歴史に選ばれて翻弄されたようです

もし作り話としたら、かなり完成度が高く

本や映画になってもおかしくないよと言われる(>_<)



一方、先日、趣味兼お仕事のジュエリーの展示会では

「ミャンマーの記事を書かれていますよね」って

お声かけいただきビックリしました(゚∇゚ ;)エッ!? 

少しずつですが、このブログが広がって

大叔父の情報が寄せられることを祈っています 

そのためには、早く記事の内容を進めないと。。。



これから急速に歴史の裏側の濃い話になっていきます

今後ともどうぞお付き合い下さいm(_ _)m

暑さ厳しい折、皆様におかれましてはご自愛下さいませ



                            2013.7.13


ミャンマーに思いを寄せて 431

全ビルマ会の総会に出席した

昨年の靖国での慰霊祭では、遺族会の会合で

おじいさん達から、ほとんどお話しが聞けなかったので

今回こそは!と、望んだのでした



総会では、収支決算などの通常の報告の他に

前会長さんが倒れられたので

副会長でミャンマーに一緒に行った

おじいさんが会長さんになられた

皆さんとてもご高齢のため、刻々と入れ替わり

徐々に名簿から消えて行く…

何が起こっても不思議ではない

次にお会いできる確証はないのだと痛感した



それでも、最高齢は100才のおじいさんが参加されていたり

他の方も100才に近いのに、本を出版されたりと

とても100才に近い方々の集まりとは思えないほど

お元気で生き生きとし、エネルギッシュだ



私はお食事もそこそこに、おじいさん達のお話しを聞くために

動き出したのでした



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 430

2012年5月

出版社との雑誌掲載の打ち合わせがあった

潮書房光人社のミリタリー雑誌「丸」に

やっと9月から連載が決定した!!

(※2012年9月号~2013年1月号まで掲載済)

 

担当者とはお電話やメールで、1年以上交流していたが

お会いしたら若い方で、このブログ記事を全く読んでいなかった

(ちょっぴりムカっときたりして)



現代に生きる戦史と全く縁のない女性が
 
ふとしたことで、大叔父の足跡を調べて、やっとミャンマーに行った
 
と言うのが、題材として「面白そう」だとしか

思っておられなかったようで

詳しく説明し、調べた事項や、山ほどの資料をお見せしたら
 
とても驚かれました

えっーと…ずっと1年以上前から伝えていたのですが(T_T) 
 


併せて「当時をご存じの方がほとんどいなくなってきているので

早く呼びかけたい」とお願いした

 

最初は、旅行記だけを、原稿用紙10枚程度で

と考えておられたようだったけど

どう考えても無理で、そこで大幅に拡大して下さることとなり

「ミャンマーに行きました」「行くまで」「行った後」の

3部構成での連載が決定した

(今のところ、「行くまで」「行った後」については

実現しておりませんが、、、) 

よく分からないが、とにかく良い方向に向かった



その後は、記事の指導をいただき、校正を受けた

ただ、ブログでは「○○なのかなぁ~」とか「なぁんて」とか

おまけに顔文字も使っていたので
 
それを「である、だ」調に変えるのに、とても苦労した



そして、私的な部分を削り、旅行記に。。。

今回は、情報提供を主な目的としているので

いつか本として出版する際には復活させようと思った



雑誌掲載の目的は、もちろん大叔父の情報収集

インターネットはどうしても高齢の方は見ないので

全国誌ならもしかしてと期待する



それからは原稿に追われる日々が続いた



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 429

気持ちの整理がつかず、混沌とする中

月日だけが過ぎていった



2012年3月

忘れていた物が届いた

それは、昨年のミャンマーで記念に買ってきた

ヒスイのリングだった

RIMG0329







何か1つでも自分へのご褒美にと買ってきた物

彫刻が得意な知人にお願いして預けておいたのを

すっかり忘れていた



昨年の今頃、私はミャンマーに行ったんだよね。。。

結局、大叔父はどこの部隊にいたのだろう

自分が納得いくまで、もう少し頑張って調べてみよかな



ミャンマーの件を諦めかけた時

いつも何かしらのアクションが起こる

大叔父が激励してくれてるのじゃないかなと思うときもある



決して高価な物ではなかったが

ミャンマーの翡翠のリングは

私にやる気と勇気を与え

ようやく重い腰を上げたのでした



続く…


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ミャンマーに思いを寄せて 428

その頃、一方では、遅々として話が進まない

雑誌掲載の担当者に苛立ちを覚えていた

素人のつたない文章を、雑誌に掲載してほしいと

出版社に交渉するのだから

なかなか進まないのはしかたがないのだろうが

1年半も同じ状態のまま放置され

このままうやむやにされそうな雰囲気に

ダメならダメでもいい、ハッキリとした結論が欲しかった



担当者からは、ブログの文章を原稿用に修正して

提出してほしいと要望があり
 
初めてで、原稿の書き方がよく分からなく

とりあえず、途中まで提出して、ご指導をいただくように

お願いしたが、お忙しいようで、ずいぶんと放置されている

同じ書くのなら、修正が少ない方が良いので
 
そのご指導を受けてから進みたいと言う思いがある



必ず載せます、編集長に話を通してありますからと言う言葉を信じて

何度も何度も調整して、1年以上経つので

さすがに、進展を希望しますとのメッセを送った



雑誌に掲載されれば、より一層多くの方の目に触れ

大叔父の情報が寄せられる可能性が大きくなる

僅かな期待を胸に

歴史の生き証人がおられるうちに

どうかどうか早く掲載してほしいと願うのでした



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 427

お正月に調査が少し進み安堵した

しかし、戦史や軍隊のことがあまり分からない私にとって

出くわす言葉や事柄はとても難解で

その度に調べては、少しずつ少しずつ理解した

しかし、分からないこと・調べることが膨大すぎて

調べる気力が尽き果てかけていた



調査が進むにつれ、大叔父の詳細が

反対にどんどん分からなくなって来る
 
いつになったら終わるのか、検討がつかない



ミャンマーにも行って慰霊をしたし 

中隊最後の生き残りのおじいさんにもお会いしたし

おじいさんは、大叔父は中隊にいなかったと言われるが

これ以上は、もういいのでは。。。と言う思いと

もう少し探したら、大叔父をご存じの方にお会いできるかもと言う

思いが、錯綜する



正直、こんなに頑張って、歴史の勉強をしても

主婦の私には何の足しにもならない(>_<)

周りの人からは、おかしな人だと思われているだろうなとか

気持ちの整理がつかないまま季節は流れた



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 426

この大学側からの校友名簿発見のメールを発端に

このブログに60連隊の遺族会関係者から情報提供があったり

恒例の11月3日の全ビルマ会の靖国神社での

慰霊祭に参加したりと

停滞していた大叔父の調査は、にわかに活気づいたのでした



そして、2012年のお正月、60連隊の慰霊祭に参加し

大叔父と同じ中隊の最後の生き残りのおじいさんにも

お会いすることが出来た

新たな情報も得ることが出来た上

親戚からは、大叔父の遺品を譲り受けた



そのご報告とお礼を込めて、大学側にメールをした

受験票、学生証、身分証明書などがみつかったことに

とても感激しておられるご様子

本学にとっても重要な資料となるため

ぜひ、それぞれの写真を送ってほしいと言われていた



きっと、こんな資料は、大学側にもたくさんあるだろうけど

写真を綺麗に撮って、後日送ってあげようと思いました
 



続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 425

2月にミャンマーから帰り、大叔父の大隊がまだ不明だった頃

せっかくミャンマーまで行ったのに

大叔父の1大隊だけ、別の師団に編入されていて

思っていた経路も師団も違うことを現地で知り

落胆したまま、重い腰が上がらなかった

また1から調べないといけない。。。

早く調査をしなければと思いながらも

ブログの更新もままならず

季節は、夏が過ぎて秋にさしかかろうとしていた



これからどうしたらいいのだろう

私はどうしたいのだろう。。。



すると、大学側から、当時の校友名簿(16年12月発行)を見つけ

その中に大叔父の名前もあったと嬉しいメールをいただいた

大学への届出住所が山形県○○市○○町となっていたことを

不思議に思われてメールを下さったのだ



曾祖父は、山形の出身だった

山形では校長先生をしていて、数学博士だったと聞く

祖父の叔父が関西在住だったため

祖父は叔父を頼り、山形から関西へ来たようだ

そして大叔父も、兄の祖父を頼り、関西の中学校を

受験し、そのまま大学まで通った

曾祖父も晩年は祖父のところに身を寄せた




そのため、まだ学生時代は、本籍地は山形のままだったのだろう

大叔父の戸籍が祖父のお寺に移されたのは

出征後もしくは戦死後のことではないかと思っている

戸籍を確認しても、移管された時期は分からなかった



いつも難題にぶつかったり

諦めかけたとき、何らかのアクションがあり

その度に、やっぱり頑張らなくちゃと思い直すのです

今回も、ご無沙汰していた大学側から

思わぬメールをいただき、私的なことにもかかわらず

大叔父のことを気に掛けて下さっていたことに感謝し

私ももう一度頑張ろうと思うきっかけとなったのでした



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 424

伯父から託された大叔父の遺品

たくさんある中から伯父が偶然選んだのか

それらが今後の私の調査に役立つのか

全く分からない

なんだかよく分からない物も含まれている

それでも、当時の物が残っていたこと自体

とても貴重だと言うことは分かる



茶色に変色した昔の紙

大叔父が実際に手にとって使用していた物もあった




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大学の学生証

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○○中学時代の成績表

旧制の中学校って5年制だったのね

成績を見ないで~と天国から言われそう(笑)

中学から英語が必修科目でありました




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徴収延期証書

学生時代は、まだ本籍は山形だったようです




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受験票

神宮皇学館って、神主さんの学校???お寺の家系なのに…?




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手紙類

○○大学からの手紙もあった

大叔父は学生幹事もしくは級長だったようです

大叔父本人が祖父に宛てた手紙もあった(出征以前)

中には配給がどうのなど、時代を感じる内容だった

初めて見る大叔父の直筆は、とても美しく達筆だった

書き方は、昔の言葉で、やや分かりづらかった



この他にもテストの順位表や

鉄道の切符、遊園地?の半券などが入っていた

鉄道の切符は乗車記念に大事にしていたのだろうか?

曾祖父も祖父も、何でも大事に置いておく人だったそうです

大叔父も何でも記念にと置いていたのかしら。。。



何はともあれ、よく残っていてくれた

約70年間眠っていた大叔父の遺品は

数奇な運命により、姪っ子のその子供の私の元に来た

普通だったら怖いとか汚いとか思うかもしれないけど

私はそれらがとても愛おしく思えた

私の所に来てくれてありがとう、大事にします



続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 423

霊山観音での慰霊祭を終えたお正月

祖父のお寺にお墓参りに行った際

伯父にもその報告をした

最初は、大叔父の調査について

あまり協力的とは言えなかった伯父

何故、今頃?大叔父に会ったこともない私が?と

怪訝な雰囲気だった

当然と言えば当然だ



数日後、伯母が渡したい物があるからと訪ねてきた

手渡された物は、大叔父の遺品だった

私宛の名前の書かれた袋に入っていた

数少ない大叔父の貴重な遺品を私にと譲ってくれたのだ



私は泣きそうなくらいとても感激した

伯父には、あまり大叔父の調査のことを言わない方が

良いのではと思った頃もあった

大叔父は、伯父にとっても叔父に当たり

幼かった母よりも、きっとたくさんの思い出があるに違いない

伯父は黙って私の頑張りを見てくれていたのか

伯父の優しさに気づき、感謝した



すぐに伯父に電話した

大叔父の遺品を大事にしてくれと伯父は言葉少なげに言った

おっちゃん、ありがとう、ほんとうにありがとう




続く…





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ミャンマーに思いを寄せて 422

小雨降る、冷え冷えとする京都の霊山観音での

慰霊祭を終え、慰霊碑を後にする際

「隣には中野学校の慰霊碑もあるんですよ」と言われた

中野学校???中野学校ってあの有名な中野学校よね?

東京じゃなかったっけ???なんでここにあるんだろう?

となんとなく不思議に思ったのでした



その後、会食し、おじいさん達の話を聞いた

大叔父の消息は結局分からなかったが

当時の様々な貴重なお話しを伺い

特に、大学での写真のお話においては、大収穫だった

おじいさんは、今でも手帳の中に、○○大学時代の

自分の写真を入れておられて、私に見せて下さった

おじいさんにとって、大学生だったことは、誇りのように感じた

「あの頃、大学に行ってる人なんて、そんなにいまへんやろ

結婚してくれ・結婚してくれって、よ~さん(たくさん)の人に

言われましたわ」

「戦争に行くって言うのに、それでもええって言うんですわ」

「大叔父さんもモテてはったと思いますえ」

もっともっとお話しを伺いたかったが

時間はあっという間に過ぎて

とても名残惜しかったが、お開きとなった



続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 421

初めての京都60会の慰霊祭参加を終えた

感想としては、どこの戦友会・遺族会も

戦友会から遺族会への世代交代の問題があり

存続が危ぶまれる中、みなさん一生懸命

頑張っておられて、ここ京都60会もしっかりとした会だった

ビルマと言う繋がりだけで、普通に考えれば少し胡散臭いであろう

若年層の私を快く迎え入れていただき、親切にして下さった

とてもありがたく感謝した



ただ、戦友会・遺族会を存続するためには

慰霊したいと言う精神面や、遺族の献身的な支えの他に

実質的な経費も必要となる

会員数の多い大きな会であったり、心大きなお供えがない限り

難しいのが現実的なところか。。。



初参加の私にも、少なからずその期待があるように感じた

単純におじいさん達の話が聞きたいと参加しただけだったので

今まで大叔父も慰霊してもらっていたと言う頭が無かった

後日送られてきた、お気持ちだけでと言う振り込み用紙を前に

正直、困ってしまった。。。

全ビルマ会ではこういう事がなかったので

どれほどおじいさん達に甘えてきたのだろうと痛感した




続く…




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