ミャンマーに思いを寄せて

亡き母の思いを果たすべく、ビルマで戦死した大叔父の足取りをたどる私の奮闘記録☆

2014年01月

ミャンマーに思いを寄せて 620

大叔父の遺品の手紙は

この昭和18年初頭の物は2通ある

どちらも東京から出された物であった





どちらも父と兄の連名(私の曾祖父と祖父)宛だ

大叔父は、大学に通っていた頃は

京都・伏見の姉婿宅に下宿していたが

その後、帽子屋さんに就職した際には

祖父のお寺に身を寄せていたようだ





そして、東京に引っ越した後

東京で、配給が受けられないため

先の居住地であった祖父のお寺で

配給を受けていた証明書を送って欲しいと

言う内容と、1通目では、下宿先が

見つからないため中野の姉婿の家に

居候していると書かれており

2通目では、東京での下宿先が見つからず

配給も受けられないため

このままでは京都に帰ることになってしまうので

早く証明書を送って欲しいと懇願していた







その2通それぞれ

便せんとして、社名の入った用紙を

使っていることから

そこが就職先であったのだろうと判断している





1通目は、関西での就職先の帽子屋さんの用紙

2通目は、東京での就職先の機械工業の用紙



RIMG0579










続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 619

大叔父の遺品から、昭和18年初頭に

東京・中野の姉婿の家に

移り住んだことが分かっている





大叔父は、昭和16年7月に○○大学を中退し

昭和18年4月に招集されるまでの間は働いていた

伯父が言うには、関西にいた頃は

神戸の帽子屋さんに勤めていたらしい





その話をすると、軍事関係に詳しい人達は

皆、口を揃えて「怪しいなぁ」と言う

何が怪しいの???





実は、市川雷蔵主演の陸軍中野学校と言う

映画の中で、中野学校の学生は、様々な訓練を受け

一般社会に溶け込み、そこで諜報活動をしていた

映画では、主人公が卒業試験として

アメリカ帰りの「洋服屋」に成りすまし

工作活動をしているシーンがある

そのため、それと重ね合わせて

大叔父の勤めていた「帽子屋」と言うのが

怪しいと、皆が言うのである





伯父に「なんで帽子屋さんだったの?」と聞くと

大叔父さんは、とてもおしゃれだったと言う

帽子を作っていたのだろうか?




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 618

颯爽と中野駅に降り立った

先ほどまでの凹んだ気持ちも晴れて

ちょうど資料も全部持ってきているし

まずは中野区役所を目指した





中野区役所のHPは以前から拝見していた

よく整備された、とても興味深いHPである

特に、「中野の魅力」ページの

「中野写真資料館」では、当時の貴重な写真が

たくさんあった

明治・大正期からの駅の移り変わりや駅前の風景

商店街の発展

出征兵士を見送る風景や

空襲に備えた訓練風景

昭和7年頃の中野電信隊付近の航空写真まで

とても充実している

大叔父もこの景色を見ていたのだろうなぁと

感慨深かった



ご興味のある方はこちら↓↓

「中野区役所HP・中野写真資料館」
http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/charm/index.html





中野区役所の場所は、ほどなく分かった

新しく整備された区域で

これから発展していくのかなと言った印象

大学のキャンパスなども隣接している





綺麗な建物に入り、入り口近くの案内の方に

「昭和初期の住宅地図を見たい」と伝えると

古い住宅地図は、中央図書館の方に移管したとのこと





図書館の場所を教えてもらい

今来た道を駅の方に引き返す

中央図書館は、区役所から歩いて

10分ほどの所だと言う

中野ZEROと言う施設の中にあり

大きなホールやプラネタリウムや

ギャラリーが備わった素敵な場所である




続く…




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ミリタリー雑誌「丸」への掲載

読者の皆様へ



いつも読んで下さってありがとうございます



記事の内容は、まだ2013年の夏ですが

ずいぶんと進んだと自負しております

これからの展開は、寒気がするほど濃いです

なんでこうなるの?と泣いたほど。。。

そして、大きな大きな落とし穴に突き落とされます

どうぞ一夏の熱~い激闘をお楽しみに!
(※全て実話です)



近日発売されたミリタリー雑誌「丸」に

ミャンマーに行くまでの記事が掲載されました


m1403[1]









200話近い記事を、1回に凝縮しましたので

かなり、簡素化した内容となりました

個人的には、かなり不満足ですxx

丸の読者様も、こちらのブログを

見に来て下さっているようです

とても嬉しく思います、ありがとうございます

文末では、情報提供を呼びかけています

丸に情報が寄せられることを期待しております




早く調査が完結して

皆様に良い報告が出来るよう

今後も頑張りたいと思います

いつも応援して下さってありがとうこざいます

皆様のポチッから勇気をいただき励みとなっております
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2014.1.28

ミャンマーに思いを寄せて 617

騙されたような気持ちになり

とても凹んで泣きそうになりながら

靖国神社の階行社文庫を後にした

私ってほんとバカだ…

来た道をトボトボと駅の方角に引き返す

来た時とは大違いの足取り

そのまま吸い込まれるように地下鉄に乗った





どんよりとした気持ちのまま電車に揺られていると

寝てもいないのに、降りる駅をとっくに通り過ぎていた

ここはどこ???と慌てた

すると、電車は中野行きだと言うことに気付く

終点中野まであと少しの駅まできてしまっていた

あ~、引き返さなければ、、、





そうこうするうちに、電車は中野駅に着いてしまった

中野…、、、ここはあの中野である

いつか調べに行かなくちゃとは思いつつ

近いのになかなか来れなかった中野

中野に、大叔父は出兵するまでの間住んでいた

学生時代に下宿していた京都・伏見の姉婿が

中野に引っ越ししたこともあり

大叔父が東京に移り住んだのは

昭和18年の1月頃だと言うことが

遺品の手紙から分かっている





中野では、中野学校と大叔父が70年前に

住んでいた家の位置関係を確認しようと

以前から思っていた





せっかくここまで来たのだからと

中野でランチでもしようかな~♪と

私は突然の思いつきで何気なく下車したのである

この時は、まさかあんな展開になるとは

思いもよらなかった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 616

その後、階行社文庫にある図書を

何冊かご紹介いただいたが、全て読んでいた

それにはさすがに驚いておられた

しっかり勉強してここまで来ているのだと言いたかった





防衛研究所の資料と、階行社文庫の資料では

取り扱っておられる内容が少し違う

防衛研究所のは、第一次資料であり

軍の正規の資料が多いが

こちらは、手記などその他の資料が多いのだそうです





そして、階行社の人が

私の持参した60連隊第一大隊機関銃中隊の

入院患者名簿のコピーを見られ

「この原本が欲しいです」と言われた


6854296_1654770482_171large[1]










もちろん私は原本は持っておらず

カラーコピーした物をいただいたのだ





こう言った資料は、なかなか出て来ないのだそうです

そのうち、持っている当事者が亡くなり

家族には価値が分からず、処分されることが

多々あるのだそうです





そして、大学講師に大叔父の資料のコピーを預けて

今後のご協力をお願いしたところ

「大叔父様の個人の資料は、しかるべき方に

差し上げて下さい。私は、その年表だけいただきます」と

言われたのである

私はとっさに言われている意味が分からなかった





大学側からもらった年表に、その他のことを追加して

まとめておいた年表があった

この人は、大叔父個人の調査には興味が無く

素人が苦労して作り上げた年表の資料だけ

欲しいと言っておられるのだ





えっ?相談に乗って下さるのじゃなくて

最初から、私の資料が目的だったの?

とても衝撃を受け、悲しかった

階行社の方は、私の資料一式を受け取られた

階行社の方は、資料に目を通して連絡しますと

言って下さったので、信じてずっと待っていた

しかし、こちらからメールも出したが

未だに何1つ連絡は来ない

後から考えれば、階行社の方もグルだった?

年表は、階行社の方から大学講師に渡っているかも、、、





大した資料ではないかもしれない

しかし、人が調べたことを横取りするような

大学講師であり研究者がいるんだと

とてもショックであった

良い人だと信じた私が大バカであった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 615

専門家の見解として、階行社文庫の偉い方は

入校予定のある者は特務機関の

人間ではないと言われたが

果たしてそうなのだろうか?





確かに一般的に、入校で部隊を留守に

することは、歓迎されるものではない

だから幹部候補生に指定された者を特務機関に

配属することはないと言われればそうだろう

しかし、特務機関側が将来の人材確保のために

内部の要員を、将校に育成すると言うことは

考えられるのではないか?





インパール作戦が始まった頃は

負け戦になるとも考えてはなく

岩畔機関→光機関は

英語に堪能な工作員を欲していた

中野学校の本科の人間も急ピッチで

増員している





大叔父が中野学校と関係していたとすれば

今までの経緯を考慮すると

二俣分校のゲリラ要員ではなく

中野学校の本科の方だと思う





中野学校への選抜は

普通は、軍人色の濃い陸士あがりの軍人ではなく

一般大学出で軍隊に入った者を要員に選ぶ

大叔父の場合は、大学を4回生で中退しているが

大学卒業と同等に扱われたと仮定して

すでに部内に配属されている一般大学出の下士官が

英語が堪能で、要員として役立つ人材だったならば

その下士官を将校にして中野本科に入校させる方が

英語に堪能な工作要員を容易に

確保出来るのではないか





戦況は刻一刻と変化し、時間がないのである

しかも、特務機関で勤務していた人間であれば

実績もあり、安全である





ましてや、大叔父は昭和14年・15年と大学在学中から

市ヶ谷~中野に通っている

そして、昭和18年初頭には中野に引越を

していることから、私は軍隊に入る前から

中野学校と接していたと思っている





時は、昭和18年~19年である

このような例は聞いたことがないが

あってもおかしくないことだと私は思う

階行社の方は否定されたが

特務機関の人間であっても

部内選考により将校になってた人はいるかもしれない

そのような例をご存じの方は

情報をお寄せ下さいm(_ _)m




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 614

考えてみれば、真剣に取り組んでいる私に対し

初対面の何も分からない人が

ほんの少し説明を聞いただけで

それら全てを頭から否定した階行社の人も変であった





ふと頭によぎった…もしかしたら、、、

中野の亡霊に階行社文庫へ先回りされた?

私が来たら否定して、諦めさせよとの命令か?

先に私の調査を全否定した老人のことを

私は中野の亡霊と呼んでいる

その後も、調査を中止させようと

裏から手を回されていたこともあったからである  



中野の亡霊の関連過去記事はこちら↓↓
「ミャンマーに思いを寄せて 556」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1890332.html




中野学校関連のことを調べていると

壁のような物を感じることが多い

過去を暴こうとか単なる好奇心ではないのに…





知人には、気をつけなさいと言われていた

何を気をつけるのだろう???

何かを未だに警戒して、よそ者を寄せ付けない

中野学校関係者

秘密を守ろうとしておられる方達にとって

私は驚異だと知人は言う





なぜかと言うと、どこの研究所にも属しておらず

正体不明な上、必死である

素人なだけに、普通の研究者の

正規のコンタクトではなく、怖い物知らずで

どんな所から攻めてくるか分からないからだそうです





私の考え過ぎかもしれないが

階行社文庫にも、中野の亡霊が先回りしたと

勝手に思い込んでしまった

戦後70年ほど経っているのに

未だに私達の知らない裏世界では

中野学校は生きているんじゃないかしら?

なぁんてまじめに思ってしまい寒気がした

そんなのがほんとにあったとしても

私には興味がない、大叔父のことが知りたいだけなのに




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 613

階行社文庫の方は

専門家としての見解は

特務機関に配属されている軍人を

甲種幹部候補生にはしないと言われた

なぜなら、甲種の場合、ある一定の期間を経た後に

学校に入らなければいけないからだ

配属された後に、学校に入るため

長期で部隊を留守にすることが予定されるような

人を特務機関に使うとは考えづらいため

特務機関の人間ではないと結論を出された





私は、一言も反論出来なかった

そうなんだ…特務機関で甲種候補生って

ありえないんだ、、、





大学側からの新たな情報にも少し触れてみたが

何の反応もなかった

石原完爾氏と大叔父の出身地は

山形県と言うだけで、全く違う場所だと言い切られ

たかだか軍曹くらいの下士官が

石原完爾氏と関係しているはずがないと言いたげだった





全てを頭から否定されてはどうにもならない

調査に対し、全ての方が善意の協力して下さるとは

限らないと分かっているものの

防衛研究所の戦史資料班のおじさんと言い

ここの職員と言い、、、



防衛研究所の関連過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 354」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1846137.html




素人だと言うだけで、最初から相手にされていない気がする

はっきり言うと、相手にするのが邪魔くさいのであろう





大学講師には、最初に「名刺をお持ちでないのですか?」と

聞かれた

研究者の世界は肩書きが重要なのだそうです

どこの研究チームにも属していない私の主張は

ただの主婦のたわごとに聞こえるのかも





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 612

約束の時間に、靖国神社の階行社文庫に行った

ロビーのところに、その初対面の大学講師の方が

待っておられた





大叔父の資料を広げて、かいつまんで説明をする

しかし、その方は、私の誤字を指摘されたり

質問がイマイチであった

あれれ?と思っていたら

南方には明るいが、海軍の専門だと分かった

大変失礼しましたm(_ _)m





そこで、階行社の偉い方をご紹介いただいた

なんでも、元自衛官の方で、戦史について

とてもお詳しいとのこと

その大学講師の方も一緒に、私は更に詳しく説明を続いた





ひととおり説明をした後

口を開いたのは階行社文庫の偉い人であった

それらの理由だけで、なぜ軍歴表が詐称されている

と言えるのか?と首をかしげておられる





インパール手前のインド国内のテグレパールから

700kmも離れたビルマの兵站病院まで

搬送されたとされる件については

たまたま運が良く、搬送されたのであって

同じ中隊の複数のおじいさん達が大叔父のことを

ご存じないことに対しても

たまたまそのおじいさん達が知らなかっただけ

大隊名も書かれていない白紙同然の軍歴表も

たまたま記載漏れしたのだろうと。。。

軍歴表がおかしいと疑うこと自体が

おかしいのだと言われた





確かに、軍歴表は真実を書くべき物だ

ただ、初対面の方に、今までの小さな積み重ねの

経緯と、私の直感とを、事細かに伝えることは

難しかった

私には人の心を動かすだけの説明が

出来なかったのだと落ち込んだ





これまでの調査は、分からないことが多すぎて

調べた小さな事柄を分析し想像して

まずは仮説を立ててその裏付けを取ってきた

言わば、推理をしながら調査する

探偵のようなものである

階行社の方は、証拠重視の警察のようなものか





何人もの方の見解で、この軍歴表は

おかしい・特務機関の人間だと思うと言って下さっても

決定的な証拠は未だ何1つないのが現実だから

それを調べているのです

この軍歴表を素直に信じれば

私の調査は全く意味がないことになる

しかし、大叔父は確かにビルマのどこかにいたはず

命をかけて戦って死んだのに

そんな人は知らない・いなかったと言われることが

とても悲しいのである




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 611

大叔父の調査をどうして行けば良いのか

全く分からなくなって

何かにすがりたい気持ちでいっぱいだった

今まで調べたことから、私の想像する大叔父の姿を

どう証明していくのか?

石原完爾氏まで出てきたら

これは、もう素人の調査では難しいのではないか

今までご紹介していただいた先生方も

あまりあてにならない

新たな協力者を求めていた





人気のある戦史ブログなどもたくさん拝見した

ネットでウロウロとしていた時

とあるブログで、素晴らしいコメントをされている方を発見した





その方を調べてみると、お若いが大学講師などをされていて

関西を中心に、自ら研究所のようなチームを作られて

様々な活動をなさっていた

戦史についても南方に明るいようなことが

書かれている

この人ならば、何かアドバイスをいただけるのではないかと

早速、見ず知らずのその方にメッセージを送ってみた





私の連絡先を書いていたことから

その方から突然、お電話をいただいた

ちょうど明日、東京に行くのでお会いしてお話しを聞きましょう

と言って下さったのである

とても驚いたが、親切な方で心から感謝した

その上、靖国神社の階行社文庫の偉い方をご紹介

いただけるとのこと

私は飛び上がるほど喜んで明日へと備えたのである





続く…




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訃報を聞いて

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます


数日前に、小野田さんの訃報を知り

とても残念に思いました

小野田さんは、フィリピン・ルバング島のジャングルで

終戦後も29年間、潜伏し、生還された元陸軍少尉

この16日に亡くなられ91歳でした





昭和19年に、中野学校の二俣分校に入られ

帰国後は子どもたちに「生きる意思の大切さを

伝えたい」と自然の中での活動「小野田自然塾」を開く

福島県の山林に施設があり、キャンプ生活を通じて

子どもたちや野外活動の指導者を対象に

自然教育の指導を続けられた





靖国神社の遊就館友の会に子供が入っており

毎年、小野田自然塾の案内をいただいていたが

参加年齢に達しておらず、いつか参加出来るのを

楽しみにしていた





小野田さんにもお会いとずっと思っていた

二俣分校の方であるが

中野学校の教育の卒業者であり

参考になるお話をお聞きしたかったと

とても残念に思います





こうして、1人減り、2人減りと

歴史の生き証人達がいなくなる

どうか大叔父のことをご存じの方がお元気なうちに

その方に巡り会いますように

調査が早く進むように頑張らねば





小野田さんのご冥福を心よりお祈りしています

安らかに眠って下さい、ありがとうございました



2014.1.20

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ミャンマーに思いを寄せて 610

石原完爾氏について少し調べてみた

とても有名な将軍様で、軍事思想家として

賛否両論ではあるが、熱烈な支持者も多い

軍歴の最後は、京都16師団の師団長

東条英機氏との対立で失脚させられ

軍を追い出されるような形の最後となり

そのまま大学の講師として京都に滞在

そして、大学を辞し、故郷の山形に帰る





柳条湖事件を起こし、満州事変を成功させた

首謀者であったとも書かれている

どちらの事件も詳しくは知らないが

教科書にも出てくる歴史的な大きな事件である

中野学校が設立された時代より

かなり前の時代に、より大きなスケールの

謀略活動を実際に行った人であり

中野学校の先駆けとも言える人である





いつも協力してくれている周りの皆も

あまりにビッグネームなため驚き

ほんとか?えらいことになったなと笑われた

笑い事じゃないってばっっ

こんなの作り話の映画みたいな展開だよ(T_T)

しかし、これが私に突きつけられた現実であった





ただ、ビッグネームが飛び出したと言っても

その方が、大叔父の出兵と関係するとは限らない

大叔父は、大学では生徒会などをしていたりと

やや目立つ存在ではあったが

単なる大学を中退した若者である

そんなすごい将軍様と結びつけるには

あまりにも無理があった





大学側からもたらされたとんでもない情報を

どのように解決していけば良いのか

私は途方に暮れてしまった

誰か専門家の支援が欲しい

どなたかいらっしゃらないかしら。。。




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 609

大学側のメールには

最後に、大学と懇意にしていた将軍様の

名前が書かれていた





私は、あまり戦史を知らない

それでも、どこかで見たような名前であった

早速調べてみて、とんでもない名前だと気付く

どうしよう。。。この人がもし関わっていたとしたら

簡単に特務機関に大学の人材を送り込める

これって大変なことだ。。。

泣きそうな気持ちどころか、震えが来た





そこには「石原完爾」と書かれていた

断定は出来ないがと前置きがあって

戦時下に大学と直接関係が強かった将軍様として

石原完爾氏は、退役後、この大学の教授をされた

退役後も東条英機氏との対立は続き

大学に迷惑がかかるからと大学を去り

故郷山形に戻られたと書いてある





えっ?山形、、、大叔父も山形出身である

これも偶然なのだろうか?

キャーーーーーーどうしよう(>_<)

石原完爾氏って、、、ビッグネームすぎるよ

こんなの私の力じゃ調べることは出来ない

どうしよう、、、どうしたらいいのだろう

なんなのこれ???なんでこうなるの?




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 608

大学側に、岩畔機関に直接関わっている人がいた

しかも学校長公認のようである

これは、このA氏個人が特務機関と繋がっていたのか

それとも大学から派遣されていたのか?





何にせよ、大叔父のパターンと似ている

似ていると言うより、大叔父もこの件に

何らか関わっているのではないかと思えた





大学側からのメールでは

大叔父が中退した後の昭和16年7月以降の

足跡が分かれば何か手がかりが掴めるかも

しれないと言った内容が書かれている





そして、「中野学校の教育期間は1年で

毎年7月から始まり翌年7月末が終了だった

ようである」と書かれていた

この文章は、どういう意味であろうか?

大叔父は、昭和16年の7月に大学を中退し

18年の7月に大陸に渡っている

7月が偶然重なっているようにも思えるが

中野学校の7月と何か関係があるのだろうか?





あまりの急展開に、頭の中は分からないことだらけ

私はどうしたらいいのか困り果て

泣きそうになった

その上、最後に更に衝撃的な一文が添えられていた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 607

電話の後も興奮している自分がいた

まさか大学側から

こんなピンポイントな情報が

もたらされるとは全く思っていなかった

確かに何か見えてきそうな気がする





あとは、大学からの連絡を待つことにした

・南方の特殊機関に関する本のタイトルと作家名

・A氏のお名前

・学校と懇意にされていた将軍様のお名前

を知らせて下さる約束である





すぐにお返事が来た

まずは、南方の特務機関に関して

中野学校になる前からの経歴が

簡単にまとめてあった

その中で、A氏が関係していたのは

F機関→岩畔機関→光機関のうち

岩畔(いわくろ)機関であった







そして、岩畔機関の岩畔豪雄氏は

戦後、京都産業大学の設立に関わっておられ

理事も務めておられる

そこに行けば、何かしらの資料があるかもしれない

と書かれていた





次に、A氏の氏名が書かれていた

A氏が載っている書物については

国立の○○大学が、昭和17年5月~7月に行った

旧満州北部の僻地の探検記録の中に出てくる





その探検地域は、満州北部の軍の管理地域よりも

外側で、詳細の分からない地域であった

当時は軍の了解と援助がなければ

探検は実現は出来なかった

A氏の紹介で、満州国治安部(のちの軍事部)の

高級顧問であった藤村謙少将に便宜を図ってもらった

と言う内容の一文がある





そして、近年に発刊された書籍では

早稲田大学の先生が書かれた

特務機関についての本の中に

A氏が満州から北京に活動拠点を移動し

岩畔機関に入ったことが書かれている

A氏から学校長宛の書簡にも

「参謀本部委嘱トシテ、ビルマ駐在特殊機関ニ服務シ」

と書かれているとのこと




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 606

次いで、私は漠然と感じていたことについて

聞いてみた

「大学と懇意にされていた

将軍様はおられませんか?」

私は胸の内で

一大学職員が、特務機関に自らの伝手で

入れる物でもないだろう

大叔父の件も含め、中野学校もしくは

特務機関に通じる

高級将校がバックに存在するはずである

と、確信していた





思い当たる将軍様がおられるとのこと

その方のお名前も忘れたので

併せて後ほど知らせると言って下さった





夏に帰省する際にお会いし

こちらの遺品を見ていただき

A氏の資料等を拝見させていただく約束をした

2013年・夏

ここから熱い暑い夏となって行くのである





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 605

A氏については、英語が堪能であったことから

特務機関に入り、マレーでインド人に教育をしていて

軍人ではなく、軍属のようだったらしい





A氏について書かれている

近年発刊された書籍について

読んで持っているが、家にあるとのこと

A氏の名前も忘れたが

本を見れば分かるので

後でタイトル等を知らせますと言われた





大叔父の遺品の中にあった

●昭和14年11月 
「京都付近大学高等専校連合演習出場者編成表」

の中で、大叔父が中隊長役であったことについて

これは、禁衛隊の関係ではないかと言われた

禁衛隊とは、生徒会とはまた違う私設警備組織

戦時中に、軍の指導により作られた組織であるが

○○大学では、指導前から学生達が自発的に活動し

京都御所の警備を行った

大隊長は、教授陣で、中隊長以下が学生だった





こちらからは、マレーの特務機関は

後に光機関となり

南方遊撃隊司令部へと発展していく

そこの軍事部長は、北部大佐であり

後の60連隊の連隊長であること

そして、大叔父は大学在学中から

中野~市ヶ谷に通っていたことが

遺品から分かっていることと

退学後は神戸で就職し

その後、中野に引越していることを伝えた

大学側は、とても驚かれていた




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 604

電話では、実は、その後の調査で

こちらも大叔父が特務機関に関係していたと

考えていて、大変驚いたことを伝えた





A氏の件については

100年史の編纂に関わった際に

先輩から託された資料が始まりで

別途関心を持って調査されていた事項だった





A氏の名前が浮上したのは

国立の○○大学による、戦時中に行われた

探検部の報告文書の中と

近年発刊された南方の特殊機関に関する書籍

からであったと言う

そして、A氏の資料も手元にあるとのこと





このA氏の件は、大学側として

伏せておられる事項ですか?と聞くと

100年史の本には載っていない

伏せていると言うより、調査が進まず

載せることが出来なかったと言われていた





A氏については、大学OBの職員であった

当時「学生課長」と言う職に就いていて

大叔父と年頃は変わらない若い人だと言う

マレーの任務を終え帰還されている

その後は、徴兵もなかったそうです

戦後、ご家族(ご遺族)に聞き取りに伺った際には

ご家族は何も知らなかったそうです




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 603

大学側に特務機関に関わっていた人がいた

しかも、マレーでインド独立を支援する

インド国民軍の育成機関と言えば

F機関・岩畔機関・光機関のことである





一文を見た時から凍り付き

私が思っていたことが的中したのだ

しかも、大学側には、大叔父が光機関にいたと

思っていることを何1つ伝えていなかった

大学に光機関関係者がいたと言うことは

大学自体が光機関に関係していたのか?





光機関が英語の通訳を欲していた

そこに投入されていた○○大学関係者

この発見は、大叔父の調査の大きな転機

かもしれない

そのA氏の件を、詳しく聞かなければいけない





メールでは詳しいことがお伝えできないがと

書かれており

私は一刻も早く直接お話出来る機会を待った

そして、やっと電話で話すことが出来た




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 602

大叔父の○○大学では

先日発刊された100年史を作る際に集めた

資料を永久保存するための施設を

近年、作る計画があるのだそうですが

戦前・戦中の先輩方の学生生活を示す資料が

ほとんどないらしく

このセンターの立ち上げ時に

大叔父の資料は学園にとって

大切な資料になるだろうとのこと





大切に保存しておいて下さいと何度と書かれていた

資料を送ってもらえれば学園との関係を

調査しますともあった





資料については、いつか調査が完結したら

しかるべき所に寄贈しようと思っていた

靖国神社なども候補に入れていたが

○○大学の資料館も良いかもしれないと思った





新しい資料館が建つ折りに

貴重な資料を寄贈したら

そのオープンセレモニーに

呼んでいただけないだろうかとふと思った

私ではなく、大叔父の調査に協力してくれている

伯父夫婦を親族として出席させてあげられたら

大叔父も伯父夫婦も喜ぶだろうなぁ

何も出来ないけど、伯父夫婦への恩返しとして

勝手に青写真を描いたのでした





資料を寄贈できるように

大叔父の調査が完結するように頑張ろう




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 601

電話のタイミングが合わず

メールでの連絡が続いた





大学側には、以前にメールで

同じ中隊の生き残りのおじいさんに

お会いしたことを報告していた

そして、残念ながら、おじいさんは

大叔父のことをご存知ではなかったこと

記憶が薄れているのではなく

大叔父は中隊に絶対にいなかったと言われたことを

伝えてある





おじいさんに、何か特技を持っていなかったかと聞かれ

「通訳をしていたと、母から聞いています」と言うと

「それや!!」とおっしゃった

所属は、おじいさんと同じ中隊でも

通訳として別の部署で働いていたのだろうと言われたこと





このやりとりから、ある人と軍歴が似ていると

思われたことがきっかけだったらしい

※以下、ある人=A氏とします





大学側からのメールは続く

当時マレーシアでは、日本軍の戦略として

インド独立を支援するとして

インド国民軍の育成、支援をしていました

その指導員には英語が話せ

大学卒の優秀な人材を各部隊から集め

特殊機関を結成していたようです

可能性としては英語を話せる

大叔父様も参加したのかもしれません





A氏は、○○大学関係者で

マレーの特務機関に指導員として派遣されていた

まだA氏と大叔父は点と点だが

いつか線で繋がるかもしれないと書かれていた




続く…




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ちょこっと近況報告

読者の皆様へ


いつも読んでいただきありがとうございます

年末の全ビルマ会の忘年会にも

京都60会の新年行事にも

予定が合わず不参加で残念でした

特に情報収集も出来ず、進展もないため

次の手を考えているところです





今のところ、気になることがあるため

山形に調査に行きたいなと考えています

山形って行ったこともなく、雪深いよね

しかも日帰り出来なくて、遠いなぁ

と家族に言うと

「ミャンマーに行った人が何を言う」と笑われた

確かに!ミャンマーと比べると近いですね





今月末発売のミリタリー雑誌丸では

ミャンマーに「行くまで」の部分が掲載されます

「行った後」については、連載ではなく

また今度なのだそうです、、、あらま

それはそれで、いいのですが

行くまで記事は、約200話を

1回にまとめることに、かなり苦労しました

最後には、編集部様に原稿文を

部分削除いただきまして~

えーっと、えーっと、、、ダイジェスト版どころか

話も繋がってませんし

あまりにもボロボロ状態で内容も無く

泣きそうです

こんなの読みたいか?と思うほど

お恥ずかしい文章となりましたが

宜しかったら本屋さんでお買い求め下さいませ





丸に何か情報が寄せられれば良いなと

思っています

では、また何かありましたら

ご報告させていただきます



2014.1.9


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ミャンマーに思いを寄せて 600

メールに添付した、○○大学関係の

大叔父の遺品の写真は

次の通りである


●学生証

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●中学の通知簿

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●身分証明書

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●山形県(当時の本籍地)からの「徴集延期証書」

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※学生時代の本籍は山形県だったようだ

出征後もしくは死後に祖父の家に戸籍を

移したと思われる

移管時期の詳細は、戸籍を見ても不明



●受験票

6854296_1654806265_207large[1]











この他には

●定例試験成績順位表

●学期末の成績順位表

●大学側からの郵便物
この中の手紙は、学生幹事もしくは級長宛であった
大叔父はそう言った役職をしていたものと思われる





そして、今回、新たに発見したのは

●昭和14年11月 
「京都付近大学高等専校連合演習出場者編成表」

と言う大きな紙だった

以前から、遺品の中にあったようだったが

見落としていて、今回整理していて気付いた

○○大学からは、2学年と3学年から編成された

1個大隊(242名)が参加していた

大学側からいただいた年表には

「昭和14年から大学軍事教練必修化」と

書かれていたことからも

大学が軍事強化された最初の年の

軍事関連の大きな訓練だったことが分かる





その編成表の中で、注目すべきは

大叔父は2回生で参加しているが

大隊長役であった

連隊長役は、軍人で

大学に配置されていた軍人だと思われる

学生では大隊長役がトップであった

それを3回生ではなく、2回生の大叔父が努めていた





これってすごいことなんじゃないの?

学生幹事もしくは級長をしていたことは

遺品の手紙から察していたが

良い意味では、優秀とか名誉とか言える

しかし、私の中では、大叔父は優秀で目立っていた

この軍事訓練でも成果を上げ

中野学校関係者に目を付けられたのではないかと

複雑な思いであった





この資料は、とても珍しい物だと思う

大学側も是非拝見したいと言われていた

残念ながら、成績順位表以下

この編成表も含め

古い紙のため、写真には写せなかった

肉眼でも見づらいほどであった




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 599

すぐさま電話を入れたがお留守だった

落ち着け~と自分に言い聞かせる




先のメールでは、○○大学の年表に

大叔父の履歴を併せた年表を

作って送って下さっていた

旧校制度について、知識が浅く漠然としていたため

大学との絡みの時系列が分かりやすく

整理できイメージしやすくなった





問題の一文については、

以前から別途関心を持っている方がおられ

その方の調査をなさっている時に

数年前、私から大叔父の話が偶然舞い込んだそうである





当初は、その関心ごとと、大叔父の件は

全く関係がないと思っておられたようだが

大叔父が通訳をしていたようだと言うところから

パターンが似ていると感じられたそうです





最後には、その方と、もう少し重ね合わせていけば

何か見えてくるかもしれないと書かれていた

大叔父と同じようなパターンの人が

他にもいたのであろうか?

何が見えてくるの???

その方とは何者なの???

その方との関係は何なのだろう???





残りの遺品の写真を添付し

またお電話いたしますとメールした




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 598

「軍歴は詐称されていた」のではなく

「しなければならない事情がその部隊、人に合った」のではと

推測しております

との文面に、私は凍りついた

何を言おうとされているのだろう

そして、何をご存知なのだろうか

一言も伝えていないのに

私が心の中で思っている特務機関のこととしか

思えないのである





○○大学の100年史の本は完成し、現在は他の部署に移られたが

これからもご協力いただけるとのこと

なんとありがたいのだろう

ミャンマーに行く前からのお付き合いなので

もうすでに3年ほど交流させていただいている





100年史の本では、この時代のことにも少し触れているが

やや資料不足なところもあり

自身が、この時代の諸先輩の生き方に強い関心をもっていることと

まだまだ堀り起こさなければならない

学園史としても大切なことと考えているとのこと

ほんとうに素晴らしい方と出会ったと感謝した





しかし、先ほどの一文がとても気になる

私は待てずに電話することにした




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 597

お返事には、大学側としても興味のある物で

まだ未発見の物も含まれているような雰囲気であった

とても貴重な物なので大切に保管をしておいて下さいと

重ねてご指導いただいた

そして、何なのか訳の分からない物についても

自分が見れば分かる物もあるだろうとのこと

心強くありがたいことである





そして、問題の一文は

大叔父の軍歴は詐称されていた可能性が高く

どこにいたのか全く分からない状態で途方に暮れいると

私が書いておいたことに対し

「軍歴は詐称されていた」のではなく

「しなければならない事情がその部隊、人に合った」のではと

推測しております

と、書かれていたのです

この一文だけで、私は身震いするほど驚いた

何?何?何これ…

なぜなら、私が大叔父が特務機関の人間ではないかと

思っていることを大学側には伝えていなかったためだ



関連過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 520」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1885413.html




この一文は何を意味するのか???

ここから予期せぬ、とんでもない展開となるのでした




続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 596

2013年7月

この先、どうしたら良いのか分からず

メールなどを整理していた

そして、お正月に大叔父の○○大学の方から

大叔父の遺品で、○○大学関係の資料の写真を

送ってほしいと言われたまま

それきりになっていたことに気付いた

暑中見舞いには少し早いが

お変わりないか久々にメールを送ってみることにした





遺品の写真を一部添付した

その他にもあったが、古くて読み取れない物や

よく分からない物も多く

もし機会があれば、ご教授いただきたいくらいだと伝えた





お正月から後の調査で

大叔父の本籍地は現在、祖父の家となっているが

大学への通学は、祖父の家からではなく

伏見にあった姉の嫁ぎ先からであったと付け加え

そして、大叔父の軍歴は詐称されていた可能性が高く

どこにいたのか全く分からない状態で途方に暮れていると

現状を書いておいた





すると、あくる日のお返事に身震いがするほどの一文が

書かれていた。。。





続く…




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ミャンマーに思いを寄せて 595

一昨年のお正月の京都で行われた60連隊の慰霊祭の時に

お会いした、大叔父と同じ中隊のおじいさんとは

その時以来ずっと会えずにいた

電話も何度と入れているが繋がらなかった

会を通じて、お元気だと言うことは知っていたが

他にもお聞きしたいこともあり久しぶりに電話を入れてみた

すると、やっとご本人に繋がった





京都60会でお世話になっている○○だと言うと

覚えておられた

前回のお電話と、お会いした際に大叔父のことはご存知でないことは分かったが

おじいさんは甲種の幹部候補生の教官をしておられ

同じ大学の大叔父を知らないはずがないと言われていた





今回お聞きしたかったことは、教官をされていた時期の詳細と

豊橋で教育を行ったのは、どこの部隊で行ったのか?

ただ、ご高齢のためなのか、こちらの質問はなかなか通じず

前回と同じことを一方的に話される形となった

お聞きしながら、なんとか誘導するのだが…難しい





大叔父は特務機関にいたと思っているが

それについてはどう思われますか?とズバリお聞きしても

のらりくらり~話を変えられるわざとじゃない???





そこで、大叔父に関することでなく、おじいさん個人の話に変えてみた

京都は伏見師団から出発されたのですか?との問いに

「そうです」とすんなりと答えられた

伏見師団からはどのくらいの期間で中国に渡ったのですか?

「すぐです、1ヶ月くらいで。」

その間は教育を受けておられたのですか?

「教育ではなく、予防接種の期間です」と答えられた





その後も、何度と大叔父の話や特務機関の話を出したが

どうもはぐらかされているように感じる

老人特有の一方通行かと思っていたのだが、、、

実はビルマの話をするのが嫌なのだと言い出された





おじいさんは、ビルマから帰った後、戦友の遺品を持って

ご家族に挨拶に行ったそうです

一応、ご家族は喜んではくれるのだが

中には「あなただけ生き残って、なぜうちは死んだのか」と

責められたことがあり

インパールの状況を聞きたいと言われるご家族に対し

ほんとうの話をすると泣かれた

それ以来、インパールの生き残り組だと言うことを

隠して生きていた時代があったそうです







大叔父を知らないと言うことで

私が責めていると感じられたのかもしれない

そうではないが、おじいさんの気持ちを考えると

これ以上、無理にお話を聞くのは申し訳なくなった

しかし自分の気持ちとして

「私にとって大叔父は親族ではあるが、遠縁であり

真実のお話を聞いても受け止められます」と言うと

おじいさんは、あなたには次回お会いした際に

真実をお話しますと言って下さった





おじいさんの言われる真実とは何なのか?

ビルマの惨状のことなのか

それとも何か隠しておられる秘密のことなのか

私には全く分からなかった




続く…



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ミャンマーに思いを寄せて 594

他にも良い話があったら

その映画監督の知り合いのアメリカ在住の

日系企業に勤める日本人が来た時に話すので

また教えて下さいと軍医さんはおっしゃっていた

そして、当日、お時間があれば是非、皆さんも

我が家に来て下さいと言われていた

ほんとうに怪しい人でないかと心配になり

私もお邪魔して確かめようかしらと思ったが

家に来てほしい皆さんとは、ビルマを体験している

おじいさん方のことだよねと、私は断念したのでした 





その他の良い話は、私の耳には右から左に流れ

さっきの中野学校うんぬんが気になってしかたがない

会食の時間となり、お食事が始まるや否や

会長さんの元へと走ったのでした





会長さんは、愉快そうに笑われて

そのタイ在住の元日本兵は、脱走兵だよと言われた

その日本兵は、慰霊団がビルマに来るたびに

懐かしがって、ひょこっと出てくるのだそうです

そんな人はたくさんいるのではないかとも言われていた

しかし、脱走兵だと後ろ指を指されるのが嫌で

慰霊団が来ると反対に隠れてしまう人もいただろう

おじいさん達の中で、未だに脱走兵だとか捕虜になる

と言うのは、あってはならないことで

偏見の眼差しがあると言うのは、分かっていた





次いで、中野学校の命令で残った人についても聞いてみた

それについては、詳しいことは分からないそうである

そう言う人が居たと言うのは聞いているが

実際に会ったことは無く、命令で残ったとは言え

結局その人達も脱走兵の部類ではないかなぁとのこと

以前に書いた残地諜者が帰ってこられなかったパターンの

ことかと思われる



残地諜者に関する過去記事↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 504」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1882673.html

「ミャンマーに思いを寄せて 567」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1892234.html



結局、期待していたような内容のお話は聞くことが出来なかった





続く…




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新年あけましておめでとうございます

読者の皆様へ


新年あけましておめでとうございます

旧年中は当ブログを、お読みいただき

誠にありがとうございました

今年も、調査が進むよう、コツコツと頑張って

行きたいと思っております

どうぞ、宜しくお付き合い下さいませ



年末には、大叔父のお墓参りをして

どうか調査が進むようにと祈ってきました

今月、26日前後に発売されるミリタリー雑誌「丸」で

長編の前後編で掲載させていただくので

今度こそ、何か情報が寄せられたらいいなと願っています



今は、お正月返上で、原稿まとめに追われています

前編はミャンマーに行くまでですが

200話近いブログ記事を、1回にまとめるのは

かなり厳しいですxx贅沢は言えませんが、泣きそうです

しかし、頑張りますぅ



どうか皆様、今後とも応援の程、宜しくお願いいたします

今年も、皆様方に幸多かれと祈念しております


         2014.1.1


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